第63話、『弐式』と【夜渡り】
国境付近の森を根城にする山賊や盗賊は多い。
国境を越えて商いをする商人を襲うなどし、尚且つ国境から外れて逃げれば別の国となる為、軍が追って来ないからだ。
だが、不運な事態に見舞われる事も……しばしばある。
「……」
「ひぃぃ!!」
大きめの小太刀から滴り落ちる血。
ポタリ、ポタリと、残り一体のケダモノへと続く血の印。
「ま、まって、待ってくれ!!」
「……」
盗賊王を名乗る者を見下ろす、刃のように慈悲無き冷徹な眼差し。
辺りは盗賊達の血の海。
影のように潜み、気配も感じさせる事なく最後の一人を残して惨殺。
「――凄まじい剣技の……私と同じ黒髪の少年に心当たりは?」
天狗の面の下から、女性らしい声音で問われる。
「……………は?」
カチャリと、小太刀が鳴る。
「ヒィィ! し、知らない! 本当だ!」
「……」
逆手に持っていた小太刀が、盗賊王の頭部を真っ二つとした。
「……ふぅ」
面と口元のマスクを外し、後ろで一つ纏めにした黒髪を揺らしながら小太刀を拭うなどの後処理を行う。
ダークエルフなどよりも若干薄い褐色肌には、血飛沫一つ浴びておらず、カゲハの技量の高さを現していた。
魔王を名乗る少年に助けられて数年。
カゲハはただひたすらにあの少年を探して、その一帯を捜索していた。
自分を助けてくれた事から、盗賊なども狩っているかもと当たりを付け、山賊や盗賊を駆逐して回り……魔人族の里も捜して回った。
腕前は上がっていくが、それらしき人影は無し。
ラルマーンを捜している折に【黒の魔王】なる存在を耳にし、ライト王国へと向かう道中。
もはや癖となっているのか無意識の内に足が向き、盗賊を狩ってしまっていた。
(……【黒の魔王】か。……今回こそは、あの御方であれば良いが……)
希望を胸に、小太刀を仕舞い……。
「…………………ッ」
振り返りざまに、その引き締まったしなやかな脚で鞭のような蹴りを放つ。
「――ッ」
カゲハの背後から忍び寄っていた大きな影が、人族にあるまじき威力の蹴りを食らった……はずであった。
カゲハが、蹴りの感触が
「……」
(あの御方により、岩でも楽々と蹴り砕けるようになったのだが……、そのような問題では無さそうだ)
その刀のような鋭利な視線の向かう先には……。
(……このような魔物……見た事も聞いた事もない……)
鷲のような顔に、目玉の見えぬ四つ目。著しく筋肉の盛り上がった前脚に、細くもしっかりと地を踏み締める後ろ脚。
毒々しい群青色の羽毛に、二又に分かれた槍のような刃先の長い尻尾。
鎧のように不自然な節々の形状に、……鎖が絡まったような首輪。
妙に何か、デザインめいた怪物であった。
「――」
猛禽類の瞳と爪で、唸るような威嚇音を放ち……立ち上がった。
一目で分かる異様な生命体が立ち上がり、二足となる。
するとその巨体が一層大きくなるが、カゲハは全く顔色を変えない。
「――敵対すると言う事でいいのだな?」
「――ッ」
その姿を見失い、気付いた時には懐にカゲハがいた。
気配遮断を極め、速さの頂きを目指し、カゲハは今やあの頃とは比較にならない強さを得ていた。
「ッ!」
小太刀が得体の知れない魔物の首元を斬り裂く。
「……何?」
「――」
血飛沫が出るタイミングで後方に飛び退いたカゲハだが、魔物のパックリと開いた首元からは血はおろか体液一つ出ない。
代わりに……。
「霧か……?」
傷口から吹き出していた暗い青色の霧が、何事も無かったかのように再び元の形を形作る。
「……ッ!」
再び気配を断ち、駆け出したカゲハ。
小太刀と蹴りで、魔物をこれでもかと痛め付ける。
巨体が吹き飛ぶ蹴りは爆風を生み、その速度は鎌鼬の如く。
全く見切る事のできないカゲハの技。
「……」
「――」
しかし、カゲハの姿を捉える事はできずとも、その攻撃の尽くは霧となった身体で無効化される。
「キィ―――ッ」
ただただ見下ろしていた魔物が、笛のような甲高い鳴き声と共に襲いかかる。
地面ごとカゲハを
森に響き渡る轟音。
地面を柔らかな果物を握り潰すように絶え間なく抉り取る。
それを残像を残すような素早さで軽々と躱すカゲハ。
魔物は更に上空へ飛び上がり、霧の翼を羽ばたかせ……針のようなものの雨をカゲハのいる一帯に放射する。
「無駄だ」
しかし、速度のギアを一つ上げたカゲハは音もなく一瞬で移動し、一気に対面へと現れた。
針の雨の惨状は想像以上で、爆撃されて地面がひっくり返ったように
(……威力も洒落にならないが、問題ない)
冷静に状況を把握するカゲハへと、空から急降下して来た魔物が襲う。
「――ッ」
「……」
だが動きを見切ったカゲハは高速で避け続け……。
鍵爪が避けた先にあった大木を難なく握り潰した隙に、頭部に飛び乗り小太刀を……眼球に突き刺す。
「――」
小太刀の刺さった箇所が霧化しているのを目にしたカゲハの脳裏に浮かぶ、“不滅”や“不死身”と言った言葉。
(効果無しか。だが霧となるだけならば……)
やりようはまだまだある。
と、
「……?」
そう分析して一つ大きく飛び退いたカゲハが、魔物の二又だった槍のように鋭い尻尾が……一つとなっている事に気付く。
「ふん……ッ」
背後からの殺気に僅かに頭を傾け、後頭部を串刺しにせんと迫る槍の尾を避けた。
尾の一つを何気なく風に流して標的の死角に移動させていたようだ。
「所詮は獣の類か。殺気が漏れているぞ。――ッ」
「――ッ!?」
尾を戻す瞬きにも満たない意識の隙間の後に、『弐式』はそこにいたはずのカゲハの姿を見失う。
「後ろだ」
「ッ……」
カゲハのスピードを配慮しての隙であったが、それよりもまだ何段階も速さの上限が隠れているようだ。
すぐ背後にて、身体中を針で刺されているようなカゲハの殺気をまともに受け、『弐式』は次なる一手を即座に――
「――そのまた後ろの魔王です」
「ふぇッ!?」
「ピィッ!?」
突如として発生した背後の声に、一人と一体とで素っ頓狂な声で驚く。
一列になっていた最後尾には、……平凡な黒髪の少年が。
「……ぁ、あぁ……」
カゲハの目が見開かれる。
「ここで一句」
朦朧とした意識の中であったとしても、霞みがかった視界であったとしても、見間違う訳がない。
「背後を取っていいのはぁ〜……取られる覚悟のぉ……ある者だけだぁ〜……。超絶字余り」
漆黒の瞳と髪色、隙の一切存在しない佇まい。
「……まだまだだね、2人共。もし俺が悪い奴だったら……いや俺は魔王だな。悪い奴だわ、どうしよう」
あの頃と変わらない容姿で、目の前に存在している。
長い間探し求めていた、彼女の唯一の希望。
「ッ――」
「ふむ……やる気かね、若いの。この魔王と」
霧の翼をはためかせ、後方に一つ飛び退いた『弐式』。
魔王は、この不死身の怪物を前にしても何ら身構える事は無い。
むしろカンフーの老師を気取り、カゲハの前に立つ。
「よかろう、ちとクンフーを見てやろう」
あの時と同じように。
少年の小さな背から目が離れず、溢れ出す喜びや感動を必死に堪える。
「……ッ、魔王陛下ッ、ここは私が!」
「まぁまぁ、見ていなさい。こんなドライアイスみたいな威勢のいい小僧は、指先だけでダウンさせてみせよう」
我に帰ったカゲハにそう言うと、魔王は後ろ手を組んで『弐式』と対峙する。
「で、では、せめてこの刀をッ」
「不要だよ。言ったはずだ……」
丸腰の魔王に武器となる己が小太刀を渡そうとするが、魔王はおもむろに片手を前方の怪物へと掲げ、手の甲を相手に向けるように構える。
「……指先だけでいいと」
クイっと手招きして挑発する。
「……」
「来ないのかな? ならばこちらから……」
少年の2つの指先に黒い魔力が収束していく。
その少しの変化に、カゲハと『弐式』の背筋が震える。
カゲハは、まだ知らない魔王の絶技に。
『弐式』は、まだ知らない
人造魔獣として生み出され、その不死身の性能故に目に映る全ての生物が弱者であった。
自分を目にする者は、怯え、恐れ、果てに自分の不幸を悲しむ。
だが、この少年は違う。
自分をまるで意に介さず、戯れる動物を見るような目で見ていた。
「――ッ」
「あ、あれ?」
怪物が霧と消えた。
「逃げちゃった……。小僧とか言ったから怒っちゃったのかな。いい事もあったし、久々の休暇で浮かれてるのかも、マジごめん。放出系研究の過程で編み出した、ちょっとした新技を披露したかったのに……」
拍子抜けとばかりに言葉を溢す。
「お久しゅう御座います。再び御技をこの目にでき、より一層の敬服を致しました」
「う、うん、デパートのレジみたいに後ろに並んだだけだけどね。それにしても……」
すかさず横へ移動して跪いたカゲハから、本能から逃亡した魔獣の気配が進む先へと……ジッと視線を向けるクロノ。
「何か……?」
霧の去った方向を見つめながら、クロノが呟く。
「……いや、何でもないよ。もし時間があるなら付いておいで。夕飯に招待するよ」
「ッ!! 有り難き幸せッ!」
♢♢♢
「……ッ!?」
ゾクリと言い知れぬ恐怖を覚え、慌てたハナムが遠見の魔法を解く。
(な、何だ……あの子供は……)
遠方より『弐式』の監視をしていた隊員のハナム。
彼が目にしたのは、盗賊達を瞬く間に殺害した凄腕の女を相手に、その無敵とも思える性能を示した『弐式』。
加えて、……その両者を余所にいつの間にか舞い降りた謎の少年。
目が合った。
覗き見ていた自分をも覗き返されているような……心の奥底まで見透かされているような眼であった。
遠見の魔法対策としての魔道具や魔術を使用している気配はまるでなく、故にただただ恐ろしい。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
「君、みっともない姿を晒すな。醜い……。一体何事かね」
焚き火の近くに待機して、夕食が出来上がるのをただ待っていたザンコックが、嫌悪でもしていそうな嫌そうな顔付きでハナムに歩み寄る。
「は、はっ! 戦闘にただならぬ乱入者が現れ、『弐式』が敗走して来る模様です!」
「……何だと?」
ザンコックの信じ難いと言った言葉の直後、青の風が吹き……『弐式』が舞い降りた。
霧の翼を仕舞い、端の方で素知らぬ顔で巨体を横たわらせる。
「……やはり傷一つ無いではないか。あの『弐式』に攻撃が通る訳が無い。大袈裟な報告は慎みたまえ。的確な指示に差し支える」
「も、申し訳ありません……」
不機嫌さを隠さずに吐き捨てるように言うザンコック。
一心に毛繕いをする『弐式』を見て、ハナムも首を傾げる。
だが確かに、研究所から受け取った『弐式』の資料に書かれていた力は、あの程度のものでは無かった。そもそものやる気自体が無かったように見受けられた。
「大方、戦闘経験の乏しい『弐式』が飽きて戻って来ただけだろう。……次からは徹底した命令をする必要があるな。それが分かっただけでも収穫はあった」
そう結論付け、機嫌を良くして去っていくザンコックの背を見送り、食事の準備を手伝う為にハナムも腰を上げる。
どことなく腑に落ちないと言った様子で。
「――」
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