第2章、王都暗躍編

第17話、鬼

 

「――ふぅ〜」


 持っていた苗を植えきり、蒼穹そうきゅうにあって燦々さんさんと日光をぶちかましてくる太陽を見上げて一息つく。


「おお〜い! クロノぉ、そろそろ休憩だぞぉ!」

「う〜い!」


 休憩時間よりも随分早くから休憩していた父ちゃんの声が響く。


 地球の日本の田舎のような、田園と森に囲まれた緑溢れる景色に心癒されながらの田植えだ。


 田植えはいい。心を無にでき、気持ちのいい汗がかける。


 あれからハクトやリリア達の元から、実家の手伝いをしに帰省していた。


 ついでに、泥が足の指と指の間からニュルってする感覚がクセになる。ゾワゾワする。


 初めは抵抗感があったが、慣れるとむしろ恋しくなるのだ。


「クロノ、あんたはもういいよ。6割も一人で植えたんだから、後は父ちゃん達にやらせな」

「分かった。……あれ? ヘイさんは?」


 村一番の広さの我が田んぼ。その端に陣取ってお弁当を広げていた母ちゃん達の元へ戻ると、いつの間にか兄ちゃんの嫁さんの“ヘイ”さんがいなくなっていた。


 うちの里で一番人気の気立てのいい娘さんだ。兄ちゃんと揃って、美男美女夫婦なのだ。


「ヘイちゃんなら、シュウがすっ転んで汚した服の着替えを取りに行ってるぞ」

「……」


 兄ちゃんに、ガキかよ……という目を向けるとスッと逸らされた。


「……お前、やたらムキムキになったな……。米の研究者なのにどうやったらそんな体になるんだよ……」

「田植えやって、田んぼを荒らすガキや害獣を蹴散らして、稲刈りやって、精米してたらこうなるよ。旅の中でも悪人を成敗したりしてるしね」


 現在は家族の手前、年相応の20才くらいの見た目に変えている為に、兄ちゃんが兄の威厳の危機を感じている。


 エルフはもっと早いらしいが、魔人族はこの頃から見た目の成長が遅くなるので、見た目に関しては帰省時には暫くこれで行こうと思う。


「……米も善行もいいが、お前も早く嫁さんを見つけて来い。別嬪べっぴんじゃなくていいから優しいのを連れて来い。キッツイのは止めとけ。苦労するぞ」

「母ちゃんに文句でもあるの?」

「は、はぁ? ある訳ないだろ馬鹿野郎。俺には母ちゃんしかいねぇよアホンダラぁ。こんな母ちゃん一筋なやつ見た事ある? 俺ぁ無いぞコンチキショー」


 真後ろの母ちゃんの視線を敏感に感じ取った達人のような父ちゃん。


「俺はいいんだよ、俺は。今はお前の事だろが」

「縁があればね」

「ったく……」


 父ちゃんの小言を受け流して近くの川で手を洗い、青空の下で母ちゃんのおむすびを食べる。


 ……美味い。流石、俺が精魂込めて作った米だ。


「……」


 空を行くヘンテコな鳥を眺めながら、先日の物語の始まりに想いを馳せる。


 上手くいって良かった。


 プランは変更したけど、ハクト達とのファーストコンタクトはバッチリだった。


 仲間との出会いとパーティの結成。


 果たして勝てるのかという程の謎の敵との遭遇。


 ハクト達はこれから黒騎士を目指してドンドン高みを目指して行く事だろう。


 そしていつの日か黒騎士を倒し、魔王を倒す。


 2回やられなきゃいけなくなっちゃったが、ポジティブシンキングだ。両方の役を味わう事ができるというだけだ。


 ……リリアに言いたい事を伝えた時は、ちょっと出過ぎた真似をしたかもと思ったが、結果オーライだ。


 鎧着てて良かった。貰い泣きしちゃったもの。


 去り際にリリア達に何か困った時の為に住所も教えて、秘密を守ってくれるか念を押したらバッチリ分かってくれてたし。


 何の文句もないな。


 ……お金が無い一点以外は。


 魔力による怪人軍団を諦めつつある以上、ちゃんとした方法で部下を集めなければならない。


 悪人だけの全滅前提の魔王軍を作るのだ。


 それを集めるにはかなりの金が必要だ。人件費が。


 あと悪者を探したり、雑務をサポートしたりする人材が欲しい。ついでに自宅の警備員も。


 その人達の給料も必要だ。


 ……王都で地道にバイトでもしようかな。




 ♢♢♢




 ピョンピョンと森や崖を駆け抜けて、我が魔王城への帰路へ着く。


 田んぼの手伝いも終わり、細かな指示も母ちゃんに伝えて後顧こうこの憂いなく帰る。


 しかし、さっき実家を出る際に母ちゃんから言われた話が気になる。


 最近、山を2つ程越えた向こう……まぁつまりこの辺りには……『鬼』が出るらしい。


 どうやら山賊狩りの『夜渡りナイト・ウォーカー』なる者がいて、そいつを探して山賊を退治して回っているらしいのだ。


 まずこれだけは言っておこう。


『夜渡り』は、俺じゃない。


『夜渡り』は、俺が魔王城の改築に夢中になっている時期にも活発に山賊を狩っているようなのだ。


 善良な人達にとってはヒーローなのだろうが、この二勢力のお陰で我が魔王軍は資金難に陥っていたのだ。


 だからこうして狩り場を分けないかと提案する為に探しているという訳だ。


 ……見つけた。


 相手方に隠れるつもりがないからか、少し探しただけで……かなり大きな魔力を放つ存在を感知した。


 ここまでピリピリと届いてくる。


 これまで出会った中でも、あの異常な強さの黒翼の男以外ではダントツだ。


 地球時代に好きだった忍者漫画を真似て、木から木へ飛び移りながら魔力の元へ向かい、……目標の手前に降り立つ。


 するとそこには……。


「……このような森の奥深くに若僧とは面妖な。……何者だ」


 2メートルを超える筋骨隆々の巨体に鎧を纏い、その身の丈よりも長い矛を担いだ大男が。


 険しく鋭い眼光の三白眼に、厳つい顔つき。


 そして、額から天へと突き出た……二本の角。


 まさしく、――『鬼』だ。


 その鬼が、胡乱うろんな者を見る目付きでこちらを睨みつけている。


 この方が森を飛び交い易いので、15歳くらいの容姿に変化していたのが怪しさ満点だったらしい。


「君がこの辺りで『夜渡り』を探して回ってる『鬼』とやらだね。今日はちょっと話があって来たんだ」


 王として会話する以上、魔王たる者、初対面と言えども敬語は使わないのだ。


「ふん、ようやく逃げ回るのを止めて出て来たという訳か」

「は? ……あぁそうか。言っておくけど、俺は『夜渡り』じゃ――」


『夜渡り』でない事を伝えようとした矢先に、地面と平行になる程に上体をる。


 剛と言うに相応しい俺の胴を狙った一撃が、空を見上げる俺の眼前を通過する。


 矛の薙ぎ払いより一拍遅れて突風が追い付き、周囲の木々をざわめかせる。


「――これを避けるか。いつぶりであろうか、一撃で葬れなかったのは。否が応にも心が踊るではないか」

「……話を聞いてくれないかな。俺は『夜渡り』じゃないよ」


 上体を起こして説得を試みる。


「……構わん」

「構いなさい。殺人未遂なんだから」


 一度逡巡する様子を見せるも、すぐに矛をグルングルン回して構え出す鬼。


「剣を抜け」

「いや、意味が分からないんだけど。そもそも闘う理由がないし」

「理由など知れたことよ。その強さ。貴様も相手に困っ――」

「――な〜んて事は言わないよ。安心してくれ」


 闘いたいと言う人がいて、俺には受けて立つ強さがある。


 強くなった自分の力を存分に試したい気持ちも分からないでもない。


 大した手間でもないし、ちょっくら稽古をつけてやるか!


「理由無き、オーディエンス無き、キャメラマン無き、そんな闘い大いに結構。あぶない刑○のタカさんだって、あんま意味なくてもとりあえずぶっ飛ばしてたもの。……ほらっ、胸を貸してあげるよ。かかっといでっ」

「……」


 腹をポンと叩き、大人が少年に相撲の稽古をつけてやる心持ちで臨む。


 そんな分かりやすい挑発は、このどっかの呂布みたいな相貌の鬼には通用せず、油断なく……槍舞のような動きで次第に速く矛を回転させ始める。


 既に彼の矛の間合いであるが、何の工夫もない威力や速さ任せの一撃目とは本気度が違う。


「――ふんッッ!」


 見事な槍さばきで、縦に振り下ろしてくる。


 大気が震える。


 速く、重い、その身に宿るパワーを遺憾なく発揮させた一振りだ。


 だが、矛は空を切る。


「ぬっ……」


 豪風を生む矛を余裕を持って見切り、ゆらりと軽く身体をズラして避け、地面を穿うがった矛の先端を踏みつけた。


「――ぬんッ」

「お?」


 簡単に抜けない事を悟った鬼が、全身の筋肉を盛り上がらせて力尽くで俺ごと持ち上げようと踏ん張る。


 予想を遥かに上回る膂力りょりょくによって身体が浮き始めたタイミングに合わせ、足をどかす。


「ぐっ!?」


 よろめいてできた隙をついて一歩踏み込みながら剣を抜き放ち、喉元に突きつける。


「ッ……………ぬぅぅんッッ!」


 数秒だけ硬直するも、矛を大きく回転させて剣を弾き、俺を後方に退かせる。


 わざと弾かせた剣がクルクルと回転しながら落ちて来て、飛び退いた俺の手に収まる。


「……童の皮を着た……化け物であったか」

「鬼に化け物呼ばわりとは、光栄だよ」


 柳眉りゅうびを逆立て、大きな矛の穂先を突きつける鬼。


 そしてそのまま、目を閉じて何かしらの思考を巡らせる。


 数秒の後に目を開き、その時には迷いを断ち切り決断した様子であった。


 彼が口を開く。


「……許せ」

「許す」

「……………まだ何も言っとらん」

「君が何を言おうと許すよ。俺にはその力がある。存分に甘えるといい」


 鬼の身体が、1つ身震いした。


 俺としては挑発のつもりだったのだが、まったく効果は無いようだ。


「……自らで鍛え上げた『武』のみで語り合いたかったが……。どうやら貴殿を退屈させてしまうだけのようだ」

「……」


 口調自体は冷静そのものだが、どこか悔しさを滲ませているように感じる。


「故に……」


 鬼の何倍にも膨れ上がった殺気と魔力により、静まり返っていた森が激しく揺れた。


 鬼の身体が紫のオーラに包まれて、その姿を変貌させていく……。


 大きく……。


 分厚く……。


 紫の肌をした異形の修羅へと……。


『――我が名は“アスラ”。無双を誇りし我が真の姿にて、雌雄を決しようぞ!』

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