第28話、『ハバルケーレの咎人』
「……また行くのか? あのセレス様に念を押されたのに」
生徒達が割れてできる道をずんずん進むエリカ。いつものようにその後に続くハクトが、先日の威厳たっぷりのセレスティアを思い出し、何とか思い留まらせようと試みる。
「行くよ? 姉様には気を許すなって言われただけだもん。刀を習っちゃダメとは言われてないよ」
放課後にハクトの父親であるシーロの稽古ではなく、グラスの元へと足を運ぶエリカとハクト。
ハクトはエリカが放っておけず、付き添いという形だ。
「それは言わなくても分かるからだろ? ……怒られても知らないぞ」
「だったら付いて来ないでよ。私には余裕がないの。御前試合まであと2日なんだから」
芸術的な装飾の施された学園の廊下を、騒めく生徒達が左右に分かれて開かれた道をズンズンと進んでいく。
腰にはグラスからの贈り物である刀が揺れている。
セレスティアの時のような騒ぎは特別で、高貴な身分の者達が多いこの学園では、美少女のエリカや美少年のハクトに対する黄色い声も控え目なものとなっている。
「……オレはワガママな王女はどうかと思う」
「私は自由なだけだよ」
「この前捕まってた露出魔とおんなじ事言ってるぞ……痛っ」
エリカに脛を軽く蹴られるハクト。
そんなやり取りを度々繰り返しながら、ハクトの説得も無駄に終わりサロンへと到着する。
♢♢♢
「……あの、もうお教えする事はないとお伝えした筈なのですが。しかも本日は私のサロンは休止しておりますし」
グラスのサロンは改装中との事で、現在はサロン内にて金槌とノミを使い、木に彫刻を施している最中であった。
燕尾服を着た出来る男風の使用人のそのようなシュールな姿が突然視界に飛び込み、2人して笑い袋を刺激されてしまう。
「ね? こんなグラスが……そんな訳ないよ」
「まぁ……」
遠回しに出て行けと言ったつもりのグラスだったが、出て行くどころか入り込んで笑い合うバカップルに軽くイラっとする。
こっちは未来の魔王城の従業員の給料や、使い捨ての魔王軍を作る為に、せっせと働いていると言うのにと。
「……本日の御用をお聞きしましょう」
感情を表情には出さずにノミと金槌を置き、立ち上がって応対する。
「え、決まってるじゃん。あと2日に迫った御前試合に向けて追い込みをかけたいんだよ!」
天真爛漫な笑顔で言うエリカだが……。
グラスはメガネクイっをしながら、刀を教えた自分も自分だが、この王女はサロンを何だと思っているんだと久々に魔王業で憂さを晴らしたくなる。
「ここはトレーニングジムではありませんし、もうお教えすべき事はありません。既に無傷で勝てる筈です」
「え〜、もっと楽に勝てるようにしておくれよぉ。なんか怪我しても痛くなくなる技とかないの?」
自分がくれてやった自作の打刀で、脇をちょんちょんつついてくる王女を見下ろす。
変な奴に懐かれたな、とつい溜め息を漏らす。
しかしこの王女のお陰か、最近はサロンでのマク家の米の営業がすこぶる捗っていたのだ。
少しくらいは便宜を図ってもいいのかもと、咄嗟に思いついたものを試す。
「仕方ありませんね」
「あるの!? ……おっ?」
グラスがエリカの手を取る。
紳士が淑女にするように。
「な、何? 急ニィィっ!?」
何故か、少し照れているエリカの手をパチンと押し潰すように叩く。
「痛いですか?」
「いたいよ! 当たり前だよ!」
次にしゃがんで、エリカの脛をチョップする。
「いったぁぁぁ!!」
「どうですか?」
脛を抑えて飛び跳ねるエリカに問う。下着が見えまくっているが、グラスは見ないよう心掛けながら訊ねる。
「すっごく痛いよ!!」
「こちらの痛みは?」
さっき叩いたエリカの手の甲を指差す。
「……あんまり痛くないかも。え、なんで?」
「痛みを分散して和らげたのです。一時的にどちらの痛さも気になりにくくなります。これを、“クロッノーの第3法則”と言います」
テキトーにそれっぽい事を言う。
「ふぇぇ、為になるね」
「す、すげぇ……」
単純な知識である法則云々はともかく、1撃目より強い2撃目で1撃目を誤魔化しただけなのに、感心しきりのエリカとハクト。
グラスは、2人が自分以外に騙されないかかなり心配になる。
「……あぁそうでした。後日になって怒鳴り込んで来られそうなので予めここでお伝えしておきますが、私は明日と明後日は非番ですので」
「ん? 何かあるの? あ、そうだ。御前試合の入場券渡しておかなきゃね。――はいっ」
既にエリカの中では、明後日にグラスが自分の応援に来る事が確定しているようだ。
実際に行くかはまだ分からないが、拒否する訳にもいかず、とりあえず受け取っておくグラス。
「……で、グラスさんは休日は何をするんだ?」
ハクトまでもが問いただす。
プライベートを詮索される事に違和感があるが、一応用意しておいた言い訳を述べる。
「米の残りが少なくなっておりますので、預けておいた知人宅に取りに行きます。ついでにお茶の葉を購入したり漬け物を漬けたりと、大半をそれらに費やしてしまいそうです」
実際は明日、アスラから譲り受けた日雇いバイトの内容を聞く為、王都一の情報屋兼仲介役の酒場に行く事になっていた。
「ふ〜ん。ところで、お茶まだ?」
「……」
「ま、まぁまぁグラスさん。グラスさんだって休憩した方がいいぜ?」
♢♢♢
という訳で、アスラからもらったアルバイトだ。
指示された日時がかなり遅めであったので、ライト学園に潜入して働いていたが、約束は約束。ちゃちゃっとこなして終わらせよう。
使用人グラスから、普段の15才クロノへと戻り、古めかしい酒場の門をくぐっていく。
顔を覆う形でターバンのように巻いているので、皆の視線を一身に受ける。
だが、特に何かされる事も絡まれる事もなく視線は外され、すぐに内輪での飲みに戻る。
中には野蛮そうな見た目の者達はいるが、静かにテーブルやカウンターで酒を嗜んでいた。
全員の意識は未だに俺に集中しているが。
気づかぬ振りをし、俺もカウンターの端へ着く。
隣の老人からできるだけ離れて。
「注文は?」
「『ハバルケーレの
「……」
カッコ良く決めて、バーのマスターの正体を見破る。
「――ワシの正体を初見で見破ったのは、お主で2人目よ。一杯奢らせてくれ。おい、こちらの方に30年物を」
隣のお爺さんが、しっかりとした足取りで近付いて来た。すかさずマスターに注文している。
「これくらいできなきゃ、今回の仕事は受けられない。……そうだろ?」
……こっち、だったか……うん知ってた間違えてないよ。このお爺さんは第二候補だったもの。
「……目に自信と力がある。大物なのは間違いなかろう。うむ、お主の言う通りよ。だが、今回は依頼の出所が分からん。この『ハバルケーレの咎人』の力を持ってしても。裏の人間ではなさそうなんだがなぁ……」
隣に座りながら、早速内容について話し始めた。
俺はお眼鏡にかなったのか、酒場全体の意識から俺が外れる。どうやらこいつらは全員、このお爺さんの用心棒らしい。
「罠の可能性もあるって事だね」
「その可能性が高いと思うとる。だけどもぉ、表の人間にしては、こちらの作法をよく知っておる依頼の出し方だったんじゃ。それで一応、近頃評判のお主に渡りを付けさせてもらった」
目の前に、マスターから赤ワインの入ったグラスと共に……どっしりと金貨の詰まった袋が置かれる。
「……」
「見ての通り金額もかなりのもんで、しっかりと前金まで用意されとる。依頼後には、もう半分だそうだ」
わぁい。
真面目に働くのが馬鹿らしくなりそう。
「それで、内容は?」
「……うぅぅん、それがぁ……珍しいパターンではないが……暗号らしきモノと場所を預かっているだけで……」
珍しくないと言いつつ、顎髭をさすりながらかなり言い辛そうにする。
「はっきり言ったらどうだい?」
「ならお言葉に甘えるが、……場所が――」
それは予想外の場所であった。
「――王城。明日、御前試合のある場所なのだ」
ワインを一気に飲み干した。
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