六月七日の織姫

進捗雑魚太郎

いつか二人で、花を手向けたい。


七夕はたくさんお願い事があるから、私たちは一ヶ月早くお願いするの。

だけど星は遠いから、羽短冊はねたんざくに願いを込めて、空に届けるんだよ。

空を飛ぶ短冊、これはただの短冊じゃない。 羽短冊っていう特別な短冊。

羽短冊の願い事は、誰にも秘密ね。

織姫さまと彦星様と、願った人だけの秘密。




夏の暑さも本気で牙を向き始めてこそいるものの、日が沈めばそこそこ過ごしやすい。 そんな六月の夜は昔から好きだったと思う。

薄暗い田舎道を歩く。 虫と蛙の鳴き声が耳障りだった。 僕は静かな夜を過ごしたいというのに。

ぼろぼろのアスファルトから、視線を逸らす。

そのままなんとなく、空を見上げた。

日の入り直後の西の空は、ゆっくりと深い藍色に融けていき、頭の真上の方だと、もう数え切れないくらいには小さく星が光っている。


ああそうだ、もっといい感じに星を見よう。 小高い丘の方に行けば、綺麗な星空が拝めるはずだ。

ずいぶんと年季の入ったアスファルトの車道を外れて、山道の方へと歩を進めようとした。 けれど、たまたま視界に入ったガードレールが──もっというなら、ガードレールの献花が、浮わついた心を少し沈ませる。


そうか、もうそんな時期になったのか。


今から六年前くらいのこと。 持病の発作を起こしたトラック運転手が、小さな子供を三人巻き込んで横転した事故があったらしい。 運転手と子供の二人が搬送先の病院で死亡が確認され、一人は重体。 当時は持病を隠して働いていた運転手にバッシングが集まったり、会社の管理体制が批判されたり、そもそも病人が働かざるを得ない社会が云々だったりで、相当な騒ぎになったのだとか。 今となっては世間の関心も当然のように薄れ、町内会の大人とか学校の先生がいましめとして覚えている程度だけど。 う僕だって、この献花を見るまですっかり記憶から抜け落ちてたくらいだ。 事故の当時の悲しみまで覚えているのは、この花を手向けた人たちだけかも知れない。

丘へと続く坂道に入る。 整備の行き届いてない路面のあちこちから、雑草がボーボーと生えまくってる。 ちょっと放置してる自分の脛毛を彷彿とさせるくらい生えまくってる。 そろそろ剃ろうかな。

中々に荒れてる足場もなんのその、僕の健脚は着々と星空に近づいていく。 そういえば、来月の今頃は七夕だっけ。 気がつけば年に一回のお祭りまで一ヶ月を切っている。 そんなとりとめもない、ちょっとした感慨に耽りながら、十分くらい経って、目当ての丘にたどり着いた。


目の前に広がるのは、光輝く夜。

微かな雲の向こう側に、無数の星が静かに瞬いて。 街の明かりは星の光を掻き消せないくらい、足下よりもずっと真下に広がっていて。

そんな光の溢れる夜のとばりで、僕は少女を見つけ、足を止めた。

梅雨だと感じさせないくらいに澄んだ、月のない空へと手を伸ばす後ろ姿。 その彼女の指先で、一つの紙切れが乾いた涼風に踊っている。

フリルの白いシャツに丈の長いデニムスカートだなんてありふれた出で立ちの彼女は、まるで夜空に焦がれるお姫様のように綺麗で。 まるで星空を好き勝手にできる妖精のように神秘的で。 街に繰り出せば普通にいそうな姿格好なのに、だけどこの瞬間だけは、きっと世界で唯一無二の存在なのだと、僕に思い知らせていた。

僕の気配に気がついたのか、不意に彼女は僕へと視線を移す。その時はじめて、彼女が僕の知る人物だと気づけた。

奥村おくむら 優生ゆい。 同じクラスで、割と友達がいるタイプの人だと勝手に思ってる。 小学校も中学も同じだったらしいけれど、あまり言葉を交わした覚えが無かった。 正直、地元が同じということ以外に接点はないと思う。


「あ、澤村じゃん」


恐らくいつも通りな奥村さんの、少し焦ったような声。


「何してたの?」


「えっ……星見てた」


「その紙は?」


なんともいえない表情の奥村さんは、まさに目が泳ぐって感じがした。 あとあからさまに紙を背中に隠した。


「これは……短冊」


「短冊? 来月まで待てなかったの?」


小さいため息の後に、お手上げのポーズの奥村さん。 右手の短冊をひらひらさせながら。


「昔さ、仲良い友達が三人くらいいてさ。 小三の時から、七夕の一ヶ月前に集まって、ここから短冊飛ばしてたの。 私たちの間だけの秘密にして、この短冊も『羽短冊』って特別な名前付けてね」


今じゃ一人でやってるけど、って小さく笑う。 だけどどこか影のあるその笑顔に、言い様のない痛みが胸に走った気がする。

それに、仲の良い三人という言葉。 あのガードレールの真下にあった献花が、頭の中で生々しく咲き誇るのは、杞憂なのだと思いたかった。


「それで、羽短冊にはなんて書いたの」


喉につっかかりそうだったけど、ちゃんと発声できてた、と思う。


「えぇそれ聞いちゃう?」


冗談めかすみたいに、わざとらしく悪戯いたずらっぽく、奥村さんは笑った。 まるで僕の杞憂を見透かしたみたいに。 そんなことを馬鹿にして、忘れさせようとするように。


「さきっちょだけ! さきっちょだけでいいから」


「女子に向かってそれは言うな」


一呼吸ついて、足元を見つめながら。


「また皆に、会いたいって、書いた」


言葉は、思ったよりも淡々としていた。


強めの風に、吹きさらしのまま。


「叶うといいね」


「ありがと」


その言葉を、六月七日の夜風がさらっていく。

祈りを乗せた羽短冊と一緒に。




六月七日。 私が、三人の友達を失った日。


思い返すも、いつも思う。 全部私が悪い。 ただ友達と会いたいがためだけの口実に、私が羽短冊なんてことを始めさせた。 そのせいで、事故に巻き込まれた裕也ひろや悠里ゆりは命を落として、文孝ふみたかは記憶障害を一生背負うことになった。 運転手のおじさんだって、三人を巻き込んだばかりに、とても酷いことをたくさん言われ続けていた。

あの時ほど泣いたことはなかったと思う。 だけど、時間と一緒に、少しずつだけど確実に、悲しさは薄れていってしまう。 それが嫌で、私は一人で羽短冊を、星空に飛ばし続けていた。


文孝とはなるべく関わりを持たずに気をつけて過ごして、なんとなくで見せ掛けの友達を沢山作って。 あの日から、ずっとそんな日々を過ごした。


だけど。


星の光に背を向けて家路に着く後ろ姿に、少しだけ安心する。 今年も、文孝の容態にとくに変わりは無いみたいだったから。


何してたの?


この言葉から始まるこの会話も、次からはもう片手で数えられなくなってしまうくらいには続いてる。

私たちのことも、自分が事故の被害者であることも覚えていないのに、文孝は毎年、六月七日にここに来る。


星を見にきた。


いつかの六月七日の、文孝のその言葉が、私たちを、年に一度だけ引き合わせるようになった。 ほんとうに些細な、文孝からしたら明日にでも忘れてしまうような、あまりに拙い繋がり。

だから、手放したくなかった。 羽短冊だなんて、あんな頼りない願掛けに縋ってでも。

羽短冊だけが、今の私にできることだったから。


叶うといいね。


昔から、どんな子供じみた願い事にだって、そんなことを言ってくれる奴だったから。

私はそんな奴に、ずっと嘘も吐き続けてる。 皆に会いたいだなんて、一度だって羽短冊に書いたことはなかった。

会いたいことに間違いはないけれど、もう私には、あの三人に顔向けだって出来るわけがないんだから。


風に消え入るくらいの声で、呟く。


「ほんとうは、叶わなくてもいいんだけどね」


ほんとうの願い事はずっと、私と織姫さまと彦星さまの秘密のままで。


羽短冊は、ずっと遠く。 もう、文孝の背中も、見えないくらい小さい。

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六月七日の織姫 進捗雑魚太郎 @lancelot4989

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