第45話、カシューの誘い

 

 雲一つない快晴の昼時、学園寮の一室。


「――懐かしいじゃないか。ここはジークで、私は隣の部屋だったのだ」

「……」


 一般寮と違い高級宿屋のような特別寮で、目の前の小太りの生徒を余所にソファで寛ぐカシューが呟いた。


「あぁ、懐かしんでいる場合では無かったな。……ゲッソ、私はお前の為に頭を下げたぞ」

「あ、兄上には、何とお礼を言えばいいのやら……」


 黒騎士に投げ飛ばされ、股間を強打した事により多大なる損失をしたゲッソ。


 兄の恐ろしさをよく知るゲッソは、兄の前にひざまずき挙動不審に焦りを現している。


「お礼なんて要らないさ。仕事の一つだからな。父上からも、お前宛てに“もう帰還しなくていい”との言伝ことづてを預かっている」

「……そんな……」


 クジャーロ王である父に見捨てられた。


 言い知れぬ恐怖が胸の内より迫り上がり、目の前が暗くなる程の目眩めまいに襲われる。


「それが嫌ならば私を手伝え。愚かなお前でもそのくらいはできるだろう?」

「は、ははぁっ。……しかし、お手伝いと言うと……」


 兄の非人道的な実験の数々を知るゲッソが、晴れない表情のままたずねた。


 ゲッソの目から見ての、非人道である。


「一々おびえるな。ただの使い走りだ。お前みたいな者でも王族だからな。使い用は……ある事を祈ろう」

「は、ははっ、ハハハ。感謝しますぞ、兄上」


 ニヤリと絵になる笑みを浮かべたカシューへと、乾いた笑いを返すゲッソ。


「よし、では私はもう行く。お前は指示を待て」

「ど、どちらへ……?」


 おもむろに立ち上がった兄へ、恐る恐る訊ねる。


 すると、カシューは僅かに乱れた長髪を首を振り右側へ整えて言う。


「学園に来たのには別に理由がある。お前はついでだ」




 ♢♢♢




 いつもと違い岩の椅子に座るグラス姿の俺と、すぐ傍らで甲斐甲斐かいがいしく給仕きゅうじをするセレス。


 サボっている訳ではなく、セレスがどうしてもと言うからだ。


「どう思う? ちょっと冷たいと思わない?」

万死ばんしでも生温いかと。私にお任せください。必ずや罪深き愚か者共に償いをさせてみせます」


 どうしてもルルノア達に置いて行かれた哀しみを誰かに聞いてもらいたかったから、少し愚痴ぐちを聞いてもらっていた。


 すると、慈しむような微笑みで話を聞いてくれていたセレスが一転して怒ってしまった。


 キッチリとした軍服のようにも見える制服姿で、美麗極まる顔付きで柳眉りゅうびを逆立てて激怒している。話し始めた頃は柔らかいオーラを出していたのに、話が進むに連れてストンと表情が抜け落ち、次第に静かに怒りを現していった。


「いやいや、よく考えたら傭兵なんてシビアな世界だからこのくらいの距離感が良かったのかも。先輩からの叱咤激励しったげきれいみたいなものだったのかもね。今回は勘弁してあげようかな」


 親身になって怒ってくれるなんて、なんだかしたわれているようで凄く嬉しいんだけど、無駄な争いは無いに越した事はない。


 やんわりとなだめておく。


「承知致しました。少しだけにしておきます」

「……全っ然承知してないじゃん。軽く痛め付けようとしてるよね? 勘弁してあげてって言ったんだよ? 俺」


 絶賛激怒中のセレスへツッコむ。


 それにしても……ビシっとした制服だからセレスの豊かな胸部とお尻辺りの強調が凄いな。メリハリというか、くびれというか、それも相俟あいまって男達の視線も自然と集中してしまい、ストレスとなる事間違いないだろう。


 ただでさえ、そのぶっ飛んだ魅力を宿した美貌で人の目を集めてしまうというのに。


 本格的にウチで働く事になったら、できるだけそういった精神的な負担は減らしてあげたいのだけど……。


「……かしこまりました。全てクロノ様の御心みこころのままに」

「ん? そう? 分かってくれて嬉しいよ」


 急に上機嫌となって唇の端に笑みの形が見えるセレスが、いつもの素直な様子で頭を下げた。


「しかし、あのライオネルとかいう悪党を基準に考えてたけど、他にも強い人がいっぱいいるんだね。あのルルノアって人もかなり強いみたいだったし」

「ライト王国にはまだ多くの標的がいます。ルルノアもそうですが、私の兄や……【旗無き騎士団】の第1師団長などは特に強力です」


 私の兄を標的に加えちゃダメでしょ……。


 落ち着いた大人な雰囲気ながらたのしげな様子のセレスが、自られてくれたお茶が差し出される。


「おぉ、ありがとう」

「私にそのような御言葉は不要です。むしろ御世話させていただいているのは私なのですから」

「それはぁ……………うん、やっぱりそれは違うと思うよ?」


 あまりにも自信満々だから一瞬迷ってしまったじゃないか。


 俺の再びのツッコミにも、“クロノ様ったら御冗談を”とばかりの可憐な微笑みを見せて話題を続けた。


「あとは……スカーレット商会の会長も人間とは思えない凶悪な魔力量だと聞いています。ライト王にも決して頭を下げない事で有名ですが、それでも見過ごさざるを得ない影響力がある人物です」

「ふ〜ん、何だか怖そうだ」

「二度しかお会いした事はありませんが……怖い方です」


 何食わぬ顔で言うセレス。


 たしかにスカーレット商会本部を通る時にたまにかなりの魔力を感じる事がある。


 明らかにおかしいレベルだった。あの『福音』とかいう羽を持っているのかも。


「そっちは機を見て処理するから、俺に任せておいて」

「かしこまりました」


 セレスでは危ないかも知れないので、悪党だったら俺が何とかしよう。


「あ、モッブにもありがとうって伝えておいてくれる? 代わりに出勤してくれたんだから」

「……かしこまりました」


 なんで嫌そうなの。


 モッブは昨日一昨日と、旅でいなかった俺の代わりにグラスの姿で学園の使用人をやってくれていたのに。


 あのモッブ、ホントに優秀。セレスが彼を仲間にしたのは間違いなく正解だ。


 ……なのにだ。


 俺ってヤツは、剣を6本失って……報酬ももらえるか分からない。


 走って帰ったからルルノア達を追い越しちゃったようだから、あの子達が帰って来ないと何とも言えないけど、討伐の証拠が無いもんな。


 何の為の遠征だったんだ……。芋をたらふく食っただけじゃないか。


 いや、少しだけ収穫はあったか。


『魔力凝縮法』による放出系攻撃の限界についてだ。論文みたいだ。


 今回、あの魔物を確実に倒す為に放出系魔力を使い倒したのだが、どうやら俺の『魔力凝縮法』では折角凝縮して強化した魔力も、放出した瞬間から普通の魔力へと戻っていくようなのだ。


 つまり、凝縮法を使う意味がない。


 何か手を考えたい。


 魔王と言うからには、なんか派手な技が一つ二つは欲しい気もする。誰がこの少年心を責められようか。


 ふ〜む、凝縮法により高めた魔力は身体には勿論、剣などに宿した時にも制御下にあるのだが、放出させて解放したら直ぐにでも……………。


「……替わろうか。俺もきちんと勤務しないと」

「はい……」


 残念そうなセレスと位置を替わり、使用人らしく給仕を始める。


 来客の気配を察したからだ。


 人の思考中に入って来るとは、なんて不親切な……。


「――失礼。ここに……あぁ、いらっしゃったか、セレスティア王女」

「私に何か?」


 いきなり入室して来た長身イケメンなカシューへと視線も向けずに、すげなく返すセレス。さっきまでと同一人物とは思えない。


「そうつれない態度をしないで欲しい。……実は、エリカ王女への弟の無礼で悪化したライト王国とクジャーロ国との関係を改善したくてね。ささやかなパーティーを開こうと思っているのだよ」


 そう言い、やけに芝居じみた動作で懐から何かを取り出そうとする。


 なので、ススっとカシュー王子とセレスの中間に移動して控える。


「この招待状を受け取って欲しい」

「……」

「……………お預かりします」


 差し出されたカードのような物をセレスが直接受け取らないのを確認し、俺が受け取る。


「……」

「セレス様、こちらです」

「はい、ありがとうございます」


 俺の手から、またまた一転した穏やかな笑顔で受け取るセレス。


 その光景を見たカシュー王子が殺気混じりの真顔で俺をにらんでいるが、許してくれ。


 俺は優秀な使用人として行動しなくてはならない。


 何故なら、今日出勤した際に先輩方に「……いつものグラスに戻ってるよ……」と、思いっきりなげかれて不当な落胆をされたのだ。


 普通に朝ご飯のお茶漬けを食べてただけなのに。


 モッブがどれだけ優秀であったか知らないが、モノホンが負けてはいられない。使用人としてのプライドがあるのだ。


「そうです。グラスさんも共に参りませんか?」


 招待状を感情の無い視線で軽く目を通していたセレスが、唐突に楽しそうな声音で俺に話しかけて来る。


「「「「は……?」」」」


 俺ではなく、カシューご一向から間の抜けた声が漏れる。


「ふむ……かしこまりました。精一杯努めさせていただきます」

「ふふっ。ええ、よろしくお願いします。という事ですので、参加とさせてください。今から当日が楽しみです」


 王族、それもあのセレスティア王女からの誘い故、断るのは不自然だろうと思い引き受けた。


 こりゃ大変だ。今の内から米や武器を売る算段を立てなくては。


 ビッシビシと殺気の込められた視線が突き刺さるが、今回は無視させてもらう。


「……学園の使用人を? 愛称までも許しているようだ。まさかとは思うが……この者が……?」

「さぁ、どうでしょうか」


 平時と打って変わり、妖艶ようえんな笑みを覗かせるセレス。


 世の男性を確実に仕留めるであろうその表情に、カシュー達も囚われる。


「……ふっ、今までならば即否定していたでしょう? それは肯定していると同義ですよ」


 熱くなった顔や身体の熱気を吐き出すように一息吐いて言うと、続けて自信満々に言い放った。


「ならばこれだけは言っておこう。私は欲しいものは全て手にする。望みは全て叶える。どのような犠牲を払っても、必ずだ」


 宣戦布告のようである。


「そうなのですか? 奇遇ですね」

「……?」


 反発するような返しを予想していたからか、カシューは若干の戸惑いを感じているようだ。


「私もです。自分の望むようにならなければ我慢ならないのですよ。それを阻む者も、何もかも」

「……」


 カシューの自信がまがい物に思える程のセレスの揺るぎない言葉。


 戦女神の迫力にカシューの周囲の者達は息を呑んで気圧される。


 ……俺には、自分勝手自慢の応酬にしか聞こえなかったのだが。


 誰もが口を閉ざしていた静寂の中、扉の外からこちらへ近寄る忙しない足音が聴こえて来た。


「失礼します。カシュー様、少々よろしいでしょうか」

「……何だ。セレスティア王女の前で無礼だろうが」

「それが、例の件が思わぬ方向へ転びまして」


 その遠回しな報告に、カシューの顔色が変わる。


「……セレスティア王女。私はこの辺で失礼させてもらうよ」

「傭兵を雇って何かしていたようですが、思惑が外れでもしましたか?」

「……失礼」


 カシューが無機質な声で返し、扉へと歩いていく。


「君、それなりの覚悟はしておきたまえ。私のパーティーは……かなり刺激的だろうからな」

「かしこまりました」

「……では」


 そんな物騒な事を剣呑けんのんな目付きで俺に言うと、手下を引き連れ静かに去って行った。


「……あんなにピリピリして。あーいう人に限ってあのイライラした状態で博打ばくちを打ちに行って、負けて、また余計にイライラしちゃうんだよね」

「そうなのですか……。勉強になります」


 何故かセレスに感心されたが、……博打か……。






 ♢♢♢






 王城へと帰る馬車内で、セレスティアが対面に座るマリーへと指示を出す。


「賭博場にカシューが来る……ですか? そのような博打好きという噂は聞いた事がありませんが……」

「クロノ様が仰られたのです。来なければ来ないで構いません。『アーチ・チー』の“ジェラルド”に至急連絡しなさい」


 突き刺すようなセレスティアの視線に、マリーにはそれ以上の反対はできない。


「承知しました……。しかしカシューは何が目的なのでしょうか」

「あのクジャーロ王の考える事ですから、想像はできます」


 上の空といった様子で、無関心に言う。


 その頭はパーティーに着ていくドレスの事で一杯であった。


「……ふと気になったのですが、魔王陛下は我等が裏組織を掌握した事実を御存知なのでしょうか」

「まだお知らせできる程の成果が出ていないので、報告はしていません。せめてスカーレット商会の賭博場を出し抜かなければ……」


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