第11話、少女と盗っ人
ガタンガタンと激しく揺れる劣悪な馬車の檻の中で、尻を打ち付ける苦痛に無表情のままに耐える。
涙は枯れた。
“リリア”。それが、この者の名前であった。
リリアは、男爵家の領主と使用人との間にできた子で、優れた能力と小柄で愛らしい見た目から、領主の妻や実子達に
リリアには優しい母がいて、使用人として共に働いていた。
領主……つまりリリアの父は厳しく冷たい印象を覚える人物で、母や自分にも使用人として接していた。
その距離感が普通だと考えていたリリアにとっては、父の実子達に虐められ、与えられた仕事に従事する、これが日常であった。
身体には年中
不思議には思わないが、辛くない訳ではない。
けれど、そんな時には母の言葉がリリアを救った。
『いつか、あなたの努力を見つけてくれる人が必ず現れるから』
どんな人だろう。
子供心に、白馬の王子様のような像を脳裏に浮かべて心躍らせていた。
だが、今年のニノ月……リリアの母が他界した。
死因は、事故死。
事故と言っても、買い物帰りに盗賊に襲われたらしい。
葬儀は行われず、簡素な墓に埋葬されただけだった。
それからのリリアは、部屋では泣き、傷ついた心のままに激務をこなし、疲れ果ててベッドに入るもろくに眠れない、そんな日々を過ごした。
果たして、母の努力は誰が見つけてくれたのだろうか、何故こんなに苦しいのだろうか、生きている意味はあるのだろうか、そればっかりが頭の中でグルグルと渦巻いた。
そして、いよいよリリアにも限界が訪れようとしていた頃――
『――おい』
声の主は、領主であった。母の死にさして興味も示さなかった、冷徹な男。
名前で呼ばれた事はない。いつもの呼ばれ方だ。
ここまで来れば、この男と母との間に愛がない事くらいはリリアにも分かっていた。
『なんだ、その目はッ』
『い、いえ、申し訳ありません』
疲れからか、仕事のできるリリアも感情がついつい表に出てしまったようだ。
『ふん。まぁいい、来い』
『かしこまりました』
フラつく足で、さっさと前を歩く領主に付いて行く。
その足の向かう先は玄関を越え、門の辺りに停まっていた一つの馬車の元であった。
大きな布が被せられた正方形の……恐らく
開けると猛獣がうろついていそうな。
『乗れ』
『ぇ……』
リリアには意味が分からない。
言葉の意味ではなく、その行動をする意味が分からない。
すると、あからさまに面倒そうに顔をしかめた領主が、クイっとアゴで指示を与える。
『へい。……おらっ! さっさと乗れやっ!』
『い、いやっ、なんで! いやっ!』
大柄な男性使用人に無理矢理檻の中に放り込まれ、逃げ出さないように出口に錠をかけられる。
『旦那、あの上等そうな服はどうしやしょう』
『構わん。やる。だが女には手を出すな。伯爵への贈り物だ』
『へへぇ。……へっへ』
この馬車の運転手らしき中年男が、
『やっとスッキリしましたねぇ』
『あぁ』
自分は売られたのかと失意のどん底にいたリリアに、更なる絶望が襲いかかる。
『――母親の始末は楽だったのだがな』
頭の中が、真っ白になった。
『妻が
『まったくですね。領主様は天に愛されて――』
まだ何か話しているが、体に力が入らない。
思考も停止し、ただただ涙を流す。
この世の理不尽を呪う事も、復讐に身を焦がす事も、そんな思いすら湧いて来ない。
生きる事すら諦めたくなっていた。
上も下も前も後ろも分からず、身体がフワフワと浮いているようだった。
気付いた時には布切れ一枚となり、
あの運転手の男に何かされた様子はないが、もうじき衰弱死する可能性は高いだろう。
母の元に行ったら、恨み言をたくさん言おう。
リリアには、それこそが救いのようにも思えた。
そんな時、馬の
♢♢♢
ドジを踏んで……いや四股を踏んだんだけど……。
兵士5人がかりで穴から救出。その後に縄でグルグル巻きにされ、そのまま猛獣用のような大きな檻の並んだ地下室へ放り込まれた。
「着たものが何で脱げなくなるんだよ。面倒な盗っ人だなぁ……」
「もういい。檻に入らんのなら、そこらの椅子にでも縛り付けておけ。それより早く獣人の檻の移送を手伝うぞ」
「了解」
やっと諦めてくれたか。
素顔は
魔王たるこの俺の尻をバシバシ叩いてくれちゃって……。
軽く地下室を見渡す。
この地下室には、現在俺と隣に置いてある檻の中の少女の2人だけだ。見張りもいない。
なんでも、手間のかかる獣人の檻を上の階に運ぶ作業が難航しているんだとか。
檻の少女へと目を向ける。
「……」
虚ろな瞳で倒れ伏す、薄い桜色ショートカットの小柄な少女。あどけなさの残る非常に愛らしい顔付きなのに、痩せ細ってしまって傷も多数見られる。
この子もきっと、ここの伯爵の犠牲者なのだろう。
「……もうすぐ助けが来るはずだよ。それまで――」
「そうですか……」
その弱々しい感情のない言葉に、自然と視線が彼女に流れる。
力なく横たわる彼女は、俺の目には痩せた見た目以上に弱っているように見えた。
「嬉しくないの?」
「……」
単純に、どうして救助に関心がないのか気になった。
すると、俺の兜の僅かに空いた穴からの諦めない視線に嫌気がさしたのか……。
「……無責任に助けられても、苦しいだけです」
その後に、少しずつポツリポツリと語り出した。
自分の身の上、お母さんの事、ここへ来る事になった顛末……。
この世界では珍しい事ではないが、中々に不遇な人生を歩んで来たようだ。
「……これから楽しくなるかも知れないよ?」
「またこんな……これ以上の思いをするかも知れません」
「それは……否定できないね」
ハクトに助けられても同じ事が繰り返される可能性だってある事を、この子は知っている。
ただ、どうしてもこれだけは言っておきたい。
「俺は、君のお母さんは嘘は言ってないと思うよ」
「っ!!」
死に体だった少女が跳ね起き、檻を力の限り揺さぶりながら怒りの感情を爆発させる。
「お母さんが幸せだったとでも思うのですかっ!! あの男の勝手で私を身ごもってっ! 挙げ句の果てに殺されてっ!!」
「……」
「誰があの人を理解してくれたんですかぁぁ!! 誰もいません!! 誰一人いませんっ!! あの人の努力は結局報われなかったんですっ!!」
「……」
「あんなに真面目に働いていたのに!! あんなに一生懸命だったのにっ!! あんなにっ、……あんなに……優しかったのに……………」
血を吐くように激情を吐き出した少女から力が抜けていき、ゆっくりと崩れ落ちていく。
「……俺は――」
地下室の扉が開く。
「――そこの女を連れて来い」
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