第61話、魔王の必殺技

 

 晴天の下、抜刀の煌めきが落ち葉を両断する。


 返す刀で、二つに分かれる前に更に断ち斬る。


 十字の剣閃により四当分された葉が、ひらひらと舞い落ちる。


 そして――


「――《姫突きづき・二連》」


 4枚の内の2つを正確かつ瞬時に貫き、刃が鞘に収まる。


 オレンジの鮮やかな長髪が風に揺れ……鯉口がゆっくりと締められる。


「へへっ……………痛っ!?」

「悦に入るのは早いです。油断もしない。敵は攻め手を待ってはくれませんよ」

「いだ!? いだだだだだ!? も、もう分かったってば!」


 ドヤ顔をしているエリカ姫の側面から、布をぐるぐるに巻いた棒で脇腹を突き、顔などもグリグリとして満遍なくつつく。


「納刀も遅いですよ。納刀すべきかどうかの判断も必要ですが、やるならやるで素早く」

「ブゥ〜……」


 この豚さんの突きの名前は、ただの速い二連突きなのにどうしても名前が欲しいというのでテキトーに俺が付けた。




 ♢♢♢




「――はぁ〜〜、今日のシゴキも疲れたぜぇ〜〜」

「私が無理矢理エリカ様を鍛えているかのような物言いはお控えください。あと、使用人の先輩方を使って私の勤務時間を把握するのもお止めください」


 庭園のテーブルでグデっとプリンセスと成り果てたエリカ姫に、冷たいお茶を差し出す。


 学園内には清らかな小川が流れており、そこでいつでも冷やした飲み物が飲めるのだ。


「……ハクト様は、まだ剣を振るっておられるのですか?」

「ぷっ、そうだよ? 面白いよねぇ」

「私の口からは何とも……」


 いや、確かに面白いは面白いが……。


 先日、エリカ姫に強引に連れてかれて見たのは、呪いをかけられたように延々と剣を振り回すハクトの姿であった。


 セレスが魔王に連れ去られる事は防げたが、いつまた魔王が現れるか分からないからだ。


 そのあまりにズレた、ひたむきさに隠れて2人してクスクス笑ってしまい、そこを案の定見つかり喚きながら追っかけられたのだ。


 あれは面白かった。


「姉様の為でもあるんだろうけど、姉様はハクトの事を弟くらいにしか思ってないから、実る恋じゃなさそうなのにねぇ〜。モテるんだから、そこらへんの子女とかにしとけばいいのに」

「……」


 ……婚約者の物言いでは無いな。


 いやっ、本当は傷付いているのか……?


「あ〜、涼しい……」


 風にオレンジ色のサイドテールを揺らし、気持ち良さそうに寛いでいる。


 気丈に、普段通りのエリカ姫を演じているようにも思えて来た……。


「……どうぞ」

「何このハンカチ!? なんで憐みの目でハンカチを差し出してくんの? 腹立つなぁ!」


 ムッとした表情のエリカ姫が、何ッ!? を連発してハンカチを差し出す俺を鞘の先でツンツンして来た。


「……それで? グラスの方には姉様から何か連絡は来たの?」

「いえ、あの日より音沙汰はありません」


 毎晩のように作戦会議兼ボードゲーム大会は開いているが。


「ふ、ふ〜ん……。ぷぷ、どうやらグラスは姉様に本命の隠れ蓑にされてたみたいだね。残念でした〜」

「私はむしろ背中を刺されないかヒヤヒヤしていましたので。気が気ではありませんでした」

「ふ〜ん。……まぁもう負けたくないし、まずはとっとと姉様に勝てるようにしておくれ」

「……」


 冗談半分っぽく言うが、本当に悔しかったのだろう。


「グラスから教わってた技も魔王に効かなかったし、もっと強いのも覚えないと」


 効く訳が無い。


 だって俺が考えたんだもの。


 他の何を教えたって避けられちゃうのに……。可哀想過ぎるな……。


 が、稽古でも闘志が漲っているし、いい方向に傾いている。師として見れば。


 でもまぁ……。


「使用人に出す要望ではありませんね」

「冷たい事言うなよぉ〜、もう相方みたいなもんでしょ?」


 このマイペースな子は、俺を猫型ロボットだとでも思っているのだろうか。


 くしゃみをするだけで願いを叶えるポッチャリさんだとでも思っているのだろうか。


「お言葉ですが、技が弱いのではなくエリカ様の練度が届かなかったのですよ?」

「分かった分かった。じゃああのケリーやっつけたやつ教えてよ」

「分かって頂けていない事は分かりました」


 あんなの技でも何でもない。魔力をちょちょいと操作しただけだ。


 それに最近メキメキ強くなっているのに、これ以上付き合わされるのは割りに合わない。


 給料一緒だし。


「――グラス」

「おっと」


 ポンと柔らかな衝撃が、背後から下半身を襲う。


「いらっしゃいませ、リズリット様」

「今日もお勉強をする」

「い、いえ、私は仕事がありますので」


 先日よりビックリ仰天するレベルで懐いている【絆の三姉妹】の三女リズリットが、俺の腰にポスンと大きな本を押し当てていた。


「いつも遊んでもらって悪いねぇ」


 ニコニコと微笑むルルノアがこちらへ歩いて来る。


 色気ある褐色肌を見せ付け、金髪を手で肩から後ろへ流しながらやって来た。


 彼女らは、王国への協力の報酬の一つに学園の図書室の利用を申し出、それを難なく許可された為によく遊びに来るようになっていた。


「いらっしゃいませ、ルルノア様。すぐにお飲み物をご用意しますので」

「ありがと。ついでに手合わせしない?」


 リズリットをそのままにグラスが椅子を引き、ルルノアが蠱惑的に微笑みながら誘う。


「お断りさせてください。私はしがない使用人ですので」

「止めておいた方がいい。わたしのグラスは強い。ルル姉が土に塗れるとこは見たくない」


 学園の使用人をボコボコにしようとする傭兵を嗜め、姉へと言い返すリズリットを椅子へと導く。そしてすかさずお茶を差し出す。


 勿論、エリカ姫に目線でお伺いを立てた上でだ。


「……お姉ちゃん、リズの姉離れにまだ付いていけないんだけど……。危ないとこ救ってもらったからってそんなに変わるもんなの? お姉ちゃん心配だよ……。シャノンもハクトのとこ行っちゃったしさぁ」


 頬杖を突いて項垂れるルルノア。


「わたしのグラスって、私の使用人なのに……」


 違う。


 エリカ姫も不満げに呟くが、俺は学園に雇われている身だ。


「……グラスも何か言いなよ」

「私から何か言うとしたら、グラスを私物化しないであげてくださいとしか」


 パタパタと団扇で七輪を煽いで焼きおにぎりを作りつつ、テキトーに返事する。


「良い匂い……」

「なんか香ばしい感じ〜。あたしらもいいの?」


 座ったばかりなのにトコトコと隣に寄って来たリズリットを、煙のいかない風上に移動させ……。


「エリカ様次第ですが……ご自分だけ食べられますか?」

「すっごい嫌な奴になるじゃん……。匂い嗅がせて食べるの見せるだけなんて」


 焼き目の付いた焼きおにぎりを、3つ別々の皿に乗っけてテーブルへ持って行く。


「という事ですので、お気になさらずにお召し上がりください」

「うふふっ、ありがとーっ。……あなたが気に入られる理由、何となく分かって来たかも」



 ♢♢♢



 長閑な日常の一コマだ。


「あとは魔法陣を形成して、組み込まれた発動の印に魔力を流すだけ」

「だけと言われましても、全て難度が高そうな工程ばかりですね。魔術というものは」


 テーブルに広げた大きな本を指差しながら微笑ましい姿で解説してくれるリズリット。


 しきりに紫髪のツインテールを揺らして隣の俺に振り向き、見上げながら懸命に話しかけて来る。


「できそう?」

「えっ!? わ、私に魔術を使わせようとしていたのですか……?」


 自慢したくて言って来ているとばかりに思っていたが、どうやら俺に魔術を使わせようとしていたみたいだ。


「最初から諦める訳ではありませんが、私には難しそうです。魔力量に恵まれていないもので。初歩の魔術一つでスッカラカンとなるでしょう」

「そぅ……」


 と言うか魔術は高度な知識が必要なので、魔力量どうこうよりも俺には難しいのだ。


 今の数分でも分かる。


 魔術の難しさと、この子の魔法の才能が。


 様々な事象を現実にもたらす魔法だが、それはきちんとあらゆる工程を完璧にこなし、なおかつそれに見合う魔力量が要求される。


 つまり本当に選ばれた者のみが使える術なのだ。


 凄いのだ。


 ゲッソは牢獄で療養中だ。


「ふふっ、リズは自分の得意な事であなたとお話がしたかっただけよ」

「っ……」


 ルルノアの言葉に、赤くなった顔を本で覆い隠すいじらしいリズリット。


 いやぁ……穏やかだなぁ……。


「おっ、ここにいましたか、エリカ」


 オズワルドが緑髪をわざわざ掻き分けながら話しかける。


「なぁに? ハクトならいつもの剣術場だよ?」

「果たして王女様がこのようにダラけていいのでしょうかねぇ。……それは兎も角、僕が用事があるのはルルノアさんですよ」


 肩をすくめて苦笑いで嘆き、胸をテーブルに乗っけて王女同様にダラけるルルノアへと視線を移す。


「えぇ〜〜、もう?」

「もう、ですよ。一人目の剣聖候補が到着されたので、一応一目だけでもお願いします。僕が案内しますので」


 ヘラリと鼻の下を伸ばした笑顔を浮かべて、大きな身振りで手を差し出す。


「あっ、て言うか……グラス、お金が欲しいなら【剣聖】になれば?」

「……」


 エリカ姫が、頬杖を付いて思い出したように言って来た。


「あ〜〜! いいじゃん! あなたなら他の人達より強いだろうし、あたしが見極める必要もないし、一気に決まるし、言う事ないよ! 推薦してあげるっ」

「……」


 とっとと【剣聖】を決めたいのか、ルルノアも嬉しそうに誘って来る。


 リズリットもチラチラと期待の眼差しを送って来る。


「おおっ、ではグラスさんも共に――」

「いえ、オズワルド様。私などとてもとても。そもそも使用人の仕事で手一杯ですので。この後もサロンの予約が入っておりますし、そちらを疎かにはできません」


 やんわりと苦笑いで断っておく。


「そうですか……。まぁ僕は両手に花々なので全く構わないのですがねっ」

「「ちぇっ」」


 切り替えの早いオズワルドと、不満げなエリカ姫とルルノア。


 ……。







 言われなくても、もう行ったけどね……。







 使用人の先輩達が予想やら賭け事やら噂してたのを聞いて、【剣聖】選定会受付開始日にウキウキして行ったさ。


 仕事終わってダッシュで帰って、鎧に着替えて行ったとも。


 剣技にも滅法自信があるから、迷いなど無かったよ。


 けど……。


『く、黒騎士様は……その、強すぎると言いますか……。元近衛長のハルマールの魔剣をも砕いておりますし……。それに……実はあまり口外できないのですが、この選定会は予めある程度我々で絞って選んでありまして。……ここにあるリストの中の剣士しか参加できないという決まりも……そのぉ……』


 ……などと、訳の分からない理由を並べられて拒否された。


 あげく、マートンというあのやり手の公爵さんを連れて来るなどと言い出したのだ。


 身分証の提示など、職務質問的な事を恐れた俺は尻尾を巻いて逃げる羽目になった。


 定期的な給料と、たまに依頼される仕事をこなせばその分も報酬を得られるという、とんでもなく魅力的な称号だったのに……。


 初代勇者の戦友の一人、初代【剣聖】“ジューベ”。


 絶大なる力と統率力で他種族を率い、悪しき存在を次々と打倒していったとされる初代勇者。


 ジューベの剣技は、その比類なき強さを持っていた初代勇者に勝るとも劣らなかったという。


 彼の偉業に敬意を表し、純粋に剣技の優れた者に代々【剣聖】の称号が授けられて来た。


 今代のセレスが辞して空いた席は、あまりライバルのいない事からかつてないチャンスなんだとか。


 気合い入れて大剣背負って行ったのに。


 実力者などの推薦があれば別らしいが、ここでルルノアに推薦してもらうのは……ボロが出そうだから嫌だ。


 はぁ……、気晴らしに帰省でもするかなぁ。どこかに足を伸ばすのもいいかも。


 でも問題は、……彼女の説得か。




 ♢♢♢




 王城内の修練場に、多くの騎士や兵士達が倒れ伏す。


 雑兵などではない。


 むしろ精鋭とすら言える、強者達ばかりだ。


「――誰でも構いません。立ち上がってかかって来なさい」


 木剣を持つセレスティアが、いつもの騎士姿で冷たく言い放つ。


「選びなさい。ここで死ぬ思いをするか……戦場で死ぬか。国や大切なものを守る為に、あなた達に常に付き纏う選択肢です」


 厳格な戦女神。


 誰もがその神々しく清廉な姿に圧倒される。


「……とは言え、連日付き合わせていますし、今日はこの辺にしておきましょう。身体を壊しては逆効果です」


 柔らかな苦笑いで終了を告げるセレスティア。


「ひ、姫様……」

「なんとお優しい方なのだ……」

「ぶひぃ……」


 ふと顔を出した慈愛に、誰もが心も魂もあっさりと掌握されてしまう。


「――姫様、少々よろしいでしょうか」

「えぇ、何かありましたか?」


 一人のメイドが急ぎ足で駆け寄り、セレスティアへ耳打ちをする。


「我等が陛下がお待ちです」

「ッ!?」


 ドクンと心臓が大きく跳ねる。


 わざわざモッブの付け足して言う、我等・・が王。


 無論、ライト王ではない。


 希望を言うのであれば、自分を目的としたものであって欲しく思う。


 だが、何かの他に狙いがあるのであれば……セレスティアでさえ見当が付かなかった。


「……予定を早め、今から旅立つとの事です」

「ぇ……」


 緊急事態かと疑い始めていたセレスティアへ、モッブが申し訳なさげに非情な現実を突き付ける。


 急激に高まっていた喜びが急激にしぼんでいく。


 セレスティアの機嫌がいつもより良かったのは、今日の夜から朝にかけて思う存分クロノの世話ができるからであった。


 もうすぐ一度城に帰るクロノに頼み、その時間を貰ったのだ。


「いやぁ〜、疲れた。疲れたけど……」

「あぁ……我等はなんて幸福なのだ……」

「今一度誓おう。私は一生、殿下に付いて行くっ」

「命を賭ける甲斐ってもんが――」


 騎士や兵士達が修練場をしようと立ち上がる。


 心に不安や苛立ちの募るセレスティアの視線が、その幸せそうに奮起する兵達を捉える。


「……あなた達、何をしているのですか。腕が取れるまで剣を振りなさい。動ける内から休もうとしないでください」

「「「「「えぇ―――――っ!?」」」」」


 そう言い残すと、無慈悲なセレスティアに口の塞がらない兵達を置いて、自室へと足を向けた。


「おやセレス様、随分とお急ぎ――」

「おはようジョルジュさようなら」

「出会いとお別れが早過ぎますぞ!?」


 早馬のようにショックを受けるジョルジュを通り過ぎるセレスティア。


「おぉ、セレスよ。稽古の――」

「えぇさようなら」

「立ち止まってもくれんのか!?」


 父であるライト王を風のように過ぎ去って……いよいよ自室へと辿り着いた。


「はぁ、はぁ、はぁ……」

「……」


 息を切らすモッブを余所に、念入りに身嗜みを整える。


「……………では、モッブ」

「は、はぃ」


 モッブが開けた扉を、緊張を吐き出すように一息吐いて入室する。


 そして……目の前の光景に更に機嫌が急降下する。


「もしご興味がおありでしたら、そちらにお寄りになるのも良いかと」

「へぇ〜、そんな野菜があるんだぁ」

「えぇ、私は密偵からの報告を聞く事もあったのですが、その時に耳にしました。なんでも過酷な環境下だからこそ美味しく育つ野菜なのだとか」


 そこには、楽しそうに会話する子供クロノと……マリーが。


 クロノは剣も腰に差し、すっかり旅に出る準備を整え、マリーの差し出した緑茶に舌鼓を打っていた。


「……」



 ♢♢♢



「マリーさんは物知りだね。気立てもいいし、再婚はしないの?」

「お戯れをっ。わ、私のようにとうの立ったものなど、誰も……」

「そんな事ないと思うよ? きっと――殺気!?」


 マッチョ女騎士マリーさんと会話していると、部屋に入って来た気配からとんでもない殺気がマリーさんへと向けられた。


「……マリー、クロノ様のお相手をしてくれていたのですね」

「は、はぃ、モッブにセレス様をお呼びに向かわせましたので、必然的に……」

「よくやってくれました。後は私に任せて、実家へ帰るといいです」

「セレス様っ!? そんな!!」


 何故か直属の護衛騎士のマリーさんを実家に送り付けようとしている。


 俺でもないのに、セレスから黒いオーラが見えるようだ。


「こらこらこら! 勝手にクビにしちゃダメだよ! もうウチの組織の一員なんだから!」

「私が役目を解いたのは、護衛騎士の任です。そちらならば独断で可能かと存じます」

「……マリーさん、モッブ、後は俺に任せて一旦2人にしてくれないかな」


 こらいかん。


 半端じゃなく融通の効かない真面目騎士モードだ。


「……く、くれぐれもよろしくお願い申し上げます」

「では」


 心配そうなマリーさんと、どことなく安心したようなモッブが去る。


「……マリーの事よりもまず、これから旅立たれるとの報告を受けましたが、誠なのでしょうか」

「なるほど。それはねぇ……誠だね」

「……理由をお聞かせ願えませんでしょうか。本日のお世話はどうなるのでしょう」

「理由ははっきり言うと、無いね」


 セレスの目付きが鋭くなる。


 わざわざ俺のとこに来て世話をする必要が無くなったのに、何故か不満爆発だ。


「クロノ様。忠実なる配下より、恐れながら申し上げます。……予定から外れた行動はできる限り避けるべきです」


 あっちゃ〜、お説教モードに入っちゃったよ……。


 ここは……アレしかない。


「セレス君」

「何でしょうか。何を言われようと、今回ばかりはお聞き分け頂きます。罰ならば如何様にも――」

「我は魔王。魔王クロノだ」

「存じております。幼少の頃より」


 気丈な立ち居振る舞いの清廉なる白銀の姫騎士。


 流れる金髪を結い上げた、性的魅力を詰め合わせた肢体。


 俺の黒き微風が部屋を満たす中でも、譲ってなるものかと正面から見返して来る。


 これ以上我が必殺技、《魔王セミナー》に相応しい相手はいない。


「こちらへ来たまえ」

「……何が始まるのでしょうか。いえ、何をなさろうと規律を司る私は、きちんとしたお答えを頂かなければお送りできません」


 彼女の手を引き、既にちょっと赤くなってる無垢なる姫騎士セレスを一人用の椅子に座らせる。


 ふっ、内心の不安や焦りが手に取るように分かる。


 そして背後から抱き込むように包み込み、


「……っ!?」


 ……暗黒へのいざないを始める……。


「セレスよ、この闇の炎を見つめるんだ」

「は、はぃ……」


 人差し指に宿した魔力を、蝋燭ろうそくの炎のように揺らめかせてセレスの眼前に灯す。


「セレスは眠くなぁ〜る、セレスは眠くなるなぁ〜るぅ……」

「はぁ……はぁ……」


 なんかそれっぽく息の荒くなるお姫様。


「我が闇に魅せられ……眠くなって来ただろう?」

「い、いえ……まったく」

「まぁまだ朝っぱらだしね」


 火照って来たセレスを余所に、指の魔力を消して次なる暗黒へ誘う。


 後ろから抱きついたまま、腕全体で黒き魔力を用いてセレスを包み込む。


「あぁ……」


 そして耳元で囁く。


「我に全てを委ねよ。全ては黒に染まる。君も世界も。それが運命なのだ……」

「はぃ……」

「くっく、抵抗など無駄だぞ? 我の闇にかかれば、かの姫騎士セレスと言えども、従順なる子猫ちゃんとなろうて」

「抵抗など、絶対に有り得ません」


 ガシっと俺の腕を掴み、毅然として言うところでもないのに毅然として言う。


「いや……抵抗はしなよ。こんな怪しげな事されてるんだから。心配になって来るよ」

「はぁ……はぁ……」

「……まぁ今回は都合がいいから続けようぞ!」


 闇の囁きを続け、姫騎士を容赦なく魔王の暗黒へ堕とす。


「我はよく考えれば働き詰めであった。魔王に使用人に王女の師匠に黒騎士にお米農家……、働き者のアルバイターでもこんなに掛け持ちはしていないだろう。休暇が必要なのだ。具体的に言えば、自然と触れ合う休暇が」

「はぁ……はぁ……ぁ、い、嫌です……この程度で、わたしは、屈したりはしませんっ」


 ちぃ、まだか……。


 いけるかと覗き込んだ俺を、潤んだ目ながら気丈に見返して来た。


 抵抗はしないが、主張を曲げはしないと言ったところか。


「もっと我に委ねるのだ。何もかもだ」

「わ、わたしは……決して……挫けたりは……うぅ……」

「いい子だ。いい子のセレスなら、俺の留守を守ってくれるね? ウチの庭の花にも水をあげてくれるね?」

「……し、しかし……ぐぅっ」


 顎や頬を優しく撫でながら、悪の囁きを加速させる。


「……セレスの主は誰だろう」

「ぁ、ぁぁ……クロノさま、です……」


 すりすりと頭や頬、更には耳なども撫で続ける。


 旅支度までしたのだからと、祈るように魔王フェイシャルマッサージでご機嫌取りを繰り返す。


「……」


 必死に魔王セミナーに耐えていたセレスも、やっとぐったりとして寄りかかって来た。


 そんなセレスに、堕ちた証として自ら認めさせる。


「我が可愛いセレス、俺は実家に帰省して来てもいいね?」

「……………は、はぃ……御命令に、従います……クロノさま……」


 はい魔王セミナー最凶。


 言質を取れたので、セレスから離れる。


「まっ、ホント最低限の用事を済ませてすぐに帰って来るから。副業とやらに専念してて」

「はぁ……はぁ……」

「あっ、そうそう。――はいコレ」


 セレスへ持って来たプレゼントを差し出す。


「んぅ……これは……?」

「見ての通り、その剣用のベルトだよ。でももう専用のものを作ったみたいだね。だから予備に……」


 椅子から立ち上がったかと思えば、神速の手際で付けていたベルトを外し、


「――」


 斬り刻み、


「……身に余る幸せです。是非使用させて頂きます。丁度ダメになったところでした」


 俺の差し出したベルトを、未だ赤さの残る顔で幸せそうに装着した。


「……ダメになったとダメにしたとでは、決して相容れない間柄だと思うよ?」


 とにかく、これで帰れる。


 マリーさんからの興味深い情報もあるし、羽根を伸ばしながら我が城を目指そう。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る