第四場 - 街頭にて
それは七月の末だった。もう一学期も終わるというのに、私たちのクラスに、転校生がやって来た。それも三人も。しかもそのうち二人は、イタリア人だった。初めて彼らがクラスに来た日。美男美女に挟まれて、苦しそうに顔を歪める日本人転校生の顔を、私は今でもはっきりと覚えている。
私の名前は松原ロレンス。
栄光学園高等部一年生にして、『英文学部』の部長である。
なぜ一年の私が部長をしているのかというと、何を隠そう、『英文学部』は私が起こしたのだ。イギリスの文学といえば、かの有名なシェークスピアの『ロミオとジュリエット』を筆頭に、『ロビンソン・クルーソー』だとか、『ガリヴァー旅行記』、『不思議の国のアリス』、『シャーロック=ホームズ』、はたまた『ハリー・ポッター』など……とにかく世界的にも有名な文学の発祥地なのだが……しかしあいにく、高校生の部活動としては、あまり人気がなかった。
みんなバスケ部だとか将棋部だとか、巷で人気の有名どころに行ってしまうのだった。それはまぁ致し方がない。しかし私はイギリス文学がとても好きだった。だから私が『英文学部』を立ち上げたのだ。部員もまだ私一人、顧問もまだいない。何とか今年中に後三人、部員を集めなければ、部室ももらえないし部費も割り当てられない。そんな折にやって来たのが、例の転校生三人組だったのである。
彼らが、我が『英文学部』に入ってくれれば。
その日から、私はこっそり三人組を観察し始めた。彼らは常に一緒に行動していた。教室の席も、イタリア人二人(名前は何とロミオとジュリエットと言うらしい! 私はますます彼らを部員にしたくなった)の間に日本人転校生(確か名前は田中とかそんなだった気がする)を挟んで、仲良く横に並んでいた。
授業中も、田中が必死に三人分のノートを取り、その間にロミオはフルートの練習をし、ジュリエットは編み物をしていた。はたから見ても丸わかりだったが、どうやらロミオとジュリエットは付き合っているようだった。彼らはこの街で一番大きな一軒家に、三人で一緒に暮らしているらしい。何でも一階にロミオ、三階にジュリエット、その間に田中が住んでいると言う噂だったが、本当なのだろうか。
放課後、ロミオとジュリエットが自転車に二人乗りして、田中が走ってそれを追いかけるのを見かけ、私は彼らを追いかけることにした。田中がスーパーで三人分の夕飯の食材を買い込んでいる間に、ロミオとジュリエットは近くの公園で一緒に滑り台を降りたり、ブランコで遊んだりしていた。
街頭にて、彼らを眺めているうちに、私は一つの疑念を抱いた。
なぜあの田中という男子生徒は、あれほどまでにロミオとジュリエットの間に、あんなにも挟まっているのだろうか? もしかしたら、ものすごい弱みを握られているのかもしれない。あるいは……ロミオとジュリエットの間というのは、ものすごく居心地が良いのだろうか?
これは……この感情はまさか、嫉妬?
電柱の陰に身をひそめ、家路を急ぐ三人の背中を眺めながら、私は自然と唇を噛んでいた。
□□□
「僕ら三人が、英文学部にだって?」
次の日、私は思い切って三人に話しかけてみた。突然の勧誘に、最初は目を丸くしたロミオだったが、次の瞬間には白い歯を浮かべていた。
「もちろん大丈夫さ!」
「私も、構わないわ。イギリスの文学なんて、楽しそう」
「ちょっと待てよ」
嬉しそうに笑みを浮かべる二人の間で、田中が潰れたカエルみたいな声を出した。
「何で俺も入る前提なんだよ」
「何でって……キミ、英文学部に入るのが嫌なのかい?」
「嫌じゃねえけど……文学とか良く分かんねえし……」
口ごもる田中に、ロミオが勢いよく肩を叩いた。
「大丈夫だよ。入ってみて、楽しさに目覚めるってコトもあるさ。何を隠そう、僕だって英文学なんてちっとも分からないからね! HAHAHA!」
「いやお前がそれじゃダメだろ、ロミオのくせに」
「あら、私もさっぱりよ。でも、そこは部長さんがちゃんと教えてくれるんでしょう?」
「ええ、もちろん」
やった! 私は思わず顔を綻ばせた。これでようやく英文学部がスタートできる。私は期待と興奮で胸がいっぱいになった。
「よろしくね。えーっと……」
「松原よ。松原ロレンス」
「ロレンスて」
「よろしく頼むよ、松原さん」
それから二人は私と握手を交わして、背中に花を咲かせながら教室へと戻って行った。
「ちょっと」
「ん?」
その後私は、二人と一緒に教室へと戻ろうとする田中の腕をこっそり引っ張った。田中は一体何が何やらと言った顔で、間抜けそうにぽかんと口を開けて私を見つめた。
「な……何?」
「実は昨日から、貴方達のことずっと見てたんだけど……」
「え?」
「今に見てなさい。あの二人の間に入るのは……私なんだから」
「……はい?」
私のライバル宣言を聞いても、田中はまだ呆然としたままだった。
私は……私は昨日一晩、眠らずに考えていた。
私は英文学が好きだ。中でも『ロミオとジュリエット』は子供の頃から大のお気に入りだった。有名なセリフは暗記してて、いつでも諳んじられるほどだった。いつかイギリスとかイタリアとか、『聖地巡礼』をして見たいと思っていたし、どんな形でも作品に関われるのなら、そんな幸せなことは他にないと思っていた。
そんな大好きな作品と同じ名前の二人の間に立つのが、彼らの間を取り持つのが、果たして『田中』で良いのだろうか。否。あんなド田舎の冴えない男子高校生より、私の方がまだマシに決まっている。もちろん彼らは小説の登場人物なんかではないが……田中が間に立つことによって、自分の大好きな作品が穢されているみたいで、堪らなく嫌だった……。
「いや穢されるって、そんな大げさな」
「大げさじゃないわ。私にとっては、とても重要なことよ」
私は田中を睨みつけた。『ロミオとジュリエット』が、私の心を今までどれだけ占めてきたのか、この無神経な男子には一生分かるまい。しかしあろうことか、田中はやれやれと言った具合に肩をすくめた。
「そんなに間に入りたいなら、今すぐ変わってやるよ。俺だって、入りたくて入ってんじゃねえんだから」
「んな……ッ!?」
あまりの言い草に、私は息を詰まらせた。
「ヒドイ! 彼らに気に入られているからって、そんな挑発的なことを……! 蚊帳の外にいる私を見下して嗤ってるのね!?」
「んなワケあるか! 俺だって迷惑してんだよ!」
「おーい君タチ、何をやってるんだい?」
私たちが言い争っていると、教室からロミオが顔を覗かせた。
「授業が始まってしまうよ。一郎がノートを取ってくれないと、困るじゃないか」
「いやお前が取れよ!」
「どっちが二人のために上手くノートを取れるか、競争よ」
「はぁ!?」
私は田中の耳元でそう囁き、まっすぐ背筋を伸ばして踵を返した。
何はともあれ、これで英文学部は本格始動できる。
ロミオとジュリエットの間に入るという、恋の椅子取りゲームも、まだまだ始まったばかりである。
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