第73話、使用人は教師ではない……ないのだが……
新しい朝が来た。いい朝だ。
サロンの開かれた窓からお天道様を見上げ、順風満帆な【クロノス】に……敬礼!
何故こんなにも機嫌がいいのか。
それは、直近の出来事が全て俺に都合のいいように進んでいるとしか思えないものばかりであったからだ。
ダメ元でリリアを鍛えたら才能爆発で【剣聖】になってしまい、おまけに何故か延期になっていた【沼の悪魔】の偵察まで任されたのだ。
昨日の夜にアジトへ来たモッブに任せていた期間分の給料も払ったし、今日からはまたグラスとしてバシバシ働いていこう!
「すぅ〜〜、……はぁ〜」
深呼吸をしてきっかけを作り、掃除から業務を開始する。
まぁでも今日明日働けば、また【沼の悪魔】の様子見に行かなければならない。
勧誘はぁ……できないだろうが、テキトーに様子見して異常無しと伝えるだけでお金がもらえる、とりあえずは言う事はない。
今回は休みの日だから迷惑にはならないだろう。
「――グラス、よろしいかしら」
「はい、大変お待たせ致しました。どうぞお入りください」
予約されていた貴族の息女のグループが待ちかねていらっしゃったようだ。
「あらグラス。今日はとても機嫌が良さそうね」
「本当に。何か良い事でもありまして?」
お上品な物言いで問いかけてくる息女達。
些細な事に興味津々な辺り、学生らしさが伺える。
「労働の素晴らしさを再確認していたので御座います」
「「……?」」
今日もビリバリ働くぞ!!
♢♢♢
と、思っていたのも束の間……。
「……」
1組目の客が帰ったので、食器などの後片付けをしていたところ……さも当然と言った風に、自分の部屋のような我がもの顔で侵入して来た。
エリカ姫が。
……エリカ姫が。
これから軽く掃除して、食器を洗って、新しくお茶などの準備をしなくちゃいけないのに。合間にも休む暇など無いのに。
「……ねぇ、まだグラスは帰って来ないの? いい加減チクっちゃうよ?」
刀を俺に押し付けて、岩チェアーに座り、ぷんぷんしながら言って来た。
どうやら俺だと気付いていないようだ。
「……兄は多忙なので、もう少し言われた修行を一人でこなして頂きたく思います」
「お米の研究だかなんだか知らないけど、グラスの事だからお茶漬け食べて昼寝してるだけだよ。食べ過ぎで使用人の服着れなくなったから帰って来れないのかも」
どげんかせんといかんな、このワガママ王女は。
「どうでしょうか。私も早く帰って来て欲しいとは思いますが」
「弟君の方が優秀だし、もう立場乗っ取っちゃえば? あのあんぽんたんの方は私が引き取るよ」
悪戯っ子顔のエリカ姫が、どえらい事を言い出した。
「……」
「……あ、あれ? もしかして……グラス?」
ピクピクと片眉が動くのを必死に堪えて見下ろしていた俺を見て、エリカ姫が気まずそうに言う。
でも気付かれると修行だのおにぎり食べたいだの面倒なので、ぐっと堪えてシラを切る。
「……はぁ、悲しい事です」
「……」
あからさまな溜め息を吐く俺を、ジッと睨み付けて見定めようとして来る。
「弟の私を兄と見間違えるとは……。兄が聞けばどれだけ嘆かれるでしょうか。エリカ様にご想像ができますか? できないでしょうね。とりあえず、今すぐ汚れてもいい服に着替えて、とっととお外で上着を木にかけては落とすを繰り返す修行――」
「やっぱグラスじゃん!!」
キッと目を吊り上げたエリカ姫が立ち上がり、確信したように叫んだ。
「……私はグラスの弟のグラズですが」
「嘘ばっかり! その敬う気のない目! 人をコケにしたような物言い! グラスじゃん!!」
な、なんちゅう事を言うのだ! 言いがかりも甚だしい!
エリカ姫のグラス像が無法者のようになっている事実に驚きを隠せない。
「それに私っ、弟君には王女殿下って呼ばれてるもん! エリカ様なんてグラスだって言ってるようなもんじゃん!!」
「……」
なるほどね……。
メガネをくいっと上げ、刀を専用の置き場に立てかけ……。
「……少し見ない間に腕を上げられましたね。これは洞察力の試験だったのです」
「隠すな! 帰って来てたんなら言ってよ! 悪足掻きまでしてたし! ――っ!」
ご立腹のエリカ姫が、怒鳴り終えた瞬間に俺の腕を抱え込む。
そしてグイグイと引っ張られる。
「こっち! 早く!」
「……」
♢♢♢
外に連れ出すからてっきり修行を付けて欲しいのだと思っていたら、どうも違うようだ。
「ハクトがおかしくなっちゃったんだよ。なんとかして」
「ハクト様が? 失恋し過ぎて気でも触れたのですか?」
「それなら放っておくよ。面倒だから」
酷くない?
すれ違う生徒達のヒソヒソ話や好奇の視線も物ともしないエリカ姫に連れられ、何故か学園の端にある小さな森林公園に連れて行かれる。
この王女様も絶世の美少女なのに、こうも男に容易く接触するのはどうなのだろうか。
婚約者の心配をするのだから、そこは偉いと思う。
「ほら、アレ」
「私が解決できるとは限りませんが、どれどれ……」
大きな木の陰から、エリカ姫の指差す先を覗き見てみる。
「うおおおおおおお!! っ、グワァ!?」
……ハクトが、白い魔力を僅かに身体から迸らせ、手刀でオズワルドの持つ盾を突いていた。
そして苦痛に呻き、膝を突いている。
だが、以前とは桁違いの魔力を使いずっと訓練しているのか、盾もボロボロとなっている。
「……」
「ね? 黒騎士から習ったって言って、昨日からずっとあーやって怪我してんの。初めは笑っちゃってたんだけど、だんだん心配になっちゃって。……頭が」
残念ながら盾に貫通するような跡は無く、何か成長したようにも見られない。
それもそのはず……。
……あいつ、何も分かっちゃいないよ!!
額を叩く程強く顔を覆う。
宿した魔力を操作なんてこれっぽっちもしておらず、ただただ思い切り魔力を込めた手刀をぶち当てて怪我しているだけだ。
それなりの威力はあるが、それだけであの重厚な盾をどうにかできる訳がない。
「は、ハクト君。やっぱり僕はこの方法は間違っているように思う。それも……かなり」
重い盾を持つ疲労困憊のオズワルドも、何度も助言しているのだろう。
困り顔で、痛みに呻くハクトへ告げている。
「ぐぅぅ……。い、いや、単純な話なんだ。これを貫けた時、オレは黒騎士の奥義をこの手にしているッ。ただそれだけの話だ!!」
「違います。ビンタしたいくらいに違います」
思わず木陰から出て口を出してしまう。
「ぐ、グラスさん!? ……エリカ!! これは黒騎士の奥義の特訓だから誰にも教えるなと言っただろ!!」
エリカ姫に怒鳴り付けるが、当のエリカ姫は何食わぬ顔でそっぽを向いて知らんぷりだ。
「ご安心ください。この特訓を目にしても、得られるのはハクト様の滑稽な姿のみです」
「えっ……あ、あの、何か怒っているのか?」
怒ってるね。
ただこのアホな特訓に関してではない。何かしら努力しようとする姿勢は責める訳がない。
俺が頭に来ているのは、友人の助言に耳を貸さないばかりか、あろう事か心配するエリカ姫に怒鳴った事に対してだ。
「私が怒っているかは置いておくとして、……どう見てもそのやり方で黒騎士様の技は体得できるとは思えません。時間の無駄かと。……特にオズワルド様の」
「なっ!? なんでそんなっ」
正直助かるとでも言いたげなオズワルドの感謝の視線を受けつつ、目礼で返してからおバカなハクトへ向き直る。
「今のままでは黒騎士様は勿論の事、エリカ様にも追い付けませんよ?」
「そんな訳が無いだろうっ。これだけの魔力があるのに!」
自慢するように白いオーラを光らせるハクト蛍。
「――これでも?」
「ッ!?」
意識の隙を狙い、片膝を突いていたハクトの首元に手刀を翳す。
「エリカ様の抜刀は速度ならば今のものに迫る勢いです。その速さを可能としているのは、黒騎士様の魔力操作法なるものの三つの内の一つです」
「え……そうだったの?」
エリカ姫が驚いている。
当然だ。今作った設定なのだから。
「そうだったのです。エリカ様は更にもう一つも身に付けつつあります」
もうテキトーでもいいから、ハクトに教え込もう。
簡単そうな魔力の使い方をつい先日エリカ姫に教えたところだから丁度いい。
「すっご〜い。……どう? ハクト」
「……エリカの強さは、全部グラスさんの力だろ。お前が自慢するなよカチンと来るから」
「お? やんのか?」
ボソリと本音の漏れたハクトに、急にピキリとなって刀に手をかけるアウトロー王女。
「いい機会だから言っておく。……オレは、頭があんまり良くない」
「ぷっ、ふふふっ。認めたくないのかも知れないけど、バカって事じゃん。そんなの改まって言わなくても昔から知ってるし」
「笑うな! バカにするな! 本題はここからだ!」
痛む手を押さえ、膝を突いたままエリカ姫を見上げて続ける。
「……オレは頭が良くない。だが、そんなオレにもこれだけはと言うこだわりがある……。昔からずっと思っていた」
ハクトの挑戦的な目を、腕組みしたエリカ姫が見下ろす。
「……エリカ、強さでお前にだけは負けない。お前が調子に乗った顔は、お前が思っているよりも……なんかムカつく」
幼馴染に負けるのは悔しいのだろうが、やたらと感情的な言葉だ。
子供っぽい負けず嫌いの顔を見せたハクトが、挑発と一緒にして言い放った。
「立て、小僧」
「立て小僧!?」
真顔のエリカ姫のらしくない口調に、オズワルドが堪らずツッコむ。
「その白髪、赤く染めてあげるよ。……あんたの血でね」
刀の鯉口を切りながら、辻斬りのような物言いでエリカ姫が告げた。
ハクトも白く輝く魔力を纏い、応戦の姿勢を見せる。
「ふぅ……。魔力操作法の三つの内の一つは、魔力量の多いハクト様ならば比較的習得しやすいものです」
相手にできないので無視して、近くの木へと近付いていく。
と言うか、もっと詳しく教えておくべきだった。
ハクトを責められないな、こりゃ。魔王様失敗。
「エリカ様。ここまで、お教えした歩法でいらして頂けますか?」
「お? 仕方ないなぁ。命拾いしたね、ハクト。師匠には逆らえないから」
平然と嘘を吐くエリカ姫が、抜刀の構えを取る。
「……?」
「あれは……」
オズワルドはあまり代わり映えしないエリカの構えに首を傾げるが、ハクトは見覚えがあるようだ。
「――ッ!!」
地面が爆ぜる。
瞬間的な加速を見せたエリカ姫の姿は、俺のすぐ隣へと移動する。
「「ッ!?」」
「これが、その一つ。え〜……『裂』です。炸裂するように魔力を操作する事により、爆発的な使用が可能となります」
適当にそれっぽい名を名付け、続けてエリカ姫に指示する。
「鋭く激流のように操作する事で、一度の閃きで何物をも両断する刃とする……。これは、2つ目の魔力操作法でぇ〜……………『閃』と言います。ハクト様にオススメするのはこれになります。……エリカ様」
「う、うん。まだ失敗するかも知れないけど……」
自信なさげなエリカ姫が、刀を抜き……刃に沿って薄く魔力を流していく。
「ふぅ……、――」
眼前の木へと、速くも遅くもない速度で横一閃に薙ぐ。
「御見事です」
木がズレ落ち、倒れていく。
「あの速度で、木を斬ったのか……?」
「……紛れもなく、刀に通した魔力によるものですね」
エリカ姫の技に驚嘆するハクトやオズワルドへと近づいていく。
「最後のぉ……『流』は、実戦で使うのは非常に難しいものです。これを使い受け流すには、適切な速度で魔力を操り、向かって来る対象を掴むように操る精密な魔力制御が必要なので。ですのでまずは、これらのどちらかを修練なさっては如何でしょうか。そうすれば、黒騎士様の技とやらにも近付けるでしょう」
「……と言うか、なんでグラスさんがそんな事を知ってるんだ?使用人なのに……」
「私が一流の使用人だからです」
「……そ、そうか」
♢♢♢
木の枝から垂らした布の前に、ハクトが手刀を構えて立つ。
「……」
そっと、白い魔力の滲む手刀を布に当てる。
目を閉じて呼吸を整え、精神を研ぎ澄ます。
サァァ……と、涼しげな風が過ぎていき……。
「――とりゃぁぁああ!!」
「一本足打法っ!!」
「何ぃぃっ!?」
エリカの投げた豪速球を、木から削り出したバットでグラスが打ち返す。
甲高い音を立てて打ち出されたグラスお手製の球は、周辺の木々にぶつかり、次々と反射し……。
「……アツっ!? いたっ、熱ぅっ!?」
修行中のハクトの頰を掠めた。
「あっ、申し訳ありません」
「ごめんごめ〜ん。ついでにボール拾ってよ」
プルプルと震えるハクトが、足元に埋まるボールを拾う。
「……おい!! ついでって何だ!! ついでって言葉を辞書で調べて来い!! もしかして怪我したついでか!? よし分かっただったら喧嘩だ!!」
「うわっ、めちゃ怒ってる……」
「そりゃ怒るだろ! 後少しズレてたら頭持っていかれてたぞ!? 邪魔するなら……って言うか、遊ぶならどっか行けよ!!」
「え〜、まだ一回の裏だよ?」
地面に書かれた点数表に、一点を追加するグラスを見下ろしながら片手間に返す。
そんなエリカにハクトは更に憤慨する。
「裏表だとか訳の分からん事は聞いてない!! オズワルドからも何とか言ってくれ!!」
「えっ!?」
弓の訓練をしていたオズワルドが、突然の呼びかけにしどろもどろとなる。
「ハクト様、オズワルド様の集中を乱すような行いはどうなのでしょうか」
「オレに怪我させたのはどうなのでしょうか!? どうお思いなのでしょうか!?」
頰の傷を指差しながらいつになく怒り付けるハクト。
「まだ一枚もできないからって私達にあたらないでよ」
そう言い、歩み寄ったエリカが……。
手に薄っすらと魔力を纏い、垂れた布へとゆっくりと手刀を滑らせる。
すると、
「……ぷぷっ」
「くっ」
布は綺麗に切れ、切り落とされた布切れがひらりひらりと落ちていく。
「グラスの合格基準は、5枚連続だよ。私は今日の分は終わったもん。仲間に入れて欲しいなら実力見せてからいいな、若造」
「同い年だろ!! 仲間に入りたい訳でもない!!」
ギャンギャンと言い争いの始まったエリカとハクトを余所に、グラスはオズワルドへと話しかける。
木の全く同じ箇所へ何本も刺さる矢を目にし、その凄まじさに感心しながら。
同時に矢の先端のみに魔力を込める黒騎士の技をも練習する勤勉さにも脱帽し。
「素晴らしいお力ですね」
「あぁ、ありがとうございます。グラスさんに褒めてもらえると練習して来た甲斐がありますよ」
「……?」
その言葉に、何故かグラスは不思議そうな表情を作る。
「えっと、……何か?」
「いえ……もしかして、その“眼”の事は秘密にされているのですか?」
「ッ……!?」
驚愕に目を剥くオズワルドに、グラスはハクト達に聞こえないよう配慮しながら小声で話す。
「――“魔眼”、なのでしょう?」
♢♢♢
………
……
…
カース湿地帯……。
唸る樹々、不気味な荊棘、水に浸る沼。
沼地の主がいるとされる僅かな中心地を取り囲む環境で、その者達は戦っていた。
「――えぃ!!」
女の子らしい掛け声と共に、耳をつんざく金属音、そして足元で激しく荒れる水音。
上質な旅人の服装のリリアが、沼地に足を取られながらも……縦横無尽に襲いかかる銀色をした2つの球体を相手にカットラスを振り回していた。
かなりの重量があるのか、その球体を一つ斬り付ける毎にリリアは激しい手応えを感じていた。
「ちぃッ、どうなっている……」
水面より顔を出すいくつかの太い幹の一つに降り立つカゲハ。
「リリア!!」
「私はっ、まだ大丈夫!」
カゲハの問いかけに即座に応えるリリアからは、言葉通りにの余力を感じられた。
「――そろそろ諦められた方が宜しいかと」
霧から現れた影がカゲハ達に語る。
「どの道、ここまで踏み込んだあなた方はもう助かりません」
山羊骸骨の頭をした執事。
その瞳が、妖しく光る。
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