第67話、黒騎士の弟子

 

 剣聖選定会の受付最終日。


 度重なる飲み会により仲良くなった門番達と机と椅子を運び出し、業務を開始する。


「あ〜っ、この受付も今日で終わりかぁ」

「長かったぁ〜〜、今となっては暇の方がいいとさえ思えるな」


 文官2人して背伸びをして、晴天の元で本日の受付を始める。


「――度々すまない」

「あ、はい。何か御用で……えぇっ!?」


 再びの驚愕。


 受付の机を覆う大きな影。


 特大剣を軽々と担いで立つは、巨山の如き雄大な騎士。


「……………あっ! く、黒騎士様っ!! 先日はとんだ御無礼を!!」


 マートン公爵や上司からこっ酷く叱られた甲斐もあって、即座に謝罪し印象の改善を図る。


「そちらが謝る必要は無い。仕事をこなしただけだ。俺に資格が無いのなら仕方のない話だった」

「し、しかしっ」

「そこでだ」


 尚も言い募る文官を余所に、黒騎士が半身になって背後の人物を紹介した。


 その少女を目にした瞬間に、華やかな雰囲気に変わった。


 明らかに。


「俺が参加できないのなら、俺の弟子を腕試しがてら加えてもらいたいのだが……どうだろう」

「く、黒騎士様の、弟子?」


 眼鏡のズレた文官と腰の抜けた文官の視線が、黒騎士が弟子とする人物へと再び向かう。


「黒騎士様のメイド兼、弟子の“リリア”です。本日はよろしくお願いします」


 薄いピンクのショートカットに愛らしい相貌、小柄な背丈に……腰元のカットラス。


 メイド服姿の人形のような容姿で、静かにお辞儀をした。




 ♢♢♢




 一週間と少し前……。


「……何してる。りりあ、早く来い」


 澄み渡る海のような髪色の獣人が、金剛壁中腹の門前から崖下を覗き込んでつまらなそうに言う。


「っ、ちょっとっ、黙ってて」


 ここまで、憎まれ口を叩きつつも2人で協力してやって来たリリアと“レルガ”。


 最後の最後。この金剛壁の黒き絶壁を登り切れば、クロキシンの元へ辿り着ける。


 身体能力に優れた獣人であると共に『黒の洗礼』を受けたレルガは無尽蔵とも言える体力を有し、それ程苦労する事なく登るが……。


「……っ」


 人族であり元々ひ弱であったリリアは、息も絶え絶えとなっていた。


 それでも9割を登り、後一歩といったところだ。


 だが、欠ける事のない金剛壁はツルツルとしているところが多く――


「――キャッ!?」


 油断をすれば、容易く足を滑らせる。


「キャァァァァ!!」


 背中から、血の気の引く速度で落下していく。


 恐怖と共に、内臓などが浮き上がる気持ちの悪い浮遊感がリリアを襲う。


「ッッ!!」

「――親方もビックリの速度で落ちて来たね。正直、肝が冷えたよ。自宅の前が悲惨な事になるとこだった」


 温かい感触に包まれる。


 聞き覚えの無い声がしたと思えば、急速に風を受ける方向が変わった。


「……ん? ッ!!」


 悲鳴を子守唄代わりに昼寝をしようとしていたレルガが、跳ね起きる。


 金剛壁にある門の前に降り立つ人影。


「……」

「着いたよ。ちょっと登り方を考えないといけないか。景観的に縄とかは避けたいんだけど」


 何がなんだか分からず呆気に取られるリリアを地面へと下ろし、悩ましいと語る黒髪の子供。


 金剛壁や今の状況下では、あまりに異質な存在である。


「くんくん、くんくん……」

「お? 君も久しぶりだね。髪切った?」


 ボサボサだった髪を、クロキシンに会うのに失礼のないようにとリリアと似たショートカットへ整えたレルガ。


 脇目も振らず一心不乱に少年の匂いを嗅いでいる。


「ッ! くぅ〜ん」


 するとすぐに、あの会うもの全てを殺そうとするレルガが、子供に頭を擦りつけ始めた。


「よしよし」

「んんっ、レルガ来た!」

「レルガ……名前かな? 強そうな良い名前だ」

「くぅ〜ん」


 レルガのハネッ毛気味の頭を撫でる子供の姿に、リリアにまさかとの思いが浮かぶ。


「もしや、貴方様は……クロキシン様なのでしょうか」

「あ〜……あの名前はテキトーなやつなんだけど、そうだよ。俺があの時の魔王だよ」


 優しげな瞳と、雄々しく自信に溢れる気配。


 間違いない。


 自分はやっと主の元へ参上できたのだと、リリアの胸に安堵の感情が溢れ返る。


 そしてすぐに我に帰り、深々と頭を垂れる。


「……大変お待たせをしてしまいました。リリアはどのような仕置きも受け入れます。ですので、どうか御許しを……」

「いやいや、むしろよく来てくれたと讃えたいくらいだよ。今日はご馳走だね」


 あの別れ際は時間が無く、最小限の言葉でしか伝えていなかった事を悔いていたクロノも一安心と言った様子だ。


 先程は正に危機一髪であったが。


「……御慈悲に感謝します。御許し頂いたので早速、本日より従者として奉公させて頂きます」

「うんうん、よろしくね? それじゃ、早速中を案内しようか。でもまずはお風呂にでも入って、ペット達にモぉーっ!?」


 リリアの口にした事の重大さに、かなり遅れて気付くクロノ。


「――クロノ様、何か」

「ガゥ!? グルル……ガァッ!!」


 気配無く突如としてクロノの背後に現れたカゲハに、レルガが高速で飛びかか――


「我が主の前で暴れるな、無礼者」

「ギャンッ!?」


 レルガを遥かに上回るスピードで、背後から取り押さえた。


「……こらこらっ、ウチは体育会系のノリは不要だよ!」




 ♢♢♢




 よく考えてみれば、そんな簡単に働き口なんて見つけられないよな。きっとリリア達が頼れるのはここだけだったのだ。


 暗く地の底のような厳かな雰囲気の『魔王の間』にて、目の前に跪くカゲハと……リリア。


「ガルルぅぅ……」


 レルガだけはリリアの隣で、玉座横にてとぐろを巻くドウサンとその頭に乗るヒサヒデに唸っている。


 ……女性ばっかになって来たけど、ここまで来てもらっちゃったしリリア達は雇うべきだろう。


 片や脅迫、片や情に訴える作戦、これは初のまともな採用と言えるかも知れない。


 丁度、ドウサン達の面倒や軽い掃除などをする人材が欲しかったし。アスラが来た時の為にも、留守番はいた方がいい。


「うん、じゃあ……………おっとっとぉ?」


 ……待てよ、魔王よ。剣聖ってそこそこ強くて推薦があればいいんだよな。


 チラリと端から見て行く。


 レルガは、さっきカゲハに襲いかかってたし……誰彼構わず殺してしまいそうだ。


 カゲハは強過ぎる……と思う。


 となれば……。


「……あの、リリアちゃん。断ってくれて構わないんだけど、ちょっと提案があるんだ」

「はい、何なりとお申し付けください」




 ♢♢♢




 と、言う事でリリアに剣術と体術を教えながら王国に帰還して来た訳だが……。


 ギリギリだった。まさか最終日に、そのまま選定まで行われるとは。


 なんかお偉いさんとかが色々忙しなく行ったり来たりしていたが、リリアは無事参加できる運びとなった。


「――こちらが会場となります。既に候補者の3名はおられ、その内の2人が試合をされているはずなので、……恐縮ではありますが、審査者達の指示に従ってください」

「あぁ、勿論だ」


 審査委員に逆らうような非常識とでも思われているのだろうか。


「黒騎士様に従えなんて、無礼。これだから権力者は……」

「リリア」


 軽く窘め、怒りに前のめりになっていたリリアを止める。


「感情に任せて攻撃するのでは、その嫌いな者達と変わらないぞ?」

「……申し訳ありません。黒騎士様より授かった大いなる剣術でしたのに……」

「構わんさ。さっ、行こうか」


 気落ちしたリリアを元気付けるように言い、怯えた案内役の兵士を余所に扉を開けて中へ入る。


「うわぁ……しっとりするぅ……」


 剣戟音と共に、ムワッとした熱気が鎧の隙間から入り込む。


「黒騎士様……?」

「あの、……何か?」


 リリアと兵士が立ち止まった俺に訊ねて来る。


「……なんかすごい熱いから、壁に穴開けていいか?」

「「えぇっ!?」」




 ♢♢♢




 

 修練場の中心では、名高き剣士2名による激戦が繰り広げられていた。


「ん〜〜っ、やりますねぇ」


 魔剣使いの【氷牙】ヒエール、透き通る水色の細身の剣を操る紳士を名乗る長身の男。


 痩せ型ながら生まれ持ったリーチを生かし、魔剣の能力を活かした戦いでは負け知らずという強者だ。


「……よく喋る御仁だ」


 もう一人は、2つの鉈のような剣を絶え間なく斬り付ける怒涛の連続斬りで、数多くの決闘を制して来た初老の傭兵。


【蟷螂剣】マンティスだ。こちらも細身ながら、歴戦の証とも言える大きな傷を胸に残し、締まった筋肉を惜しげもなく見せている。


「最初の剣戟で、完全に凍らせておくべきでした。見事見事。あれから、中々凍らせる程の接触をさせてもらえないとは」

「……」


 マンティスの剣の片方は剣身が半分程氷に包まれており、剣としての斬撃が期待できなくなっていた。


「……ふぅぅん!!」


 それでも愚直にマンティスは進む。


 これだけしか知らないとばかりに、2つの剣を振り回し続ける。


「ッ、は、激しいッ! しかしッ!!」


 怒涛の連斬りに身体中に切り傷を作りながらも、魔剣を地面に突き立てる。


 すると、マンティスの足元から氷柱が生える。


 鋭く尖った氷の柱が。


 だが稲妻のように素早く側面へ回り、マンティスは次々と生える氷柱をギリギリで避け、ヒエールに更に肉薄する。


「鬼気迫るとは正にこの事ッ! ならばワタクシもッ!!」


 貴族出身とは思えない、肉を切らせて骨を断つ精神で魔剣を振り下ろすヒエール。


「ちぃぃ」


 この相討ちでは致命傷にならない事はマンティスも理解していただけに、両剣を交差させて魔剣を受け止める。


「凍って頂きますッ!!」

「させん」


 すかさず魔剣の能力を使用しようとしたヒエールの腹を蹴り、距離を取るマンティス。


「グッ!? ……ふ、ふふっ」

「……ふっ」

「こんなに熱い闘いは久々ですよ」

「あぁ」


 性格、戦闘スタイル、育ち方、何もかもが違う2人。


 だからこそなのか、無二の親友のように笑い合う。


「……何という闘いだ。これが剣聖候補の力か……」

「ふむ、どちらが勝っても文句無しだな」


 審査委員である騎士達も、2人の実力に舌を巻いていた。


「……2人とも、やるのぅ」


 無理を言って観戦を願い出たラコンザも、余裕はあれども目の離せない試合内容となっている。


(これで黒騎士とやらの闘志にも火が付いてくれれば、ワシも手合わせを願い出易いんだが……)


 試合の僅かな隙を見て、ラコンザは目的の人物へと視線を送った。


 この熱気に当てられ、武人の魂に火が付いている事を願って……。



 ♢♢♢



「……萎えるわぁ〜」


 黒騎士らしからぬ気怠げな声。


「蒸し蒸しして気持ち悪い。あ〜、冷や汁が食べたい。もしくはいっそ蒸しパンになりたい。思いっ切り蒸されて完成したい」

「御主人様、リリアなら一人でも平気なので、どうか人目に付かないところでお涼みになってくださいませ。……後で“ヒヤジル”なるものの作り方も御教授して欲しいです」


 試合の邪魔にならないよう、気配を潜めて観戦していたクロノ。


 蒸し暑い修練場で鎧姿と言う事で、暑さで参る事は無くても非常に不快な思いをしていた。


 広い修練場だからか、クロノ達のいる端まで氷の魔剣の冷気はまったく届いていない。


 そのクロノを見かねて、小柄な身体で懸命に扇いでいたリリアが再三となる気遣う言葉を投げかけたのだ。


「いや、頼んでおいて投げっぱなしには出来ないよ。あと、一生懸命扇いでくれるのはすんごく嬉しいけど……それ、蒸し蒸しした空気を鎧の隙間から送り込んでるだけだからね? 中で生暖かい湿気が狂喜乱舞してるよ」

「ッ!? ご、ごめんなさい……」


 シュンとして涙目になってしまったリリアに、クロノが必死にフォローする。


「いやいやいやいや全然いいよ! ちゃんと謝れたリリアは偉いもの! 先に謝った方が偉いんだよ? 表彰もんなんだから! そもそも誰が一番悪いと思う? もちろん俺さ! 悪の親玉魔王だもの!」


 そしてすかさず話題を変えた。


「あ〜……何度も言うけど、嫌になったり危なくなったら棄権してくれていいからね。別に【剣聖】以外にも手段はあるんだから」

「承知しています。必ずや【剣聖】の称号を御主人様に捧げてみせます」

「ツッコミ甲斐があるぜ」


 クールな彼女にしては珍しくやる気満々で、胸の前でグッと拳を握る姿は愛らしいが、クロノは部下育成の難しさを悟る。


「最近の子に多いみたいだけど、承知してないのに承知しちゃダメだよ? あと【剣聖】は俺に渡せないから。そんなお年玉感覚ではいけないからね?」

「は、はい。以後気を付けます」


 素直に承諾するリリアに満足げにうんうんと頷き、ふと思う。


 仕事完璧セレスや、寡黙で有能なカゲハと違って、リリアには先生が生徒に教えるような楽しみがあるなと。


 エリカ姫はかなりワガママだから、この経験を活かして上手く教えたいものだとも。


「クロノ様、まだ私の試合まで時間がかかるようですし、どこかで鎧を脱いで息抜きをされてはどうですか?」

「……」


 リリアの有り難い提案に、クロノが修練場中央の2人に目をやる。


「「ぬおおおおおっ!!」」


 血気盛んに暑苦しく絶賛戦闘中だ。


「じゃあ……お言葉に甘えるよ。黒騎士のカッコ悪いところを晒すようで嫌なんだけど……鎧の中の湿気を抜いたら帰って来るから、危ない時は叫んでくれ。一直線で来るよ」

「分かりました。ごゆるりと息抜きを楽しまれてください」

「一人で緊張しちゃった時は、心の中で“熱くなれ!”とか“諦めるな!”とか、とにかく前向きな言葉を己にぶつけるんだよ?」

「は、はいっ」


 ヒーローの現実的な裏側を知ってもむしろ上がり続ける主への好感を胸に、リリアが深々と頭を下げた。


 そして主が去るまで頭を下げた後に、背後から近付く気配に苛立ちを覚えながら顔を向ける。


「おい、召使い。試合はもうすぐだと言うのに、何故黒騎士は出て行った?」


 クロノよりも背丈の大きい重厚な鎧の大男が、体の芯に響く重い声で威圧的に訊ねる。


「……あなたに言う必要は無い。それに試合相手は私。あと、黒騎士“様”と呼んで」


 朗らかな春から、極寒の冬に変わったかのようであった。


 人が変わったように一転した雰囲気で素気無くそう返し、下から猫のような目付きで睨み上げる。


 リリアの心中を占めるのは、やはり人とは力を持つと傲慢になるのだと言う事。


 そして、クロノこそその唯一の例外だと言う事。


「てめぇ!? 召使いの分際でぇぇ! しかもこの俺の相手がお前などとッ、舐めているのか!?」

「……黒騎士様は強過ぎて参加を断られた。あなた達とは比較にならないって判断されたの。諦めてあっち行って」

「んだぁとぉ!?」


 血走った目で上からの巨体による圧迫感で脅すも、今のリリアには何の意味も無い。


 冷たく言い返し、睨み返す。


 すると……、丁度剣戟の合間の睨み合いであった2人の耳にまで、その言葉が届き……。


「……審査長、今の彼女の言は本当なのですかな? ん〜?」

「真なら聞き捨てならんぞ」


 ヒエールとマンティスからの問い詰めるような視線に観念し、審査長である騎士が言いづらそうに口を開く。


「……事実だ。君達も手練れなのは間違いないが、黒騎士殿は……もっと強い」

「ふ、ふ〜〜〜〜〜んっ」

「ほぅ……」


 まさかの肯定に、ヒエールの笑顔は引きつった奇妙なものとなり、マンティスのコメカミには青筋が立つ。


 ここに集った剣聖候補3人。


 実のところ目的は、黒騎士であった。


 大男は単に最強の騎士と言われつつある黒騎士を打ち倒し、名を上げる為に。


 ヒエールは、魔剣砕きの伝説を聞き、魔剣使いとしていても立ってもいられずに。


 マンティスは己の二剣の剣技こそが最高の剣術である事を証明する、ただその為だけの手段として。


「あなた達如きが黒騎士様に刃向かうというのはあまりに愚かな事なの。身の程を弁えて」

「……てめぇ」

「「……」」


 そのメイドの言葉に、プライド高き剣聖候補達の敵意が固定される。


「ただでさえ貴重な御時間を割いて頂いてる。だから……」


 愛らしい人族の少女らしからぬ気配を放ちながら、リリアがカットラスを抜く。


「……3人まとめてかかって来て。黒騎士様が戻って来られる前に……終わらせる」



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