第69話、黒騎士と武王

 

 いやぁ〜、顔も洗ってスッキリした。


 湿気も無く、ゼロに戻った清々しい鎧で王城の廊下を闊歩する。


 少しの時間だったが、十分息抜きができた。


 心細いだろうに気を使ってくれたリリアに感謝だ。


 大人しめの健気なリリアに剣を教えたのは、ちょっぴり後ろめたさもあったが……別に殺し合いと言う訳では無い。


 俺が見守っていれば命に関わる事もないし嫌がってもいなかったので、スポーツと考えれば楽しんでもらえるかも知れない。


 とにかく早く戻らないと。


「……ッ!? く、黒騎士様ッ。私とした事が気が付かずに……申し訳御座いません!!」


 前方から歩いて来ていた王城のメイドさんが、俺に気付くなり震え上がって持っていたカゴを落とし、何故か直角に頭を下げて謝罪して来た。


「ひ、平に御容赦を……」

「……いや、謝る必要など無いさ。こんな鎧姿の男がいたら驚きもする」


 何を謝られたのか不明だが、とりあえずそう言い、青白い顔のメイドさんが落とした洗濯物を拾う。


 ずっと頭を下げたままだが、驚いてしまったとか挨拶が遅れたとか、そんなんかも知れない。


「そんなッ、黒騎士様に雑用など――」

「雑用は立派な仕事だ。必要だからこそ、君等のような職種が存在する。卑下するように言わないで欲しい」

「……なんと……」


 震える声が上から聴こえるが、構わず先にカゴに洗濯物を入れる。


 使用人の職を楽しんでいる俺は、メイドさんの仕事にも理解がある。雑用を嫌な事と捉えないでもらいたい。


「それに、俺はこことは無関係な男だ。叱られる事も、気に病む必要も無い。……ほら、洗濯し直しかどうかは君が判断してくれ」


 拾い終えたので、立ち上がってメイドさんへとカゴを差し出す。


「……」

「……やはり洗い直しか? 用事の後なら手伝おう。それまでこれはそのままにしておいてくれ」


 口元を押さえ、呆然とするメイドさんに提案する。


 最近は、セレス達やリリアが俺の気が付かない内にやってくれていたが、俺だってこのメイドさんに負けないくらいの洗濯技術があると自負している。


 母ちゃんにしか褒めてもらえていなかったので、この人に自慢して褒めてもらおう。


「滅相もありません! 偉大な黒騎士様にそのようなッ」

「おっと? ……信じていないみたいだが、俺はこう見えて――」


 部下達にさせてもらえない久々の洗濯を断られ、少しムキになってしまっていると、背後の集団から声がかけられた。


「――天晴れッ!! 正に騎士の鑑なりッ!!」


 ……すっごいニコニコ顔の、暑苦しいお爺さんがやって来た。




 ♢♢♢




 弟子達を連れ、黒騎士を探していたラコンザは心の底から感服する場面を目にする。


 なんとあの黒騎士が、道を譲らなかった召使いを許し、落とした洗濯物までもをその手で拾い集めたのだ。


 高潔を言い訳にそのような雑用を忌み嫌う騎士では、有り得ないとすら思える対応。


(驚いても仕方ないと、少しの冗談も混えるとは……粋な男よ)


 気持ちのいい男だと鼻息の荒いラコンザが、黒騎士と召使いの元へと歩いて行き、そっと助け舟を出す。


「力を持って尚も弱き者への配慮を忘れない。騎士とはこうあるべきだ。だが、君が手伝えば何と言おうと叱責されるのはその召使いさんだ。行かせてやるのが最善だろう」

「……そうだな。……無茶を言ってしまったようだ。気にせず仕事に戻ってくれ」


 ラコンザの言い分をあっさりと認め、黒騎士が召使いへと促した。


 目の前の迫力からは想像も出来ない、大らかな海のような懐を感じ、ラコンザも弟子達も……そして涙を堪えるのに必死な召使いも、黒騎士の器の大きさを思う。


「あ、ありがとうございました!!」

「どういたしまして」

「それではっ」


 深く一礼し、急ぐように去っていく召使い。


 ラコンザが、黒騎士の労わるような優しい言葉の数々を受けて泣きそうになっていた彼女を思い遣ったのだ。


 そして彼女の背を完全に身届けずして、すぐに黒騎士へと話しかける。


「噂以上の騎士さんのようだ。このラコンザ、貴殿以上の騎士にお目にかかった事は無い。王国でも、帝国でもな」

「それは光栄だ」


 ラコンザと言うのかこのお爺さんは、と目の前の上機嫌な老人を見下ろすクロノ。


 しかし早く切り上げてリリアの元に向かいたいクロノは、早々に別れの言葉を口にする。


「では――」

「そんな貴殿だ。実力の方もさぞお有りだろう。ワシの目は誤魔化せんぞ。ん?」

「……」


 人の話を聞かない系お爺さんである事を、クロノはすぐに察する。


 だが全身は勿論の事、頭部も鎧で覆っているクロノの表情はラコンザ達には分かるはずも無い。


 弟子達も興味津々といった眼差しで、ラコンザと黒騎士を見守っている。


「何、手間は取らせん」


 そう言うと、ラコンザは初めて構えを取った。


 魔我疾風拳の構えの一つ。


 力を抜き、軽く腰を落とし、左拳を開いて前に、右の掌底を脇に……。


『一の型・百虎びゃっこ』。


 その場の空気が厳格な気質を纏い始め、弟子達も師の黒騎士への期待の大きさを知る。


「……俺は、どうすればいいんだ?」

「したいように。偉そうな物言いですまないが、まずは測らせてもらおう」

「了解した」


 黒騎士は、迸る闘気と魔力を放つラコンザを前に……何も変わらぬ棒立ちで相対する。


 上からのラコンザに苛立つ事も、背にある大剣を構える事もなく。


「く、黒騎士殿ッ、我等が師を相手にそのような無防備なのは如何なものかッ!」

「生ける伝説であるラコンザ様ですぞ!!」


 弟子達も流石に黒騎士と言えども見過ごせず、つい口を出してしまう。


「止めんかッ」

「ッ! し、しかし……」

「こちらから一方的に願い出た事。それに対して文句を言うなど持っての他よ。履き違えるなッ」


 師匠からの叱責に、弟子達も黙り込む。


「……すまなんだ。続けても良いか?」

「あぁ、早めに頼む」

「うむ」


 再び研ぎ澄まされる、ラコンザの闘気と魔力。


 黒騎士より数メートル離れた位置で構えたラコンザから、ピリピリとした気配を感じる。


 弟子達はおろかその場の空気が、両者の一触即発な雰囲気に配慮しているかのように静まる。


「……」

「……」


 ピタ、と黒騎士の胸元寸前に掌が出現した。


「……」


 パンッと、空気の割れた音が響く。


 そして遅れて廊下を駆け抜ける突風。


 風も音も置き去りにした、認識の出来ない速度での突き。


 黒騎士は、その掌底を放ったラコンザをゆっくりと見下ろした。


「……時間を取らせたな。すまんかった」


 コツンとノックを鎧に当て、柔和にゅうわな笑みで黒騎士を見上げた。


「もういいのか?」

「うむ、満足だ」


 少しも身動き出来ていなかった黒騎士。


 胸に落ちる失望を感じるが、好ましい性格である事に変わりは無い。


 不思議と気持ちのいい後味を感じ、笑顔で黒騎士を見送ろうとする。


「……どうやら期待には応えられなかったようだな。すまない」

「なんのなんの。その鎧に大剣を担いで平然としておる時点で強者よ。気になさるな」


 後ろ手を組み、リリアなる少女がこの黒騎士へあれだけの忠誠を誓う理由に得心の行くラコンザ。


「そうか。では、また会える事を祈っている」

「うむ、黒騎士殿も達者でな。帝国に来る事があったら道場にも寄りなさい。得るものもあるやも知れん」

「有り難い誘いだ。そうさせてもらおう」


 そう言い合い、ラコンザや弟子達に背を向けて、黒騎士は歩き出した。


「……」


(リリアなる少女の方が、反応自体は良かったが……器か……)


 騎士とは……いや、人とはこうあるべき、そう思うラコンザであった。


 彼の本質は強さでは無いのだ。


 自分のように武術に捧げた人生からは考えられない、別の到達点なのかも知れない。


 期待外れの寂しさはあれど、穏やかになって行くラコンザの胸中。


 そこで、ふと前方を行く黒騎士が……おもむろに左腕を水平に上げるのを目にする。


「……?」


 その左手は閉じられており、次第にゆっくりと開かれていく。


 すると、一つ……、また一つ……と、小石のような物が床に落とされる。


「……何でしょうか。ゴミ? ポイ捨てとは、見直したばかりですが、やはり騎士とはあのような者達の集まりなのでしょうか」


 ラコンザの背後から歩み寄る弟子の言葉に耳を傾けつつも、その様をただ眺める。


 ……だが。


「……ッッ」


 その物体の正体にいち早く気付いた時、ラコンザの血の気が急激に引いていく。


 その目も徐々に見開かれていき、目玉が飛び出そうな程だ。


「……ッ! ラコンザ様ッ!?」


 弟子の一人が、驚愕で目を見開いて呼吸荒く震えるラコンザに気付く。


 黒騎士の手より最後の一つが落とされた瞬間、示し合わせたかのように……ラコンザの胸元がはだける。


「……バカ、な……」


 弟子達の心配する声が次々とかけられるが……。


 ラコンザの目は、黒騎士の手より前方の床に散らばった……自分の上着の前を留めていたボタンから離れない。


(どのようにして!? い、いや、いつされたかすらも分からぬ……。何かの素振りの兆候すら……見抜けなんだ……)


 いつ取られたかも全く分からない。


 だが、全てを剥ぎ取られ、挙句しばらくその事実にさえ気が付かなかった。


 武王と呼ばれた自分が、戦闘体勢での本気の突きの最中に行われたのだ。


 そして、このような事ができると言う事は……。


(……期待外れ、だと? なんと愚かな事を……。何が武の王かッ。あの背との間に、どれだけの差があるのかすら分からぬ……)


 かつて幼少期に初めて武の師匠と対決した時よりも、視線の先の小さくなっていく黒騎士の背中が大きく感じられる。


 山脈のように、途方もなく、大きく感じる。


 先程までの好青年の印象は消え去り、空へ手を伸ばすような無力感に、ラコンザはただ呆然と佇んでいた。







「……ふ、ふふふふ、まだ目指すべき高みがあったかっ。それも、これ以上ない頂きが……!」






 と言う事もなく、すぐに燃え上がっていた。


「し、師匠……?」

「帝国へ戻るぞ!! いや、修行の旅だ!! 血が、肉が……我が魂が鍛錬を求めておるわッ!!」


 鼻息荒く脇目も振らず急ぎ足で歩き出したラコンザ。


「お、お待ちください!」

「ラコンザ様っ!」


 ラコンザの見た事のない若々しい姿に、弟子達は自分達の稽古も激しくなるのではと焦りを予感していた。


「お前達もついでに鍛え直すッ!! 骨の髄まで筋肉にしてやるわぃ!!」

「「「……」」」


 当たっていた。





 ♢♢♢





 元気なお爺さんとの驚かせっこを楽しんだ後、リリアの元へと急ぐ。


 やけに自信満々120%お爺さんだったので、驚かし甲斐があった。


 この世界は愉快な人が多くてとても楽しい。


 セレス達も凄く素直で優しい子達だし、最近は悩みもあれど充実した毎日だ。


 どこの世界も同じで悪党も多いけれど、ライト王やアルト王子を始め、エリカ姫やハクトなどの正義感を持った者が多いのも気持ちがいい。


 そうこうしている内に修練場まで戻って来たので、邪魔にならないように気配を絶って静かに入室する。


「その程度の覚悟か?」

「グゥッ!!」


 大剣を容赦なくリリアへ振り下ろし、押し潰そうとする……アルト王子。


 周囲には多くの兵士やハクト達。


 そして倒れ伏す剣聖候補3人。


 ……何をどうしたらこうなるん?

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