第四場 - キャピュレットの館の一室

 その時は、突然やって来た。


 確か天気予報では、夜中まで晴れマークだったはずだ。それでも霧のような雨は昼過ぎから降り始め、あいにく放課後になっても止む気配がなかった。校門の前で、真っ白な雲に覆われた空をぼんやりと見上げつつ、俺は途方に暮れてその場に立ち尽くしていた。


 すると道路の向こう側から、黒塗りの高級外車が音も立てずスー…ッとこちらに近づいてきた。初めは気にも止めていなかったが、さすがに目の前で停車されては、俺も怪訝な顔をせざるを得なかった。


「乗りたまえ」

 訳も分からずポカンと口を開けて眺めていると、向こう側から自動オートで扉が開いた。それでもなお突っ立っている俺に、中から声をかけてきたのは、見た事もない紳士だった。

「キミが田中一郎くんだろう。濡れるから早く乗りたまえ」

「アンタは……?」

「……ジュリエットの父だと言えば分かるかね?」

「ジュリエットの!?」

 その低い嗄れ声が呼んだ名前に、俺は思わずビクリと肩を跳ねさせた。後部座席で足を組む、濃い青のスーツに、同じ色のシルクハットを着こなしたジェントルマン……。よく見ると確かに日本人離れした顔立ちをしている。俺は何か言い返す気にもならず、気がつくと促されるままに車の中に乗り込んでいた。


 それから車はしばらく道なりに走った。

 見慣れたけやき道や、帰宅途中のクラスメイトたちの横をいつもと違うスピードで走り抜けて行く。スモークガラスを一枚挟んで見ただけで、何だか急に、俺だけ別世界に切り離されてしまったかのように感じた。

「あの……。俺に、一体何の用で……?」

 俺は何度か声をかけようと頑張ったが、ジュリエットの父親を名乗る人物は、こちらを見る事も無く黙って前を睨んでいた。高速道路に乗り、隣の県まで運ばれる間中ずっと、何とも気まずい沈黙が広い車内を包んだ。

 もしかして、何か怒っているのだろうか?

 俺、ジュリエットに何かしたか? ……などと言い知れない不安に苛まれていると、車は見知らぬ高級住宅街で停まり、そこでもう一人の男が乗り込んできた。


「やぁキャピュレット、遅くなってすまない!」

「時間通りだよ、モンタギュー」

 やってきたのは、これまた高価そうなタキシードに身を包んだ、ガタイの良い大男だった。モンテギューと呼ばれた男は白い歯を浮かべながら、ガハハハ、と豪快に笑った。


「モンテギュー、こちらが例の田中一郎くんだよ」

「おぉ! 君が例の……」

 巨大なタキシードが隣に座ってきたので、シルクハットジュリエットの父親との間に挟まれた俺は、たちまちぎゅうぎゅうになってしまった。息苦しくも何処か懐かしい感じに、俺は思わずタキシードを見上げた。

「もしかして、モンテギューさんってロミオの父親ですか……!?」

「おぉ! 良く分かったな。小僧、よろしくな!」

 タキシードロミオの父親が大きな声で笑い、俺の肩をバンバンと叩いてきた。


 という事は……再び走り始めた車の中で、俺はゴクリと生唾を飲み込んだ。

 今、俺の両隣に、ロミオとジュリエットそれぞれの父親が乗っているのだ。二人の家は仲が悪い……と散々聞かされていたので、まさかこんな風に出会うことになるとは夢にも思わなかった。突然やってきた異常事態に、俺は思わず体を強張らせた。シルクハットジュリエットの父親が前を向いたまま、一つ咳払いした。


「娘から、君の噂は予々かねがね聞いているよ」

「噂って……?」

「君が娘とロミオくんの間に立つ……間男だと言うことを」

「間男!!」

 俺は思わずその場でむせ返った。タキシードロミオの父親が俺の背中を叩いて、豪快に笑った。

「おう! 『令和の間男・田中一郎』……我が息子ロミオからもその話は良ォく聞いているぞ!!」

「『平成のシャーロック・ホームズ』みたいに言うなよ! いやホームズにも失礼だわ」

 危うく不名誉な通り名を付けられそうになって、俺は慌てて全否定した。

「惚けなくても良い」

 すると、不意に前の席から運転手がこちらを振り返り、ニヤリと唇の端を釣り上げた。


「あ……アンタは……!」

「とっくに調べはついている……我が帝国イタリアの底力を見くびるなよ」

「皇帝!? 何でアンタが……」

 何と皇帝自らハンドルを握って車を運転していたので、俺は目玉が飛び出しそうになった。

「田中一郎……やはり貴方の存在は、福音では無かった……」

「きょ、教皇まで……」

 そして皇帝の隣に座っていたのは、何と仲違いをしている教皇本人であった。ロミオとジュリエットの父親、そしてそれぞれの派閥の頂点トップが、一同に介して俺を挟んで座っていた。状況が飲み込めずに混乱している俺に、シルクハットジュリエットの父親がさらに追い討ちをかけて来た。


「田中くん……君は今、イタリアで指名手配されている」

「何でだよ!?」

「我が帝国の底力を、見くびるなよ。こちらの思い通りに罪を”創る”ことなど、容易いこと」

「だから何の罪だよ!?」

「それはもちろん、我が娘ジュリエットをたぶらかした罪だ」

たぶらかしたって……!」

「Jesus。人は生まれながらにして、罪深い生き物……」

教皇アンタは引っ込んでてくれ! ややこしくなるから!」

 俺は皇帝の頭をはたきそうになったが、さすがに運転中は危ないので、代わりに教皇をはたいた。シルクハットジュリエットの父親が咳払いした。


「私も父親として、娘に近づく不届き者を放って置くわけにはいかないのでね」

「いや、俺は別に……!!」

「ここで重要なのは田中くん。例えば我々がこのまま君をイタリアに連れて帰れば、君を一生鉄格子の中に閉じ込めるのも、十分可能と言うコトだよ」

「我が帝国イタリアの底力を、見くびるなよ」

「イタリア……!? て言うかイタリアは帝国じゃねえだろ。誰だよ、運転席に座ってるこのコスプレしたオッさん!!」

「口を慎め、間男風情が!」

「大体アンタら、仲違いしてたんじゃ無かったのか!?」

 あまりの急展開にしどろもどろになる俺を置いて、四人は顔を見合わせて和やかに笑った。


「いやぁ……敵の敵は味方、とでも言うか」

共通の敵田中一郎が間に出来ると、自然と一致団結出来るものですなぁ」

「HAHAHAHAHA!」

「俺はエイリアンか!!」

 すると今度は三列目の席から、見知らぬ顔が二つ、にゅっと伸びて来た。

「ククク……残念だったなァ、田中一郎!」

「今度は誰!?」

「俺だよ俺。二階堂だよ」

「そして俺は道明寺だ」

「……誰!?」

 ウチの学校の制服を着てはいるものの、名前を聞いても全くピンと来ない生徒が、俺を指差して笑っていた。


「お前のコトを垂れ込んだのは俺だよ、俺。二階堂だ」

「だから誰だよ!?」

「惚けるなよ。ラブコメの主人公だからって、自分ばっかりいい目にあいやがって。お前が、ラブコメの主役の座を、俺たちから奪った……」

「テメーにばっかラブコメさせるかよ」

「何言ってるのかさっぱり分からねえ!!」

 何を勘違いしているのか、トンチンカンな理由で俺を逆恨みした二人組が、後ろの席で高笑いを決め込んだ。


「これのどこがラブコメなんだよ!? むさ苦しいオッさん連中が七人車にすし詰めって、そんなラブコメ聞いた事ないわ!!」

「しかしアレですな。こうして集まると、何だか不思議と楽しくなって来ましたな」

「せっかくだから、このままピクニックにでも出かけましょうか。イタリアにでも……」

「良いですねえ。お互い親睦を深めましょうや」

「良くないわ! そんな気軽に行けるトコでもないだろ、イタリアって!」


 それから俺の抵抗も虚しく、車はそのまま高速に乗り、空港へと向かって行った。


□□□


「どうしたんだい、ジュリエット。そんな深刻な顔をして……」

「ロミオ……」


 先ほどから俯いてばかりいる恋人に、ロミオは優しくほほ笑みかけた。その両手には、美味しそうな匂いを漂わせた、熱々のマグカップが握られていた。


「悩み事かい?」

「うん……実は……」

 ロミオがジュリエットの隣に座り込んだ。しばらく二人の間を沈黙が包んでいたが、ジュリエットはロミオに促され、やがてポツリと呟いた。

「私……こないだから教皇さまや、クラスメイトとも話して、ずっと考えてたんだけど……」

「うん」

 立ち上る白い湯気の向こうで、ジュリエットが意を決したように顔を上げた。


「私、田中くんを間に挟むのを、止めようかと思うの」

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