第一場 - ヴェローナ、広場にて
「見てロミオ……サーモンよ」
「ホントだ。あっちには中トロがいるよ」
「フフ、可愛い。水槽に囲まれてると、涼しげで良いわね」
「本当だね。ヴェローナを思い出すよ。ヴェローナに行ったことないから、想像だけで勝手に言ってるけど」
「私も、フィレンツェを思い出すわ。フィレンツェ、海ないけどね」
「アハハ……」
「ウフフ……」
「アハハ……」
「俺いらなくねえ!?」
薄暗がりの水族館に、俺の声が虚しく響き渡った。周りの客たちは少し驚いたようにこちらを見つめ、ロミオとジュリエットの二人が恥ずかしそうに眉をひそめた。
「どうしたんだい、一郎? 急に大声出して。静かにしないとダメじゃないか」
「そうよ。せっかくの光リモノが驚いて逃げちゃったじゃない」
「光リモノって、泳いでる魚見ながら食べ物みたいに言うなよ。誰だ、こいつらに間違った日本語教えたの」
ぷくっと頬を膨らませるジュリエットを見て、俺は天を仰いだ。
今日はロミオとジュリエットの、水族館デートの日だった。
俺は学校終わりからのバイト明けだったので、一日中寝ているつもりだったのだが……あいにく隣に住む二人から朝の五時には叩き起こされ、寝不足のまま道案内をさせられた。地下鉄で水族館に向かう間も、俺は散々な目に遭った。
「ロミオ……お鼻にクリームついてるよ?」
「え? あぁ、ホントだ」
「待ってて、取ってあげる」
ジュリエットが急いでポシェットからハンカチを取り出し、横に並んでいたロミオに手を伸ばした。その途中、二人の間に立っていた俺の
「痛え!!」
「取れたわ」
「ありがとう、ジュエリット。優しいね」
「そんな……ウフフ。ねえロミオ、もし私にもクリームがついてたら、取ってくれる?」
「もちろん。当たり前じゃないか」
「嬉しいっ!」
ジュリエットがロミオの胸に顔を埋めようとして、俺の顎に思いっきり頭突きをかました。
そんなこんなで、水族館に着く頃には、俺はすでに満身創痍になっていた。
そして挙句、背中に花が咲き乱れるようなカップルに挟まれ、謎の寿司ネタトークを延々と聞かされている。さすがにこっちも限界だった。
「帰る!」
「待てよ、一郎。君がいなかったら、僕らどうやって家まで帰ればいいんだい?」
ロミオが慌てて俺の手を引っ張った。ジュリエットがさらに逆の手を引っ張ってきた。
「ねね、ちょっと早いけど、もうお昼にしましょう。きっと田中くんはお腹が空いてるから、気が立ってるのよ」
「そうか。そうだね、ランチにしよう。それがいい」
「別に、俺はいいよ。外で待ってるから、二人で食ってこいよ」
「そんな!」
ジュリエットが劇場ばりに声を張り上げた。
「ダメよ! 田中くんを置いて自分たちだけで楽しむなんて、私たち、そんな薄情じゃないわ!」
「そうだよ。僕たち、お隣さん同士じゃないか。水くさいぞ」
「やめろ、二人して別々の方向に引っ張るな! 分かった、行く! 行くから!!」
俺のシャツの袖は、半分くらい裂けた。俺は宇宙人に誘拐される子供のように二人に脇を抱えられながら、館内の飲食
「はい、あ〜ん♡」
「あ〜ん」
「おいしい?」
「うん、とっても! これ、ジュリエットが作ったの?」
「そうよ。ロミオが食べてくれるって思うだけで、何だか緊張しちゃって、上手くおむすび結べなかったわ」
「そんなコトないよ! とっても綺麗だ。ジュリエットの気持ちが良く伝わってくる。このまま食べちゃうのが、もったいないくらいだ」
「まぁ、ロミオったら! 心配しなくても、これからいくらでも食べさせて上げる。私たちの愛の巣で……」
「アハハ……」
「ウフフ……」
「アハハ……」
「俺いらなくねえ!?」
目の前を行き交う米粒を眺めながら、俺はあらん限りの声で叫んだ。ロミオとジュリエットが、驚いたように俺を見つめた。
「どうしたんだい、一郎? 君もおむすび食べなよ。ジュリエットがたくさん作ってくれたんだよ」
「そうよ、遠慮しないで。全部ロミオを想って作ったおむすびなんだけど、一郎くんもぜひ」
「食べにくいんだよ! そんな前置きされちゃ、余計食べ辛いよ!」
わざわざハート型に作られたおむすびを前に、俺の食欲はとっくに失せていた。ロミオが眉をひそめた。
「困ったな。このままじゃ、一郎がお腹を空かせてガリガリになってしまうぞ。ジュリエット、このお弁当の中に、僕を想わずに作ったものは何かないかい?」
「ないわ」
「このタコさんウィンナーも?」
「ええ」
「じゃあこの卵焼きも、プチトマトも?」
「ええ、ないわ。全部、ロミオを想って、しっかり愛情込めて作ったもの」
「ジュリエット!」
「ロミオ……!」
「帰る!!」
とうとう俺は席を立った。ロミオが慌てて俺の腕を引っ張ってきた。
「おい、待てよ一郎。僕らだけじゃ食べきれないよ。君も食べてくれ」
「そうよ。落ち着いて、田中くん。そうだ、このブレスケア。田中くんのコト思って買ったんだけど、食べる?」
「帰るったら、帰る!」
ジュリエットもさらに逆の腕を引っ張ってきた。
「でも、せっかく三人きりになれたのに……」
「何で三人になろうとするんだよ。二人きりになれよ」
「そんな、自分が邪魔者みたいに。寂しいコト言わないでくれよ」
「明らかに邪魔者じゃねえかよ。お前らと一緒にいた方が、俺は余計惨めだよ」
「分かったよ、そう怒らないでくれ。僕たち、ただ愛し合ってるだけなんだ……」
「…………」
ロミオが少し悲しそうな顔をして、俺の袖を完全に引き千切った。
ロミオとジュリエットは、完全に沈み切っていた。二人にしてみれば、楽しみにしていたデートだったのだ。ただ、ちょっと愛し方が分からな過ぎて、
「しょうがないわね。帰りましょう」
俺が黙って立っていると、ジュリエットが見かねて反対の袖も引き千切った。ロミオがようやく顔を上げた。
「そうだね。今日はもう帰ろう」
「ロミオ……。その、すまん」
「一郎、いいんだ。気にしないでくれ」
「そうよ、私たちの方こそ、袖、悪かったわ」
「ジュリエット……」
「さぁ二人とも、帰ろう。僕たちの、三人の愛の巣へ……」
「だから二人でいいだろ!!」
それから俺は再び地下鉄に乗り、二人に両側から頭突きや掌底を食らいながら、その日は無事家路に着いた。
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