第15話、リリア

 



 〜時は少しだけ遡る〜





 失神しているシーリーと執事を除いて、目の前で起きた惨劇を目の当たりにしたリリアも獣人の少女も、声もなくただただ茫然自失となっていた。


 いや、あまりの恐怖に動けずにいた。


 鎧の男の立つ場から先がはっきりと削除され、外の景色が丸見えとなっている。


 そこから入り込む闇夜を照らす月明かりと、場違いに吹き付ける春風のようなかおりだけが、その場を包み込んでいた。


 リリアのへたり込んでいる場所からでも、その暴虐の跡が確認できた。


 あれだけ立派であった屋敷が消え、庭も木々も見る影もなく失われていた。


 残ったのは、何もかもを消し去ってしまった闇色の鎧の男だけだ。


 今この者は何を考えているのか、少女達はそれだけが気になってしまい、邪悪な意思が自分達へと向けられないか気が気ではなかった。





 ♢♢♢





 ……ビームが出るはずだったんだ。予定では……。


 見晴らしのよくなった屋敷の二階から、暗闇を唯一照らす満月を仰ぎ見て思う。


 鎧の中で、蒸れる暑さに耐えながら。


 目線を下げると、そこには隕石落下を思わせる惨状が。


 練習もなしにこの世界の『放出型』にチャレンジしたもんだから、上手く魔力が纏まらず、球形に拡散してしまった。


 ビームで屋敷が少し風通しが良くなるだけのはずであったのに。


 しかも、かなりの魔力を無駄に使った感触もあった。


 意外に難しい事してたのか、あの黒翼の男は。


 黒翼の男を模倣した『放出型魔力砲パクリ・ブラック』は、要練習として……。


 やはり俺には、人体改造にモノを言わせて身体に魔力を凝縮させて戦う、破茶滅茶肉弾スタイルの方が合っているのかも。


 再度目の前の惨状に目をやり、しみじみと思う。


 魔力とはやはり、数学のように深いものなのだな。


 さて、それよりもだ。


 ……後ろにいる少女達の視線を感じる。


 ゆっくりと振り向く。


「っ……」

「クゥンッ!?」


 明らかに身を強張こわばらせて怯えている。


 派手にやり過ぎたからだろう。日サロ野郎に腹が立って、頭に血が上っていたから歯止めがきかなかった。


 できるだけ怖がらせないように、まずは傷の具合が酷そうな獣人の少女に歩み寄る。


「ひんッ、クゥンッ」

「……」


 ピンク髪の少女の背に隠れて、頭隠して尻隠さず状態だ。


 このような場合、仲良くなるにはどうするんだったか……。


「――俺の腕を噛め」

「ひんッ!?」


 とりあえず、噛んでもらう事にした。


 腕のガントレットを外し、生身の腕を少女に差し出す。


「噛むんだ、さぁ……」

「……」


 敵意が無いことを、自分の身を差し出す事で示すのだ。


 すると、涙目でプルプル震えながらも……。


「……………はむっ」

「よし、よくやった。君は怯えていただけだ。でもこれでもう怖くない。俺達は仲良しだ」

「……ぅぅ……ひんっ、ひんっ」


 何故か尚もプルプルと震えるこの子の、汚れていても鮮やかな水色髪を優しく撫でて……すかさず提案する。


「このままだと……おそらく君は死ぬ。だから、少し君の体を改造させてもらえないだろうか」

「……?」


 不安げにビクビクとしながらも、ボロボロの服から覗く尻尾をゆりゆりと揺らし始めて目を細めていた少女が、小首を傾げる。


「……いや、もう勝手にするよ。痛いかも知れないけど我慢してくれ。……ちなみに、その右目は開かなくなったのかな?」

「……んっ。……………むぅッ!? むうぅぅぅぅううううううッ!!」


 牙が深く腕に食い込む。


 撫でていた手に魔力を込めて、人体を改造する。


 苦痛なのか、ビクビクともだえ苦しんでいる。


 だが、しばらく耐えてもらう他ない。


「っ……」


 隣の少女も息を呑んで、何事かと目を見開いている。


 だが今は集中だ。


 そして、数分ほどの『クロノ施術』が終わると……。


「――ふぅ。……ほら、目を開けてごらん」

「ふーっ、ふーっ、……ん、んぅ? ……………あいた、……見えるっ!」


 目を開けて上機嫌で告げてくる、これまた愛らしい容姿の少女。全身から傷も無くなり、透けるような肌は健康そのものだ。


 初めてだったが、上手くいったようだ。


 眼球が失われた訳ではなかったから、俺の改造でも治療できた。


 ぱっちりとした無垢むく双眸そうぼうで俺を見上げる少女。その頭をぐしぐしと撫でてやると、この僅かな時間の間柄とは思えない程に嬉しそうに受け入れてくれる。


 そして、程いいところで手を離し、隣の少女へと体を向ける。


 ポテ、と獣人の少女が俺の手を自分の頭に戻す。


「……」

「……」


 ぐしぐしぐしぐし……。





 ♢♢♢





「よし、いいかい? 俺はこの子とお話しがあるから、大人しく待ってるんだ」

「んっ」


 神の如き力で裁きを下した黒い鎧の男。


 リリアにはこの魔王クロキシンを名乗る存在が、たわむれに降りてきた邪悪な神に思えてならなかった。


 地上の存在を否応なしに畏怖いふさせるオーラ。


 黒いモヤにより獣人を手篭めにする無慈悲さ。


 そして、あの強大な翼の男を羽虫の如く消し去った……超常の力。


「さて……」

「……」


 自分もあの黒いモヤでオモチャにでもされるのだろうか。


 今日だけで数え切れない程の死を覚悟したリリアでさえ、不安と恐れでカタカタと震える。


「あの時の言葉の続きを言わせてくれ」

「ぇ……」


 あの時とは……、まさかお母さんの話だろうか。


「君のお母さんは嘘を言っていない」

「……」

「お母さんの努力は確かに見つけられたと断言できるよ」


 そんな事はない。


 この邪悪な存在は、自分の心をもてあそんで楽しもうとしているのだ。


 あの翼の男の次は、自分を獲物と定めたらしい。


「勿論根拠がある。―――――君自身が、あんなに語って聞かせてくれたじゃないか」

「……わ、たし?」


 男の妙に自信ありげな言葉に、自然と思考を働かせる。


 自分はお母さんの足枷にしかならなかった筈だ。


 望んでないのに自分を産んで、時には自分のせいで叱られて、自分の分まで働いて、そして結局自分のせいで……。


「君のお母さんがどれだけ苦労したか、どれだけ懸命であったか、どれだけ優しかったか、どれだけ愛してくれたか。あんなに詳しく教えてくれた」

「……」

「胸が熱くなったよ。……お母さんは、君に努力を見付けてもらえたから、君にそんなにも優しくなれたんじゃないかな」

「ッ!!」


 れたはずの涙があふれる。


 邪神と思しき男の真摯しんしな語りに、言葉にし難き想いが次々と込み上げてくる。


 優しかった母との思い出が駆け巡り、1つの記憶が思い起こされる。


 何という事はない。


 2人でせっせと洗濯物を干しながら会話をしている場面だ。


『ねぇ、お母さん』

『ん〜? なぁに?』


 自分の不満げな声にも、痩せ気味のやつれた顔のまま、いつもの優しい声音で返している。


『お母さんは、なんでいつもそんなに楽しそうなの? 毎日毎日、お仕事ばっかりなのに……』

『え〜? ふふ、それはね――』


 あの春の日差しのような温かい笑顔を自分に向ける。






『――リリアと一緒だからよ?』






 声を上げて泣いた。


 お母さんに会いたいと、お母さん愛していると、胸の内にある想いを大声で叫んだ。


 せきを切ったように、力の限り。


 邪神の胸にすがり付き、天に届けと泣きわめいた。


 それはなげきであり、悲鳴であり、……愛のメッセージであった。


 他人の目も涙を見せる事もいとわず、ただ感情を吐き出した。


 それを柔らかく抱きとめ、静かに見守る男。


 やがてリリアが泣き止み、落ち着いた頃合いを見てから男は口を開く。


「……君の努力もお母さんが見付けてくれていた。それだけで足りないなら、俺が2人目になるよ。君の話を信じているんだから、権利は持ってるよね」

「……」


 涙で少しばかりれた目で見上げると、鎧の隙間から優しい黒い瞳が2つ、自分を見つめていた。


 そうか……。


「だから君には、努力したこの世界で報われて欲しい」


 今、はっきりと確信した。


 間違いない。


 たとえ、邪悪な神様だとしても構わない。


「君にも、俺の施術を受けてもらうよ。それで全てが良い方向に転ぶとは言い切れない。けど、俺がお母さんと君の為に……何より自分の為にやりたいんだ」


 この神様が、私の……。


「……はい、お願いします……」


 月に見守られ、包み込むような温かい風に祝福されながら、黒き邪神の手により、リリアの第2の生が始まった。

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