第66話、【沼の悪魔】〜その頃のカース湿地帯〜
辺境の村を、悪意が襲う。
『弐式』有するザンコック率いるラルマーン秘密任務部隊が、壊滅した部隊の調査の為に新たな拠点を作っていた。
「ッ……」
「……」
無人の村を前に、ハナムが顔を背ける。
そこら中に死体が転がり、血と屍の無惨な光景が広がっていた。
先程まで響いていた、悲痛な悲鳴が耳にこびり付いて離れない。
強烈な殲滅力による所業に、鮮血の霧が未だに漂う。
隊員達の誰もが、夜までに雪が降る事を願う。
悪天候となってもいい。
この光景を、覆い隠す事ができるなら。
「村を殲滅するのにほんの数十秒足らずとは……。弐式の強さは全ての魔物の中でも破格と言えるな」
ザンコックは霧からその姿を現した『弐式』越しに、……ラルマーン端にあった村を眺めて誇らしげに言う。
先程まで確かに人の気配のあった村を眺めて。
「し、少尉……ここまでする必要があったのでしょうか……」
長閑な村を襲ったザンコックの悪意。
吐き気を堪え、ハナムが堪らず意見する。
「君ぃ……君君君ぃぃ……。君は自覚が足らんな」
「自覚、でありますか?」
呆れるようなザンコックの言葉に、新人のハナムは理解が追い付かない。
「歴史に名を残す作戦だ。隊員の士気を保つ義務が、私にはあるのだよ。貴様もその栄誉ある隊員の一人だと言う自覚があるのなら、任務を完遂する為だけに思考と行動を捧げろ」
「……そう、ですね。……はっ! 失礼しました!」
大の為に小を捨てたとでも言いたげな耳障りのいい断言を受け、ハナムの考え方も変わって行く。
「よろしい」
それを横目に一つ頷き、振り向き12人の選ばれし隊員達へ指示を出す。
「……では寝床を整えるのだ。今宵はよく休め。明日は例の地点へ赴く。各自迅速に行動できるよう、入念に準備しておきたまえ」
「「「「「はっ!!」」」」」
♢♢♢
カース湿地帯。
顔が骨剥き出しのカラスや、骸骨の騎士や兵士。
更には骨のみのドラゴンなど、悍しいモンスターの魔窟。
独特の紫や毒々しい緑色の樹木や植物が生い茂るこの一帯だが、中心だけは丸い陸地を中央に一切の障害物が失われていた。
『……………“ソルナーダ”』
地の底から響き、脳に直接流れるような音声。
陸地の中心にある岩の上で胡座をかいて座る湿地の魔物達の主が、自分を除き一番の実力者である
「お呼びで御座いますか」
『失態じゃな』
霧の中から現れた山羊の骸骨頭の執事に、【沼の悪魔】が告げる。
「何かお気に障る事でも御座いましたか?」
『気付いてもおらんのか……』
失望するような嘆息混じりの言葉。
ソルナーダと呼ばれた執事は、目の前の絶対者の膨れ上がっていく魔力に、無いはずの臓物を痛める。
「……申し訳御座いません。何の事か、心当たりが……」
『見てみぃ』
呆れ果てたとでも言えばいいのか、失望したとでも言えばいいのか、【沼の悪魔】“モリー”は投げやりに顎で前方を指した。
「……………そんな。……モリー様の濃霧には、何の反応も……」
そこには、陸地の【沼の悪魔】モリーの正面に音もなく浮かぶ……………『弐式』の姿が。
『儂の術に頼り切りじゃから、このような事になるんじゃ。戯けが』
「か、返す言葉も御座いませんッ。直ちに――」
『もう良いわ。下がれ』
「しかしッ」
『下僕達を切り抜け、ここに辿り着くようであれば、儂が相手になる。儂が定めた決まり事じゃろうて』
胡座をかいた自らの骨の太腿をボロ布越しに叩き、話の終了を伝え、執事を追い払う。
「では……」
霧の中に消えた執事が陸地を見渡せる樹の上に移動した気配を感じる。
そして、モリーは……。
『……
愉快そうに鎖の首輪を指差して
『縛り付けられとるようじゃのぅ。……『遺物』では無さそうじゃが……興味深い。……興味深いのぅ……』
徐々に低く響くモリーの言葉。
それが終わると、カコンと、骸骨の顎が大きく開いた。
『――
瘴気のような魔力が、一気に溢れ出す。
「ッ――」
沼地の支配者から噴出した緑の魔力は、瞬く間に周囲を占める。
『久しく外界の魔道具とやらに縁が無かったでのぅ。カッカ! ここまでのものがあろうとはの。……
催促するようにゆっくりと伸ばされた骨の手に、怖気が走る。
骸骨の底知れぬ強欲の感情が、嫌でも伝わる。
愉しげに、我儘に、邪気を持って手を伸ばす。
異様に禍々しい形状の骨だけの存在に関わらず、表情を作るよりも分かりやすい。
………
……
…
「ヒッ!?」
遠くから監視していたハナムは特にモリーの悍ましさに当てられていた。
「な、なんだ! 聞いていないぞ! 何だこの魔力は!?」
離れた崖の奥にいるザンコック達ですら、沼の王の魔力に呑まれていた。
凶禍が形を為した魔物であるという言い伝え。
誰もが話半分に、物語として聞き流していた【沼の悪魔】という伝説。
「ッ、て、撤退させるか? い、いや、しかし、任務は成功させなければ!!」
「……少尉、『弐式』ならば帰還は可能かと。ならば、一度や二度ならば【沼の悪魔】の手の内を見た後で撤退命令をされては」
震え上がる隊員達を余所に、誰よりも顔の青いハナムが上官に助言する。
「ふ、ふむ、……そうしよう」
「では、私が合図を」
「あ、あぁ、宜しい」
ザンコックへ短く告げ、監視を続ける。
「……」
かつて、無数の者達がこの魔物と契約を迫った。
どれだけの者達が夢叶わず果てていった事か。
それでもあの魔物を目指す者は後を絶たなかった。
だがそれも今なら理解できた。
【沼の
その魔に魅了され、ハナムは恐れながらも【沼の悪魔】の強大なる力を目にしたくて辛抱ならなくなっていた。
…
……
………
「――ッ!!」
本能で悟る、この魔物から
しかし、“【沼の悪魔】の性能を引き出せ”との命令が鎖を伝わり、『弐式』を縛り付ける。
「――」
霧の翼が一層噴き出し、『弐式』が上昇していく。
『物珍しいからの。先手はくれてやろう』
未知の魔獣を前に、カカカと骨を鳴らしながら嗤うモリー。
「――ッ!」
嘲笑うモリーへと、霧の翼が一つ大きく羽ばたく。
瞬間―――――陸地が爆ぜた。
霧から針を形成し、雨のように撃ち付ける。
モリーを中心に、陸地や周りの沼地にまで広範囲に降る針の雨。
逃げ場もなく、いかに骨だけの身と言えども負傷は免れない。
『……なんじゃ? これだけの芸で
「ッ!?」
未だ針に降られながら、期待外れも甚だしいと告げる。
次々と降り注ぐ針が、儚く骨に跳ね返される様に……『弐式』とハナムは完全に思考力を失っていた。
いくら強大な魔物と言えども理解できないのだ。
「――」
『……憂うばかりよ。外界の者共は弱くなるばかりじゃ……。退化を眺める不死の気持ちも考えてみんか……』
針の雨を止め、身体を霧として流す『弐式』。
しかしそのような異常とも言える魔獣を目にしても、変わらぬ口調で嘆き続ける。
そして唐突に、骸骨の頭部が後ろを向いた。
『……のぅ?』
「ッ!?」
あまりに突然に、背後を取り姿を現した『弐式』へと……頭蓋だけがクルリと振り向いた。
「ッ! ――ッ!!」
声にならぬ恐怖の鳴き声を上げ、逃げる事もできずに意思に反して前脚で掴みかかる。
『〈ヘムケルの
モリーの持つ魔術の一つが発動する。
座した場所に魔術陣が造られ、そこからいくつもの
遥か昔の文字。
呪いの言葉。
それらが何本もの
『――触れてしもうたのぅ』
「――ッ!?」
楽しげなモリーの言葉と共に、呪いの文字が『弐式』に染み込む。
するとすぐにそこから、宿主の魔力を吸い上げ、外に勢いよく解放していく。
「―――――ッ!!」
急速に失われていく魔力にパニックに陥入る魔獣。
『早う何とかした方がええぞ。その文字は、魔力が無くなれば生命力を、死した後も血を吸い上げよるからのぅ。吸うもんが無くなるまで続くぞぃ』
「――ッ、ッ!!」
無駄と思いつつも足掻きもがく『弐式』に助言し、呑気に死するタイミングを待つモリーだが、『弐式』は逃れる。
『……霧のようになれば呪帯が剥がれるのか。知らなんだ』
霧化し、窮地を脱した『弐式』が、新たな命令のままに撤退する。
『知識は大海よりも広く深い。改めて学んだわぃ……』
感心し、感謝する沼の支配者は、手を掲げる。
『忘れとるぞ。この知識の駄賃じゃ。――〈トリゴールの雷槍〉』
律儀に、深緑の轟雷を贈る。
♢♢♢
「……来たぞッ!!」
「おおッ!! 流石は『弐式』! 敵わない敵相手でも無事に帰還するとは!」
湿地帯の中心から、空を駆けて青い霧が帰還する。
隊員達も、ザンコックも、一安心とばかりに歓喜を口にした。
が、
――空が緑光に染まる。
「――ッ!!」
モリーの雷槍が霧を掠め、『弐式』が撃ち落とされる。
「ッッ!!」
「グォ……ッ」
火を直接肌に当てられたような熱気が駆け抜け、隊の前に……『弐式』が落下する。
「ナッ!? ば、バカな……。『弐式』が、傷を負っている、だと……」
「くっ、うぅ……確か……報告書に、大抵の雷魔術にも耐えられるとの記載があったはず……」
隊員達は雷の熱と音にやられながらも、事の異常さに愕然とする。
「し、少尉。どうしますか……? あの魔物は、正直に言って人の領域に収まる強さでは……………少尉?」
「……」
ザンコックは放心していた。
かつてないチャンスと共に与えられたラルマーンの兵器。
任務完了の暁には、正式に『弐式』の所持者となれるかも知れない。
「……村を回る」
「は、は? 村を、回る……でありますか?」
よろめく『弐式』を狂気を宿した瞳で目にして、ハナムの疑問に返答する。
「――特定の魔獣には、
悪意は、加速する。
♢♢♢
『……死んどらんようじゃのぅ』
「ここ数年では間違いなく一番で御座いますね。直撃でないとは言え、モリー様の雷で焼き切れないとは」
謎の魔獣襲来から、少しも動かなかったモリーの前に、ソルナーダが現れる。
『惜しいのぅ……』
「……モリー様が、宝石などで飾り付けられてもいないものを所望されるとは珍しいで御座いますね」
魔術以外ならば、凝ったデザインの魔道具やアクセサリー、または宝石にしか興味を示さないモリーが、心底名残惜しそうに呟く。
その様を目にしたソルナーダは思わず問う。
「あの鎖が何か?」
『……手に入らんのなら忘れるに限るわぃ。ほれ、戻れ』
「……では」
答えを得られる事はなく、再び霧に消え行くソルナーダ。
『……』
所詮は無数の訪問者の一つ。
そう切り捨て、沼の支配者は再び固まる。
次なる訪問者が見えるまで。
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