第54話、涙への返答

 

 優越感から溢れ落ちるようにふと出た言葉に、ピクリとクロノが反応した。


「今度はこのような趣向はどうだ? ――フンッ!!」


 クロノの僅かな変化に気付かず、力を試す事に夢中のカシュー。


 地を蹴り、壁を蹴り、天井を蹴り、教会内を縦横無尽に飛び回る。


「……」


 クロノは棒立ちのまま、上下左右前方後方から高速で飛び回りながらの斬撃を受け流す。


 順手逆手に剣を持ち替えながら、無言でさばき続ける。


「素晴らしい! これも防ぐか! これ程の剣術は如何なる実戦実験でもお目にかからなかったぞ!」


 背後だろうが足元だろうが、たとえ頭上だろうが難なく防ぐクロノに上機嫌で剣を振るう。


「その強さでは、この宴はさぞ暇を持て余したであろう!」


 故に、不用意な言葉を次々とつむぐ。


「貴様をさっさと殺してルルノア達で試すつもりが、僥倖ぎょうこうとでも言えばいいのか!」


 言葉の一つ一つと共に、クロノの剣からの手応えが強くなる。


「あのオーク如き紛い物とは比べ物にならないだろう! これが総勢705・・・体を使用した実験の集大成だ!」

「……」


 ヒビ割れた箇所が少しずつ広がるクロノの剣を見てほくそ笑む。


「楽に倒れてくれるなよ! ここまで昂ぶったのだ! あまり簡単に終わると、――余りは、セレスティア王女に向かうかも知れないぞ?」


 強くなる手応えに興奮し、歪んだ笑みで子供のようにはしゃぐ。


 そして力強く上方の壁を蹴り、斬り付ける。


 正面からのその斬撃は、迎え打ったクロノの剣を見事に半分に両断した。


「どうした! もしやッ、これで終わりかッ!!」


 セレスティアの頭上の壁を蹴り、弾丸のような速度での背後からの斬撃を繰り出す。


「あぁ、合点がいったよ」


 半身となった剣が、黒く染まる。


 振り向いたクロノの黒い眼とカシューの目が間近で不意に合った瞬間、―――――剣を持つカシューの腕が飛ぶ。


「グォォッ!!」


 体勢を崩し、クロノの真横を通過して墜落して行く。


 だが……。


「やっぱりか……」

「……今の私の皮膚を斬るか。凄まじいな、魔王とやら」


 すぐに起き上がり余裕を口にするカシューの腕は……再生していた。


 衣服は無いが、根元から斬り飛ばした筈の腕が確かに存在している。


 チラリと飛んで行った腕へと視線を向ければ、そちらも剣を持ったままで端の方に転がっていた。


「仮にも魔の王とやり合うには、どうやらまだ不足のようだな。――フゥゥ……」


 そう言い、深く息を吐き出したカシューの身体が変貌していく。


「クッ、ウッ……フハッ! ……今から一月半程前、クジャーロの辺鄙へんぴな村で……中型ドラゴンの死体が発見された」

「……」


 深緑の鱗が肌を覆い、身体全体も一回り大きくなる。


 あの変異オーク達と同じ、けれど形状は洗練されており圧力も明らかに桁違い。


「私は、師と共同で研究していた『生物を超える研究』に活かせないかと、その新鮮な死体を持ち帰らせた」


 その姿は、災厄と同義とされるドラゴンと人が融合したかのような異様なものであった。


「結果はご覧の通りだ。私は人を超え、龍の力を手にした。寿命や病に怯える事もなく、怪我や敵に恐怖する必要もない。正に、理想の生物だ」


 爬虫類のような縦に割れた瞳で、小さなクロノを見下す。


「……今日の俺は運がいい」


 当のクロノは目を閉じて天を仰ぎ、欠けた剣を無造作に放り捨てる。


「ふ、フハハ! そうだな、死ぬにはいい日いい相手だッッ!」


 心底愉しそうに全身に漲る力に酔いしれるカシューが、全身に力を込めて飛び出した。


 突如として雷が激しく轟き始める。


 何かに呼応するように……。


 雨で湿り始めた教会内の空気が、怯えるように細かく震える。







「――君だったか」






 冷たい言葉と共に、カシューの腹部が砕かれる。


「ゴァハッッ!?」


 落雷とも思える轟音を立て、元いた位置に蹴り飛ばされる。


「ぐふッ、ぐ、……ふぅ。ふっ、何という強さだ。まさかこの状態の私の龍鱗りゅうりんを砕くとは……。しかし……」


 飛び出した以上の速度で戻され埋没した床から、平然と立ち上がる異形のカシュー。


 ほぼ崩壊していた腹部も、あっという間に再生している。


 クロノはそれを無感情に眺める。


「……魔力には限りがあるが、私の身体的な力は持続力に底が無い。つまり気が遠くなる時間を戦い抜けるのだ。尚且つ、四肢や頭部すらも再生する。蜥蜴とかげの尻尾が瞬間的に生えるようにだ。さぁ、どうする?」

「生物を超えた、ね」


 返って来たのは問いへの返答ではなく、酷くつまらなそうなクロノの嘆息たんそく混じりの言葉。


 余裕と言えばそうなのかも知れないが、その失望を現すような態度がカシューの機嫌を下降させる。


「……何が言いたい?」

「思い上がりだよ。現に君は口ばかりで、さっきから俺に触れる事すらできないじゃないか」


 眉間みけんしわがこれでもかと寄り、緑の巨体が力みによって膨れ上がる。


「君は欠陥だらけだ」

「……言葉に気を付けろ。龍の逆鱗げきりんに触れる事になるぞ?」


 カシューの逆鱗など興味もないと、クロノがおもむろに歩み寄る。


「とても腹が立つ。この程度の研究の為に犠牲になった存在がいると思うとね」

「……では確かめてみろ! 我が力をッッ!!」


 とうとう我慢できなくなったカシューが飛び出し、拳を次々と小さな少年に打ち下ろしていく。


「身の程を教えようか。――ッ」

「ッ、グゥゥ!!」


 生まれたのはうめき。


 クロノはカシューの拳打のラッシュを全て正面から迎え打ち、拳や腕、肘を無惨に殴り砕き破壊する。


「ふ、フハハハ!! ヌォォオオオオ!!」


 しかしカシューは瞬時に再生する腕で殴り合いを続ける。


 打ち負けようが最終的な負け……死や負傷の可能性が無い以上、引く必要など無い。力を引き出して高めていき、永久にでも付き合おうと意気込む。


 今の自分をして互角となる戦いに愉悦を感じて笑うカシューは、全てのパワーを叩きつけるように両手を握り合わせたハンマーをクロノに振り下ろした。


 カシューとクロノを中心に、床が砕け、教会が内部から爆ぜるのではと予感させる衝撃が突き抜ける。


(ッ、……魔力だけでなく単純な腕力でこの破壊力とは……)


 衝撃波が収まった後に、セレスティアの目に飛び込んで来たのは……。


「……」

「……ナッ!?」


 微動だにせず無防備に立つクロノと、そのクロノの首元に両拳を振り下ろしたまま固まるカシューであった。


「……これが君の、程度・・だ」

「チィィ!!」


 まともに殴打されて弾け飛んだ衣服から覗くのは、魔王の鍛え上げられた高密度の筋肉。当然のように無傷である。


 魔王の異常性を今更ながら察したカシューは、再生能力の存在と溢れる力に奮起し、左拳を突き出す。


 龍の持つ暴虐のパワーを宿したその拳は、恐ろしい迫力を放ちながらクロノへと突き進む。


 が――


「――」

「ガッ!? な、何だとッ!!」


 撃ち下ろされるカシューの左腕は羽虫の如く払い除けられ、直後に腕の付け根に掌底を当てられると儚く肩の関節が外れる。


「グッ、ウッ……!?」


 ダラリと力なく垂れる腕を揺らし、カシューが数歩後退する。


「関節を外されたくらいで無力化される存在が、理想の生物なのかな」

「く、クソッ」

「それくらいで……ん?」


 クロノの視線がカシューから、カシューと自分の間に舞い降りた影に移る。


「……ふん。所詮は苦労知らずの王子か。腕一本使えなくなっただけで怯むとは」


 魔力の渦を巻き起こしながら降り立つヤン司教。


「……俺の経験上、羽が生えてる奴に友好的な奴はいないんだけど……君はどうだろう」

「お前如きに教えてやる義理はない。……カシュー王子、手を貸してやるから手早く終わらせるぞ」

「あぁ、もういいよ」


 気分を害する悪臭のような不快な魔力を押し潰すように、クロノは自身の魔力を解き放つ。


「へャ!?」

「……ッ………ッッ!?」


 呼吸を禁じられ、身動きを禁じられ、思考を禁じられ、抗う事を禁じられ……。


 黒の魔力の放出は、カシューとヤンから負の感情のみを残して全てを奪う。


「次があったらまず名乗りなさい」

「ブッッ――」


 動けなくなったヤンを、何気ない張り手で叩き飛ばす。


 真横に直線で飛んで行ったヤンが、壁に埋まったのを見届けた後、魔力の放出を終わらせる。


「き、キサマ……」

「さて、これであの子達はきっとここに来るだろうから、もうあまり時間は無い。これ以上、あの涙・・・を生んだ研究結果とやらに付き合うつもりも無い」


 眼前まで歩み寄ったクロノの雰囲気が変わる。


 全身に燃え上がる憤怒ふんぬを現し、一際鋭く、力強いものに。


「ッ!? それがどうしたァァ! 私には再生能力があるッッ! 私は不死身だぞッッ!!」


 残った腕を振るい、ドラゴンの爪で斬りかかる。


「――」

「ギッ、グォッ!?」


 興味もないとばかりに易々と受け止められ、掌底が見舞われる。


 肩の内部で鈍い音が響き、利き腕が失われた。


「ヌォォッ……フンッ、ッ!!」


 咄嗟に、顔面に上段蹴りを放つも……無造作に手で押し上げられ、空を蹴った勢いによって転倒する。


「クッ!?」


 自らの尽くを無効化される現状を目にし、危機感を急激に高まらせるカシューは、跳ねるように起き上がりながら最も高い威力を誇る噛み付きに全てを託した。


 万物を噛み砕く龍の牙だ。


「ガァアッッ!! ――ブッ!?」


 顔面を有り得ない握力によって迎え打たれ、牙を数本へし折られながら鷲掴わしづかみみにされる。


「頭が高いよ」

「グッ、グァァ……」


 カシュー最大の力を持ってしても届く気配の無い理不尽なパワーで、力任せに跪かされる。


 未だ見下ろせる程の身長差があれども、立場は完全に逆転していた。


オークかれの時は、魔力で無理矢理全身を消し飛ばした。……君はどうしてくれようか。彼と同じでは割りに合わないよね」

「ッ!?」


 明確な、静かなる怒りの言葉。


 クロノの脳裏に蘇る、オークの悲しみの涙。


 家族や兄弟を失った、絶望の涙。


「グッ、ガァァァアアア!!」


 先程の魔王の絶大な魔力を肌で感じた事から、克服された筈の恐怖が呼び起こされる。


 カシューとその師なる者によって産み出されし『龍晶』と名付けられた小石サイズの結晶。生命力や特有の魔力を濃縮して作られた、未知の産物である。


 龍の死体から造り出したそれを体内に埋め込む事によって、カシューや変異オーク達はドラゴンと見紛う能力を得ている。


 だがこの魔王の魔力ならば、自分を『龍晶』ごと破壊できるかも知れない。


「ハナセェェエエッ!!」


 その可能性を瞬時に察して、死に物狂いに魔王から逃れようともがく。


「君がそうして来たように、俺も傲慢ごうまんなんだ。やりたいようにやらせてもらおう。―――――終幕だ」


 頭部を掴む魔王の指は暴れれば暴れる程に力を増していき、鱗を砕きながらめり込んでいく。


 更に一際膨らんだカシューの肉体を持ってしても、ピクリとも動かない。


 抗いを許さない魔王の手から伝わるのは、裁きの決意。


「アぁ!? ま、まだこの力を手にして一月だぞ!? 私はまだまだ先に行けるッッ! 貴様如きに邪魔されて――」

「――そんなに力が欲しいなら……」


 魔王の指の間から、カシューは見る。


 ゆっくりと振り上げられる、どこまでも力が込められていく拳。


 魔力凝縮法により高められていく、拳の破壊力。


 本能が叫ぶ。


 この途方もない純粋な力を撃ち込まれれば、……自分は終わりだと。


「……俺が贈るよ。とびっきりの“力”を」

「キサッ――」


 頭部を掴んでいた手が解放された時、目にした最後の光景は――







「――じゃあね」







 魔王の冷酷な瞳と、こちらへ撃ち出される絶対的な力の塊。


 起点となる右足の爪先から右拳へと一瞬の内に流れ伝わり、一息に放たれた。


「ッッ―――――」


 カシューは身動きや悲鳴を漏らす事も許されず、『龍晶』もろともその身を跡形もなく弾けさせる。


 果てしない破壊力による衝撃に、大地が震え、大気が揺らぐ。


「……」


 静かな技の極みと言えたライオネルへの一閃とは対照的な、圧倒的な力の極み。


 何度と目にしても限界を知る事のできないクロノの力に、セレスティアでさえ唖然となる。


「……約束は果たしたよ」


 発生源に佇む当の魔王は、突き抜けた衝撃によって空いた天井の穴から、雨の弱まった空を見上げてそっと呟いた。


 ヒビだらけの教会の中で、一方的な約束をした相手に、一方的に告げるように……。





〜・〜・〜・〜・〜・〜

連絡事項

あのオークを思う方々が多くてもう……感無量です。


本題は終わりましたが、ついでに次回の更新が遅れる恐れがある事をお知らせします。


ありがとうございました。

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