第一場 - キャピュレット家の庭園、それを囲う塀沿いの小道にて

「ねえロミオ。今度の週末、海行きたくない!? うみ!」

「いいねぇ。せっかくの夏休みだし。水着に浮き輪とか、シュノーケルとか持ってっちゃってさ。みんなでビーチバレーしたり、砂浜でお城作ったり。珍しい柄の貝殻拾ったりさ」

「船に乗って魚釣りだって面白そうだし。サーフィンとか、ダイビングとか、他にもいっぱいあるわよ」

「楽しそうだねえ」

「ねえ……」


 ソファでくつろいでいたロミオとジュリエットが、そう呟きながら俺の方をチラリと覗き見た。俺は額にじっとりと汗を掻き、台所で只管玉ねぎを輪切りにしながら、ギロリと二人を睨みつけた。


「ダメだ! 海水浴なんて行った日にゃ、クラゲやらサメやら、危険がいっぱいだ!」

「えぇ〜……」

「ダメなの?」


 ロミオとジュリエットの二人が、駄駄を捏ねる子供のように口を窄めた。俺はまな板の上で力強く玉ねぎを切り刻んだ。

「ダメなもんは、ダメだ。それに今年の夏は異常気象で……熱中症やら脱水症状やら、大変だ! 夏バテになるぞ!」

「ナツバテ??」

 どうやら二人とも、夏バテが何か分からないらしい。聞き慣れない言葉に、二人が顔を見合わせて小さく首を傾げた。


「ナツバテ、って何だい? 一郎」

「もしかして、日本のフェスティバルか何か?」

 期待に目を輝かせるジュリエットに、俺は険しい表情のままゆっくりと首を横に振った。 


「夏バテは、怖いぞ。暑くて急に眠れなくなったり、お腹が空かなくなったり……」

「えぇ〜……っ!?」

「怖っ!」

 夏バテの症状を聞いて、二人が抱き合って震え上がった。


「ロミオ、やっぱり日本海はやめましょう。私ナツバテになるの、怖いわ」

「そうだね。日本海は怖いトコロだ」

 それから二人は日本海について誤解したまま、今度は山について話し始めた。


「キャンプなんてどう!? 週末に、人里離れた涼しいトコロで、何にも気にせずのんびりできたらきっと楽しいわ!」

「いいねぇ。せっかくの夏休みだし。満天の星の下で、バーベキューとか天体観測とかさ。夜はテントの中で、ランタンの灯りの下で寝袋に包まって……」

「近くに温泉とか、滝とか。周りを全部大自然に囲まれて、小鳥のさえずりに耳を澄ませてたら、野生の鹿が寄ってきたりなんかしちゃったりして」

「楽しそうだねえ」

「ねえ……」

「ダメだ!」

 

 俺は鍋に豚肉の切り身をドボドボと投げ込みながら、鋭く声を飛ばした。


「山なんて行った日にゃ……蛇やらサソリやら、危険がいっぱいだ!」

「えぇ〜……」

「ダメなの?」

「ダメなもんは、ダメだ。それに今年の夏は異常気象で……嵐に巻き込まれたり、雷が直撃したり……夏バテになるぞ! とにかくダメだ!」

「えぇ〜っ!?」

 俺の言葉に、二人がまたしても震え上がった。


「どうしましょう、ロミオ。日本山に行っても、ナツバテになっちゃうわ!」

「恐ろしいトコロだ、日本……」

 ロミオが恐怖に顔を引きつらせ、ゴクリと唾を飲み込んだ。

 二人がショックで言葉を失っている間に、俺は出来上がったポークカレーを三人分取り分けて、テーブルへと運んだ。


 やがて夕飯の席になっても、二人は落ち込んだままだった。聞こえるのは食器の擦れ合う音だけで、会話もないまま、部屋を重たい沈黙が包み込む。

「でも……」

 しばらくしてようやく、ジュリエットが暗い顔でポツリと呟いた。

 

「でもせっかくの夏休みなのに、どこにも遊びに行けないなんて悲しいわ」

「そうだね……。僕ら日本の夏を、とても楽しみにしてたんだ」

 ロミオも、遠い目をしてポークカレーをじっと見つめていた。俺は思わずスプーンを動かす手を止めた。

「ハァ……。ユカタにハナビ。キンギョスクイ、タコヤキ……」

「…………」

「……ヤキソバ、ヒャクモノガタリ。ゲイシャ、ハラキリ、クンズホグレズ……」

「誰だよ、その歪んだ日本語を吹き込んだのは」

 俺は口からニンジンを噴射した。今夜は二人がずっと沈んだままため息を漏らし続けるので、美味いはずの夕食も、中々箸が進まなかった。それを見ていたロミオが、不思議そうに俺の顔を覗き込んだ。


「食べないのかい? 一郎。いつもはライスをボリボリ食べているのに」

「”ムシャムシャ”、だろ。”ボリボリ”じゃまだ研いでない米っぽいよ。それじゃ俺がバケモノみたいじゃねえか」

 俺は後頭部を掻いた。

「いや、単純に何か食べ辛くてさ……」

「それは大変だ!」

 ロミオが飛び上がった。それを見て俺も飛び上がった。

「ジュリエット、一郎がナツバテだ!」

「ナツバテですって!? まぁ大変!」

「違うよ! ただ気まずかっただけだよ!」

 ロミオが俺の口にカレーをねじ込もうとしてきた。ジュリエットが急いで救急車を呼ぼうとするので、俺は慌てて彼女を静止した。

「ん?」

 食卓が大騒ぎになって、三人でクンズホグレズになったところで、ロミオが何かに気がついたように俺のズボンの尻ポケットを注視した。


「何だい、これは?」

「あ……それは」

 ロミオがポケットからはみ出したものを抜き取った。

「これは……遊園地の、ペアチケットじゃないか」

 ロミオとジュリエットが驚いたように目を見合わせた。

「しかも今週末のだ。一郎、これって……」

「……二人には、まだ黙ってようと思ってたんだよ。たまたま安く手に入ったから、サプライズプレゼントにしようと思って……」

 俺は人差し指で頬をボリボリと掻いた。本当は夕食が終わるまで隠しているつもりだったが、見つかってしまった。目を丸くした二人に見つめられ、俺は少し照れくさくなって顔を赤らめた。


「ホラ、週末はロミオとジュリエットの記念日だろ? だからたまには二人で、遊園地でもどうかなって」

 それに、二人を追いやってしまえば俺はしばらく間に挟まれなくて済む。一石二鳥だ。ロミオがようやく合点がいったように肩をすくめた。


「それで、僕らが海や山に出かけるのに反対してたのか」

「いや……何ていうか……」

「まぁ、ありがとう田中くん!」

 ジュリエットが嬉しそうにはしゃいだ声を出した。

「私ココ、一度行って見たかったのよ! 東京の、ネズミがたくさんいるトコでしょ!?」

「そうと言えばそうだけど、違うと言えば違う」

「でも、今週末って僕ら一体何の記念日だったっけ?」

 ロミオが不思議そうに首をひねった。


「それはホラ、あれよあれ」

 頭を抱える彼氏に、ジュリエットが焦ったそうに言った。

「ホラ思い出さない? 三ヶ月前田中くんが、ちょうど私たちの間でくしゃみが止まらなくなって……」

「あぁ……”付き合って三ヶ月記念”か!」

「そう!」

「何で間にいる俺の状態で、記念日を記憶してるんだよ!」

 

 それからロミオは皇帝に掛け合って、謎のルートで俺の分の遊園地チケットを入手してきた。結局二人は海や山に行く計画も立て始めた。盛り上がる二人の影で、俺は家計簿の赤を見つめ、一人静かにため息を漏らした。

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