第65話、1週間と少しが経ちました

 

 ライト王国に残されたセレスティアはモッブに代わりを任せて王城を抜け出し、ある館にて予め選定しておいた数名を集めて報告会を行なっていた。


 だが報告会とは名ばかりで、張り詰めた空気の中でセレスティアが次々と迅速に指示を与えていくだけだ。


 上品で落ち着いた色合いの家具が並ぶ室内で、唯一座する神々しいセレスティアと、彼女に選ばれし社員達。


 かのセレスティア王女が魔王の忠実なるしもべである事実を知る、数少ない者達。


 娼館担当の女性や賭博場担当の強面の男性、様々だ。


「――はい、結構です。この調子で富裕層の客を標的にして行きましょう。上品な接客を徹底させてください。下がって構いませんよ」

「は、はい!! ありがとうございます!!」


 柔らかなセレスティアの微笑みに、卒倒してしまいそうな程に顔を真っ赤にした女性が深く頭を下げ、フラフラと下がって行く。


 他の者達も、日差しの射し込む爽やかにも思える中で、セレスティアの美貌に見惚れつつも一言一句逃さないよう細心の注意を払っている。


「さて……」


 その場の空気が張り詰める。


 王のオーラを放つセレスティアの視線が、一人の男へと向かう。


「……何故、ジェラルド本人が来ないのですか? 今日は彼を呼び出しておいた筈ですが」


 鋭い顔付きと低い声音に、場の者達に冷や汗が滲み出る。


「そ、う、あ……あっしには、兄貴がその……」


 他の女性に経営を任せておいた娼館の売り上げは、スカーレット商会まで後一歩という成果を挙げている。


 がしかし、ジェラルドを代表として任せておいた賭博場は……カシューのパーティー翌日より、売り上げを少しずつ離されているのだ。


 にも関わらず『隠者』の頭領であるジェラルドは、セレスティアからの呼び出しであろうが、どこ吹く風で無視していた。


「……」


 冷たい眼差しと戦姫の覇気で問うが、ジェラルドの子分はセレスティアのあまりの美しさと愛らしさをまともに目にして、しどろもどろとなるばかりだ。


 周囲の者達も息を呑み、厳格なセレスティアの雰囲気に最大の緊張感を持って成り行きを見ていた。


「……指示は覚えましたか?」

「へ? ……へ、へいっ。しかと兄貴に伝えやす!」

「そうですか、結構。ですが……それよりも遥かに大事な事を、再度彼に伝えておいてください」

「へ……?」


 セレスティアは、見せしめとする為に覇気を高めてジェラルドの子分へと言い放つ。


「――魔王陛下のお役に立てない者に価値などありません。皆も、決してそれを忘れないように」


 人を超えた威光。


 その場の全ての者達が、セレスティアの王の気配に呑まれ、その美貌に魅了される。



 ♢♢♢



 本日昼前の会議が終了し、指示を全て与え終えたセレスティアが束の間のティータイムを楽しむ。


「…………………………ふぅ」

「セレス様、魔王陛下ももうすぐ戻られます。こんなにも愛していらっしゃるのですから、予定を早めてもう帰還しておられるかも知れませんよ?」


 寝る暇もない忙しさを持ってしてもクロノロスに悩まされるセレスティアへ、お茶を注ぐマリーが気休めの言葉をかける。


 凛々しいセレスティアが、このようにあからさまに気落ちして溜め息を吐く姿はマリーでさえ見た事が無い。


「そんな中で恐縮なのですが、剣聖選定会絡みのご報告があります。……セレス様の仰る通り、カース湿地帯への偵察部隊は編成されている様子がありません」

「……由緒ある【剣聖】にも関わらず、この急な選定会。……やはりお兄様は新たな【剣聖】に【沼の悪魔】への偵察を任せるつもりですね」


 クジャーロや魔王対策として兵力を極力温存したい今の王国で、危険なカース湿地帯への偵察に部隊を派遣する事は憚られる。


 アルトはセレスティアから【剣聖】を手離させ、それなり以上に腕のある者に【剣聖】を継がせる。そしてカース湿地帯の情報を持って戻るのならば良し、最悪の場合は使い捨てるつもりのようだ。


 黒騎士姿のクロノが剣聖選定会に参加しようとしていた事から、クロノはアルトの思惑さえも利用しようとしているのだと、セレスは確信していた。


「そちらはクロノ様の御帰還までお預けとしましょう。……私達は資金源確保の為にスカーレット商会を凌がなければなりません。あのヒルデガルトなる者は、いつ牙を剥くか分からないのですから」

「はい」


 クロノの為に以前からスカーレット商会を掌握しようと動いていたセレスティアだが、スカーレット商会会長のヒルデガルトも一筋縄には行かず、会社としての地力の差もあり一進一退の攻防を繰り広げていた。


(このままでは、完全にスカーレット商会を手にする日は遠いかも知れません……。……何か手を考えましょうか)




 ♢♢♢




 スカーレット商会、本部。


 くれない混じりの黒髪を上品に結い上げ、幼さの中に確かな色気を感じさせる可憐な少女。


 暴力的なまでに魅惑的な躰を露出度の高い私服に包んだスカーレット商会会長、ヒルデガルトだ。


 広くあまり物がない室内の豪奢なデスクと椅子に着き、山のようにある羊皮紙の中身に目を通していく。


「従業員一同尽力し、ツテやサービスの向上に努め、賭博場は売り上げを伸ばしております。しかし、娼館は確実に差を広げられている模様です」


 同時に、デスク越しに報告する美形の青年、“カイン”との会議も行う。


 片目が長髪で隠れており、もう片方のモノクル越しに女皇の少女の指示を待つ。


「構わん。あの女はどちらも貴族や富裕層を狙っている。娼館で差を付けられようが、価格の低いこちらはいつでも客が付く。傭兵や所得の低い者達は必ずこちらを利用する」


 ただの指示にも関わらず、途轍も無い覇気を放つがカインは怯まない。


 ヒルデガルトの開かれた張りのある胸元や、大胆に覗く太腿にも目を奪われない。


 彼女の可愛いらしい童顔に惑う事もない。


 彼は与えられた仕事をこなすのみだ。


「先にあちらの主要な賭博場を潰せ。多少無理をしてでもだ」

「分かりました」

「行け。――“サーシャ”」


 カインへと端的に命令し、もはや用はないと彼の隣にいたメガネをかけた美女の名を呼ぶ。


「は――」

「これらを書いた担当者を調べろ。小さな不正があるはずだ。処断しろ」


 頭を下げたカインが去るのを見届けずして、サーシャの返事すらも待たずに2枚の羊皮紙を彼女の前へ押し出して命じる。


「以上だ。貴様も行け」

「……ヒルデガルト様、少し働き過ぎではありませんか?」

「……ふぅ」


 ヒルデガルトが漏らした溜め息に、側近のサーシャが驚く。


 あのヒルデガルトが、初めて弱味を見せたのだ。


 しかし、相手があのセレスティア王女である為に、疲労を感じても無理もないと思――


「この問答の時間が無駄だ。三度は言わない。――行け」

「か、かしこまりましたッ」


 本気の殺気をぶつけられ、慌ててお辞儀をしてヨロヨロと震える足で去っていくサーシャ。


 疲労など少しも感じさせない、むしろいつも以上の煌々と燃え上がる業火のような覇気であった。


「し、失礼しますッ」


 羊皮紙から顔を上げ、サーシャが扉を閉じたのをチラリと確認した後に、鋭くなった目付きで虚空を見上げ、賭博場の問題を再び熟考する。


 はっきり言えば、このままならば勝てる。


 このままならば……。


 スカーレット商会というブランドだけでもその影響力は大きく、相手方は新進気鋭と言えどもまだ完全に軌道には乗っていない。


 しかし……。


「……ふっ」


 相手は、セレスティア・ライト。


 まだ暫くは退屈しない日々が続きそうだ。




 ♢♢♢




「……………ほぅ、やはりいつ見ても立派な……。帝城とは違った荘厳な佇まいを感じる」


 一人の中肉中背白髪混じりの老人が、王城を見上げて感嘆の溜め息を漏らす。


 自慢の口髭を撫で、細部まで凝った装飾の施された王城の聳え立つ様を暫し鑑賞する。


「かの有名な“ラコンザ”殿に認めてもらえるとは、鼻が高い」


 ライト王国の第2騎士団副団長が、帝国を二分する拳法の流派『魔我疾風拳』の達人ラコンザを案内していた。


「しかし驚きました。遠路はるばる、王国まで選定会を見学に来られるとは」

「いや何、縁があってな。帝国を出て王国近くにたまたま居合わせ……面白そうな御仁が姿を見せたと耳にして、ちょいとな」


 現在戦争中の帝国は、国外への出入国が制限されていた。


 戦争の相手はライト王国ではないが、ライト王国と帝国の関係は良好と言えず、帝国民が入り込むにはそれなりの立場が必要となる。


 多くの弟子を従えた帝国民のラコンザが、一部だけとは言え王城を見学できるのは、一重にその知名度と……かつて彼の修行の旅の中で、ライト王国内のあらゆる村で人助けをした実績があるからだ。


 尚且つ、己の流派にしか興味を示さず決して国同士の争いに加担して来なかった。


 拳法は他者を傷付けるものではあっても、高潔なものでなくてはならない。


 つまり弱者や戦争に使われるべきではない。


 ラコンザが常々そう説いている事は有名な話である。


「色々と大変な時にどうかとも思ったが、どうにも辛抱堪らんかった……。すまんな……」


 セレスティアが魔王に狙われた話は、あっという間に大陸を駆け巡った。


 それに対して心底申し訳無さそうに言葉を溢すラコンザに、人としての温かみを感じた副団長は、微笑みを返した。


「新兵への数日に渡る武術指南もして頂きましたし、気にする必要はありませんとも」

「ふむ、そうだといいのだが……」


 そこで、慌ただしく行き交う兵士や騎士達を自然と目で追う。


 前方十数メートル向こうから慌てて駆けて来る一人の兵士が、つまずく。


「おわっ!?」

「――おっと」


 ラコンザが、その兵士を正面から手を胸に添えて支える。


「なぇっ!? え、……えぇっ!?」


 副団長が、今の今まで隣にいたはずの老人の姿が前方に出現した事により、隣と前方に忙しなく視線を行き交わしている。


 弟子達でさえ何度目にしても驚嘆する程の速さだ。


「若者よ、慌てなさんな。常に冷静さを心掛けなさい。さすれば見える景色もまた違って来るものだ」

「は、はっ!! 家訓に致します!!」

「も、もっといい家訓にしときんさい」


 一礼し、去って行く兵士。


 その背を見送りながら、皺だらけの顔で微笑む。


 新兵となった若者が殺伐としていた帝国ではあまり見られない、活気のようなものを見るラコンザ。


「帝国におっても得るものも無し……。こちらへ居を移すのも……ん?」


 城門近くを歩いていると、門の外側で騒ぎが起きているのが見えた。


「なっ!?」

「……どうなさった?」


 人当たりのいい副団長が上げた驚愕の声に、ラコンザが僅かに警戒心を強める。


「く、……黒騎士」

「何ッ?」


 門の外に目を凝らすと、……そこにはラコンザの御目当ての人物が雄々しく佇んでいた。


(……あやつが、黒騎士か……)


 濡れ羽色の大鎧を身に付け、常人ならば押し潰されてしまいそうな大きな剣を背にした騎士。


 その傍らには……………可愛らしいメイドがいた。


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