第36話、希望と絶望

 

 【黒の魔王】と黒騎士の衝撃から一夜明け……。


「御前試合で事件が起きた失態や近衛のハルマールによる反逆については、黒騎士が陛下をお守りした事実で補って余りあるでしょう。あの場にいた他国の者達もあまり文句は言えますまい」


 会議室では、王やジョルジュを始めとしてマートンや、更にはシーロなども含めたメンバーでの重要な会議が行われていた。


「それとなく各国に黒騎士がライト王国に付いていると仄めかしておきましたので、懸念すべき事はないかと」

「ディー公爵。黒騎士の不興を買わんようにだけ、注意してくださいませ。くれぐれも頼みますぞ」

「無論細心の注意を払っていますよ」


 眼鏡をかけ直しながら苦笑いをし、当然だろうとばかりにジョルジュに返答するマートン。


「武にうとい僕にだって、彼と敵対する恐ろしさくらい分かりますよ。あんなに楽々と警備の厳重な王城に侵入して、あれだけの強さですよ? 未だ正体も目的も分かりませんが……他国の者でなかった事に幸福を感じてます」


 今頃、他の国々は頭を悩ませているだろうと、ほんの微かに同情する。


「……実は私は、黒騎士が【黒骸こくがいの騎士】の可能性も考えておりましたが……」

「僕も勿論その可能性は考えましたが、鎧の形状が違いましたし、……以前目にした戦い方とは似ても似つかぬものでした」


【黒骸の騎士】。

【孤島の魔王】の懐刀という噂の騎士で、軍団長クラスの力を持っている誰もが知る強敵だ。骸骨のような禍々まがまがしい見た目の全身鎧を身にまとい、盾と剣でライト王国の軍を次々と蹴散らし血を浴びるその姿から、ライト王国軍の間では恐怖の象徴とされている。


「それよりも問題は……」

「……【黒の魔王】、ですか」


 シーロの言葉に、一同の顔色が一様に悪くなる。


 黒騎士という希望と共に、それを塗り潰す程の脅威が現れたのだ。


「まさか……あれ程とは……………」


 王が頭を抱える。


 最悪の予想を上回る強大さを、王城の者達と同じく肌で感じたのだ。無理もない。


 あの一瞬、塔に現れた邪悪かつ強大な魔力に、間違いなく王城の全ての者達が恐怖のどん底に呑み込まれていた。


「……唯一の救いは、英雄ライオネルを魔王にやられたという形で綺麗に片付けられる事でしょうか。駆け付けたセレスティア様が追い払ったとすれば、民や兵士達も今以上に怯えなくて済みますし」

「うむ。そのようにしよう」

「かしこまりました」


 それが最善と判断し、マートンの案を採用するライト王。


 マートンや王は、口には出さないが黒騎士は魔王を追って王城へ侵入したのではと、その縋るような希望的可能性を考えていた。


 その魔王が何故ライオネルを殺したのか、その目的も不明なままだ。


 更に、セレスティアの見立てでは今回の件で【孤島の魔王】までもが動きを見せる可能性まであるらしい。


「……では、奴の目的や【黒の魔王】自体への対策はまた後で話すとして、この辺で軽めの議題を一つ。……あの悪童の不正ですが、やはり魔道具を使っていました。この件はクジャーロへ厳しく抗議すべきかと。近く長男が訪れるとなっていますが、それとは別に使者を送ってはいかがでしょうか」


 比喩ひゆではなく現実に頭の痛くなる問題ばかりでは早々に参ってしまうと、マートンが思考の必要のない話題を持ち出す。


「任せる。思い切りやれい。其方そなたの手腕に期待する。……いつもの其方のな」

「はっ。お任せください」


 相手が実の娘であった事もあり、王も激怒していた。普段は強気に過ぎるマートンを抑えるように言う王だが、今回ばかりはそれはない。


 マートンがニヤリと笑い嬉々として承るのを見て、満足げに頷いた。


「頭の痛い議題はまだまだ続きます。ハルマール達の後任や、エンゼ教の大司教が陛下への謁見を求めている件などです。……なので、ここらで休憩を挟んではどうでしょうか?」

「ふぅ〜〜、……私としては是非お願いしたいですね。まだ慣れないもので。目と肩が凝っていけない」


 マートンの提案に、飛び付くようにあからさまな溜め息を吐くシーロ。


 王もジョルジュも、これは多忙な王を思ってのものだと理解している為、マートンとシーロの配慮に乗っかる。


「そうしよう」

「では早速茶を淹れさせましょう。皆様、紅茶でよろしいですかな?」


 ジョルジュがすかさず立ち上がり、扉前の兵士へと命じに行く。


「……ところで、セレスティア様はまたおられませんね。流石に昨日の今日ですから、お休みになられているのですか?」


 それを彼独特の張り付いた笑顔で見送りながら、マートンが背もたれにもたれかかる王へと問う。


「……いや、何故か学園に行ったようなのだ」

「それはまた……何故でしょう」

「……実の娘の事ながら、余にはさっぱりだ」


 応えた王も、自然と理由を思索するマートンも、答えがさっぱり見つからず休憩中にも関わらずフル回転で頭を使うのだった。





 ♢♢♢





 王やマートン達が、会議にうなっていた頃……。


 ライト学園では、ここのところ何度目かの大歓声が沸き起こっていた。


 嵐のように騒がしくサロンへと近づいていく人の波。


 そして、原因の人物が受付へ辿り着き、後に続く群衆へと向き直る。


「少しお静かにお願いしますね?」


 その魅惑の唇に人差し指を当て、本人的には普通に願い出る。


 だが、その効果は絶大。


 全ての男女が顔を真っ赤にして口をつぐみ、易々と強引な静寂を手に入れてしまった。


「……では。……グラスさんはいらっしゃいますか?」


 向き直り、受付で同じように圧倒される熟練使用人へとたずねる。


「……」

「あの?」

「ハッ! し、しつれいいたしました! グラスめですね! すぐに呼んで参りますッ!」


 深々と一礼し、奥の部屋へと焦燥感をあらわとしながら入り込んでいった。


 それを普段の微笑みで見届けつつ、耳を傾ける。


『――グラス君! 休憩は終わりだ! 御指名だ! 早く応対したまえ!』

『……私は今しがた休憩に入ったばかりです。見て分かるでしょう? 遅めの朝食を食べているのです』

『それは分かるが、御指名なさっているのが王女殿下なのだ!』


 静かな受付前には、使用人の休憩所の言い合いがよく聴こえる。


『知っています。あれだけ騒いでいれば嫌でもね。ですけども以前から物申している通り、私は指名制度には反対の立場です。……断固拒否します!!』

『首飛ぶぞ!?』


 信じ難い文言が飛び出していた。


『とにかくっ! 早く行きたまえ! 皆、血の涙が出る程に代わりたいのだぞ! このっ、急ぎたまえっ』

『あっ、ちょ、やめ、これ、ちょっとっ……まだお茶漬け食べてるでしょーがぁぁ!!』

『だからそれを止めろと言っとるのだっ!!』


 ……。


 しばしの静けさが生まれる。


 すると使用人が消えた部屋の扉から、スッと人影が歩み出て来る。


「――お待たせいたしました。申し訳ありません。少し引き継ぎをしておりました」

「いえ、こちらこそ休まれている時にすみませんでした」


 先程のいざこざが嘘のようにビシーっとして応対するグラスに、セレスティアが微笑む。


「殿下が謝られる事など何一つございません。全てはあのジジ……………ともかく、ご案内いたします。こちらへ」

「はい、お願いします」






 ♢♢♢






 俺が魔王城で従業員雇ったら、部下の言う事には耳を傾けるぞ。絶対ったら絶対だ。


 俺のウミェ茶漬け取り上げてくれちゃってさぁ。冗談じゃないよ……。


 朝っぱらからエリカ姫に突撃されて、やっとできた休憩だったのに。


「グラスさんは昨日、王城へお越しだったと聞きましたが……何か不都合はありませんでしたか?」

「あの騒ぎの事でしたら、私は情けなくもあまりの恐ろしさに隅の方で震えておりました」

「そうでしたか……。万全の体制ではあったのですが、申し訳ありませんでしたね」


 心の底から申し訳なさそうな声が背後からかけられる。


 殺し屋に謝るのは止めてよ。胸がズキズキするじゃん。


「……アレはどうしようもないかと。どうぞ」


 新サロンの扉を開けて、中へ導く。


「はい」


 セレスティア姫が、何の警戒もなく通り抜けていく。


 昨日の事から、グラスを疑っている節は無さそうだ。


 密かに安堵の溜息を吐き、自分も中に入る。


「それでは――」


 扉を閉め、振り向いて口を開いた俺に……ドンと、軽い衝撃が訪れる。


 先程通り過ぎた際に香ったあの香りが、より強く鼻腔に届く。


 そして、柔らかくも力強い感触が。


 恐る恐る視線を下へ向けると……。






「……捕まえました。――黒の魔王陛下」







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