第9話、暗躍する者される者

 

 シーリー・ショーク伯爵の話では、そのハンサムアーチャーなる盗賊は神出鬼没。闇夜に紛れて巧みな弓さばきで雇った用心棒達を撃ち抜き、風のように素早く金品を盗んで去って行くのだとか。


 そして、どうやら近々この屋敷もターゲットとなるという噂があるらしい。


「……話は分かったよ」

「えぇ、ですからいくら武勇に名高きライト王国王女殿下と言えども、くれぐれもご注意ください。あなた様に何かございますれば、私は陛下に顔向けできませぬ。数日はこの屋敷に近付いてはなりませぬぞ」


 顔を油でテカらせながらも真剣に説くシーリーに、エリカは一度瞑目してゆっくりと考えてから、答えた。


「……無理はしない。けど、見過ごす事もできない」

「殿下っ!」

「相手が1人なら護衛の……」


 後ろに控えて立っているハクトへと視線を向け、


「……この子と私が負ける事はないよ」

「……それは、……そうなのかも知れませぬが……」


 武の腕ではエリカ自身もとても優れており、その護衛に選ばれた少年もかなりのものの筈だ。


「とりあえずできるだけ夜の警備には顔を出す事にするよ。早速今日からね」

「で、殿下が警備などとんでもない!!」


 決定事項だとばかりに立ち上がり、ハクトに預けていた剣を腰元に戻したエリカ。


 そして慌てて言い募るシーリーを受け流して……。


「……あれ? ……………なんか、揺れてる?」


 ハクトが素早く部屋のドアを開けた瞬間、……屋敷が僅かに揺れた。


 微かに重低音のようなものも聴こえてくる。


「……申し訳ありません。現在、この屋敷には領内を暴れ回っていた凶暴な獣を閉じ込めておりまして……」

「……何で、そんなものを?」


 殺生が好きなわけではないが、危険な獣なのであれば連れ帰らずに駆除すべきだとハクトもエリカも考えている。


「獣と言っても、……獣人なのですよ」

「伯爵、あなた獣人を獣呼ばわりしたの?」


 エリカが苛立たしげな声色と共に、鋭い目付きでシーリーを睨む。


 確かな実力者の突き刺すような視線に、さしものシーリーも脂汗を噴き出させながら怯んでしまう。


「お許しを……。私も、領民や……部下の者達をやられて冷静ではいられなかったようです」

「……そうだったの……。でも気を付けてね? ライト王国の爵位を持つ者として、種族の蔑視は厳禁よ?」

「はっ。しかと胸に刻みまする」


 頭を下げたシーリーに釘を刺した上で少しその獣人の事が気にかかり、特に考えもせずに伯爵へと言う。


「……あのさ、その獣人さんってどこ?」



 ♢♢♢



 それは地下へと続く階段だった。


 湿気が酷く、ほの温かいジメっとした空気が不快に肌に張り付いてくる。


「ここです。……よろしいですか? くれっぐれも、ご注意ください。非常に凶暴かつ危険な輩ですので」

「もう、分かったってば」


 暗く閉ざされた階段を下りると、松明の炎を持つシーリーが扉の前で再度注意を促す。


 そして、エリカがしっかりと理解したのを確認した上で、扉を開き奥へと導く。


 最後尾のハクトはまず、何故伯爵邸の地下にこのような大きな檻がいくつもある部屋が存在するのかと疑問を抱いた。


 だが、一介の護衛が伯爵にたずねられる訳もなく、黙って後ろで警護する事にした。


 そして、伯爵は一つの檻の前に立つ。十分過ぎる程に距離を空けて……。


 そこには見張りの衛士らしき者達が2人椅子に座っており、伯爵と王女の姿を見るなり跳ねるように立ち上がり、敬礼した。


「……こやつです」


 暗くて全貌は認識できないが、あちこちが派手に歪んだ檻の隅に、綺麗な水色のハネっ気のある長い髪が見える。


 身を抱くようにうずくまっているようだ。


 頭部には確かに尖った耳があり、獣人である事も確認できた。


「……ねぇ。あなた、お名前は?」

「っ! いけません殿下っ!」


 血だらけの檻に屈み込むように顔を近づけたエリカに、衛士の1人が慌てて声を荒げた。


 次の瞬間、鉄の檻がヘコんだ。


 檻の中で、この獣人が弾けるように飛び蹴りを放ったのだ。


「っ!?」


 その獣人の膂力によって、見るからに頑丈そうな鉄製の檻にまた一つ歪みが加わった。


 あまりの速度にエリカは反応できず、ハクトも衛士の声に嫌な予感を感じてエリカを引き戻しただけで、少しも反応はできていなかった。


 檻の中では隅に戻った獣人が、一つの刃物のように鋭く尖った薄いブルーの瞳でこちらの隙を伺っていた。


 いつでも喉元を喰い千切れるように。


「も、申し訳ありませんっ。ささっ、もう戻りましょう。ここはやはり危険です」

「う、うん……」


 今まで出会った獣人の中でも特に凄まじい瞬発力に二の句を継げられず、伯爵の言われるがままに地下を後にした。






 ♢♢♢






 エリカ達が屋敷より去った後、玄関まで見送ったシーリーは古くからの執事を連れて屋敷内を早足で歩く。


 ズカズカと不機嫌さを現すように。


「くそっ! よりにもよって……。いよいよ明日となったこの時に!」

「嗅ぎつけられたのでしょうか」

「グヒィ、グヒィ……。っく、いや、例年よりも少し早いだけだ。……あの愚王が駄々をこねる王女に適当に仕事を割り振っただけだろう。おそらくな……」


 早歩きを少ししただけで息切れをしているシーリー。執事はシーリーと同年代だが、彼と違いどちらかと言えば筋肉質で平気な顔をしている。


 やっとのことで自室へと辿り着き、執事が素早く開けた扉から中に入る。


「もうすぐなのだ。誰の邪魔もゆるさ――」






 ――ん〜〜っ、アレが第2王女のエリカ・ライトねぇ〜。可愛い顔してるじゃなぁい。そそられるわぁ〜……。






「っ!? な、ナルシウス様っ、いらっしゃったのですか!」


 茶黒い肌と白い唇の男がソファに座って寛いでいた。


 屋敷の主人に許可なく、貴族であるシーリーの前でもリラックスして。


 手鏡で確認した自分の顔にうっとりしながら、瞬時に恐怖に顔を引きつらせて気を付けの姿勢を示す小デブと執事へと話しかける。


「ま〜ぁねっ。早く着いちゃったのよ。約束は明日だけど、用意できてるなら受け取っちゃおうと思ってぇ」


 細身の体をぴっちりと張り付くような服に身を包んだその男は、ウィンクしながら跳ねるような口調で言う。


「そ、それが、あと1人は今日の午後から夜にかけての到着予定でして、えぇ。まだ少し時間がかかるかと……」


 汗塗あせまみれの顔で手を揉み、ご機嫌伺いをしながら話すシーリー。


 飄々ひょうひょうとしたあやしげな言動とは裏腹に、この男が途轍とてつもない強者だと言う事を知る彼には、刃物を首筋に突きつけられているような緊張感が常にまとわり付いているのだ。


「あら構わないわよぉ。アタクシが早く来たんだからっ」

「いやはは、流石はナルシウス様。寛大なお心に感謝申し上げます。……それで、そのぉ……」


 恐る恐る報酬の約束を確認するシーリーに、ナルシウスは立ち上がり、キャットウォークを行くような歩き方で歩み寄る。


「「っ!」」


 2人を正面から抱きしめるようにして、耳元でささやく。


「うふふ。そんなにビクビクしないのっ。大丈夫よ。今回の分で約束の数は果たされるわ。だ・か・らぁ、ちゃあ〜〜んと、……アタクシ達の仲間にしてあげるからっ」


 邪悪な悪意のままに口元を歪めて、欲に漬け込み、出口のない闇へと引きずりこむ……。


 悪魔のように……。



 ………


 ……


 …







 ♢♢♢





 伯爵邸を後にしたハクトとエリカは、ここの華やかな街の雰囲気を感じる為にあちこちを観て回っていた。


「ここらは、あの【夜渡りナイト・ウォーカー】の出没範囲外だからな。しかもこの街は潤ってるから恰好の的だったんだろ」


夜渡りナイト・ウォーカー】。

 正体不明の怪物で、山賊や盗賊達を夜の暗闇に引きずり込んで容赦なく惨殺ざんさつすると言われている。生き残りも証人もおらず、ライト王国の一部ではそれが勇者なのではとも噂されている。


「う〜〜ん、少ししかこの街にいられないし、その間に来てくれるといいんだけど……」

「……」


 自分だって賊は退治したいが、王女のくせに率先して戦おうとするエリカに内心ほとほと困り果てるハクト。


 しかも、今回の場合は非常に厄介だ。


 賊が得意とする武器が弓という一点で。


 いくら魔力で距離の有利不利が曖昧あいまいとなっているこの世界においても、やはり矢での狙撃はそう簡単に対処できるものではない。


 不意打ちならば尚更のことだ。


「賊が現れるまでは屋敷内にいてくれよ、頼むから。お前が初手のターゲットになったら洒落しゃれにならない」

「え〜〜」

「え〜じゃない。それが守れないなら許可できないぞ。また甘やかしたら、今度は陛下やセレス様になんて言われるか……」

「……姉様の時は喜んでるくせに」

「……」


 幼馴染おさななじみというのも非常に厄介なようだ。


 嘆息たんそく混じりに言っていたハクトも図星を突かれて苦い顔で押し黙ってしまう。


「……一番は、襲撃の前に見つけ出す事だよな。そうすれば少なくとも先手は取れる」

「話題逸らしが露骨すぎ〜、……でもそうだね。アジトの情報でも手に入ればね。まさか道端で出くわす事なんてないだろうし……」

「そもそも出くわしたところで気付かないだろ」

「そうだね。う〜ん……」


 そんなうなる勇者と姫の前に、


「――おっ、本当にいましたか。やぁやぁ君達、ガイドが欲しいんじゃありませんか? このハンサムな僕が一役買いましょう」


 深緑のロン毛を中分けにした、芝居がかった物言いをする……弓を背負った若者が。


「「……」」


 思わず同時に顔を見合わせる2人。









 そして、








 それを建物の高所から見下ろす者が1人。





 ♢♢♢





 ……間に合ったか。



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