第75話、悪意は禁忌に触れる

 

 ある主従の旅の道中。


 豊かな緑溢れる自然、鳥の囀り、雪解け水の混じるゆっくりと流れる川。


 どんぶらこ、どんぶらこと揺られながらクロノは思った。




 ――あ〜、分身してぇ〜。




 後ろ手を組んで丸太に乗り、穏やかな清流を下るクロノとカゲハ。


 カゲハはバランスを保ちながらも、前を行く子供クロノの所作を真似ようと油断なく見詰めている。


 だが、そのクロノは暇すぎて思考が巡りに巡り、遂には分身したくなってしまっていた。


(分身できれば2つのサロンで働けるのに。マジ分身してぇ……。……でも何回か試したけど、変な感じにしかならないんだよねぇ)


 ふと、以前試した試作版分身の術を試してみる。


「……」


 クロノの身体から黒き魔力が漏れ、影が分離したかのような人型が生まれた。


「ッ!?」


 ブレるようにして突然に姿を現したクロノの影に、当然カゲハは度肝を抜かれる。


 すぐに消えてなくなってしまったが、紛れもなく黒い魔力がもう一人の人影を形作っていた。


(……なんだこれ。何の役に立つんだこれ。おむすびも作れない。漬け物も切れない。使えないなぁ。残像だ、って言う為だけにあるような技だよ)


「い、今のは……」

「うぇ? 今の? ……何、教えて欲しいの?」

「可能ならば、是非」

「可能だね。意外に乗り気な君に胸打たれたよ」


 カゲハならば残像くらい自力で作れそうだが、断る理由もないと丸太を岸に寄せて陸に移動する。


「……うんうん、誰だって憧れるよね。ならちょっと実戦仕様に改良してやってみようか」


 初めて頼られる嬉しさから、微笑みかけながら承諾するクロノ。


「っ!」

「ぬおっ!?」


 跪くカゲハが、クロノも驚く速度で天狗の面を被る。


「……有り難き幸せ」

「う、うん……。じゃあ、軽くやってみるよ。ちょっと難しいかも知れないけど、カゲハならできるかな。名はねぇ……《残像打ざんぞうだ》と言います」


 そう言うと、クロノは近くの木へと歩み寄り……。



 ………


 ……


 …





 ♢♢♢





 クロノのクラウチングスタートを真似たカゲハ。


「《絶影ぜつえい》」


 投げられた小太刀を避けたソルナーダが、目にした瞬間――


「――コッ!?」


 音も無く、眼前に現れたカゲハ。


 〈ジュデルカの濃霧〉による察知など、ソルナーダが認識するより速くなればいいとばかりの速度だ。


「主より教わった魔力操作と体捌き。更には気配を断つ技術も含め、ここまでの踏み込みを得た。……お前の言う通りだ。早速、互いの主の差が現れたな」

「なんのッ!!」


 そのまま攻撃には移らず、主人の差を見せ付けるカゲハ。


 その隙に構え直したソルナーダへ、単純な上段蹴りを繰り出した。


「何度とやっ―――――ゴッ!?」


 確かな手応えを左側の腕に受けたと同時に、反対側にカゲハの蹴りが打ち込まれ、挟まれる形で潰される。


「カッ、キッ……な、何が……」


 ヨロヨロとよろめくソルナーダへ、カゲハは説明してやる義理も無しと攻め続ける。


『……この技はね、放出系なんだけど残すように魔力を使うんだ。……いや訳分かんないのは分かるけどね。天狗の面で無言は止めて怖いから。言い訳をすると俺は自分用に――』


 魔力は、一度体外に放てばすぐにその形を霧散させる。


 そもそも魔力は魔道具や魔術でも無ければ、何かを造形する事など出来はしない。球体が精々だ。


 だがクロノは、蹴りの動作の間に残すように蹴り足の魔力を放てと言う。


 そうすれば途中で他の動作に移ったとしても、先の魔力は蹴りの勢いそのままで相手にぶつかる。


 だが、言うは易し、行うは難し。


 蹴り足を魔力で形作る為には繊細な魔力調整と魔力操作が必要であり、更に残すように放つなどという難解な表現を体で覚えなければならない。


 実戦で扱えるようになるまで、数日間クロノに付きっきりで教えを受ける事となった。カゲハは終始マスクや仮面を付ける羽目になった。


「ヌグゥゥ!!」


 そのお陰か、クロノにより伝授されたこの技はカゲハの灰色の魔力で蹴り足を形をなし、ソルナーダを強かに打ちのめす。


 カゲハの蹴りを防げば灰色の蹴りが腹を打ち、魔力の蹴りを避ければ褐色の脚が山羊の頭を打ち付ける。


 その度に骨片が飛び散り、強固な魔物の頭蓋に無数のひびが刻まれていく。


 太いと言えども狭く唸る根の上で、激しさを増していく攻め。


「ノォォッ、ヌォォッ! が、骸蟲がいちゅう達よ!!」

「――武を手放したか。隙が生まれたぞ」


 カゲハの乱舞に堪らず袖より大量の細かな骨の虫を放つが……既に人影は背後へ。


「なんと!? 〈カハン――」

「主の差などと口にしたのが運の尽きだ」


 銀球体を呼び戻そうと試みるソルナーダよりも早く、トドメのかかと落としを繰り出した。


「ッ、カッ……………」

「――ッ」


 バキャリと山羊頭が割れ、崩れ落ちる胴を蹴り飛ばして沼に沈める。


「……」

「ハァ、ハァ、ハァ……や、やっつけたの?」


 沼地をバシャバシャと苦労しながら、リリアがカゲハの元へ近寄る。


 沼に足を呑まれながらも〈カハンの二球〉を凌ぎ続け、かなりの疲労が窺えた。


「あぁ。アンデッドだろうが、頭部をあれだけ砕けば動けないはずだ。よく持ち堪えてくれたな」


 こちらまで懸命にやって来たリリアへ手を差し伸べるカゲハ。


 だが直後……視界の端に、水面より突き出た2本の腕を見る。


 丁度、先程蹴り飛ばした魔物の落ちた辺り。


「あ、ありがとう―――――キャッ!?」


 カゲハの手に触れるや否かと言ったところで、強く突き飛ばされる。


「――グッ!!」

「ッ!!」


 リリアを押し除けた瞬間にガードし、両腕を犠牲に銀球・・を受ける。


 腕の内側で骨が砕ける音が響き、強い激痛が奔る。


「クッ、―――――ッ!」


 吹き飛ばされながらも幹を蹴って樹の枝に飛び移り、体勢を立て直して鈍く脳に響き続ける苦痛を堪える。


 そして幼い頃からの訓練により表情に自分の状態を乗せずに……冷静にソルナーダのいる場所とリリアの状態を把握する。


「うぅ……」


 リリアは無事ではあるようだ。


 自分の元に飛んで来た球とは別のもう一つの球がカットラスを弾いたのか樹の幹に突き刺さっているが、リリアは転んだ沼から浮き上がり……泥だらけで泥水の悪臭に顔を顰めながらも無傷で立っていた。


「――今のも凌ぎますか」


 2つの銀の球体が沼に落ち、足元から持ち上げてソルナーダを浮上させた。


 浮かんだソルナーダの身体は毒色とでも言うような緑色の魔力に包まれ、頭蓋の罅や負傷が失われていた。


「……仰る通りに御座います。あれだけ砕かれれば、例えアンデッドと言えども当面はまともに活動出来ません。しかしながら……ここは我が主人の縄張り」


 沼の水面で仰々しくお辞儀をしながら語る傷一つない山羊頭の執事。


「申し訳御座いません。説明不足で御座いました。……〈ジュデルカの濃霧〉にはもう一つの効果が御座いまして、それは下僕を蘇生……いえ、無理矢理に治して何度でも立ち上がらせる、言わば呪いのようなものなので御座います」


 リリアの目に初めて恐怖が生まれた。


 自分はもうあの銀色の球体を凌げる自信は無く、カゲハは重症。


 加えて相手は何度でも復活すると言う。


「コッコ、ですが御安心を。先の不意打ちを躱されたあなた方は試験に合格とさせて頂きました。我が主人の元まで御案内致しましょう」

「え……」


 拍手をして讃えながら、敵意や戦意の無くなった声音で言う。


「よ、良かった……」


 脱力して隣の幹に捕まるリリア。


 だが……。


「……そちらの訪問者様」


 拍手を止め、枝の上で鋭利な殺気を送り付けて来るカゲハを見上げる。


 両腕はあらぬ方へ変形し、足枷のように使い物にならなくなっていても、その気配は冷徹無比な暗殺者そのものであった。


「もう戦闘の必要はありませんが?」

「私はお前の試験を受けていたつもりなど無い。お前の口車に乗る程、純でもない」


 簡単に鵜呑みにしてしまっていた自分に向けられた言葉のように感じられ、リリアの胸が締まる。


「だがそんな事は些末な問題だ。今、重要なのは一つだ。たった一つだけだ」

「コッコココココ! お聞きしましょう。何がそこまであなた様を駆り立てるので御座いますか? これより先にあるのは……“死”、のみですよ?」


 山羊の頭蓋の穴が2つ、妖しく光る。


 実は本当ならばこの時点で合格であった。


 試験終了と言われてノコノコ付いて来るような輩は殺した上で骸として使い潰す、それまでがソルナーダの役目とされていた。


 間抜けな者は契約者として相応しくない。騙され、奪われ、愚を犯すからだ。


 しかし、それを告げてもこの訪問者は止まらないだろう。


「主の差と口にしたからだ」

「……事実、私はこうして主人の力により元通り。あなた様は見るも痛々しく傷付いていらっしゃいますが?」

「うむ、だからどうしたと言うのだ」


 腰を低く、脳に突き刺さるような激痛も何のその、殺意で力を漲らせる。


「死ぬ? それがどうした。たとえ死んでもお前だけは倒す。その口だけは許せない。我が主を下と貶められて――」


 ソルナーダがやれやれと肩をすくめながら足元の一つの球体へ体重を移し、〈カハンの二球〉の一つを自由にする。


「――止まれるものか」


 カゲハが飛び出した。


「コッコ! ならば合否は無効! 試験すらも無期延期! 最期までお相手しましょう!!」


 〈カハンの二球〉がカゲハ目掛けて宙を走り、ソルナーダの袖からは小さな骨の大量の蟲達が飛び立つ。


「ッ、ちぃぃ!!」

「悲しいかな。大抵の人族様は、至近距離で格闘戦にならなければどうと言う事はありません」


 水面で次に飛び移る箇所を予測し、骸蟲や銀球を放つ。


 スピードにものを言わして次々と幹や枝に飛び移り避けていくカゲハだが、足場にする樹は破壊されていく。


 先程までが試験の為と分かる、容赦のない殺すつもりのパワーとスピード。


 このまま足場が無くなれば、勝機は限りなくゼロだ。


 それでもカゲハの闘志は衰えない。


「ッ!!」


 脳裏に蘇るクロノの言葉。


『――暗闇にいる時に出会う突然の光は、凄く眩しいものなんだ』


 弱っている時に受けた恩は、過剰に温かく感じる。感情を麻痺させる。過度に重く心に残る。


 今は自分しか目に映ってないのかも知れない。


 けれど、ここ以上の居場所がある可能性だってある。


『ここが君の唯一の居場所になる為に俺は精一杯の努力をするけど、他にも目を向けて見て欲しいんだよ。俺は、君達に盲信して欲しくて手を貸した訳じゃないからね』


 ……そう言って、クロノはカゲハに選択肢を持たせた。


 だが……。


「ッ!!」

「コ!? 私とした事がうっかり!!」


 樹に刺さっていたカットラスを口で咥え、ソルナーダの背後へ飛び移る。


 そして、斬り付けようとその標的の背を目にした時……クロノの教えを思い出して踏み止まる。


「――グッ!?」


 足元の球体が、カゲハを目掛けて飛んで来る。


 直接、直線で《絶影》を使用された時の対策として残しておいた足元の銀球。


 咄嗟にカットラスで軌道を逸らし、難を逃れる。


 カットラスも弾かれ隣の幹に刺さるが、あのまま飛び出していれば間違いなく終いであっただろう。


(背後を取っても油断せず、手足が無くとも歯で戦う)


 再会の折、わざわざ背後を取るように登場した主に油断を指摘され、魔王は歯が命ならば、影もまた然りと顎を鍛えた。


 再び飛び回り、新たな勝ち筋を探りながら思う。


(……最初にして最後……唯一、主に異を唱えよう……)


 あの時に射さぬ光に何の意味がある。


 あの時に射した光に誘われて何が悪い。


 物心のつく前より死に物狂いで鍛え、里を失い、家族を奪われ、命を狙われ、孤独と戦い、追手を殺し続け、死の瀬戸際に立たされた。


 虚しさ、哀しさ、怒り、湧き出るのは負の感情ばかり。


 そんな時、最後の瞬間、絶望の淵より救い上げた手を信じて何が悪い。


 主と定めて何が不思議か。


 手を差し伸べる事が当たり前となっている主には分からないのかも知れない。


 どれ程救われたのか、理解できないのかも知れない。


 これまでの苦しみを納得させてくれたあの光には……これからの生に意味を見出させてくれた主に対するこの感情は、感謝や恩などという生半可な言葉では例えられない。


 残りの生を捧げる事に些かの迷いも生まれない。


 あの光の影としていたい―――――それが、全てだ。


「……くっ、うぅっ……」


 異常に折れて変色した腕をそのままに戦うカゲハ。


 蟲や球体が擦り、更に傷が増えていく。


 血が飛び、肩や腹なども傷付き……尚も戦う。


 その鬼気迫る覚悟に、リリアは自分を責めていた。


 クロノに甘え、カゲハの足を引っ張り、今なんの力にもなれない覚悟と実力無き自分を。


「……………ッ!!」


 そんなのは嫌だと沼に足の抜けない状態から、手を伸ばしていた。


 樹に突き刺さったカゲハの投擲した小太刀に。


「カゲハ!!」

「ッ、有難い!!」


 リリアがカゲハを呼ぶと同時に投げたのは、無傷の樹の幹上部。


 あらゆる場所から飛び移れる、唯一の場所。


「ッ!!」

「ッ!? 何の!!」


 放たれた小太刀を見事に受け止め、しっかりと噛み締める。


「……《絶影》」

「〈カハンの二球〉。ホッホ、そのままでは砕けてしまいますよ?」


 樹に垂直になって脚を力むカゲハ。


 その直線上に球体を飛ばし、沼地の中からお喋りを楽しむソルナーダ。


 しかし、カゲハの姿が消え……現れたのは水面ギリギリの幹の側面。


「《絶影》」

「ナッ!?」






 ――山羊の頭蓋骨が宙を舞った。






 影も置き去りにする速度に、遅れて水面が割れた。








 ♢♢♢







「……うむ、治って来たな。これで偵察くらいはできよう」


 両腕の感触を確かめ、改めて今の身体の凄まじさを確認する。


「良かった……。でも2番手でコレ・・なら、その上は……」


 樹の上を渡り先に進みつつ、カゲハとリリアが小休止していた。


 この沼の悪臭が身体にこびり付いているが、もはや気にしている素振りはない。


「うむ……。おい、どうなのだ?」


 カゲハがリリアの持つ戦利品に問いかける。


「コッコっ。我が主人は私などとは比較になりませんとも。それより……………もっとしっかり持って頂けますか?」


 山羊の頭蓋骨だけが、リリアの胸元で喋っていた。


 不十分な《絶影》だからこそ可能であった二連発で、辛うじて得た勝利。


 首を斬り飛ばされ、再生される前に胴体を袋詰めにして樹の上に吊るし、道案内をさせる為に頭だけで携帯されていた。


「すり鉢で骨粉にされたくなければ、もっと具体的な情報を提示するのだ」

「怖いっ!?」


 具体的な情報を出せと具体的な拷問法を提示して脅すカゲハに、さしものソルナーダも恐怖に置いて来た背筋が凍る。


「ぐ、具体的にと申されましても……。ここは既に……と言いますか、この沼地全てがモリー様の領域でして。モリー様がその気になれば、沼地の何処に隠れようとも魔術一つで今にでも我等は塵となってしまいます」

「「……」」

「そもそも、この沼地自体がモリー様のお作りになられた場所で御座います」


 リリアもカゲハも、戦慄に固まる。


 魔物一体が、カース湿地帯を作ったと言う。


 このソルナーダが、沼の何処にいても殺されると言い切る。


 予想を何段階も上回る程に、本当に次元が違うのだ。


「……完敗した身ですので助言させて頂きますと、逃げれば死にます。向かっても死にます。……が、モリー様とお話しすれば、逃げるよりはまだ生き残る可能性も……………あるやも知れません」

「霧の話が無ければ、もっと疑えたのだがう〜〜む……」


 ソルナーダの傷を癒し、動く気配を把握する霧。


 あれが【沼の悪魔】の魔術によるものであるならば、このソルナーダの言もあるいは……と、カゲハも尻込みしてしまう。


「もう一つ、宜しいですか?」

「何? さっきまでずっと話してた武術の話だったら骨粉だから」


 会話が楽しくて仕方ないソルナーダは、先程まで自分の武術の話をリリアに聞いてもらっていたのだ。


「いえ違います。お話しして頂いたお礼に、重要な情報を一つと思いまして」

「……言うがいい」

「もうすぐそこですよ?」

「「は?」」





 ♢♢♢




『……よう来た』


 陸地の中心から、沼地の支配者が声を響かせる。


 その陸地の右方の樹の影には、……カゲハとリリア、そして頭だけのソルナーダがいた。


『気配は掴んでおった。……無様じゃのぅ、ソルナーダ』

「正直に申しまして、悔いは御座いません。沙汰ならば、私も共に受ける覚悟に御座います」

『カッカ! そこまでか!』

「……」


 上機嫌なモリーに、違和感を感じるソルナーダ。


 確かに個人的にはカゲハ達は満足に足る腕前であったが、それは自分基準でだ。


 モリーからすれば、路傍の石のようなもののはず。


『しかしのぅ、順々に相手せねばならん。お主らはそこで待っとれ』

「……順々、で御座いますか?」


 ソルナーダでさえ、意図を察せぬ言葉。


「……………ッ!? 上か!」

『ほぅ、気付きおったか』


 誰よりも早く空を見上げたカゲハに、モリーは感心する。


 その上空からは……【沼の悪魔】を破壊せんと舞い降りる影が。




 ――群青色の霧の怪物。




 霧を翼のように噴き出し、以前よりも遥かに力強く分厚くなった巨躯。


 獰猛と言うよりは、狂乱と言うべきオーラ。


 以前は微かに感じられた理性も今はなく、モリーを破壊する、そのただ一つの思考しか許されない。


「な、なんと……」

『カッカッ! 無様に去るもんじゃから、すっかり萎えたもんかと思うたら……………腹が膨れた・・・・・か?』


 霧の怪物の口から漂う死臭に、【沼の悪魔】モリーが愉快そうに嗤う。




 ―――――ッッ!!




『カッカッカ! 良い良い! 縛られの身と言えど暴れれば少しは憂さも晴れようて。どれ、今一度相手をしてやろう』


 カース湿地帯を越えて響いていく『弐式』の悲鳴じみた雄叫び。


 沼の支配者と人造魔獣の第二戦の火蓋が切って落とされた。





 ♢♢♢




 魔獣の中には、ある特性を持つものがいる。


『生物の血肉を喰らい、宿った魔力を我がものとする』。


 そんな特性を持つものがいる。


 魔力には人種も魔族も亜人種も、果てはドラゴンに至るまで、個体差がある。


 質、量、色、など様々な。


 それらは、そのものだけに馴染んだものであり、仮に別のものが何らかの手法で内に取り込んだとしても、すぐに霧散してしまう。


 それを覆す性質を持つものの一体が、―――――『弐式』であった。



 ………


 ……


 …





「……ふっ、いいではないか。素晴らしい。これ程の一品は滅多にお目にかかれない。村人風情が持っていいものではないな」

「うっぐ、うぶっ!?」


 幾度として慣れない惨状。


 ザンコックの悪意と、回る先々・・毎に力を増していく『弐式』による惨劇。


「村の未来がどうのと喧しかったが……ん? なんだこのベルトは。見た事のない造りだな。ハナム君、手伝いたまえ」


 今し方、『弐式』の攻撃を奇跡的に生き延び、ザンコックへと斬りかかり、……難なく返り討ちにされた老人。


 昨夜に雪の積もった空き地の前で、何やら村人達が集まり話し合っていたようであった。


 そこを襲撃、辛うじて生き延びた老人であったが、剣はいいものであっても農具しか持って来なかった村人では軍人に勝てる筈もなく……涙ながらに散って行った。


 見事な剣とベルトであった為に、ザンコックが剥ぎ取ろうとしているのだ。


「うぅ、し、少尉。ここを最後として拠点にするとの事ですが……その、あまりに屍が……」


 最初の村では吐き気を抑えられなかったハナムも、ここでは何とか耐え凌ぎ、ザンコックに従いベルトの剥ぎ取りを補佐する。


「少尉、隅の家屋にでも放りこんでおきましょうか。穴を掘るにも一手間ですし、屋外で火を起こすにも手間取りそうです」


 ある隊員が面倒な命令をされる前にと、ザンコックに先んじて提案する。


「ふむ、そうだな。そうしたまえ。君が指揮を取れ」

「はっ!」


 剥ぎ取る作業に戻るザンコック。


「これで、ッ! ……あの【沼の悪魔】と言えどもやり合えるだろう。フハハ、首を洗ってッ、待っているがいい……」


 死したばかりの老人の瞳からは、無念の涙が流れていた。

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