第三場 - 修道僧ロレンスの庵にて

「ジュリエットちゃんはどう?」

「え? 何が??」

「最近カレシと、ドコか遊び行ったりするの?」

「あ〜それ、カレシってロミオ君でしょ!?」

「私も気になる〜!!」


 昼休み。

 俺がトイレから教室に戻ると、いつの間にか女子たちがジュリエットの席に群がって、恋バナに花を咲かせていた。さらによく見るとクラスメイトの女子が我が物顔で俺の席に腰掛けていて、俺はモヤモヤを感じつつも、何だか”女子に認められたような気分”になって少し嬉しかった。


「私は映画とかぁ、あとカラオケとか行くけど、やっぱりいっつも”おんなじ”になっちゃうのよねえ」

 俺が心の内で二律背反する感情を抱いているとはつゆ知らず、あんまり話した事もない茶髪女子が、俺の机の上に尻を乗っけて大げさにため息をついた。

「何か近場で、オススメない?」

「そうねえ……私の場合は」

 ジュリエットが少し考え込むように口元に手をやった。俺は仕方なく反対側のロミオの席に座り、机に突っ伏して寝たフリをする事にした。その後もクラスの一大勢力女子生徒は、華々しく会話を盛り上げていった。


「水族館とか遊園地とか……」

「おしゃれ〜!」

「楽しそう〜!」

「でもまずは、三人で行けるトコロかどうかを確認するわね」

「三人!?」


 それまで笑顔で話を聞いていた女子の一人が、口からタピオカミルクティーを噴射した。


「三人って……彼氏と、もう一人誰!?」

 女子生徒がむせ返りながらジュリエットに尋ねた。

「もしかしてジュリエットちゃんクラスだと、デートに執事とか付いてたりするの!?」

「違うわよ! 執事とかじゃなくて……」

「それじゃキスする時とか、抱き合う時とかどうするのよ!?」

「ヤダもう、紀子ったら!」

 ギャハハハ、とそこで女子たちの大きな笑いが巻き起こった。


 俺は寝たフリを続けたまま、後頭部に降って来たタピオカをそっと取り除いた。

 ロミオとジュリエットはイタリア人だからか、実際しょっちゅうキスをする。

 『行ってきますのキス』とか『おやすみのキス』とか、とにかくスキあらばキスをしようとするので、俺はもぐら叩きのもぐらが如く、タイミングを見計らって素早く頭を引っ込めなくてはならない。たまにミスると二人のキスが俺の頬に衝突して来るが、ジュリエットならまだしも、ロミオだった時の俺のテンションの下がり方はハンパじゃない。


 これがハグになると、さらに難易度が跳ね上がる。

 『大好きだよのハグ』とか、『よく頑張ったねのハグ』とか、とにかく二人は磁石のように惹かれ合うので、俺はUFOキャッチャーの景品が如く、常に両側から迫り来る四本のアームに警戒していなければならない。大体抱きついてくるのがジュリエットならまだしも、何が悲しくてロミオと『大好きだよのハグ』をしなければならないのか。そんな日は、一晩中悲しい気分になる。


「ジュリエットちゃんの執事なら、毎日校門まで高級車で送り迎えしてそう!」

「夜中にテレビ見てたら、さり気なく紅茶とか淹れてくれそう!」

「だからそんなコトないってば! 執事じゃなくて、その人は……」

「でも二人きりになりたい時に、もう一人間にいたら邪魔じゃない?」

「邪魔!」

「邪魔!」

 ジャマジャマの大合唱が、言葉の刃物になって俺の背中に降り注いだ。俺は寝たフリをしたまま欠伸を噛み殺して……あくまでも欠伸を噛み殺して(本当の事なので二回言った)……瞳の端にうっすらと涙を浮かべた。


 ロミオとジュリエットが、二人きりになりたい時。

 俺に言わせりゃこの時こそ、この歪な三角関係の最も難しい瞬間である。

 何せ二人は事あるごとに俺を間に挟もうとしてくるし、だからと言って二人とも、あからさまな態度で俺に『どっか行って』なんて言わない。両人の顔色をうかがって二人きりになりたい時の”サイン”を見逃さないように、こちらとしては常に緊張感を持っておかねばならない。


 ジュリエットは常にニコニコしていて表情が読み辛いが、ロミオの方は同性な分、まだ解りやすい。例えば彼が右の眉毛をピクピクと二回動かした時は、『抱きしめたくてたまらない時』だ。両手を後ろで組んでモジモジと指を動かしている時は、『キスをしたくてたまらない時』。こうして改めて思い返して見ると、ロミオの『抱きしめたくてたまらない時』を熟知している自分に、我ながら嫌気がさしてくる。


「執事なんかじゃないよ! 田中くんは、ただ私たちの間に入ってる……間男なの!」

「間男!!」


 ジュリエットの教室中に響き渡る大声に、今度はその場にいた女子全員が口からタピオカミルクティーを噴射した。教室にいた生徒たちが、何事かとこちらをジロジロと眺め始めた。俺は思わず派手な音を立てて椅子からひっくり返った。一瞬教室が静まり返る。だが話に聞き耳を立てていたと思われるのも何なので、そのままの姿勢で寝たフリを続けた。

 やがて親切な女子に教えられ、”間男”の日本語の意味を知ったジュリエットが、慌てて顔を真っ赤にして首を振った。


「違うの!! そう言う意味じゃなくて……! 私たちの両親の仲が悪いから、間に立って仲裁してもらってるのよ」

「え〜? そうなの?」

「まぁ確かに、ちょっと喧嘩になっちゃったり衝突した時は、間に誰か入ってくれると結構助かるのよねえ」

 床の上で『捻れた彫刻』みたいな姿勢で寝たフリをする俺を見下ろしながら、女子の一人がしみじみと呟いた。ジュエリットが少し嬉しそうに頷いた。


「田中くんにいつも助けられてるから……私もロミオも、すごく感謝してるの」

「フゥン……」

「ねえ! 今度、みんなでどっか行こうよ!」

「わ〜! 私動物園行きたい、動物園!」

「女子会やろ、女子会!」


 四本の手足を奇妙に捻らせた俺の頭上に、女子たちのキャピキャピとした声が降り注いだ。

 それから女子グループは五〜六人で固まったまま、群生生物全員で一つの生き物みたいになって教室の外へと出て行った。最終的に「フゥン……」で片付けられる話のために、何故俺がこんな目に合わなくてはならないのか。モヤモヤを抱えたままヨロヨロと立ち上がると、いつの間にか教室に戻ってきたロミオが、俺の目の前に立っていた。


「一郎、大丈夫かい?」

「ゲ……!」

 ロミオが優しい目つきで俺を見つめたまま、右の眉をピクピクと二回動かした。その”サイン”に気がつき、俺は慌てて逃げ出そうと踵を返した。

「よせ! やめ……ぎゃあああああっ!?」


 しかし抵抗も虚しく、ロミオはクラス中の注目が集まる中、俺に勢い良く『よく頑張ったねのハグ』をかました。たちまち教室中から鳴り響く、禁止されているはずのスマホのシャッター音を聞きながら、俺はその日、一日中悲しい気分で過ごすハメになった。

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