第51話、雨天決闘

 

「……………な、何だ? 随分みんなクレイジーになってるな」


 人の気配の全くしない建物があったので、そこの物陰で着替えようとしていたのだけど……騒がしくない?


 ハンガーにかけた上着を端に掛けつつ……ズボンはずり落ちていくが、とりあえず耳を澄ませてみる。


 ヒャッハーみたいな声とか、ギャーみたいな悲鳴じみた声とか、グォォという魔物みたいな……………魔物!? マジで!?


「着替えてる場合じゃないじゃん……」





 ♢♢♢




「イヤァァ!!」

「逃げるぞッ! 早く!!」


 パーティー会場は、混沌の様相を呈していた。


「逃げ場なんかねぇよ!! オラァ!!」

「ダァァ!?」


 クジャーロ兵士の剣が、男性を斬り裂く。


 人々は正門から逃げようと密集して向かうが、そこには計算されたようにクジャーロの兵士達の姿があった。


「ダハハ! 女が選び放題だぜぇ!!」

「男はいらねぇんだよ! 殺せぇぇ!!」

「ルルノアはどこだぁぁ!」


 大捕物のように上手く誘い出され、輪を描くように取り囲まれる。


「おい、女」

「い、イヤッ」


 1人の女性が男の目に止まる。


 女性はこの後自分に起こり得るであろう悲劇に恐怖し、身も心も凍り付く。


「まずはテメッ!? ガぁ……」

「ッ!!」


 妙齢の女性に手をかけようとした兵士の首に矢が生え、すぐに息絶える。


「……ホント醜いわね」


 庭の木に登ったシャノンの正確無比な矢が、次々と放たれる。


「ガッ!?」

「ゲヘッ!!」

「お、おい! 狙われてるぞ! 動きまわッ……………」


 流れるような動きで矢をつがえ、動き回る的相手にも正確に軌道を先読みし、当てやすい胸元へと一矢も無駄にする事なく射抜いている。


「〈火の矢ファイヤ・アロー〉」

「ギャァア!! あ、アチィィ! アァアアァァァ!!」


 リズリットも嫌悪の表情で兵士を焼いていく。


「このガキぁぁ!!」

「――」


 清流のような抜刀が、斬りかかる兵士を静かに断ち切る。


「グッ……ッ………」

「よし、師匠がどっか行っちゃったけど絶好調!」

「あ、ありがとう」


 リズリットが、自らの前衛役を買って出たエリカに礼を言う。


「いいのいいの! さっ、ルルノアとハクトが魔物を倒す前に、こっちをッ―――――くッ!!」


 ほとんど勘であった。


 エリカがその場を横っ跳びで緊急回避する。


 その直後、石畳の床が弾けるような音と共に砕けた。


「――素晴らしい。今のを避けるか」

「……ケリー」


 声のする数メートル先には、魔物を追い立てライト王国軍へぶつけ、更にこの屋敷にまで誘導し終えたケリーの姿があった。


「ライト王の配置した軍も、その後詰めの部隊も、私とあの試験体によって滅せられた。悠長な事は言っていられないだろうが、十分な猶予はあるだろう」


 ここにいるライト王国の主力を自分とカシューとで屠り、暴れ回る魔物を置き土産に残せば、軍はそちらにかかりきりになり容易に王都を脱出できる。


 何らかの理由でアルトと【旗無き騎士団】の主力がいない今だからこその大胆な策。


 ならばと、ケリーは鞭へと魔力を込める。


「カシュー様より御許可は頂いている。俺も……」


 普段は厳しいケリーの目が欲望に濁り、その視線が……。


「ひっ」


 あろう事か、リズリットへと向かう。


「君はさぞ心躍る悲鳴を鼓膜に刻んでくれる事だろう。そうと決まれば、邪魔な――」


 唐突にケリーがバックステップを踏む。


 するとケリーのいた場所を、シャノンの矢が通過する。


「なんで避けられるの!?」

「……居場所が分かれば、後は撃つ瞬間だ。矢をつがえてから狙いを定め終わる間隔も覚えた。遮蔽物などを駆使すればまず当たる事はない」


 酷く無関心に教授するケリー、その視線は常にリズリットへ固定されている。


「リズ!!」


 抵抗激しい魔物と死闘を演じるルルノアが、醜悪な視線に震えるリズリットへ叫ぶ。


「そいつはアンタ達が敵う相手じゃない! 逃げて!!」

「この私が、またとない甘美な悲鳴を聴き逃すとお思いかな?」


 気味の悪い笑みと共に、非情なケリーの鞭がしなる。




 ♢♢♢




「壮観だな。見てみろジーク。ここでは皆正直だ。本来、人とは闘争と快楽を求める生き物だと言うのがよく分かる」

「……」


 眼下では、ケリーがハクトも加わったエリカ達を蹂躙する様、一刻も早くリズリットの元へ駆け付けようと不死身の魔物の四肢を吹き飛ばし続けるルルノア、そして逃げ惑う弱者と好き放題の兵士達。


「気に入らないとすれば、あの使用人の姿が見えない事と傭兵の少年が欠席である事。それに早々に何処かに姿を消したセレスティアだな。どれ、この光景はいつまでも飽きずに観ていられるが、私もそろそろ彼女を迎えに行こうか」

「下衆の極みだ。随分と堕ちたな、カシュー」

「ふむ……」


 無警戒で背を晒していたカシューがおもむろに振り向く。


 そして、手近なテーブルを……。


「お前と遊ぶには障害物が多過ぎる。……退かすか」


 カシューが、軽々とテーブルや椅子などをジークへと投げ付ける。


 置いてある食事や酒を摘まみながら……。


「……ここの料理人の腕も悪くない。今頃は死んでいるだろうが」


 散歩するように歩きながら、小石を投げるように次々と。


「……一突きで終わらせるつもりだったのだが、遊びたいと言うのなら痛ぶってやる。仲間達や……料理人の分もな」


 ジークはそれを返答しながらも、無造作に斬り捌く。


 一つでも食らえば戦闘不能は免れない質量と速度だが、魔力を宿したレイピアが閃く度に気持ちよく真っ二つに分断されている。


 その最中……。


(……なんだ、カシューのこの力は。どのような絡繰からくりで、こんな力となるんだ……)


 疑念の生まれたジークの背後で、勢いそのままに斬り分けられた家具が壁に激突し、大きな騒音を立てている。


「と言っても少しだけだぞ? 私は愛しのセレスティアを連れ、ケリーや精鋭達と共に早々に旅立つ」

「……やはり連れて来た兵士達も囮か。お前の事だ。弟もだろう?」

「くくっ、分かっているじゃないか」


 すっきりとなった室内で、カシューがゆっくりと腕を上げようとする。


「――ふっ!!」


 その時には、既にジークのレイピアは放たれていた。


「……」

「……」


 互いに無言。


 が、表情は真逆である。


 ジークのレイピアは確かにカシューの腕を捉えた。


 問題は、その直撃音が異常に硬い何かに接触したような甲高いものであった事だ。


「あぁ、それと……」


 ジークの頰を伝う冷たい汗。


「……私は堕ちたのではない。昇った・・・のだ」

「ッッ!!」


 嘲笑うような言葉と共に軽く振るわれたカシューの腕によって、ジークが真横に素っ飛んでいった。


「総団長!!」

「――貴様はそれでも戦士か? 私を前に余所見など、不敬だぞ」

「ッッ!? ぬぅおおおおお!!」


 ダンのハンマーが、勢いよく振り下ろされる。


 その巨漢の全体重を乗せるように、大きく強く。


「不敬だぞと言っている」

「……」


 ダンの表情が驚愕一色に染まる。


 溜め息混じりの言葉で受け止められたハンマーを目にして。


 床が抜けそうな衝撃も、顔色一つ変えていない。


「大体貴様の顔は不快だ。外のオークのようではないか。ジーク共々目障りなのだ。ふっ、奴の元に付いたのが……運の尽きだったな」

「ぐぅぅ、ほざけっ、バケモンが!!」

「口を慎み、今すぐ失せろ」


 カシューの蹴りが、ダンの横っ面を吹き飛ばす。


「――ッ!!」


 寸前、矢のような速度で戻ってきたジークのレイピアが突き刺さる。


 しかしやはり響くのは、金属音である。


 蹴りを止め、そのままレイピアを受けたカシューの脚。


 破れた服から見えたのは、肌である。


(はぁ、はぁ、皮膚だと……? 鎧ではないのか……)


 ヨロヨロと後退するジーク。


 その額からは血が流れ、肋骨や左腕も折れており、一撃で満身創痍となっていた。


「総団長ッ!」

「……ダン、2人がかりでやるぞ」

「おう!!」


 救われたダンが、ジークの隣で大槌おおつちを構え直す。


「……あれで生きているのか。お前は小さい癖に非常識な身体をしているな」

「今のお前に言われたくはないな」


 あごを撫でながら興味深そうに言うカシューの目は、まるで実験動物を見るようであった。


「ハッハ、そうかもな。では少し遊んでやろう。セレスティアの向かった先は大体分かっているからな。わずかな時間だが楽しもうではないか。……なぁ、ジーク」




 ♢♢♢




「おおおおおっ!!」

「シッ!!」


 ポツポツと小雨の振る中、ケリーの左右からハクトとエリカの刃が迫る。


「甘い、青い、遅い」


 弾ける音が、立て続けに2つ鳴る。


「グハッ!」

「グッ!?」


 棒立ちにも関わらず、巧みな鞭捌きでほぼ同時にハクトとエリカの腹を打った。


 加えて立ち続けに、炸裂音が連なる。


 動きの止まったハクト達を、追撃の鞭が乱舞した。


 魔力を纏った鞭は衣服など関係なく肌や肉を痛打し、戦意と共に血を飛び散らせる。


「ぐわァァ!!」

「ッッ!!」

「そしてもろい。……やはり戦士の悲鳴は今一つだな」


 魔物とルルノア、そしてこのケリーの独壇場の周囲だけは、周りの狂気の喧騒から孤島のように切り離されていた。


「さて……」

「ひっ!?」


 ケリーが悍しい微笑をリズリットへ送る。


「安心して欲しい。鳴かなくなれば安らかに……………ほう?」


 背後からの殺気に、感心した様子のケリーが止まる。


「ッ、……待ちなさい」

「ガ、くぅぅ、え、エリカ……?」


 咄嗟の判断で腰元にあったつかに鞭を当てて、急所へのものだけ選んで威力を殺していたエリカ。


 痛々しい生傷の見えるドレス姿で立ち上がる。


 グラスのディフェンス訓練からエリカの身体に無意識に叩き込まれていた防御技術が、彼女を立たせていた。


 少しも闘志のおとろえない瞳のまま、再びの居合の構えを取る。


「鞭の長さと刀の長さ、そもそもの速さ、その差も分からんか?」

「……」


 ケリーの落胆する声にも耳を貸さず、先程よりも深く身を沈める。


「……遊びは終わりにしよう。前座は飽きた」

「そうだね……。――その通りだよ」

「なッ!?」


 目の前に出現したエリカに、ケリーも目をく。


 いや、ハクトやシャノンでさえその速度に目を疑った。


 明らかに今までのエリカの速さを何倍も超えていた。


「シッ!!」

「小娘がッ!」


 裸足にも関わらず石畳を割る程の力強い踏み込みによる、疾風の抜刀術。


 ケリーも必死の形相で飛び退き、エリカの間合いから離脱を試みる。


 魔力を宿した刀が、燃えるような鮮やかな弧の軌跡を描く。


「……」


 刀を振り抜いたままのエリカ。


「……ふぅ」


 全力で飛び退いたケリーが、一つ息を吐いた。


「この一撃の為に、ここまで手の内を見せていなかったのか。恐ろしい王女様……だ……………」


 そこで、ケリーの言葉が途切れる。


 負傷した様子は無い。


 ケリーの驚愕の視線は、手元の鞭……更には腰元に巻いてあった予備の鞭へと。


「……私の鞭を、斬ったのか……?」


 手元と腰元の鞭が断たれ、解かれたように地に落ちる。


(咄嗟の判断で致命傷は与えられないと判断してか……。この娘……)


「や、やったぞ……これで――」

「――まぁ、更に予備はあるがね」


 ハクト達の希望もあっさり砕ける。


 懐から新たな鞭を取り出すケリー。


「私は備えは怠らない性格なのだ。実践用、予備用、保存用は当たり前だ。君らに使う事になるとは思わなかったがね。……だが、もう油断はない。エリカ王女、あなたは学生ながら立派な武人だ。だからもう諦めたまえ。お仲間共々命は助けよう」

「……」


 パシリと地へ鞭を下ろし、無言で睨んでいたエリカへ言い放った。


「……」

「……さやを捨てたか。諦めた……訳ではないな。まったく。私は早くあのリズリットなる少女に専念したいのだがね」


 エリカが鞘を捨てる様を、ひげを撫でて興味深く観察し、呆れにも似た言葉を吐いた。


「その子に近付くな、変態下衆野郎。……すぅ……」


 まだ高まる闘志にエリカが、突きの構えでケリーへと構える。


「……」


 研ぎ澄まされていくエリカの空気に、ケリーの眉が僅かに寄る。


 警戒の段階がまた一段と上がった。


「……」

「……それでどうするのかな? ……ッ!?」


 余裕を醸し出していたケリーが気付いた時には、放たれていた。


「《伸魔突しんまづき》」


 グラスに叩き込まれた力みや初動を感じさせない自然なフォーム。


 左半身から右半身へ。


 魔力による鋭い踏み込みから、全身を使い刀を最短距離の直線で伸ばす。


 鞭のリーチや経験で負けているのならと、速さと技術で挑む。


 この技ならば、後ろへ逃げようとも伸びる刃が追っていく。


 体捌たいさばきにより更に到達の早くなる刀は、魔力により鮮やかな熱線のような線を描きながらケリーの胸元へと――


「ガハッ……」


 身体が浮く。


「本当に学生か?」


 ――エリカの身体が。


「……認めよう。貴様を完全に見誤っていた」


 地面から跳ね上がった鞭によって、エリカの腹部が強打された。


「ゴフっ、ケホっ……な、にが……」

「念の為に備えておかなければ、間違いなく負けていた。この私がだ。私の部下よりも遥かに……。まぁ……それだけだ」


 倒れて咳き込み、事態の呑み込めない傷だらけのエリカを見下ろしてケリーが言う。


 軍人であるケリーは経験豊富で、念には念を入れる癖が付いている。


 予めエリカと自分の間の地面に、伸ばした鞭を垂らしておき……魔力により跳ね上げたのだ。


「……さてさて」

「ッ!!」


 十分に楽しめたとばかりのケリーの粘つく視線が、腰の抜けたリズリットを舐める。


「ふ、〈火の矢ファイヤ・アロー〉ッ!」

「無駄無駄」


 腰の抜けたリズリットの火の矢が、ケリーの目前にて爆ぜて消える。


 目にも止まらない速度の鞭によって。


「リズ! お願い! 立って!」


 木の上で焦るシャノンが必死に叫ぶが、立てるのならばとっくに逃げているだろう。


 一度恐怖に呑まれれば、抜け出す事は難しい。その日その場ならば、尚更だ。


 シャノンの矢の連弾も虚しく躱され、ハクト達も鞭による強打の痛みに呻いている。


 頼みの綱のルルノアも、あの時以上の怒りで暴れる魔物に手を焼いていた。


「では、まずは肩からだ。カシュー様の御用が終わるまで、存分に……」

「ッ!? リズッ!!」


 ルルノアの悲痛な叫びも虚しく、鞭が大きく振り上げられる。


「……鳴いてくれぃッッ!!」

「ッ!!」


 息を呑むリズリットへと、情欲に支配されたケリーの鞭が振るわれた。





 が、雨音だけが続く……。





「……は?」


 鞭がしなり音速を超えた時に鳴るあの耳障りな音が無く、代わりにケリーの間抜けな声が漏れる。


 誰もが目を閉じ、リズリットの小さな身体が無慈悲に打ち付けられる様から逃げていた。


 故に、今、目の前にあるこの結果が不思議でならない。




「――申し訳ありません。遅れてしまいました。お手洗いが混んでいたもので」




 そこにいたのは、リズリットへと伸びた鞭を握る使用人の姿であった。


 まるで……リズリットに直撃する寸前の鞭を掴んだとでも言いたげな体勢で、眼鏡を指で押し上げながらたたずんでいた。

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