第二場 - キャピュレット家の庭園

「ねえロミオ、コレなんてどうかしら? マグカップセット、コーヒーポット付き。陶器に赤と青の花柄が刻まれてて、可愛いわ」

「いいかも……でもコレ、二人用じゃないかい?」

「アラ本当だ。じゃあ、ダメね」

「コッチはどうかな? アルミ製のタンブラー。今ならもう一個無料で付いてます、だって」

「それじゃあ一つ足りないじゃない」

「そうだった……三人だと、なかなか難しいなあ」

「俺を数に含めて、買う物を検討するのを止めろ!」


□□□


「え? 明日から旅行に行く?」

 夕食の後、俺が話を切り出すと、ロミオが目を丸くしてこちらを振り返った。


「突然だな。それじゃあ、僕たちも急いで用意しなくちゃ」

「そうね。お洋服、もう乾いてたかしら……」

「いや、何でお前らも一緒に行く前提なんだよ」

 ジュリエットが慌ただしく下の階にかけて行くのを見て、俺はやんわりとそれを静止した。だがそれでもロミオは驚いたように持っていたスマートフォンを取り落とし、ジュリエットはカーペットの上ですっ転んで危うく大怪我しそうになった。

 唇をわなわなと震わせてこちらを見上げる二人に、俺はきっぱりと言い切った。


「俺、一人で行くよ」

「一郎……どうして!?」

「だってホラ、旅行って言ってもただの里帰りだし……」

「私たちのコト、嫌いになったの!?」

「違うって。お盆で、一週間くらい実家に帰るだけだからさ」

 それも元を辿れば、全部ロミオとジュリエットのせいだ。二人に連れられて急に引越しをしたもんだから、今年からわざわざ里帰りしなければならなくなった。

「俺の実家に三人で行くのも、何か違うだろ?」

「何が違うもんか!」

 ロミオが舞台俳優のような大声を張り上げ、両手を広げ急に立ち上がった。最近この二人、やけに芝居掛かった劇場風の喋り方になるので、話しているととても疲れる。


「一郎のお父さんやお母さんなら、僕らが挨拶するのは当然じゃないか!」

「何でだよ。俺二人をなんて紹介すればいいんだよ。挨拶されたって、ウチの親だって困るわ。先にジュリエットの親御さんに挨拶に行けよ」

「もちろん彼女のご両親には挨拶に行ったが、門前払いだったんだ」

「そうか……それはすまんかった」

 しかし史実それ現実これとは話が別だ。俺はおもむろに立ち上がり、ジュリエットがBGMで流し始めた『ピアノ交響曲第五番・変ホ長調”皇帝”』の音源スイッチを切った。最近この二人、会話する時に無駄に壮大なオーケストラをバックで流そうとするので、話しているととても疲れる。


「聞けよ。最近どうにも二人、俺に頼りすぎじゃないか?」

 俺の言葉に、二人は宇宙人でも目撃したかのような顔をした。


家族ファミリーを頼りにする、それの一体何がいけないんだい?」

「まず家族じゃねえし。”やりすぎ”だって言ってんだよ。ちょっとコンビニに買い物に行く時も、コーヒーにミルクを入れる時も、ずっと俺を間に挟んでるしさ。さすがに限度ってもんがあるじゃん」

「だけど……一郎が間にいると、とてもしっくり来るんだ。肌触りがいいんだよ」

「人をクッションみたいに言うな」

 ロミオが少ししょんぼりして俯いた。ジュリエットはロミオの肩を抱いて、彼の頭を「よしよし」した。


「ロミオ、あんまり無茶言わないで。田中くんだって、きっと疲れてるのよ。少しは休ませてやらなくっちゃ」

「ジュリエット……」

「それに、いつまでも田中くんに何でも頼りっぱしじゃいられないわ。二人でもできるってコトを、見せてやりましょうよ」

「そうだね……それもそうか」

 ジュリエットに「よしよし」されたロミオは、たちまち元気を取り戻した。ジュリエットが再びBGMを流し始めた。

「一郎! 僕らのコトは心配しないで、行っておいで! お腹を冷やして風邪引かないように、無事に帰って来るんだよ!」

「何目線だ」


 そうして次の日、俺はロミオとジュリエットを家に残し、久々に一人で旅行に行ける事になった。


「じゃあ、行って来るから」

 早朝、軽めのスーツケースを引き部屋を出ると、パジャマ姿の二人が玄関先まで見送りに起きてきた。

「一郎、行ってらっしゃい!」

「コッチのコトは、心配しないで。楽しんできてね」

「安心して羽を伸ばして来るといい。HAHAHA!」


 それから二人の笑顔に背中を押され、無駄に壮大なBGMとともに、俺は家を後にした。


□□□


「もしもし?」

『もしもし? 一郎かい?』

「何だよ、ロミオ? 今電車の中だから……」

『いや、特に用って訳でもないけど。今どの辺りまで行ったのかなって……』

「わざわざ電話してくんなよ! メールで十分だろ!」


「もしもし?」

『もしもし? 田中くん、今大丈夫?』

「どうした、ジュリエット? 何かあったか?」

『そういえばお醤油って、ドコに閉まったかしら?』

「醤油は、戸棚の中だよ。二人とも洋食派だから、使わないと思って……」

『あぁ、あったわ。ありがとう、また電話するね』


「もしもし?」

『もしもし? 一郎、元気かい?』

「一時間前に話したばっかりじゃねえか」

『そう言う僕はあんまり元気じゃないんだ……。どうやらこないだ買ったばっかりの、ジュリエットとおそろのマグカップをどっかに無くしちゃってね』

「マグカップなら、まだ食器洗い機の中にあっただろ?」

『あ、そうだった! 良かった、ありがとう一郎。これで元気が出てきたぞ!』

「え? 何? BGMが煩くて何も聞こえん……切っちまった」


「もしもし?」

『おはよう、田中くん。さっきまでお昼寝してたんだけど、もうこんな時間。でも、おかげでいい気分よ。今夜はロミオのために、オムライスを作ろうかしら』

「日記か」

『ケチャップはどこ?』

「ケチャップなら買い置きした奴が下の棚に……それだけ?」

『ありがと。出来上がったら、ロミオと写真撮って送信するね』

「日記か」


□□□


「ただいまァ……」

「あれ、一郎?」

 家のドアを開けると、ロミオとジュリエットが驚いた顔をして玄関に走ってきた。俺はお土産を投げ出し、くたびれた顔をしてスーツケースの上に座り込んだ。


「一郎、やけに早いじゃないか! 帰るのは、明後日だったんじゃ?」

「毎日毎日あんだけ連絡されちゃ、落ち着いていられねえよ!」


 今日は蝉の抜け殻を見つけただとか、オーディオの音量を下げるのはどうすれば良いんだっけだとか。おかげで俺のメールボックスと留守番電話の記録は、二人の日記帳のようになってしまった。ロミオが少ししょんぼりした顔をして俯いた。


「それは、申し訳ないコトしちゃったな。僕ら一郎に、出来るだけのんびりして欲しかったんだけど……」

「やっぱり私たち、普段からどれだけ田中くんのお世話になっているか思い知らされたわ」

「良いよ、もう。目ェ離してたら、何しでかすか分からんし。コッチにいた方が、よっぽど心落ち着くわ」


 俺はやれやれと溜息をついて、疲れた体を引きずりリビングへと向かった。


「おかえり、一郎」

 しかしリビングへと足を踏み入れた瞬間、俺は思わず荷物を取り落とした。


「父さん……母さん!?」

「おかえりなさい、一郎。疲れたでしょう?」

 目の前で俺の母親が、急須にお湯を入れてほほ笑んでいた。ついさっきまで実家の縁側で寝ていたはずのミケも、クーラーの上に寝そべってにゃあにゃあ鳴いている。俺は目の前の光景が信じられず、棒立ちになってパクパクと口を動かした。


「どうしてここに……っていうか、何で俺より早いんだよ!?」

「どうしてって、実の息子が間に挟まってるんだ。挨拶しておくのが当然じゃないか」

 父親が新聞から顔を覗かせながら、ジロリと俺を睨んだ。足をソファに投げ出して、完全に実家にいる時よりくつろいでいる。


「そんな挨拶は聞いたこともないよ」

「お前もそんなとこに突っ立ってないで、早く二人の間に挟まったらどうだ」

「そんな説教も聞いたことないよ!」

 すると父親が立ち上がり、渋い顔を作って俺の肩に手を置いた。


「そう邪険にするなよ。久しぶりに会った家族ファミリーじゃないか」

「久しぶりって、さっき実家で別れたばっかじゃねえか」

「母さんと二人で、ずっと心配してたんだぞ。一郎がちゃんと学校に行っているか、元気でやっているか。二人の間に、ちゃんと挟まっているか……」

「心配してくれるのはありがたいけど、心配する項目がちょっと間違ってるよ」

「しかし、一郎。この家は立地も良くて、中々良い作りだな。父さんたちもしばらくお世話になるというか……むしろここを実家にしようか」

「帰れ!」


 まさか本気で、家族ぐるみでロミオとジュリエットの間に挟まる気だろうか。このままでは我が家の家系図に、何の関係もない謎の外国人が両側に記載されてしまう。


 それから突然やってきた二人と一匹は、夜まで散々飲み食いした後、渋々にゃあにゃあ帰って行った。去って行った連中の後ろ姿を眺めながら、横でロミオがポツリと「次はウチの家族だな……」と呟くのを、俺は聞き逃さなかった。

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