第50話、宴の始まり
エンゼ教徒の富豪が所有する大きな洋館の庭には、いくつものテーブルが設置され、警備のクジャーロ兵も多く配置されていた。
「……総団長。なんかよぉ……お偉いさんのパーティーにしても、やけに物々しくねぇか?」
「酔うなよ。……いやダンは止まらなくなるから一切酒を飲むな」
いつも通りの重鎧姿のダン・ベルと、タキシードのような装いを着こなしているジーク・フラグ。
2人だけでパーティーに参加したのだが、居心地の悪さからか不慣れなダンが仕切りにジークへ話しかけていた。
「何かあるかもって事ですかぃ? じゃあ何で来たんだよ……いや何で連れて来たんだよ……」
「やられたらやり返す。場合にもよるけどね。今回は……倍返しだ」
巨体のダンが怯む程に力のこもった言葉。
先日のジークやダンの留守中に起こった【旗無き騎士団】本拠地襲撃が、カシューの手下によるものだと確信しているようだ。
「そうだろう?」
「あ、あぁ……。兄貴がいねぇ時に限ってこれだ……」
応えるダンの声を聞き流し、洋館2階のテラスで挨拶回りをする正装姿のカシューへ敵意の目を向ける。
小柄ながらその雄々しい気配は、百獣の王のようである。
「ねぇ、お酒飲まないにゃらこっち持って来てよ」
「……もう酔っているのか、ルルノア。自分のペースをそこまで崩さないのはもはや驚愕だな」
そこには、隣のテーブルで食卓を囲む見目麗しい妖精達が。
紫や薄緑、そして黒のドレスに身を包み、周囲の人々を虜にしている。
「いつもより早い」
「そうね。もうほっときましょう」
姉妹達が食べ物を軽く摘まみながら呆れた目で見るのも何のその、いつものように……いや、いつも以上のペースで高級な酒を煽っていた。
「……お前も分かっているだろう?」
「う〜ん、何かありそうよねぇ。ここの兵士達のあたしらを見る目がイヤらしすぎるもんね。分かってる分かってる……ゴクっ、ゴクっ」
「「「「……」」」」
ならば何故飲むのかと、ジークやダンまでもが唖然として酒を飲む手を止めないルルノアを見る。
「……ん?」
突如として上がった歓声、そして入り口付近に瞬時に出来上がる人だかり、館内の人間までもが雪崩のように溢れ出て来た。
「……………何度目にしても見慣れないな」
「……」
パーティー会場の誰もが、燕尾服の使用人の手を借りて馬車から降り立つ女神に心奪われる。
「相変わらず綺麗ねぇ。お月様かお天道様から来たんじゃないの?」
「お淑やか、見習って欲しい」
ルルノアも紛う事なき美女であるが、女性らしさが足りないと三女に苦言を呈される。
「……あの白髪の子、カッコいい……」
「「え?」」
♢♢♢
「セレスティア王女殿下! お久しぶりに御座います!」
「お、押すな! セレスティア王女様! 婚約者をお決めになられたというのは真なのでしょうか!」
「私もそれはお訊ねしたい!!」
馬車から降りるなり取り囲まれてしまった。
どうやらセレスは他人に触れられる事を嫌うようなので、俺が守らねばならない。
「――皆様、本日はライト王国とクジャーロ国との懇親会となります。その場で関係のない騒ぎとなるようであれば、セレスティア殿下を連れ帰るよう国王陛下より仰せつかっておりますので、どうか御配慮をお願い申し上げます」
ビシィィっと言ってやる。偉い人ばっかりなんだろうけど、俺の背後にはこの国とっておきの権力者がいるから怖くないもんね。
「……」
「……先程から貴様は何なのだ。セレスティア王女と近過ぎているのではないか?」
「そういえば、セレスティア王女殿下が男性に触れられるのを初めて目にしたな」
どこからか上がったその言葉に、群衆中からハイエナに餌を掻っ攫われた直後のライオンのような目付きで睨み付けられる。
ふむ、ここは……“私は一介の使用人に過ぎません”から、テキトーに繋げて場を収めるのが吉だな。
こう見えても使用人として立派に働いているのだ。この程度でミスはしていられない。
「――この方は私が今回のパートナーに選んだ方です。とても優秀な方なのですよ?」
「「「……」」」
色々な意味で熱狂していた群衆は呆然とし、言葉の意味をすぐには理解できない。
その隙に……。
「では、私達はこれで」
そう素気無く言い残して、俺の腕を取って会場へと歩いて行く。
「……あのね、一応黙って合わせたけど、あまり迂闊な事を言ってはいけないよ? 速飲みを自慢したくて牛乳を飲み過ぎた小学生のように、やっちゃったら手遅れになる事だってあるんだから。その後に別の意味で注目されちゃうんだから」
「……? はい。ふふっ」
どれだけ危険かを小声で窘めてみたのだが、あまり効果は無いようだ。
セレスが楽しそうに微笑を見せる度に、周囲からはかなりの殺気混じりの視線が突き刺さる。
中でも強烈なのが、2つ。
一つは洋館二階テラスからの視線。もう一つは、……背後からのもの。
「……グラス。後で暗殺されるよ? 権力ナメとったらアカンで。離れた方がいいんじゃない?」
「私にお心を割いていただけるのは光栄なのですが、パートナーであるハクト様を置いて追いかけられるのは如何なものでしょう。チンパンジーのお散歩では無いのですよ?」
百も承知のその言葉に振り返り、般若のような顔のエリカ姫の後ろを項垂れて続くハクトを見て言う。
「む〜〜っ、またテキトーな事言って――」
「素晴らしいドレス姿ですのに、行いも口調もおかしくなっていますよ? お気を付けください」
「……むぅ〜っ」
膨れっ面で顔を赤くするエリカ姫。
「……」
腕を組むセレスの力が増して行く……、他の女性を褒めるのはマナー違反だったようだ。ん〜、地球で言うと……冬籠り前のグリズリーくらいのパワーかな。
そんな俺達の元へ、先日ぶりの面々が近付いて来る。
「その白髪の子、要らないならウチのシャノンにくれません?」
「ね、姉さん」
♢♢♢
立ち話も何なのでと、代わる代わる来る挨拶を早めに終わらせて同じテーブルを囲む。
挨拶の一番手は勿論、テラスから降りて来たパーティーの主催者、カシューであった。
そしてエリカ姫やセレスへと、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべたゲッソの謝罪があり、その後に下心満載の権力者達の挨拶が行われた。
マリーさんから教えてもらった通りに早目に代わる代わる捌いたが……アイドルの握手会の大変さが分かった気がした。
現在も見渡すまでもなく、こちらの隙を窺う者達が大勢ウロウロしている。
「ふふふ、あなたカシューにスッゴイ嫌われてるんだね。セレスティア王女のお供だからって、あそこまで敵対心剥き出しの愛想笑い初めて見たよ〜」
「どうやら私は、もの好きにしか好かれないようなので御座います」
「え〜、何それ〜」
愉快そうなルルノアがお酒のコップ片手にグラスを笑う。
セレスティアやエリカのような露出控え目なドレスと違い、大胆に胸の谷間を見せつけるようなデザインに多くの者と同様にハクトの視線も吸い寄せられる。
「……ハクトさんも、姉さんのような積極的な女性が……その……」
「い、いえ、特にそのような事は!」
恥じらいながら眼鏡を不必要に直して言うシャノンに、反射的にハクトが答える。
「……怪しい奴とケダモノ」
「あ、あや、怪しくなんて、ありませんよ……?」
「ケダモノ……」
男嫌いなリズリットの毒舌が、早速グラスとハクトに繰り出される。
「リズ? 噛み付く相手は選びなさい。王族関係の人とかを馬鹿にしちゃダメでしょう?」
「……お前のせいで怒られた」
ルルノアに窘められたリズリットが、猫のように目を細めて怒りの視線をグラスへと向けた。
「許さない……」
「わ、私にどうしろと仰るのでしょうか」
「あっち行け」
「思ったより手厳しい」
酔っていても油断のないルルノアが、グラスではなくセレスティアのマグマよりも熱く滾る心中の怒りを察して、叱責の言葉を先んじて出そうと口を開く。
だがそれよりも先に――。
「――セレス様。リズリット様のお怒りを頂戴してしまいましたし、調子のおかしかった馬車の様子と警備状況を確認して参ります」
「そうですか……。では、よろしくお願いします」
「かしこまりました。ハクト様、恐縮なのですが少しの間、皆様をよろしくお願いします」
「えっ? あ、あぁ、任せてくれ」
一礼し、馬車の置いてある場所へ去って行くグラス。
好都合とばかりに馬車へ武器を取りに行き、予定通りに
「……リズ。帰ったらお説教だよ?」
「うぅ……」
全く気にした様子のない、むしろ上機嫌そうな使用人の背に安堵し、全く治まる事のないセレスティアの激憤の気配に強めにリズリットを叱る。
「あ〜あ、グラスが戻って来るまで暇だなぁ。……ハクト、ちょっと生まれたてのゴブリンの物真似やってよ」
「何でだよ!! ……お前、なんか最近ちょっとグラスさんに雰囲気が似て来てるぞ」
「マジで?」
「……エリカ姫様まであの使用人がお気に入りなの?」
初めは敬語を心掛けていたが、気にしない性格なのを見抜き、人前以外では既に普段の喋り方となっていた。
「お気に入りって言うか……面白いでしょ? だからだよ」
「ふ〜ん。まっ、あたしも外見は合格だけどね」
「「え?」」
思いがけないルルノアのグラスに対する好印象に、エリカと密かに容姿に自信のあったハクトが声を上げる。
「……趣味悪い」
「リズ。失礼な事ばっかり言ってると、そろそろ本没収までいくよ?」
「……」
段階的に上がっていく姉の制裁に、渋々と押し黙ったリズリット。
その様にエリカやハクトもすっかり苦笑いとなって、微笑ましく見守る。
「……うん? なっ! ……あ、アレは……」
「これは……何事であろうか」
セレスティア達に注目していた周囲が突然に騒めき出す。
遠目からこちらへと接触する機会を伺っていた者達が道を開け、二分されていく。
「――セレスティア・ライト」
そこを当然のように部下を付き従えて突き進んで来た、燃えるような黒髪の者により、ピリピリと痺れる緊迫感が庭全体を支配した。
「ヒルデガルトさん。お久しぶり――」
「貴様だな?」
ルルノアよりも更に際どい真紅のドレスに暴力的なスタイルを隠し、上質なコートを肩に掛けるヒルデガルト。
途轍も無い覇気を放ち、刀のような目付きと威圧する存在感でセレスティアを問い質す。
「何のお話でしょうか」
「……」
強制的に跪かせてしまいそうなヒルデガルトの重圧を物ともせず、淡々と訊き返すセレスティア。
周りの人間は気が気でなく、息を潜めて嵐が過ぎ去るのを待っている。
「……やはり貴様だったか。それが分かれば十分だ。もはやこれまでだ。すぐに遅れを取り戻す」
「何の事か分かりかねます。私に言える事は……取り返しのつかない事態になっていなければ良いですね」
高まっていく人間の域を超えた紅き魔力。灼熱の劫火のように、取り巻く周囲を揺らめかす。
それでも崩れぬ女神の微笑。
「うわぁ、すんごいわぁ〜」
「ッ、本当にこの人達人間なの……?」
ルルノアやシャノンすら気を抜けない状態が続く。
未だ並みの領域を出ないハクト達は声も出ない。
だが、その鍔迫り合いのような均衡は意外な者によって崩れ去る。
「――さて、役者は揃った!」
テラスに立つカシューが、心の底から待ち侘びたように声を張り上げた。
その声に、セレスティアやヒルデガルトの視線も自然とそこへ向かう。
「これよりッ、真の宴が始まるッッ!!」
パーティー会場から少し離れた場所で、何か建物が瓦解するような轟音が上がる。
「何っ!?」
「あちらは、お父様達が配置した軍のいる方向ですね」
その直後、人の悲鳴や断末魔と共に……ルルノアやジーク達にとって聞き覚えのある咆哮が王都に轟いた。
「正直で助かるぞ。魔物を奪っただけでなく、よくもウチの若手を殺してくれたな。ここまでの事をしでかしてタダで済むと思うなよ?」
テラスで高らかに唄うカシューの後ろから、闘志漲るジークがレイピアを突きつけながら言う。
その背後には、大槌を担いだ鎧姿のダンの姿もある。
「ふ、フハハ! こうでなくては! 宴はこうでなくてはならん!!」
ジーク達から無用心に眼下のセレスティア達へと視線を戻し、極め付けの言葉を芝居じみた動きで叫ぶ。
「――今日ッ! この日ッ! ライト王国から光が堕ちるッ!!」
庭の中央に影が生まれ、軍を蹴散らした異業のモンスターが舞い降りる。
果てしない怒りと悲しみ、そして……人間への憎悪と共に。
「……無作為な破壊と、理不尽な蹂躙と共になぁ」
内から溢れる力に酔いしれ、その目を欲望に染めながら、カシューは歪んだ笑みを見せた。
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