第22話、グラス・クロブッチ

 

 セレスティアの、描写をいくつも飛ばしたかのような光速の抜剣。


 幾度か目にした事のあるハクトやエリカですら全く見切れず反応もできなかった。


 ましてや一介の使用人に為す術などあるはずもなく、首筋に添えられた白刃に微動だにできずに怯えている。


「……」

「お、お許しを……」


 セレスティアの見定める鋭利な視線を真っ直ぐに受けて、黒縁くろぶちメガネの使用人は息をみ、両手を上げて命乞いのちごいをしている。


「……………気のせいですね。申し訳ありませんでした」

「ほっ……」


  剣を引き、鞘に収めながら心からの謝罪を送る。


「私の勘違いで嫌な思いをされたでしょう。……お怪我はありませんか?」

「え、えぇ、かすり傷一つありません……。……私が何か失礼をしてしまっていたのでしょうか」

「いえ、そのような事はありません。少し……以前に出会った方に似ていらしたものですから」


 気まずそうなセレスティアに先程までの覇気はなく、すっかりいつもの調子を取り戻していた。





 ♢♢♢





「――お味の方はどうでしたでしょうか、ハクト様」


 ハクトに食後の緑茶を差し出しながら訊ねる使用人。


 気を取り直してまずは軽食となり、使用人の用意したお茶漬けに舌鼓したつづみを打った。


「な、なんでオレに訊くんだ?」

「王族の方々に不味いと言われたら立ち直れないかも知れないからです」


 そんな使用人を見かねて、エリカが溜め息の後についつい口を出す。


「心配しなくても――」

「あ〜っ、あ〜!」


 しかしあろう事か耳をふさいで大声を出し、王女たるエリカの言葉をさえぎる使用人。


「この人ホントに使用人!?」

「うふふ、本当に面白い方ですね。……ご安心ください。お茶漬けという物を初めて口にしましたが、私はとっても気に入りました」


 セレスティアが、エリカの声に知らんぷりを決め込む使用人にいつくしむような微笑を向けて言う。


「光栄なお言葉をたまわりまして、恐悦至極きょうえつしごく御座ございます。……このお米は私の知人の魔人族が作っているお米なのですが、王家御用達ごようたしと宣伝させてもらってもよろしいでしょうか」

「え、えぇ、私の名を使うのでしたら構いませんよ?」


 ここぞとばかりにポジティブ解釈でセレスティアの認定をかっさらう使用人。


がたき――」

「ダメに決まってるよ! いきなり何を言ってるの! ちょっと、あなた! 使用人が王女にそんな気安くものを頼んでいいと思ってるのっ? あなたの名前を教えて!」


 たまらずエリカが口を挟む。


「……お断りします」

「断られた!? いやいや断れないから!」

「あっはっは、こりゃ傑作けっさくだ」

「ジョークじゃない!!」


 誤魔化そうとする使用人だが、調べられたらすぐに分かる事なので何とか説得を試みる。


「……名前を聞いて、どうなさるおつもりですか?」

「勿論学園長に言いつけるよ」

「……………“イキリ・メガネ”です」

「明らかに嘘じゃん! 王女に嘘吐いたらダメだよ!」

「自分が気に入らない者は即排除ですか。そうして次第に諫言かんげんする者もいなくなり、独裁者の完成と」

「嫌な事言うな!!」


 いつものエリカらしからぬ乱暴な物言いに、ハクトは目を見張る。


「エリカ。この方の言にも一理ありますよ。少し落ち着いて話しましょう」

「うっ、うん……」


 姉の言葉に、頭を冷やされて静かに席に着くエリカ。


 しかし黒縁メガネを得意げに中指でクイっとする使用人に、苛立いらだちを隠せないようだ。


「ですが私も貴方のお名前は気になります。お教えくださいませんか?」

「……名前を聞いてどうなさるおつもりでしょうか」

「それはもういいから!!」


 何人なんぴとあらがえない威光を持つ神々しいセレスティアの問いにも、遠慮なく疑ってかかる使用人。


「……“グラス・クロブッチ”と申します。よろしくお願いいたします」

「……渋々だね」

「ふふ、渋々ですね」


 エリカの怒声に、渋々、恭しくお辞儀をして自己紹介する使用人グラス。


「グラスさん。良いお名前ですね。私はセレスティアと申します。これからよろしくお願いしますね?」

「かしこまりました……」


 ピンと姿勢良く岩に座るセレスティアも丁寧に名乗り返す。


 姿勢良く背筋を伸ばしている為に豊満な胸が強調され、ハクトが視線のやり場に困り果てている。


「さて、グラスさんのお話は後のお楽しみとしておいて……。先にお仕事のお話を終わらせておきましょう」

「そうだね。グラス、少し席を外してくれる?」


 自分達の前に温かい緑茶を用意したグラスが静かに一礼し、了承する。


「いえ、そのままで構いません。すぐに終わりますから」

「え? でも……」


 黒騎士の情報は機密扱いの為、グラスに聞かせるのは不味いだろうというエリカとハクト。


 だが、セレスティアはボカしながらも構わず話し始める。


「私がおきしたいのは一つだけです。あなた達が出会った騎士が、“黒い装飾剣”を持っていたかどうか、それだけです」

「黒い装飾剣? ……ううん、そもそも鎧は着てたけど武器は持って無かったよ? ねっ」

「あぁ。間違いありません。……武器もなしに、ショーク邸を破壊して何をしたかったのかは分かりませんが……。唯一の手がかりだった少女達も旅の途中で逃してしまいましたし……それに――」


 ハクトの行き過ぎた言葉を咎めるように、エリカが大きく咳払せきばらいをする。


 瞬間、ハッとグラスの存在を思い出す。


「悪い……」

「ホントに気をつけてね? ハクトはその辺の配慮が足りないよ」


 エリカの苦言とセレスティアの微笑ましそうな視線に、たまれなくなり身を縮めるハクト。


「私が確認したかったのはそれだけです。後は……そうでした。これも伝えておきましょう」


 思い出したように手を合わせ、エリカへ笑顔で告げる。


「今年の御前試合は、エリカ。貴女に出場してもらう事になりました。しっかりと体調を整えておいてくださいね?」

「……え?」


 久しぶりに飲む緑茶の苦味を感じて眉をしかめていたエリカの、随分と間の抜けた声が漏れる。


「こ、今年も姉様が出るんじゃないの? 毎年、無謀な腕自慢をボコボコにしてるじゃん」

「それが、私はお父様の護衛をしなければならなくなりました」


 エリカの歯に衣着せぬ物言いに苦笑いのセレスティアが言うが、ハクトもエリカもその理由が分からない。


 何せライト王には、近衛騎士団と団長のハルマールが付きっ切りで護衛をするはずだからだ。


 会場全体も英雄ライオネルの率いる騎士団が警備をするはずで、セレスティアが直々に国王を護る必要があるとはとても思えない。


「なんでか、理由は訊いてもいいの……?」


 エリカの問いに、ハクトは息を呑む。


「はい。構いません」


 しかしセレスティアは、特に気にする様子もなく淡々と返した。


「――お父様の命を狙う誰かさんが、凄腕の刺客を雇ったという情報があるからです」


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