第64話、カゲハとの旅路

 

「……ふむふむ、なるほど。君の主張は理解したよ」

「何卒……」


 川魚の焼き魚を骨ごと食べ終え、木の串を投げ捨てながら思う。


 ひっじょーに、困った事になった。


 焚き火に照らされた森の暗闇の中、目の前に片膝を突いて跪く数年ぶりの黒髪褐色美女。


 少し遠回りしたついでに【沼の悪魔】を見に行こうとしていた折に気配を察知したので、山賊を久々に狩れると思いヒャッハー状態で気配の元へ向かったのだ。


 すると、ホントに偶然な出会いで彼女を見付けたので、夕飯をご一緒したのだが……。


「俺の仲間になりたいと」

「いえ、“影”として御側に置いて頂きたく」

「具体的に言ってごらん? 俺ってばド忘れしちゃって、影とやらの役職がどんななのか覚えてないんだよね。いやっ、ホントは知ってるんだけどね?」


 どうやらこのカゲハさん、我が組織へ加わりたいらしい。


 人件費無しに活用できる【沼の悪魔】を勧誘しに来たら、その姿を目にする前に他の希望者が現れてしまったのだ。


 まだ組織したばっかなのにこんな美少女が立て続けに入りたいなんて……なんだかむず痒いなぁ、へへっ。


「主の望むがままに」

「……」


 夕飯何がいいか訊かれて、何でもいいって言う感じ?


 俺ならお茶漬け出して終わりだが、一般的に言うと一番困るやつだ。


「……住み込みで終身契約。熱意と忠誠心は誰にも負けないと」

「はっ。死ねと命じられれば喜んでこの首を――」

「一発でトラウマになっちゃうから止めて?」


 う、う〜ん、すっごく光栄な申し出なんだけど……セレス達の給料も払えて無いからなぁ。


「……あの、悪いんだけど」

「ッ、……」


 ……めっっっちゃくちゃ、悲しげな雰囲気が漂っている。


 酷く沈痛した面持ちで、今にも消えて無くなりそうな程に存在が希薄だ。


「ごくり……………わ、悪いんだけど……」

「ッ……」


 この世の終わりであるかのような絶望感をひしひしと伝えてくる……。


「……そのぉ……悪いんだけどぉ……」

「ッッ……」


 ……ガクっと両手両膝を突き、悲しみの極地を現した。


「……わ、悪いんだけど……………お、俺は厳しいよ!! 付いて来れるかな!?」

「ッ!! は、はっ!! 我が全てを賭して主に仕えますッッ!!」


 あぁもう、俺の馬鹿。


 腕組みをして言い放った俺の前で、深々と頭を下げて忠誠と安堵を現すカゲハ。


 これは……できるだけ使いたくなかったあの手・・・を使ってでも金を用意する必要があるな……。


 あぁ、そうだ。それよりもまず……。


「……あの、一つだけ覚えておいて欲しい事があるんだけど」

「は、はっ、何でしょうか」


 クロノス内定に喜んでいるところ水を差す事になるかも知れないが、これだけは伝えておこう。








「――暗闇にいる時に出会う突然の光は、凄く眩しいものなんだ」









 ♢♢♢



 それにしてもあの魔物は誰かのペットだったみたいだけど、怖がらせてしまった。大丈夫だったのだろうか。


 監視してるみたいだったし、盗賊退治に駆り出された魔物使いの一団だったのかも。


 悪い事しちゃったかな。


「――ハッ!!」


 カゲハの跳び蹴りが、大木を砕く。


 破壊された幹の半ばから、ゆっくりと倒れていく……。


「……ほっほう、やるじゃん?」

「我が主のお役に立つ為だけに精進して参りました故……」


 そんなん言われたら、この後の俺がやり難くなるじゃん……。


 現在、カゲハの能力測定を行う……………という名目で、俺の力を見せ付けて威厳を示しておこうとしている。


 何故なら、この前のセレスみたいに変なアドリブを防止する為だ。あれはきっと俺の威厳不足による暴走的なものだったのではないかと考えている。


「では、次は俺の蹴りを見せよう。参考にして欲しい」

「はっ」


 ……なんか、この娘……めっちゃ顔険しくない? もしかして俺、嫌われてんのかな……………それは無いか。


 いい返事の割に睨み付けるように鋭いカゲハの視線を感じつつ、俺は大きめの大木に近寄る。


「ほい」


 とりあえず、見直してもらえるようにそこそこの蹴りを放つ。




 ♢♢♢




 カゲハの主の蹴り。


 どのような派手なものかと、今か今かと目を凝らして見守る。


 動き一つ見逃しては、影として失格だとばかりに。


「ほい」


 気概の感じられない呑気な掛け声。


 大木へと放たれたクロノの蹴りは静かに始まり……静かに終わった。


「……」


 カゲハが、目を剥く。


 まず何よりも、美しい。


 自然に繰り出される無駄のないフォーム、脚の軌道。蹴り出したタイミングすら掴ませないその神技は、芸術的とすら思えた。


 そして、結果。


 見るからに頑丈そうな大木が、放たれた蹴りにより抉られ、幹の半ばを脚の軌道上にあった部分をごっそり失った。


 その後余った上部分が落ち、下部分と繋がり……元より少しばかり背の低い大木が出来上がる。


 あの軽い蹴りにどれ程の威力が込められているのか、想像するだけで背筋が凍る。


「……」

「……アレだよ? 今の全っ然本気じゃないからね? その証拠に今度はもっと強くやるから」


 言葉を失っていたカゲハに、反応が微妙だと感じて焦るクロノが、魔力凝縮法により力を上げていく。


「い、いえ、御見事な御技でした」

「……信じてないよねぇ。絶対信じてないよ。絶対ガキの戯言だと思ってるよ。ホントに出来るんだからね!? 見ててよっ!」

「……何卒お考え直しを」

「いやいやっ、遠慮なんてしなくていいよ! そんな他人行儀な!」

「いえ、私は――」

「いやいや!」

「いえいえ」


 威厳を保つのに必死な主と、異常な迫力を放ち始めた主を諫めようと苦心する配下。


「いやいやいや!」

「いえいえいえ!」


 暫く、主従のすれ違いによる痴話喧嘩のようなやり取りが、深夜の森に響き渡っていた。





 ♢♢♢




 翌日……。


「……」

「……」


 針のように尖った岩山の上に木の板を敷き、そのまた上で座禅をする人影が2つ。


 日の出を拝みながら、精神修養をするクロノが隣のカゲハに語り始める。


「……俺は常にどのような環境、如何なる状況においても、修行の二文字を忘れた事はない。もう頭の中には魔王と修行の二単語しかないと言ってもいい。オーライ?」

「感服致しました。……………おーらい」


 一言二言発するだけで、カゲハの座する板が微かに揺れる。


 だが、主の板は凪のように静まり返っている。少しの揺らぎもない。


 このような小さな点においてでも、確実に差が現れていた。


 主は今まさにその差の理由を伝えようとしているのだと、カゲハは察する。


 未だ望んだ主を得た大願成就の喜びの中にいようとも、これからが始まりなのだ。


 気を引き締めて主の言葉を待つ。


「これからの道中、俺が人智を超えた修行の数々を見せる。それも、あらゆる環境で、すぐに編み出してみせよう。俺の事を深く知る一助となれば幸いだ」

「有り難き幸せ……」





 こうして、クロノの威厳を示す旅が始まった……。






 〜・〜・〜・〜




 太く背の高い竹の繁茂はんもする竹藪では……。


「はいこれ。俺にはもう修行法が見えました。……ちなみにカゲハならどうする?」


 子供クロノが、丸太のような竹をポンポン叩き、己より背の高いカゲハを見上げて訊ねる。


「……竹を縫うようにして素早く駆け抜ける、でしょうか」

「ふむ、それも一つの修行法だ。……しかし、それは常人の域を出ない。なんなら犬とかでもできてしまう」


 カゲハの胸に去来する、不甲斐なさによる悔しさ。


 それを静かに押し殺し、続く主の解答を待つ。


「俺が一目見て思い付いたのは、この成熟し切ったぶっとい竹を……」

「……」


 斬るのだろうか、蹴り折るのだろうか、まさか握り潰すのだろうか、カゲハの脳内は様々な選択肢が渦巻く。


「……食べます。あ〜むッ!!」

「ッ!?」


 バキャリと、しなやかで分厚い竹が割れる。


 クロノが噛み付いた箇所から、ゆっくりとへし折れて落ちて来る。


 ドラゴンのような咬合力こうごうりょくがなければ、このような事にはならないだろう。


 思わず固まるカゲハを余所に、クロノは竹を噛みちぎり、ムグムグと様子見がてら少し味わう。


「……ぺっ、ぺっ! ぺぇッ!! うぇっ……まぁ、思っていた500倍アクが強かったので食べられませんでしたが、顎は鍛えられました」


 口いっぱいの渋味に苦しむクロノが、ここでチラリとカゲハの反応を見る。


「……」


 顎の力さえ人種の限界を遥かに超える主に、驚いて唖然となるカゲハ。


 だが、この反応はクロノの期待するようなものでは無い。もっと凄〜い! とか、流石です!! とか、プロアスリートくらいに持てはやされると予想していたのだ。


「……次っ!!」




 〜・〜・〜・〜




 小川沿いに歩くクロノとカゲハ。


 ふと、クロノが丸い小石を拾い言う。


「これを見て何か思い付くかな?」

「……………握り砕くは私でも可能なれば、……投擲とうてきし、小川を両断する、ではないかと」


 遠距離攻撃として投擲を好むクロノならば、これが正解とカゲハは胸を張って答える。


「違います」

「……不甲斐ふがいない影を御許しください」

「許します。別に不甲斐ないとも思っていません。て言うかむしろそっちの方がいいかもゲフンゲフンっ。……え〜、正解は……」


 静かに意気消沈するカゲハを置いて、クロノは小石に“ク”と爪で字を彫り……遠くへ投げようと振りかぶる。


「……まさか、遠方へ投げたその文字の彫られた小石を探すのでしょうか」


 ピタリと、クロノの動きが止まる。


「……ち、違います。……正解は……」


 間を溜めたクロノの出した決断は……。


「……食べます」

「ッッ!?」

「あ〜むっ!!」


 バギャリ、ゴギャリと、清流の音に混じって2人の間に異音が流れる。


「……ぺぇーっ!! ぺっ! ぺっ!」


 小粒となった石を次々と吐き出すクロノ。


「……まぁ、食べられはしませんが、顎と歯は鍛えられました。格闘家と俳優は歯が命。魔王もまたしかりなのです」

「御見事です」


 跪いてこうべを垂れ、敬意を示すカゲハ。


「そ、それだけ?」

「勇ましゅう御座いました」

「……ありがとう次っ!!」



 〜・〜・〜・〜



「風流だねぇ」

「誠に仰られる通りかと」


 涼しげな情景。


 緑豊かな自然に囲まれた滝の前に、クロノとカゲハはいた。


 勢いよく流れ落ちる水流が水飛沫みずしぶきを上げて、日光でキラキラと輝きながら薄っすらと虹を描いている。


 日陰の岩には苔が生えており、滝や周囲の自然とのコントラストで風情をより感じる事ができる。


「さて……この滝。これなんて恰好の獲物です。修行者にとっては鍛練の場。日夜働く観光者にとっては辛い日常から一時を忘れさせてくれる癒しとなります。……君ならどんな修行法を見出すのかな?」

「……」


 マイナスイオンを感じながらの深呼吸もほどほどに、クロノがまたもや問いかける。


 もはやミスの許されないカゲハは、慎重に答えを熟考する。


 これまでの主との受け答えの中にもヒントはあるはずだ。


 主は常に自分の予想しない角度からの修行法を提示して来た。


 そして、カゲハはある共通点を見つけ出す。


「……しょくす、のでしょうか」

「え、滝が食べれる訳無いじゃん」




 ……。




「え? 俺が知らないだけで滝って食べられんの? 俺が無知なの? 非常識なの?」

「……お忘れください」


 跪いたまま、マスクで口元を隠して呟くカゲハ。


 微かに顔が赤くなっていた。


「いやでも、今確かに食べるって――」

「もう、御許しを……」


 天狗てんぐの面を取り出し被る程に顔から火が出そうなカゲハ。


「よ、よし、では俺の修行法を回答しよう」

「はっ……」


 空気を読んだクロノ。


「常人ならば、おそらく滝行などを思い付きます」

「もしや、泳いで滝を登るのでしょうか……」

「おぉ! 惜しい!」


 カゲハの胸が酷く高鳴る。


 完璧とはいかないまでも、初めて主の期待に応えた喜びに震える。


「しかしです。泳いで登るのならば、魚でもできます。なので俺はその上を行きます」

「……」


 クロノが靴や靴下を脱ぎ始め、足の裾をまくる。


 しかし、上半身はそのままだ。


 するとクロノは、カゲハの見慣れない構えを取る。


「……俺はここを、駆け上がります」

「ッ!?」

「しかも何往復もします」

「ッッ!?」


 クラウチングスタートの構えである。


 そして、クロノの我流シャトルランが始まった。


 滝の下を流れる川から、滝の上まで水面を走り抜け……駆け下りてはまた駆け上がる……。


 誰も見ていない事をいい事に、秘境である事をいい事に、風情も何もなく。


「ッ、ッッ!!」


 滝や川が割れて爆発し続けるような超常現象に、すぐ側で目にするカゲハの息も詰まる。


「――ヒャッハァー! 気持ちいいー!! ナハハハハァ!!」




 ♢♢♢




 そんなこんなで、ついでに寄ろうと思っていた【沼の悪魔】を後回しにカゲハと自宅を目指しての旅であった。


 素直ないい娘のカゲハとの楽しい旅だったが、それもあと少しだ。


 俺の威厳の為に指導を始めてからというもの、カゲハはとても強くなった。


「もうすぐだよ。俺と一緒じゃない時は西側を通るようにしてね。ヒサヒデの領域で一番安全だから」

「はっ」


 ……そして、とても険しい顔付きである。


 日に日に険しくなっていっている。


 神秘的な金剛壁付近の緑溢れる景色に見惚れる事もなく、一心に俺を睨み付けている。


 時には、天狗のお面を取り出して顔を隠す事もある。


「……カゲハくん」

「はっ、何かご入用でしょうか」


 気合い十分に返答してくる。


 ここだけ見れば、忠誠心の異世界代表クラスだ。


「……布団ふとんがフットンだ」

「……」

「うぉっ!?」


 ギンって睨まれた……。


「……何かの暗号でしょうが、申し訳ありません。しばらくの猶予を頂きたく。必ずやご満足のいく答えを――」

「俺が罪悪感で吹っ飛ぶから止めて? こんなのに労力を割く必要なんか無いよ。何も生み出さないよ、こんなの研究しても」


 ほら、悪い子では無いはずなのだ。


 多分、こんなんばっかの俺が悪い。


「……行こうか、我が影よ」

「……はっ!」


 うむ、地道に仲良くなろう。


 一際いいお返事をしてくれたカゲハを連れ、金剛壁へと再度足を向けた。


 とりあえず早くカゲハの部屋を案内しないと。その前に掃除かな。


 はぁ〜、やっぱり自宅が近付くと安心して来る。心穏やかだ。


「……クロノ様、あそこに見える者共は配下か何かですか?」

「う〜ん? ふくろうと蛇が仲良く喧嘩でもしてた? なんつって……ぎゃーっ!?」


 前方の自宅付近が見えて来たら、予想だにしていなかった事態を目にし……慌てて駆け出した。


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