第6話、遺跡に眠る者

 

 翌日の夜。


 森を見渡せる程に一際背を伸ばす樹の上から、月に照らされた勇者宅を見下ろす。


 ちょっと怖がらせ過ぎたかなと思い訪れたのだが、昨日のお嬢ちゃんが1人でコソコソと出て来るのを見つけた。


 怪しいヤツめ。


 剣を腰元に下げ、ヒラヒラとした可愛い服を揺らして夜道を駆けていく。


 狼のような魔物が時折彼女を襲うが、俺が手を出すまでもなく子供とは思えない大人顔負けの剣技で難なく斬り伏せ、山道をけ上がる。


 日の出を拝むにしても早過ぎる。


 何がしたいのか、それは山頂に到着すると判明した。


 山頂にそびえ立つのは、神殿のような荘厳そうごんな雰囲気の遺跡であった。


「……なるほど」


 全てを理解した。


 勇者には役目があると言い、すぐ近くの山の頂にはこのような物々しく立派な遺跡がある。


 この子は、この中にある『伝説の剣』を取りに来たに違いない。


 勇者は、あまりにも強力な『伝説の剣』を悪用されないようにここで見張っているのだ。


 分かるわぁ、伝説とか言われると古臭い剣でも欲しくなる気持ち。子供にありがちな考えだ。


 ふむ……。


 何度も言うが、魔王とは絶望を与える存在だ。


 ……………。



 ♢♢♢



 遺跡に辿り着いたはいいが、入り口付近で足踏みするセレスティア。


「……ぅぅ……」


 遺跡から漏れ出るあまりの負のオーラによって、怖気おじけ付いてしまっていた。


 だけど……。


『――所詮は子供じゃないか』


 悔しくて仕方がない。


 魔王の期待なんてどうでもいいはずなのに、あの一言が頭から離れないのだ。


「……っ!」


 見返してやる、あっと言わせてやる、認めさせてやると、意を決して走り出した。


 カビ臭い匂いが鼻を突くが、顔をしかめながらも構わず地下への階段を駆け下りていく。


 長い階段もやっと終わり、広い空間に出る。


 そこは完全に静まり返り生命の気配も全く感じられなかった。


 濃密な負の雰囲気をかもし出しつつも、確かな神聖さのある領域であった。


 周囲の細かい壁画や立ち並ぶ石柱に目を奪われながらも足を進めていくセレスティア。


「……………」


 その行き着く先にあったのは、大きな両開きの重厚な扉であった。


 天使らしき羽の生えた男を、悪魔や人などの様々な種族が取り囲んでいる彫刻があしらってある。


 どこか生々しく醜い背筋が凍るその画に、熱くなっていた頭も冷やしてしまう。


 だが、ここまで来てしまったのだからと思い、重い扉の片側を押し開けた。


「うっ、くっ、うぅ……」


 溢れ出る怖気の走る気配をその身に受けながらも、僅かに作った扉の隙間から小さな身をスルリと内部に侵入させる。


 内部は城の王の間を思わせる程広い空間で、先程までと趣きの異なる殺風景な場であった。


 異質なのはただ一つ。


 最奥中央にひざまずいた、床にまで垂れ落ちる黒い長髪の男だけだ。


 四方八方から伸びた鎖によって封じられたその男は、ボロボロの布切れをまとい、俯いてただ地面に座している。


「……だ、誰ですか?」


 その言葉を受け、男の背から翼が生えた。


「ひっ!?」


 奥の領域を埋めつくさんばかりに、濡れ羽色の翼が十二翼。


 更に男の異常に端整な顔が持ち上がり、まぶたが上がる。


「っ……」


 その瞳は黄金に輝き、セレスティアに凄まじいプレッシャーと共に虫ケラを見るような視線を向ける。


 冷徹で、酷薄な視線を。


 一目で分かる超常の存在を前に、カタカタと身体が震える。


『――』


 突然、聞き慣れない言語が脳内に木霊こだました。


 目の前の男が放ったであろう知り得ないはずの言葉の意味が、何故か理解できた。


『《シネ》』


 男の眼前に身も凍る程の白い魔力が集まっていき、無慈悲にもセレスティアへと……放たれた。


 死を確信した。


 またたきの内に悔いた。


 思い上がっていたのだ、自分は。


 何でも自分で解決できると、自分以上はいないと。


 そんな後悔をも消滅させんと、恐怖によって身動きの取れない彼女へと白い光球が迫る。


(……ごめんなさい……)


 自然と目をつむり、裁きに身を任せる。




 ――気に入らないな。




 漆黒の刃が、白き光を斬り裂いた。


 綺麗に割られた光球は、背後の巨大な扉を吹き飛ばし、轟音を立てて去っていく。


 絶対的な死を覚悟し、自然と謝罪を心に思い浮かべた瞬間であった。


 見覚えのある黒い男が目の前に躍り出て、……自分を助けてくれた。


「……ま、おう?」

「うん。悪いけど、あいつはゆずってもらうよ?」


 涙目に映るのは、あの超常の存在を前にしても余裕そうにニコリと笑う、魔王であった。


『《ナニモノダ》』

「魔王だよ。よろしく。俺より魔王っぽい人」

『《フザケ――》』


 一瞬で男の頭上に移動した魔王。


 あまりの瞬間的な移動に、遠目から見守るセレスティアでさえも付いていけない。


 だが、


『《……》』

「へぇ……」


 容赦なく振り下ろされた魔王の剣は、いつの間にか男の手に出現していた黒い装飾剣によって防がれる。


『《ヒザマズケ》』

「君がね」


 負けず嫌いの子供のような言い合いと共に、神話の闘争の火蓋ひぶたが切られた。



 ♢♢♢



 それはまさに、天上の戦いであった。


 男の絶大な白い魔力は紙一重でかわされ、魔王の漆黒の剣が白い魔力を纏った剣で防がれ、全くの互角の争いが展開されている。


 2人の戦いの余波で遺跡のあちこちが吹き飛び、外の世界にすら影響を与え始めている。


 白き光は遺跡を貫き、幾度となく交わされる剣戟けんげきは山を震わす。


「――ッ!」


 魔王が、剣を光線のような鋭さで投擲とうてきする。


『《フン》』


 それを完全に見切り、黒の装飾剣で弾き飛ばす翼の男。


 しかし、その瞬間には眼前に魔王の拳が。


「ふっ!!」

『《……。――ッ》』


 それをも薄皮一枚で躱し、全身より白光の魔力波を放った。


 遺跡を吹き飛ばす勢いで放たれた白い衝撃。


「……」


 気付いた時には、魔王の姿は魔力波の届かぬ後方まで退がっており、クルクルと弾かれていた剣が予め決められていたように落下し、魔王の手に収まる。


「……ふふっ」

『《……フン》』


 2人とも自分の負けることなど有り得ないとばかりに、心底楽しそうに暴れている。


 セレスティアは自分のちっぽけさを思い知ると同時に、超越者達の踊る様に魅了されていた。


 だが、


『――』

「くっ、なんて卑怯な。おのれ魔王っぽい真似をぉ」


 無尽蔵な魔力を使った白き光線を放つが、魔王は避けずに黒く染まった剣の腹で受け流す。


(……なんで……あっ)


 聡明なセレスティアは、その光線の軌道上に自分がいることに気付く。


 守られているのだ。


 何故魔王が自分をと思うよりも、申し訳なくて涙が溢れてしまう。


 助けてもらって尚も足を引っ張る自分が情けない。


 セレスティアが自責の念に駆られている間にも、戦いは終幕へと向かい加速していく。


 魔王の剣が限界を迎えつつあるのだ。


 あれだけの魔力を受け流している。おまけに受け流す為に途轍とてつもない魔力を刃に込めなければならない。今まで保ったのは、魔王の緻密ちみつな魔力操作と卓越した技量のお陰である。


 それは、黒翼の男も魔王も分かっている事だった。


「――っ!」


 魔王がここで決めるとばかりに飛び上がる。


『――』


 当然、狙い打つように白い極大の閃光がく。


 それが身体を掠り血が噴き出しながらも、黒の刃で滑らせながら翼の男へ接近し、


「おおおおおっ!」

『――』


 剣と剣が交差する。


 魔王の剣の刃が砕け散り、装飾剣が弾き飛ばされる。


『《ミゴト》』


 その渾身の一振りの隙を逃さず、翼の男の白い魔力を込めた蹴りが放たれる。


「ガッ!」

「っ!? ……………まおう?」


 魔王の脇腹にめり込んだ白く輝く長い脚を見て、セレスが息を呑み、泣きながら声を漏らす。


「……………っ!!」

『《ッ!?》』


 その声に反応したのか魔王の目に光が戻り、更に一つ踏み込み――


『《――グッ!?》』


 黒い魔力を凝縮させた拳を叩き込んだ。


 その拳は、翼の男の胸に穴を穿ち、背後の壁をも半円に吹き飛ばし、静かに戦いの幕を下ろす。


 閃光によって開けられた天井から月明かりが降り注ぎ、2人の黒髪の男達を照らす。


『《ミトメテヤロウ》』

「ありがとう。僕も認めてあげるよ」


 互いに傷だらけのまま向かい合い、どちらも上からの物言いで憎まれ口を叩く。


 しかしそんな時間もいつまでもは続かない。


『《フッ。キニイランヤツダ。ダガ……ソレデ、コ、ソ……》』


 血を流す事も無く、光の粒子となって天へと消えゆく翼の男。


 ひらひらと舞い落ちる濡羽も、落ちたものから溶けて無くなる。


「ん? なんだって? よく聞こえないよ」

『《……アケ……セイ……ナ、レ……》』


 途切れ途切れのその言葉に真摯しんしに向き合う魔王。


 片時も目を逸らさず、長年の友の別れを惜しむかのようだった。


 そして、最後に不敵に笑い合い……翼の男はその姿を完全に、消滅させた。

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