第52話、ここは君らに任せて先に行く

 

「……ぐ、グラス?」

「はい。急いだつもりなのですが、参上が遅れてしまい大変申し訳ありません」


 鞭を掴んだまま、横たわるエリカに日常会話のように緊張感なく返答する使用人。


「……開いてるっ!」

「……」


 少しばかりイライラとしたエリカの指摘に、静かに股間のチャックを上げた。


「貴様……何をした……?」

「何を? あなたは目の前で見ていたでしょう? リズリット様に当たりそうだったので掴み取っただけです」

「何……?」


 鞭は軌道が見切りにくく、更には魔力により自由自在。予知能力でもあるとしなければ、とても信じられる話ではない。


 ケリーだけでなく、その他の者達もまるで信じてはいなかった。


「……か、かの【武王】ですらそんな芸当はできぬわ!! 人間に可能である訳が無かろう!!」


 理解不能な出来事に喚くように怒鳴り、魔力を流して鞭を無理矢理手元に引き寄せる。


「初めから不可能と決め付けているようでは底が知れますね」


 そこでふと、足元にへたり込むリズリットへ向き直る。


「正直に申しますと、あまり状況は飲み込めていないのですが、リズリット様に鞭を振るったという事は倒しても構わないのですね?」

「……」


 杖を抱え込み涙目で見上げる無言のリズリットに、安心させるように柔らかく微笑みかける。


 その後、少しおかしそうに笑ったグラスは、かつての少女……金髪の王女の面影を思い出していた。


「グラス! ルルノアが来るまで持ち堪えて!」

「そのような恐れ多い。あちらもあちらでお忙しいでしょうに。こちらの変態おじさんくらいは私が倒してしまいましょう」

「えっ、そ、それができれば一番だけど……。じ、じゃ、せめて刀を」

「必要ありません。エリカ様の刀が、ケダモノの血で汚れてしまいますので」


 そう返し、侮蔑とも取れる挑発を受けて殺意の滲み出るケリーへと向き直る。


「この私相手に素手とは……舐められた、ものだなぁァアア!!」


 高速の鞭による強打が縦横無尽にグラスへ向かい、乱舞する。


 魔力の強弱の緩急により、通常よりも何倍も強く速くなったケリーの鞭。


 その全てが……。


「グヌッ!?」

「結末が決まった以上、舐めているかどうかは無意味な議論なので捨て置いて……当たり前の話をしましょう。一般的に誰もが知っているお話です」


 尽く使用人に掴まれ、無力化される。


「趣味であれ、性癖であれ、どのような理由であれ、人に迷惑をかけてはいけません」

「グ、グヌォォォォォオオオ!!」


 目で追えぬ筈の鞭の先端がしなる瞬間を見切り、打撃として完成する直前にその脅威を殺している。


「……」

「すげぇ……」


 周囲の驚愕の視線も何のその、冷えた目付きのグラスは幾度目かの鞭を掴み取ると、流れるような動作で引き込む。


「ましてや……」

「ぐおっ!?」


 僅かに乱れた重心の隙を突かれた引っ張りに、体勢を崩し前のめりとなるケリー。


 自らも踏み込み、ケリーの前足をすかさず足払い。


 更に、宙に浮いたケリーの背にそっと手を当て――


「――怯える少女を傷付けていい理由にはならないのですよ?」

「ッッ――ガァハッッ!?」


 ケリーが地に落ちた。


 爆発的な力によって地面へと叩きつけられたかのように、一気に落下した。


 地に叩き付けられ獣じみた叫びを上げたケリーを中心に、石畳に亀裂が走る。


「……」

「……ぇ」


 誰もが目を疑い、言葉を失う。


 それもその筈、誰の目から見てもグラスは浮いたケリーの背に手を乗せただけのようにしか見えなかった。


 誰が、緻密な魔力操作により、最小限の魔力を爆ぜるように操作したなどと予想できようか。


 故にこの場の者達から、出る言葉が無い。


 魔力の強弱が強さを測る目安とされるこの世界では、今の数秒の瞬殺劇は理解を越えた未知の光景であったのだ。


「この程度で強者感を出すとは……分を弁えなさい。……リズリット様、御無事ですか?」

「ぁ、ぅ、ん……」


 少しの間、冷淡な眼差しでケリーを見下ろしていたグラスが、濡れた石畳みに座っていたリズリットへ近寄りそっと立たせる。


「さ、さすが私の師匠……。激ツヨだよ、グラス」

「そんなに魔力を使ってる風でもないのに、本当に見事だ……」


 腹部を抑え、よろけながら歩み寄るエリカとハクト。


(エリカもあのケリーと十分にやり合っていた……。それに引き換え、オレは……)


「護身術は使用人の嗜みです。この方のように乱暴で非紳士的な方も多いもので」

「嗜みって……。4人がかりで勝てなかったんだが……」


 グラスは反論する気落ちしたハクトを無視して、狂乱の魔物に視線を向ける。


 身バレを恐れて最低限の魔力を使わずに戦うクロノには、流石にあの魔物を倒す術がすぐには思い付かない。


(まさかあの魔物だとは思わなかったからグラスのまま来ちゃったよ。ルルノア達だけでも何とかできそうだけど。……念の為に俺も傭兵モードで待機しておくか。……それにしても……)


 辺りを見回す。


(……魔物以外は、何の騒ぎなん? プロレス団体の興行よりも激しいな……)


 ハクトやシャノンが倒した兵士の武器を拾いクジャーロ勢と戦う者達が出て来たこの場の戦模様は、グラスにはどちらが被害者なのかすら掴めていない。


「ヒャーハハハハァァ!! エリカ姫はどこだぁぁ!!」


 御前試合で屈辱を与えられたゲッソが汗だくで走り回り、エリカを探し回っていた。


 グラスがそっと足元の鞭を拾う。


「ッ、いたぁぁぁ!! 待っていろ今すぐ屈服させてその肢体を我が物として色々としてや―――――プギィィィィッ!?」


 流れ作業のようなグラスの鞭が、駆けてきたゲッソの股間に炸裂した。


「……ぁ、ぁがが………」

「エリカ様。私は館内を見回って参りますので、混戦の続くこちらは皆様にお願いします」

「それは、どんと来いなんだけど……」


 鞭をポイと捨て、股間を抑えて前のめりに蹲り、ピクピクと痙攣して沈黙するゲッソを余所に淡々と告げる。


「では」

「あっ……」


 呼び止めようとしたリズリットの声も届かず、グラスが急ぎ足で去って行く。


「リズ! あぁ良かったっ……」


 射程範囲の敵をあらかた射抜いたシャノンが駆け寄り、リズリットを抱き寄せる。


「……」


 しかしリズリットの目を釘付けるのは、物語の英雄のように自分を助け、今また多くの人々を助ける為に奔走する使用人の背中であった。






 ♢♢♢






「――あっちは何とかなったみたいね」

「ゴォオオオ!!」


 変異体のオークの攻撃を避けながら、抱き合う妹達を見てホッと胸を撫で下ろすルルノア。


「やっぱ厄介だわぁ。……あなたが手伝ってくれたら、もっと楽になるんだけど?」


 ルルノアが視線を向けた先は、魔物の近くにいながら椅子に腰掛け優雅に果実ジュースを嗜む女皇。


「ふざけた事を抜かすな。私がここに留まっているのは、その魔物が物珍しいからに過ぎない。こちらに向かって来れば排除もするが、その気配も無い」


 ヒルデガルトの周りには、身体の一部を吹き飛ばされた数多の兵士の屍が。彼女の美貌と肢体の誘惑に群がり、紅の魔力の餌食となってしまっていた。


 すぐ側で暴れ回る魔物がいながら平然とする彼女だが、その背後の部下達は経験のない濃密な死臭と魔物への恐怖で、血の気を失った青白い顔をしている。


「確かにそっちに行く素振りはないけど……もしかしてあたし、舐められてる?」

「ふっ、それしか無いだろう」


 自分を避けてルルノアへ向かう魔物の無自覚な心中を、愉快げに教える。


「え〜〜、なんかめっちゃ……気に入らない」


 一つ二つ低い声となり、ルルノアの目付きが変わる。


 獰猛な鷹のような目で敵を見据え、戦棍に込められる魔力量も上がって行く。


 大胆に舞う踊り子のようだった雰囲気から一転、戦鬼のような気配を放ち始める。


「ゥガァァア!!」

「――」


 魔力操作により、大きさと質量を変える特殊な戦棍『ハ闘バット』。


 二回り程大きくなり跳ね上げられた戦棍により、殴りかかって来た魔物の右拳が正面から爆散する。


「ゴァッッ!?」

「ふんぬッ!!」


 失った右手を庇おうと出て来た左腕を……魔力とフィジカル任せの渾身の一振りで根元から殴り飛ばす。


「ゲェやァァアア!?」


 これまでと比較にならない戦棍の威力に、半回転しながら後方へ倒れ込む。


 そちらには、魔物が本能から避けていた存在が。





「――是非も無いな」





 女皇の冷酷な瞳が対象を捉えた次の瞬間、紅い魔力弾により魔物の頭部が綺麗に消し飛んだ。


「あ〜、ごめんごめん。そっちに倒れちゃった」

「許す。私から言い出した事だからな」


 二者の不敵なやり取りと圧倒的な実力に、周囲の者達が戦々恐々となる。


「再生し終える前に……これを、使え……」

「ん〜? ジーク? ……えっ!? あ、あなた、大丈夫!?」


 ルルノアとヒルデガルトの緊迫した空間に割り込んだジークだが、その姿は異様であった。


 身体中は深い傷が多数あり、血塗れで重症だと一目で分かる風貌であった。生きているのが不思議なくらいだ。


 更に、ジーク程ではないがかなりの重症であるダンを小柄な身体で担ぎ、何処からか持って来た分厚く長い鎖を引き摺っていた。


「はぁ……はぁ……特別製の、鎖だ……その魔物を縛り付けろ……」

「え、えぇ。終わったらすぐに医者のところに――」

「軍に、連絡してくれ……、俺のところの傭兵達にも……」


 虫の息のジークが、精一杯に現在の危機的状況を伝える。


「……今のカシューは……人間の域を、著しく越えている……。軍全体で……相手をする他、ない……」


 いつ死んでもおかしく無さそうな死に体でも、決して膝をつかないジーク。


 これが、せめてもの足掻きであった。


「人の域を越えたって……」

「……」

「あれ? 帰るの?」


 ヒルデガルトが立ち上がり、魔力弾で高い壁を派手に破壊した。


「もはやこの場に私が留まる程に価値のあるものはない」


 苛烈な女皇が、颯爽とパーティー会場を後にした。


「……お前達も、全員、逃げろ……」

「あたしらはいなきゃダメでしょ?」

「いや……ここにいる全員でも……」


 ジークの脳裏に蘇るは、先程のカシューの超人的な暴力。


「……倒し方が……見当も付かん……今のところ、な……」





 ♢♢♢





「……はぇっ!?」


 誰も寄り付かない建物の物陰で傭兵セットに着替え終えたんだけど……。


 鍵が掛かっている筈の入り口付近に気配がする。


 ど、どうしよう……、他に出口ないみたいなんだけど……。


 ……俺の計画を邪魔するなんて……恐れを知らんな。


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