第48話、スカーレット商会会長
使用人のお仕事中。
晴天の天候に恵まれ気持ちのいい日差しが射し込む中でも、ここの空気はとっても重い。
「もう絶対に賭け事はしない。……絶対ったら絶対だ!!」
「……」
項垂れて岩のテーブルに肘をつき、顔を手で覆い後悔を口にする。
ギャンブルで報酬がパーになってしまった。
『サンケチュウ』ならばやってくれると俺も思ったのだが、レース開始から終了まで全く前進しなかったのだ。
「あんなに働いたのに、ものの数分で無くなってしまったよ。怖いとこだよホント! いや本当に怖いのは人の欲望さ!!」
「そ、その……何と申し上げれば良いか……」
愚痴を聞いてもらっているセレスも流石に飽きれてしまったのだろうか。傍らにお淑やかに佇み……何故か青い顔をして震えている。
見ようによっては、まるで責任を感じているかのようだ。
「……そ、そうでした! 本日はクロノ様にお喜びいただこうと、私が試行錯誤したお茶漬けを御用意してあるのでした!」
「……」
雰囲気を変えようとしてのか、眩しい微笑みで給仕を始めるセレス。ちょっぴり焦っているようにも見えるが、おそらく気を遣ってくれたのだろう。
女神と言われる王女とは思えない、無駄のない手付きで準備している。
……なんて良い娘なのだろう。さっき俺が接客していた他の客を追い出した人物と同じ人とは思えない。
「……ん? これはエリカ姫達だね。替わろうか」
「……」
来客の気配を察して立ち上がった俺だが、セレスは動こうとしない。
「……あの子達ならば誤魔化せますので、このままでも問題ないかと思われます」
「え……そう、かな?」
「はい。私にお任せください」
なんだろう。失敗したばかりだからか、自信が無くなっているかも。
こうもセレスに強く言われると任せた方が良いように思う。
「――グラスいるぅ〜?」
「お、おい、他に誰かいるか、も……………」
問答無用でサロンに入るエリカ姫と、それを若干の常識を感じさせつつも続いて入って来るハクト。
どちらも、熱心に俺を世話をするセレスを見て固まっている。
「……姉様、何してるの?」
「貴女達には関係ありませんが、一応答えましょう。花嫁修行です」
何食わぬ顔で答え、セレスがお椀を俺の前に置いた。
「海産物から出汁を取って作ったお茶漬けです。グラスさんのお口に合えば良いのですが……」
「なん、だと……」
(自力で、“
セレスの潜在的な能力の高さと、得意分野で負けた屈辱により震え上がる。
目の前に置かれた、これ絶対に美味いヤツやんと分かる一品に目が釘付けとなる。
「……姉様が男の人と率先して会うのも、そんな風に世話するのも初めて見たんだけど。想像すらできなかったんだけど……」
「……」
エリカ姫は驚愕しながらそう言い、ハクトはショックで言葉も無いといった様子だ。
「……ま、いいや。ついでに私達の分も頂戴。姉様が料理するなんて見た事も聞いた事もないし、ラッキーだね、ハクト」
「本当か!? いいのか!?」
切り替えの早いエリカ姫の後を子分のように追って、ソワソワしながら座る純情ボーイ。
婚約者の前で失礼な……。一言言ってやろうかな。
「現在、グラスさんのサロンは私が使用しています。2人ともすぐに出て行ってください」
「ぇ……」
ハクトの消え入りそうな声と絶望感漂う表情に、俺の説教の言葉も喉元を出なくなった。
「はぁ〜〜? ……もしかして姉様、グラスを婚約者にするとかじゃないよねぇ」
「仮にそうだとしても、貴女に何か関係がありますか?」
ご機嫌が急降下したエリカ姫と、いつになく感情的なセレス。
でも出汁茶漬けのアッサリとした海鮮の香りに我慢できなくなったので、お
黄金に輝いとるわ。
「……関係ならあるよ。姉様、グラスが魔王の関係者かもって言ってたじゃん。不正は間違いないって」
「ッ!!」
「……へ―――」
出汁茶漬けへ伸びかけていた箸をそっと置く。
お〜いおいおい、この娘やっぱりスパイなんじゃないの? なに不正したのバラしてくれちゃってんの?
先程までの威光が嘘のように焦るセレスへと、
「……セレス様、
「ち、違います! あれはあまりにもエリカと親密になさるので、つい口を突いて出てしまったのです! 本当ですっ、信じてください!」
それはそれで失態だ。
アワアワと取り乱し、見た事もない程に言い訳を言い募るセレス。
そのなり振り構わない主従が逆転したようなセレスの姿に、エリカ姫達は開いた口が塞がらないようだ。
「こんなに取り乱すなんて……。あの姉様が、普通の人間みたい……。……え? 本気なの?」
「そんな……」
「貴女達はもう何も喋らないでください。用意するので静かに大人しくしていなさい」
やけくそ気味のセレスが、まだ疑いを持つ俺が出汁茶漬けに口を付けたのを機に、これ以上の悪化を防ごうと何かを準備し始めた。
「――どうぞ」
「「……」」
ポン、ポンと、ハクト達の前に何処からか取り出した何の
それも一つのパンを半分に千切って。皿にも盛らずに、直で。
丹念に作られた俺の出汁茶漬けとは、天と地の差だ。
「……なんか、おかしくない?」
「何か問題でもありましたか?」
俺の隣に戻って控えていたセレスが、エリカ姫にシレっとして問う。
「この差が問題だよ! 私、こんなに差を付けられたの初めての経験だよ!?」
「そうですか。今回の経験を経て成長してくれれば、姉として嬉しく思います」
すっかりヘソを曲げているセレスが、もはや悪びれる様子もなく言う。
「……グラス、私の分用意して」
「かしこまりました。セレス様、大変美味しく頂きました。ですがそろそろ替わりましょうか」
「は、はい……」
仄かに頰を染めたセレスの手を引き、自分の代わりに岩の椅子に誘導する。
「こちらへお座りください」
「はぃ……」
あとで情報漏洩のリスクをコンコンと説教してやるっ。新人の内から禁止事項は厳しく教えとかないと。
火照った表情で従順に従うセレスを見て、これまで以上に怪訝な顔付きをするエリカ姫。
「……この人ホントに姉様? 信じられないんだけど……。ていうか、グラスの弟なら分からない事もないけど、何でグラスなの?」
謎の鋭さを見せる事のあるエリカ姫には、モッブに使用人を代わってもらう事を伝えておいたのだが、モッブはエリカ姫にも好評のようだ。
「……」
余計なボロを出さない為か、セレスはエリカ姫を静かに無視している。
「……もぐもぐ……」
「ハクト様、せめて何かを付けて召し上がられては如何でしょう」
傷心して真っ白になっているハクトがモソモソとパンを食べていたので、ジャムや蜂蜜をくれてやる。その傷を力に変えて稽古に当ててくれ。
「……グラス。今度のパーティーにはあなたを連れて行くから。城まで迎えに来てよ」
「グラスさんは既に私と先約があるのでそれは叶いません。可哀想です」
「……」
姉妹で張り合っている。火花が散っているのが目に見えるようだ。
……金運は無いが、この2人には異常に懐かれるな、俺。
♢♢♢
その頃……。
スカーレット商会本部。
城のような壮大な建物の一室で、一国の王子との商談が行われていた。
「この私が、貴様ら如きと宴を共にする、そう言う事か?」
「……」
ゲッソは、冷や汗を噴き出した顔で何とか平静を取り繕おうと試みる。
しかし、目の前の女の放つ覇気は異常。
ゲッソの背後に控えるカシューから貸し出された屈強な護衛達ですら、目の前の人物ただ1人に圧倒され
豪華な装飾や絵画などに彩られた室内で、華美なソファに足を組んで座する若干小柄目な女性。
火を宿しているかのような赤みがかった黒髪に蝶の髪飾り。童顔なれど威圧的に鋭利な目付き。この20歳にも満たない女性1人に場が完全に支配されていた。
存在感だけで縮み上がってしまう気配だ。
「臆していても始まらない。何か答えてみろ」
「……」
その泳ぐ視線は、自然と大胆な赤のロングドレスから覗くルルノア級の胸へ――
「ぎひッ!!」
ゲッソのソファの右半分に、円形の穴が開く。
「私は、答えろと
魔力弾を放った手をそのままゲッソへとかざし、続けて問う“ヒルデガルト”。
魔力をそのまま使うという消費量の激しい技を、顔色一つ変えずに行なっている。
「……わ、私はクジャーロの王子だぞ!」
「だからどうした。死にたいと言っているのか?」
護衛達も足がすくみ動けない中、必死に抗議したゲッソの足掻きも虚しく、ヒルデガルトの手に紅き魔力が集っていく。
「わ、分かったッ。金なら用意があるんだ! 貴殿にどうしても参加して欲しいと……兄上が……」
「……」
そこでチラリと視線をテーブルの金貨の山へ目をやる。
(……
ヒルデガルトは、金を積まれなければ動かない。ライト王や貴族からの招待状も容赦なく蹴っていた。
そのヒルデガルトをパーティに参加させられれば、一つのステータスを示せる、そう言う考えだろうとヒルデガルトは推察した。
「顔は出す。以上だ」
「……へ?」
ティーカップへと伸びたヒルデガルトの手が止まり、間抜けな声で聞き返すゲッソの方へと向かおうとする。
「お、王子ッ、ヒルデガルト殿は多忙な方なのです! 我等は早く戻りましょうぞ!」
「お、おい!」
「それではヒルデガルト殿! 失礼!」
護衛達に引っ張られ、引き
「……」
今し方立ち去った者など興味もないとばかりに、紅茶で喉を潤しつつ今朝あった報告を思い出す。
ここ数年、裏組織『
心当たりがあるとすれば、その境目に起こった闇組織の抗争。
だが、組織のトップが入れ替わったという話は聞かない。
指導者が同じと言うのに経営方針が完全に変わっているというのは、ヒルデガルトの目にはあまりに奇妙に見えた。
(うちの諜報員でも何も掴めない。有り得るとすれば……)
席を立ち、窓へと向かう。
そして、王都の対面北側に聳える王城へと、その厳しく冷徹な視線を向けた。
「……セレスティア・ライト……」
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