第70話、叱る黒騎士
アルトの大剣が圧力を増しながらリリアへと襲いかかる。
「技量だけで勝利できる程、人と人の争いは容易く無い」
鍔迫り合いからの激しい剣戟。
剛の大剣がリリアのメイド服を斬り飛ばし……。
「えぃ!!」
技のカットラスが、アルト王子の首元の薄皮を斬る。
しかしアルトは少しも怯む事はない。
「くぅ!」
「今のもそうだ。俺を殺すまいと剣を引いている。お前には殺意が無い。だから弱い。剣士となったのなら、俺を殺してみせろ」
怪我や出血、命のやり取りの中で鍛えて来たアルトの闘争心剥き出しの攻めに、クロノから教わった剣術を上手く使えずにリリアは押されっぱなしだ。
「剣を持つのなら覚悟を、――決めろ!」
「ッ!!」
今までの片腕だけの加減をされたものとは違う、力の込められた一振り。
アルトの鍛えられた腕も膨れ、その力みが服の上からでも察せられる。
リリアの目も鋭くなり、迎え打とうとカットラスを両手持ちで振ろうとする。
その瞳は、危険な光を宿している。
が――
重く強く打ち下ろされた大剣が、横合いから突き出された黒き刃により止められる。
「グッ!?」
「黒騎士様っ!」
突如として戦闘の真っ只中に現れた黒騎士。
その場の大勢はもはやその神出鬼没性よりも、破壊力で右に出る者のいないと思われたアルト王子の大剣を、いとも簡単に軽く受け止めた事実に驚愕する。
片手で持った黒い大剣をそっと差し入れ、アルトの大剣を微動だにさせずに受け切っていた。
「く、黒騎士……」
「やはり現れたか……」
オズワルドもハクトも薄々予感していたにも関わらず全く気配の察せない黒騎士に、表情を険しくしている。
「あれが……黒騎士……。確かに異様な気配ね……」
ルルノアも目を丸くして、黒いオーラの立ち昇る漆黒の騎士の姿に見入っていた。
「アルト・ライト。これはどう言う事か、説明してもらおうか。何故俺の弟子に斬りかかっている?」
「……」
黒騎士の低い声音で訊ねられたアルトが、自慢の斬撃を易々と受け止められた初めての衝撃から立ち直る。
そして未だに痺れる手で大剣を引き、佇まいを正して毅然と言い放った。
「……お前が噂の黒騎士か。陛下を守ったらしいな、礼を言う」
「あぁ、気にするな。それで?」
早く質問に答えろとでも言いたげな黒騎士に、周囲の誰もが爆発寸前の火山を目の前にしているかのような緊迫感を感じる。
「本来ならばお前が教えておくべき事を、代わりに教えていた」
「……と言うと?」
アルト王子も黒騎士も、怒りなどの感情も見せず淡々と言葉を交わす。
「剣を握った以上、他者の命を奪う覚悟は必須だ。この召使いは技術は高いが、敵を殺せない。そんな奴を【剣聖】には任命できない」
「……」
修練場に何とも言えない空気が漂う。
「これはアルト王子が正しいな」
「正論ですからね。黒騎士と言えども、ぐうの音も出ないのでしょう」
ハクト達も……いや、この場の兵士達も、アルト王子を支持していた。
「……それは……」
「ん?」
黒騎士が口を開いた。
どのような返答が飛び出るのか、怖さもあるが興味津々に耳を傾ける。
「……言葉で伝えればいい話ではないか?」
「……」
先程とは違う空気が漂い、アルト王子も皆も黙り込んでしまう。
「「……」」
考えてみれば当然、斬り付ける必要は無く、リリアが凌げたからいいものの普通に犯罪行為であった。
「何故、剣を合わせる必要があったんだ? しかも自分を殺せなどと、耳を疑う狂人の発言も聞こえたが」
「……ふぅ」
やれやれとでも言いたげに、アルト王子が低い落ち着いた雰囲気で答える。
「この方が手っ取り早い」
「……斬り合っている最中も普通に会話していなかったか? どうせ口で説明するのなら、戦う必要なんて無いだろう」
「……」
「いやそもそも斬り付けるなんて非常識だし犯罪だ。ライト王や王妃からそう教わったのか? それとも教育係か? どちらでもいい。今すぐここに連れて来い。説教してやる」
「……」
叱られながらも貴公子然としたアルト王子だが、答える言葉は無い。
「う、う〜ん…….」
「……」
兵士やハクト達も、かつてシーリー邸を半壊させた男の言葉とは思えない正論に、喧嘩で手が出てしまい先生に怒られた時のような気持ちになる。
「もっと言うなら、何故斬り付けるまでの自信を持てる。アルト王子の言葉が正しい保証がどこにある」
「その召使いより、俺の方が強い」
ずっと押し黙っていたアルト王子が、腕を組み自信満々に答えた。
萎んで見えた頭部の小さな王冠も、心なしかシャキッとする。
「……」
「殺せる者と殺せない者。覚悟のある者と無い者。俺と召使い」
アルト王子が聖騎士のように大剣を目の前に突き立て、堂々と告げた。
それはこの世の摂理。
強い方が正義となる事実。
「技巧はあれど、その召使いは俺に遠く届かない。その差は明らかに――」
「――強い方が正しいと言うのなら……」
漆黒の大剣が、薙ぐ。
黒騎士により、煩わしい虫を払うように無造作に振るわれた大剣。
「……これで正しいのは、俺だ」
アルト王子の大剣が、―――――半ばより2つに断たれる。
割られた大剣上部の取手側が、ゆっくりと地に落ちる。
その場の全ての認識を超えた速度と力。
目の前のアルト王子でさえ、身動き一つ瞬き一つ出来ない。
開いた口が塞がらない兵士と、オズワルド。
いかに魔力を込められていなかったと言えども有り得る事とは思えず。
アルトの重厚な大剣を砕くでもなく……断ち切る。
常識を大きく逸脱した一撃。
ハルマールの魔剣の時と同じく、目の前で行われていなければ、にわかには信じられない光景であった。
「……あれが、黒騎士……」
力を求めるハクトが、震えた声で言う。
「こ、これが……」
「……」
そう、震えるのだ。
この男の圧倒的な強者感に、誰もが心を鷲掴みにされ、憧れる。
子供が物語の英雄を目にするように、興奮の鳥肌が立ち、呼吸荒く。
セレスティアとはまた別の魅了性。
魔王とは別の、もう一つの頂き。
「……ふっ、……凄い」
ルルノアでさえ、想像を絶する黒騎士の強さに身震いして笑う。
かつて感じた事のない痺れるような高揚感を覚える。
「これからはまず言葉で説くんだ。原始人や獣ではないのだから。場合にもよるが、力を振るうべきか否かはよく考えるように。それもまた強き者の努めと知りなさい。以上」
「……」
教師のようにそうアルトへそう告げる。
それから、
「リリア」
「は、はい……」
黒騎士が剣を背に担ぎ直し、背中越しにリリアに話しかける。
「殺す必要はない。覚える必要もない。そんな場に送るつもりは無いし、そんな状況に置かれても心に傷を負わせない為に剣術や体術を教えている。敵を殺さず打ち倒す為にだ」
「……」
「それも立派な強さだ。悪党を殺したいと言うのならば止めないが、俺に強いるつもりが無い事は覚えておいてくれ。その力を振るうべき時、振るうべき場合は、もうリリア次第だ」
リリアと……ハクトの胸に響く、黒騎士の言葉。
「しっかりと、覚えておきます……」
「あぁ」
既に己の分身と化したカットラスを仕舞い、深く頭を下げて了承するリリア。
「帰るか。資格がどちらにも無いらしいからな」
「……申し訳ありません」
シュンとして、頭を下げたまま泣きそうになるリリア。
「……今日はどうだった?」
「え?」
急に黒騎士がカチューシャ越しにリリアの頭を撫で、唐突に問う。
「……努力して習った黒騎士様の剣術を披露できて嬉しゅう御座いました」
「そうか、ならば俺は満足だ。何の文句もない。個人的に俺も楽しめた」
そう言い見上げるリリアへ優しげな眼差しを向け、
「今日の成果は十分だ。行くぞ」
「……はいっ」
思い遣りに満ちた言葉をかけて歩き出す。
リリアもその後に続こうとする。
「――待て」
だが、アルト王子の声がそれを許さない。
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