第二場 - キャピュレット家の庭園
「ロミオよ……よくぞ参った」
「はっ」
床や天井、壁に至るまで、光り輝く黄金が敷き詰められた宮殿内で、ロミオが仰々しくお辞儀した。壁際には、槍を構えた兵士たちがずらりと並び、無表情で俺たちを睨み続けている。ロミオが膝をつく横で、俺は部屋の一番高いところに陣取った、精悍な顔つきの男性をぼんやりと見上げていた。
「皇帝陛下。本日はご命令通り、噂の田中一郎を連れて参りました」
「そうか……貴様が噂の田中か」
どんな噂だよ! と言う心の叫びが危うく喉まで出かかったが、その場の空気を読み、俺は何とか踏み止まった。玉座に腰掛けた皇帝が、肘をついたままジロリと俺に目を向ける。
三十代か、下手したら二十代だろうか。まだ若いのに、人生の荒波の数だけ顔に刻まれたその皺と、赤いマントを靡かせるその姿は、なるほど中々どうして様になっていた。
「ベンヴォーリオよ。私をロミオと、それから田中と三人きりにしてくれ」
それから皇帝は低い声で家臣に人払いをさせ、広々とした玉座の間に俺とロミオ、そして若き皇帝の三人だけが残された。しばしの沈黙の間、皇帝はゴブレットで赤ワインを嗜んでいたが、やがて徐に立ち上がると、ゆっくりと階段を降りて俺たちの方に近づいて来た。
「ロミオよ、分かっているな?」
「はい」
「田中という少年……あの者に関わるというコトは、すなわち教皇派であるキャピュレット家とも繋がりを持ち続けるというコト」
「はい」
あの者も何も、俺はここにいるよ! と声を大にして言いたくなったが、俺は何とか踏み止まった。キャピュレット家と言うのは、ジュリエットの実家であろう。ロミオとジュリエットは、宗派の違いか何か分からんが、家同士で対立しているのであった。だからお互いが付き合っている事は、周りの大人たちにとってはあまり気持ちの良いものではないのだろう。ロミオが膝をついたまま、さらに深く首を垂れた。
「しかしながら皇帝様。畏れながらも、私めとジュリエットは……」
「分かっておる、分かっておる。だが、問題は田中なんだよ」
「一郎が?」
「長きに渡る教皇との対立……その解決の鍵を握るのは、ロミオとジュリエット、この二人だと俺は思っていた」
「勿体なきお言葉……」
「俺はな、争いは好きだが、負けるのは大嫌いなんだ。今後教皇側との無駄な対立を避ければ、我が政治的基盤もより強固なモノになる。
だがせっかくの妥協案も、妙な東洋人に間に立たれて引っ掻き回されてしまっては、元も子もない。場合によっては、舞台の上から消えてもらうコトも辞さない」
「それはつまり……一郎を暗殺すると言うコトですか!?」
「良いか? このコトは決して田中には漏らすんじゃないぞ」
「は……」
だから何でお前らは、俺を挟んで俺に内緒の話をするんだよ! と突っ込みたくなったが、何とか踏み止まった。
「実はな、俺は極秘裏に田中という男のコトを調べたんだが……」
「え……!?」
「だってそうだろう。何の目的があって、お前とジュリエットの間に入っているのか。もしかしたら教皇側のスパイかもしれんからな」
皇帝が明らかに俺の目を見てニヤリと笑った。よりにもよって恋人同士の間とは、スパイにしては潜伏場所が大胆過ぎるだろう。などと言いたくて仕方なかったが、俺は何とか踏み止まった。
「……しかし調べた結果、何も出て来なかった。田中はただの、一般人だ。能力も財力も人望も、こちらが驚くくらい基準値以下で何もない」
「そうですか……」
「今のところはな」
ホッとため息を漏らすロミオに、皇帝が抜け目ない視線を送った。俺はとりあえず鼻くそを穿った。
「覚えておけ、ロミオ」
帰り際、再び玉座に腰掛けた皇帝が目を細め、厳かに声を張り上げた。
「対立を解消できなければ、我々がお前とジュリエット嬢との交際を表立って認めるコトはできない。こちらの邪魔になると分かれば、たとえ誰であろうと容赦はしないぞ」
「陛下……」
「このコトは決して、決して田中に漏らすでないぞ」
「じゃあ何で俺を呼んだんだよ!」
俺は最後の最後で思わず皇帝の頭を
□□□
「ジュリエットよ……よくぞ参った」
「はい」
色とりどりの蝶が舞い、花咲き誇り小川がせせらぐ教会の中庭で、ジュリエットが仰々しくお辞儀した。庭園の至る所にシスターたちが立ち並び、俺たちと、そして教皇の様子を伺っている。ジュリエットが柔らかな笑みを浮かべる横で、俺は手持ち無沙汰のまま、ぼんやりと白髪のお爺さんを眺めていた。
「教皇さま。本日はお望み通り、例の田中一郎を連れて参りました」
「そうか。君が例の少年か……」
教皇がそのブっとい白眉毛の下から、俺をギョロリと覗き込んだ。ご高齢だが
「皆の者よ、ワシをジュリエットと、それから田中と三人きりにしてくれ」
それから教皇は人払いをすると、噴水近くのベンチに腰掛け、しばらく小鳥たちのさえずりに耳を澄ませていた。
「ジュリエットよ、分かっておるな?」
「はい」
やがて教皇はジュリエットの方に向き直り、訥々と語り始めた。
「田中という少年は……決して我々に福音だけをもたらすモノではない」
「はい」
「どちらにも転び得る。我々を導く光となるか、それとも世界を滅ぼす闇となるか……」
いくら何でも大げさ過ぎるだろ! と俺は叫びたくなったが、その場の空気を読んでどうにかその言葉を飲み込んだ。俺が転んだくらいで滅びる世界など、俺でさえ不安で住めたもんじゃない。
「世界は今、混沌に満ちておる」
教皇がロールプレイングゲームのオープニングみたいな事を言い出した。俺の知る限り、生まれてこの方世界が混沌に満ちていない時の方が”まれ”だった。
「しかしそんな渦中にも、一縷の希望はある。それが、愛だ。ジュリエット……君とロミオ、それから田中のコトじゃよ」
「はい……」
ジュリエットが照れたようにはにかんだ。間に俺要らねえだろ、と思ったが、何とか喉元で飲み込んだ。
「しかしながら、長年に渡る皇帝側との対立は根深い。我々が表立って君たちの関係を祝福できないのは、ワシにとっても最も大きな胸の痛みじゃよ」
「勿体無きお言葉……」
「もちろん君は誰に反対されようが、ロミオを心から愛しておる。たとえこのワシが反対したとしても。君とロミオを繋いでいるものは、愛であろう?」
「もちろんです」
「フム。では君と田中を結びつけているものは何じゃ?」
「それ、は……」
「……いつか君も、ロミオと田中、どちらかを選ぶ時が来るかもしれない。そして時は遠くに見えているモノ程、速く運んで来るのじゃ。それは肝に銘じておくのじゃぞ」
「……はい」
ジュリエットが目を伏せた。勝手に間に挟んどいて、勝手に選択肢から外されて行く理不尽に耐えかねて、俺はとりあえず鼻くそを穿った。
「ジュリエットや、迷ったらいつでもここに来なさい」
帰り際、教皇は俺たちに『ぽたぽた焼き』と『雪の宿』を渡してくれた。おばあちゃんか、と俺は思わず突っ込みそうになったが、何とか喉元で飲み込んだ。
「君たちの関係が上手く行くよう、我々も日々水面下で動いておる。皇帝との対立も、このまま未来永劫続く訳ではない。時が過ぎ去って行くのは、決して悪いコトばかりでは無いよ」
「ありがとうございます」
「君とロミオに、神のご加護のあらんことを。それからついでに田中にも」
「いや取ってつけたように言うなよ!」
俺は最後の最後で思わず教皇の頭を
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