第53話、逆鱗に触れる者

 

 時は少し前に戻る。


 セレスティアは、自らの主人を探して豪邸の敷地内を移動していた。


 現在は洋館内の二階を歩いて回っている。


 壁に立てかけられていた剣を片手に。


 掃除・・をしながら。


「お、おいっ! いたぞ!!」

「ついてるぜ!」

「セレスティア・ライトぉぉ!!」


 情欲に支配された兵士達の中には、カシューに殺されたとしてもセレスティア・ライトを狙いたいものもいる。


 当然のように命を捨てて欲望に走る者が多数いるのだ。


「――」


 前方から迫り来る兵士達に己が身を触れさせる事なく、一瞬の内に通り過ぎる。


 ドレスが翼のように美しくはためく。


「……“自由にせよ、合わせるから”。……なんとお優しい……」


 深く考え過ぎているのだと気付き、セレスティアはふと頭に浮かんだ目的地へ足を向けた。


 その背後では、すれ違いの刹那せつなに斬り刻まれた兵士達が崩れ落ちていく。


 彼女の通った後には、無法者となった兵士達の大量のしかばねが血の道を作り上げていた。



 ………


 ……


 …




 それから数分……。


「……クハハッ。分かりやすくていい。このような死体の道はセレスティアしか作れない」


 ジークとダンが虫の息の状態で逃した後に、機嫌良くセレスティアを探すカシュー。


「……ふっ」


 これから悔しさに狂いながら生きる事になるジークにほくそ笑み、血の示す方へ歩いて行く。


 道中手にかけた者達の返り血を多く受けた姿で。


「――待ちたまえ」

「ん?」


 目の前から現れた人影に、カシューは歩みも止めずに目を向ける。


「私はかつての【剣聖】候補としてセレスティア王女殿下と競い合った、“フーミン・ダイン”伯爵だ」

「同じく、弟の――」



 ♢♢♢



 セレスティアの向かった先は、敷地の端に位置する教会であった。


 個人が所有するには大き過ぎる規模の立派な教会だが、本日はパーティーという事で完全封鎖されていた。


 その正面の扉の鍵を壊し、中に踏み入る。


 中は椅子などもなく、ただただ広い空間と……エンゼ教の崇める『白の天女』の巨像が最奥に安置されているだけであった。


 セレスティアが中央を行く。


 像の前に辿り着くと、鋭い視線でそれを見上げた。


「――家畜は生きていると言えるのだろうか」


 背後から、赤いカシューが語りかける。


「ラルマーンのように飼い慣らされ、戦闘に使用される魔物もそうだ。“飼い殺す”とは、まさに奴等の事だな。それらも、家畜も、生きているのだろうか? ただ飼い主の利の為だけに生かされるせいに意味はあるのか?」


 両手に引きずっていた人間2人を入り口付近で手離し、踊る胸の内を現す弾む声音で教会内を歩いていく。


「私はあると思う。私の為に生き、研究の糧となった生命には大いに意味があるはずだからだ」


 その白の正装は血塗れで、……とても人間2人分だけとは言い難いものであった。


「……と、道中の獲物が貧弱過ぎて、そのような場違いな思考を思い浮かべながら来た訳だが……君がエンゼ教だったとは知らなかったな」


 セレスティアは特に反応する事なく佇んでいたが、程なくしてそちらを向かずに無機質な声音で答えた。


「このような像にも『白の天女』とやらにも、当然エンゼ教などというものにも思い入れなどありません」

「そうか。それは良かった。あなたがエンゼ教ならば、我が城にも教会を建てねばならぬところであった」


 ゆっくりと歩み寄りながら大仰に語るカシューの存在など眼中に無いと言った様子のセレスティア。


 だが高揚しきりのカシューは構わず続ける。


「迎えに来ました、セレスティア王女。私と共に祖国へ参りましょう」

「私の待ち人はあなたなどではありません」


 “待ち人”という単語に違和感を覚え、怪訝な顔付きとなるカシュー。


 まるで他に待っている者がいるかのような物言いだ。


「――」


 そんなカシューに説明する義理はないとばかりに、こちらを見下ろす目障りな像へとセレスティアの剣が振るわれる。


「先程のお話ですが、飼われるものの心理は私には分かるはずもありません。常に上位に身を置いて来ましたし、魔物でも動物でもありませんから。ただ……」


『白の天女』にいくつかの亀裂が入り、


「……動物であれ魔物であれ、人であれ、自ら望む主を見付ける事ができたなら……それはとても幸せな事でしょう」


 頭部から順に左右に瓦解して行く……。


「私は見つけ……いえ、見出して頂きました。あの瞬間より、私の主人は唯御一人。私が……………」


 崩れていく像を見ていたセレスティアの言葉が突如止まり、その表情が鋭く凛々しいものから、驚きへ、そしてすかさず跪く。


「……私が崇めるのも、この・・御方のみです」


 慈愛の微笑みで、高く脈打つ鼓動を抑えて跪いたセレスティアの先には、台座に佇む人影。


 崩れ落ちた『白の天女』像の後ろから、徐々にその姿が露わとなる。


 まず目に付いたのは黒髪。


 黒髪の、カシューにとっては見覚えのある服装をした少年であった。


「お待たせをしてしまいました。どうか御許しを……」

「ううん、全然待って無かったよ? 何ならもっと遅れてくれても良かったくらい」

「クロノ様……何という慈悲深さなのでしょう……」


 感極まった様子で見上げるセレスティアの元へ、足元の六つの内から一つの剣を手に取ったクロノが、軽く飛び降りる。


「……どう言う事かな? 私にも説明をもらえないだろうか。不可解極まりない。何故そのような庶民の少年に、あなたともあろう者がかしずいているのだろうか」


 まるで意味が分からず、現状が理解不能と言ったカシュー。


 セレスティアはあの黒縁メガネの使用人に気があるはずだ。


 そもそも王女という身分で、この新人傭兵の少年とは接点すら無いはず。


「自己紹介が遅れたね。俺は……魔王だ。カシュー王子、君のパーティーは刺激的と言うよりも過激だね」

「……魔王? 噂のやつか? いや、それよりも……刺激的……」


 その時、カシューに天啓が舞い降りたかのような発想が頭に浮かぶ。


『君、それなりの覚悟はしておきたまえ。私のパーティーは……かなり刺激的だろうからな』


 カシューが、ある使用人へと苛立ちをぶつけるように伝えた言葉だ。


 そして、貴重なサンプルを使って生み出した試験体の討伐。


 おまけに賭博場『アーチ・チー』での自分をあざけるかのような一幕。


「……随分多くの命を奪ったようだね。セレスは下がっててくれる?」


 教会入り口に放り捨てられた招待客らしき2人の死体を目にして、クロノがセレスへ告げた。


「かしこまりました」


 カシューが目を疑う程に忠実なセレスティアが、付き従うように魔王のすぐ斜め後ろに位置取る。


 嫉妬の炎渦巻くカシューの眉根が寄る。


 最初から何もかも無駄であったとでも言いたげな、目の前の光景。


 誰もが想像すらしなかった、【光の女神】と称されるセレスティア王女と邪悪の権化である【黒の魔王】のまさかの関係。


「……あぁ、なるほど。合点がいった。今日の私は運が良いようだ」


 カシューの顔が、狂気一色に染まる。


「――貴様だったか」


 有り余る力を、溜まった怒りを、打ってつけの1人にぶつけられる喜びに震える。


「何が?」

「いや、なに。貴様の手の平で踊っていた事に今更ながら気が付いただけだ。私もまだまだ未熟だな」


 全て、この魔王とやらの仕業であったのだ。


 ライト王国を訪れてよりこの時までの苛立ちは、この魔王に仕組まれたものであったのだ。


 大方、クジャーロ第一位王子である有能な自分を排するついでに、もてあそぶ腹積もりで行った事だろう。


 如何にも魔王らしいではないか。


「それにしても、魔王か……。く、クハハッ! つまり、セレスティア王女は魔王に捕らえられていると、そう言う事かな?」

「そう言う事になるね」


 何だか魔王っぽい面白そうな展開に、クロノが間髪入れずに答える。


 あまりに巫山戯ふざけたカシューの戯言ざれごとに、セレスティアは恐ろしく冷たい眼差しを向けている。


「フハハ! ではお助けしなくてはな。この私が……麗しき姫を救う英雄となろう」


 演劇のような身振りで剣を抜き、悠々と魔王へと歩んでいく。


「君にできるかな? 力不足のように見えるけど。と言うか、血みどろに見えるけど」


 クロノもまた剣を抜き、鞘を――


「――御預かり致します」

「うん、台座のとこに置いといて。他の剣もあるから、必要になった時は使っていいよ」

「承知致しました。いってらっしゃいませ」


 鞘をニコニコとしたセレスティアへ手渡して指示すると、カシューを迎え撃つ為に歩み寄っていく。


「……」

「……」


 互いに笑みを浮かべ、剣を片手に接近し……。


 雷鳴と同時に剣と剣が合わせられた。


 続けて、激しい火花が散る剣の応酬が繰り広げられる。


「……?」

「おぉっ、流石は魔王。今の私とまともに剣を打ち合えるとはな! 恐れ入ったぞ!」


 嬉々として剣を振るうカシューに対して、どこか得心がいかない様子のクロノ。


(……人間の出せる筋力の範囲を逸脱いつだつしてる。感じる魔力量からも、この威力は明らかにおかしい)


 疑問を感じながらも、非常識なパワーを発揮し続けるカシューの剣をたくみに受け流す。


「ジークやそこらの雑魚程度では体が温まらなかったのだが、貴様は一味も二味も違うようだな!!」


 更に上昇するパワーで、演奏家が指揮棒を振るうような剣技を繰り出す。


 受け流すクロノの剣が少しずつ削られていく。


「……剣さばきも中々のもんだね。力にモノを言わせてる分、荒削りだけど。……人間を辞めちゃったの?」

「ハハハ! まだまだ余力がありそうだな! あぁ辞めた! 私は完全に新たな次元の生物に至ったのだ!」

「ふ〜ん、石で出来た仮面でも付けたのか、なッ!」


 不自然に上がり続ける力に、そろそろお終いとカシューの剣を持つ手を斬り落とす。


 ……筈であった。


「……」

「ほう、見事な技だな」


 クロノの剣の半ばにヒビが入る。


 確かにカシューの手首を斬撃が命中したのだが、硬質な金属音を残しただけで、クロノの剣の強度が負けてしまった。


 パワーだけでなく、人体そのものが何らかの変化をしている。


「――だが、この私を実験体のオーク如きと同じと思うなよ?」


 ピクリと、クロノが反応した。

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