第72話、家政婦好きを勘繰られる魔王
会議場の扉が開く。
重々しい空気の中に、一つの大きな威圧感を持つ存在が入り込む。
シーロや騎士達でさえ、獅子の前の野ウサギのように縮み上がってしまう。
「突然の招集によくぞ応じた、黒騎士よ。先日の一投の件も含めて礼を言う」
部屋の入り口から最奥に位置する席にいるライト王が、座ったまま入室して来た黒騎士へと告げる。
あの黒騎士とは言え、立場上一人の騎士として接する事にしたライト王だが、会議場内の騎士達は戦々恐々としてしまっている。
強大な黒騎士の怒りに触れないか、そればかりを気にしてチラチラと顔色を盗み見ていた。
「……とんでもない」
しかし、黒騎士から出た言葉は柔らかく丁寧なものであった。
「私のような素性も分からぬ者を重要な会議に出席させてもらえる事自体、とても光栄な事です。ただ、礼儀も知らぬ不調法者故、多少の無礼は大目に見ていただきたい」
「……うむ、無論だ」
「緊急のようですから自己紹介は省かせて頂きます。私が最後のようですし、早速始めましょう」
そう言い、軽くライト王へと頭を下げてから空いている席に向かう。
「……」
誰もが、思い描いていた黒騎士像を塗り替えられる。
シーリーの屋敷を破壊し、颯爽と現れ王を救い、その漆黒の鎧姿であるがままに生きる。
皆それぞれに、王をも敬わない唯我独尊の黒騎士像を描いていた。
「……黒騎士様、よろしいのでしょうか」
「うん?」
ライト王の態度に不満げであった黒騎士のメイドが、黒騎士へと問う。
「黒騎士様が下手に出られる必要のある者など存在しません。せめて同等の態度で接するべきです。……ライト王が」
「……」
主への不満のような言葉になっていた事に気付き、慌てて“ライト王”を付け足したリリア。
だが、その言葉に偽りは無い。
邪神や破壊神の如き主が、仮の姿とは言え一国の王程度に謙る必要などある訳が無い。
……。
そう信じて疑わず、許可もなく発言を始めたメイドだが、不敬や無礼を咎める声は出ない。
アルトやマートン、ライト王ですら強大な黒騎士の態度のその理由を知りたいのだから。
「……恰好悪いから、だな」
「カッコ、悪いですか?」
リリアのキョトンとした愛らしい顔に、黒騎士は続ける。
「腕っ節が強いからと偉そうにするのは、力に溺れているようで恰好悪いだろう?」
「……」
「それに、王がその立場相応の態度を取るのには理由がある。ここで俺が礼儀を失うのは国の統治や王の威厳に関わり、良い方向には転ばないだろう」
黒騎士の言葉に王やマートンは感嘆の溜め息を漏らし、騎士達は胸に熱い敬意を抱く。
高潔な騎士、正に正義の守護者の姿であった。
「……」
王が舐められれば問題が起きる。兵士や貴族達からの畏敬も薄れ、謀反なども考えられる。
リリアにも理解できるが、それでも権力を笠に着てやりたい放題やっていた父の顔がチラつき、それを実質的に放置していた事となるライト王に怒りが向かう。
だが……。
「……差し出がましい物言いでした。すみません」
そんな思慮深き黒騎士に迷惑はかけられないし、何よりもその意に従うのみだ。
「いや、気にするな。ただこれが俺の考え方だ」
「はい」
頭を下げたリリアへ黒騎士は短くそう返し、大剣を引き抜き壁際に立てかけ、席へ腰を下ろした。
「……黒騎士の時間を取らせるのは申し訳ない。先に黒騎士への依頼から話そう」
「承知しました」
これが最低限の自分の示せる礼儀だとばかりにライト王が進行役のマートンへ指示の視線を向け、直ちに会議が始まる。
「では、セレスティア様の次代の【剣聖】となったリリア殿」
「えっ……はい」
リリアが小さく驚き、黒騎士ではなく自分へ話しかけるマートンに向き直る。
「剣聖への依頼です。あなた、そして主の黒騎士殿に至急遂行してもらいたいお願いがあります。勿論、報酬も支払います」
「御主人様、どうしますか?」
迷わずそう主へ訊ねるリリアから、黒騎士へと皆の視線が移る。
黒騎士の配慮で話し易くなったとは言え、未だ緊張感のある会議場。
少しの沈黙の後、心地いい低い声が発せられた。
「内容は勿論ですが、緊急である事情は教えてもらえるのですか?」
「無論です」
礼儀には礼儀をと丁寧な物言いでの当然の問いに、マートンは自然と膨らむ彼への敬意を隠し、手短かつ要点を押さえて話す。
緊急と言う事情故の頼み易さもあって、アルトの思惑通りに饒舌に。
「壊滅したラルマーン国の部隊を調査していた者達が……壊滅と。その2つの原因が【沼の悪魔】かどうか知りたいから、現地へ赴き奴が動いていないか調査して来て欲しい訳ですか」
「その通り」
続けてマートンは眼鏡を押し上げながら、緊急的な会議となった理由も口にする。
「今し方届いた調査隊の壊滅の報に加え……黒騎士殿の事ですから全て承知の事と思いますが、3日後に……ベネディクト最高司教が王都へ帰還します」
「ふむ」
「何が起きるか分かりませんので、今ある手勢を割きたくはないのですよ。ですから、偵察をお2人にお願いしたい」
「……ふむ」
重々しく肯く黒騎士に、やはり既存であり危惧していたかとライト王もマートンもその慧眼に脱帽と言った心中だ。
「報酬は通例通り帰還後となりますが、額は期待――」
♢♢♢
王城での話し合いが終わり、クロノはアジトに帰還しリリア達に明日からの指示を与える。
地下にて自分用の椅子に座り、デスク越しにリリアへ言う。
「小難しい話だったけど、明日から少し別行動になりそうだね。今日はカゲハと2人で高級な宿にでも泊まってゆっくり休んでよ」
「っ!?」
【剣聖】の給料という定期的な資金源を手に入れた事に、すっかりご機嫌なクロノ。
その様子にリリアもつい嬉しくて心が和んでいたが、聞き捨てならぬ発言に驚いてしまう。
「申し訳ないけど、剣術の授業料として【剣聖】の給料はもらうね。けどこれとは別にきちんと従者の給料は多目に払うから安心してね。金額交渉はウチのナンバー2に会った時に言っとくれ」
「お金など……リリアはお仕えできるだけで幸せです。でも……あの……王都での御主人様の御世話は……?」
初めて王都のアジトに入り、クロノの世話に鼻息荒くやる気を滾らせていたリリアが、不思議な物言いの主に目をパチパチとして問いかけた。
「ウチの組織にはクロノス王都支部があって、そこから執事が来てくれるんだ。だから心配しないでくれ。……カゲハ」
組織の自慢をするように胸を張って答えたクロノが、続けてカゲハを呼ぶ。
「――はっ」
「ッ!?」
気配もなくどこからともなくリリアの隣に出現したカゲハが、跪く。
何度目かとなるリリアでも、突然そこに現れるカゲハにピクンと驚き、動揺してしまう。
「どっこいよいしょ。……沼だなんだ言ってた方は気にしないで、このお金で家に帰りながら観光とか買い物でもしてゆっくりしてよ。仲良くね?」
10才クロノが、デスクの影で見えなくなったカゲハへ身を乗り出して金の入った皮袋を差し出す。
クロノの粋な配慮。
同僚の2人に親睦を深めてもらう為、奮発した資金を渡して遊びながらの帰還を命じる。
「御意」
恭しく受け取り了承したカゲハに、魔王は満足げに頷く。
「いやぁ〜、俺は部下に恵まれた魔王だよ。いい子達ばかりで魔王冥利に尽きるね」
『代表取締役』と漢字で書かれた札の位置を直しながらニコニコとして言う。
戦闘時の超越者の一面と打って変わった無邪気な姿に、思わずリリア
「ふふっ。……………はっ! ……いえ、王たる御身が一人の従者しか付けないのは、威厳に関わるのではないでしょうか」
「マジで?」
我に帰ったリリアの言葉に、威厳の危機と聞いたクロノが焦るが……。
「う〜〜ん……いや、今回は仕方ないね。だって明日からは俺、使用に…………」
ふとクロノの言葉が止まり、思案顔になったかと思えば、
「……実はね、俺は今とある施設に潜入調査を行なってるんだよ」
突如デスクに肘を突き、圧倒的な魔力を漂わせながら威厳を持って話し始めた。
「ひっ!?」
「ッ!!」
リリアもカゲハも、強烈な魔力の重圧に当てられ自然と背を正す。
語り口も変わった事から、2人はすぐに話題の深刻度を悟る。
「明日と明後日は潜入の続きがある。中々に過酷な現場で、……突然刀を持って突入して来る輩や、失恋して剣を振り回す面倒な奴等で溢れてるんだ。中には食糧を強奪していくお爺さんなんてのもいる」
リリアとカゲハが息を呑む。
今の言ではどのような施設なのか想像もできないが、このクロノが言う過酷なのだ。
「っ……」
「……」
どのような強敵がいるのか、どれ程の危険があるのか、未知の世界の存在に冷や汗が流れる。
「そんな訳で君達にはまだ早いから、その間に疲れを癒してその後の任務に備えて欲しいんだよ」
「はっ」
「……はい」
2人が頭を下げる。
カゲハは主の役に立てない自らの未熟を恥じ、リリアは主人の意図を汲めなかった思慮不足に嘆きながら。
「例によって、君、もしくは君の仲間が拘束、後は……捕らえられ、捕まった場合は、当局はもろに関知するのですぐにどうにかして知らせるように」
「はっ」
「かしこまりました……」
いつもの主の深き優しさが、2人を激しく後悔させる。
♢♢♢
「よいしょ、よいしょ、どっこいしょ。魔王のお漬物はいらんかねぇ〜、よいしょ、よいしょ、どっこい……ん?」
リリアとカゲハが去ったアジトで、鼻歌混じりに
上の階に来客の気配を感じる……ここまでにしとくか。
そっと糠床を片付け、手を洗う。
「――失礼致します。お帰りなさいませ、クロノ様」
「……ただいま」
旅人が着るような身体を覆い隠すローブ姿のセレスとモッブがアジトへやって来た。
だがフードを取ったセレスはいつもの幸せそうな笑みではなく……仕事モードの凛とした冷たい無表情で話しかけてくる。
なので、お辞儀をしてすかさずお茶を用意し始めるモッブに、セレスはなんでこんなに虫の居所が悪いのか訊きたいのだけど……。
「此度も私の兄の思惑を見抜き、それすらも利用するクロノ様の手腕に驚きと敬愛の念が尽きませんでした」
「う、うむ……」
訳分かんないけど、とりあえず魔王専用のデスクに座る。
「……他に、何か報告はあるかね?」
「私から、でしょうか」
はい地雷踏んだぁ……。
一際目付きの鋭くなったセレスから目を逸らさず、なけなしの威厳を持って迎え撃つ。
「……現段階で、全てお知りのはずのクロノ様へご報告すべき事はありません。ですが、誠に恐れ多くはありますが、クロノ様へお訊ねしたき事が御座います」
「許可しよう。言ってみたまえ」
何故か、父ちゃんが村へ来た行商人の娘さんに見惚れていた場面を、鬼の形相の母ちゃんに見つかった時の事を思い出した。
「ありがとうございます。では……私が知らぬ間に、家政婦をお連れになられたと言う一報を受けましたが、誠なのでしょうか?」
……なるほど、それが気に入らない訳か。リリア達を勝手に雇ったから。
「私はクロノ様御自らより、【クロノス】の資金運用の任を拝命致しました。……クロノ様の為の組織とは言え、御身自身にも規律を守って頂きたく思います。例外は組織自体に悪影響となる恐れがあります」
生徒会長のように、デスク越しに凛として説教をかましてくる。
「……セレス君」
「はい、何でしょうか」
デスクに肘を突くいつもの顎を支えるポーズから姿勢を正し……セレスを真正面から見つめて厳かに言い放つ。
「――ちょっとだけ、大目に見て欲しいかも知れない」
「……」
お茶を俺の元へ持って来たモッブが、息を呑む気配がする。
まるでセレスのかつてない怒りを予期しているかのようだ。
「……」
「……」
だが、俺は堂々たるセレスから目を逸らさず受けて立つ。何故なら魔王だから。
すると……。
「……ズルいです。そんなにもお願いされては、認めざるを得ないではありませんか……」
ポッと頰を赤く染め、目を逸らして呟いた。
ふぅ、何とかいつものセレスに戻ったか。
「えぇっ!? い、今、そんなにもと言う程のお願いをしていましたか……?」
「モッブ。クロノ様の御前で無礼ですよ」
「も、申し訳御座いません……」
驚いたモッブがセレスに注意されているが、俺的には一安心だ。
「ですが、私がいつもいつもクロノ様に甘いと思われるのは心外です。しばらくは厳しくなるものとお考えください」
「……」
キリッとした表情でローブを脱ぎながら、強気な口調で諫めて来る。
いや別に組織の為に厳しく言ってくれるのは大歓迎なのだが、問題は……。
「して欲しい事は何でも私に言い付けてください。他の方に言いつけるようなワガママはいけません。御自身で家事をなさるなども含まれます。ご注意ください」
「頭が混乱して来たよ。違う言語を聞いているかのようだ」
一人暮らしの俺に家事をするなと言い、自分以外に頼る事はワガママだと仰る……………そんなん王様みたい……あっ、俺、魔王か。
「いやそれよりも……」
セレスの姿に再度目をやる。
清澄な容姿で言い放ちながら、……大胆なメイド服姿で家事を始めた。何食わぬ顔で。
胸元も見える露出度の高いメイド服。
「……あのね、似合ってるとは思うんだけど……その服でここまで来たの? 女の子は恥じらいを忘れてはいけないのではないかな。王女様なら尚更だよ」
「クロノ様はこのような家政婦がお好きなのでしょう? 私で存分にお楽しみください。他の家政婦に目移りしない程にご満足なさってください」
「止めてくれる? 人を悪徳領主みたいに言うの止めてくれる? 自分が犠牲になるから他の家政婦には手を出さないでみたいなの止めてくれるっ?」
何気なく言うセレスへ、渾身のツッコミを繰り出す。
「とんだ誤解だし!」
「必死に言い訳をなさらなくても、お隠しになられる必要などありません。私が全てお受け止め致しますので」
「聞いちゃくれねーよ! この子!」
俺の抵抗を“私は理解していますから”みたいな笑みで受け流し、メイド服姿で夕飯の準備をしている。
いや、待て……。
「もしかして、……からかってる?」
「魔王陛下。セレス様がこのように楽しそうになさるのは陛下の前でだけなのです。陛下がいらっしゃらない間の寂しさもあり、浮かれていらっしゃるのかと」
見かねたのか、隣からモッブがそっと説明してくれた。
そうか、俺がいなくて寂しいと思ってくれるという考えが無かったが……何だかむず痒くも嬉しいものだ。
「……本気で仰られているようにも見受けられますが」
「アカンやん……」
とりあえず、逃避がてらモッブと将棋をしながら談話し、セレスの夕食を待つ事にした。
「そう言えば、例の産地には辿り着けましたでしょうか。マリーの説明が不十分だったかとは思いますが」
「うん。しっかり取り置きしてもらえるように予約して来たよ。すっごく親切な人達でね、一晩泊めて夕食まで頂いちゃったよぉ。そのお礼に―――――」
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