女盗賊と少年

櫂梨 鈴音

女盗賊と少年


「あんたさぁ、 ここから逃げようとか思わないわけ?」


 ナイフと皮を剥きかけた芋を手で弄びながら、 問いかけに対する答えを考える。

 ここから逃げる?


「無理じゃないですか」

「まあ無理なんだけどさ」


 けらけらと、 問いを放った女は楽しそうに笑う。

 褐色の肌に赤い髪の、 大人と子どもの狭間にいる様な女だった。

 女は笑ったまま、 問いに答えた人間──女より数歳幼い痩せ細った少年の足を指差す。


「そんなもん付けてちゃ、 逃げるどころかこの部屋から出ることすらできないだろうね」


 指が示す先、 少年の足には枷が嵌められていた。 鉄製で見るからに頑丈そうなそれからは鎖が伸びており、 その先にはこれまた鉄製の格子がありそこに繋がっている。


「あんたもツイてないよねぇ、 盗賊なんかに捕まっちまうなんてさ」


 盗賊。

 そう、 少年は盗賊に捕まっていた。

 そして目の前にいる女こそが、 少年を捕らえた下手人だった。

 半年程前だろうか、 馬車に乗っていた時、 盗賊達の襲撃を受け少年は捕らえられた。

 少年が生き残ったのは運が良かったからだ。 馬車から投げ出された時下敷きにした荷物がクッションとなった為軽症で済んだし、 戦闘中も地面に倒れ込み抵抗していなかったので巻き込まれずに無事だった。

 抵抗した商人達はその場で殺された。 自分もそのまま殺されるかと思っていたが、 盗賊達が根城としている古い遺跡へと連れ去られ、 今は奴隷の様な扱いを受けている。

 一緒に連れて来られた生き残りもいたが、すぐに違う場所へと移された為今どうしているかはわからないし、 知りたくなかった。

 盗賊に捕らわれた女の末路など好んで知りたいとは思えない。


「まあ、 生きてますから問題ないです」

「お、 たくましいね。 そういうのは嫌いじゃないよ」

「仕事をしてたらそんなにひどい扱いも受けませんし、 食事も飢えない程度にはもらってますし、 まあいいかなと」

「ふーん、 そういう考え方ができるのか。 それはちょっとわかんない感覚だな」


 女はそう言いながら少年が皮剥きした野菜を手に取り、 生のままポリポリと齧り始める。


「ひどい扱いは受けてないって、 よくそんなこと言えるよね。そんな痣だらけでさ」

「骨は折れてませんし、 特段治療する様な怪我はありませんよ」

「そういう話じゃないんだよなー」

「そういうものですかね?」

「あたしならとっくに舌噛んでると思うよ」

「それはもったいない、 命あっての物種です。 大事にしないと」

「自由じゃなきゃ人生じゃないよ。 こんな扱いっていうか、 捕まった時点で死ぬかもね。 ……ほら、 続き続き。 昼飯までに準備してないとまた怪我が増えるよ。 あたしは庇わないからね」

「ああ、 そうですね。 ありがとうございます」

「……お礼言うのかー。 いやほんっとわかんないわー……」


 首を傾げる女を前に少年は食事の準備に戻る。

 料理ができて助かった。 そうでなければ自分はとっくに骨になっていたかもしれない。

 女はといえば別に何をするわけでもなく少年を眺めていた。 今日に限らず根城にいる時はこちらを見ていることが多い。

 不思議な女だった。 少年を捕らえ働かせているのはこの女ではあるが、 他の盗賊達と違いこちらに仕事を強要するでもなく観察し、 話しかけてくる。

 暴力を止めてくれるわけではなく、 仕事を手伝ってくれるわけでもない。 ただ近くにいるだけだった。

 別に不快というわけではないし、 話し相手がいるのはどちらかと言えば助かる。

 そんなわけで加害者と被害者は今日もとりとめもない話を続けた。



 ※



 翌日の早朝、 盗賊達の根城が襲撃を受けた。

 バタバタと慌てる足音と鳴り響く怒声が緊急事態だということを伝えてくる。

「騎士団」「見張り」「死んで」「すぐそこ」など、 断片的に飛び込んでくる単語からなんとなく情報が伝わってくる。

 騎士団が来たということはもしかしたら自分にも助かる見込みがあるのだろうかと、 寝起きのボーッとした頭で考える。

 助かるのは嬉しいが、 その場合あの褐色の肌の女はどうなるのだろう。

 ただ、 そんな考えは甘いものだったらしい。

 慌ただしい足音が近付いて来て、 部屋の入口からいつもの女が顔を覗かせる。

 表情こそ笑顔のままだったが、 全身汗みずくで額から僅かに出血していた。


「……大丈夫ですか?」

「大丈夫……って言いたいけど状況はマズイね。 悪いけどあんたにも来てもらうよ」


 そのまま足早にこちらに近付き足枷を外すと少年を肩に担いだ。

 いくら痩せているとはいえ男一人を軽々担ぎ上げるとは、 流石荒くれ者の一員というところか。

 腹に女の肩が食い込んで苦しいが、 それより伝えたいことがあった。


「いえ、 状況がじゃなくて、 いやそれもあるんですけど。 額、 血が出てますよ。 大丈夫ですか?」


 そう伝えると、 女は一瞬不意を突かれた様に固まったがすぐに肩を震わせ笑い始めた。 更に肩が食い込んで苦しい。


「この状況であたしの心配とか。 やっぱりあんたおかしいな」

「だって血が出てますよ? すぐ治療しないと」

「んな時間ないよ。 さっきも言ったが状況が悪い」


 言うや否や、 女は部屋を飛び出し走り出した。

 こうなると少年はもはや喋るどころではない。 胃にかかる衝撃が連続から、 必死に吐き気を堪えることで精一杯だ。

 そんな状況であるから、 女の言葉を聞き逃した。


「……だから、 あんたの命を使わせてもらうよ。 あたしの命を守る為に、 ね」



 ※



「《盾》を構えろ! これ以上あいつらを中に入れるんじゃねえ!!」


 盗賊の頭が唾を飛ばしながら咆哮を上げ、 それに合わせて盗賊達が《盾》を前面に掲げる。

 相対するのはこの盗賊団を討伐しに来たと思われる騎士達。

 盗賊の人数は三十人余りだったが、 最初の襲撃で数人がやられその数を減らしている。

 それに対し騎士は倍近い数を揃え、 こちらの軽装に対ししっかりとした作りの鎧と剣で身を固めている。

 既に根城の中まで侵入され、 非常時の脱出通路も外から押さえられているらしい。

 唯一、 場所が屋内の通路だった為一気に人数が押し掛けて来ることはないが、 盗賊団が壊滅するのも時間の問題……のはずだった。

 しかし現在騎士団は攻め込んで来ず、 膠着状態が維持されている。

 その理由は先ほど盗賊達が掲げた《盾》だった。

 盾と言っても通常の物ではない。 丸太やテーブルなど、 盾としては使えない様な物ばかりだ。

 問題は、 そこに括り付けられているモノだった。

 人間。

 九人。 生きた人間を鎖や縄で縛り付け、 騎士に対する《盾》として機能させている。

 もちろん縛られているのは盗賊ではない。 盗賊団が拐ってきた人間達だ。

 比較的若い女が多いが、 その半分程はボロボロになっている。 中には手足を欠いている者もおり、 息があるのか疑問な者もいた。

 そんな、 暴力に晒された無実の者達を巻き込むことは騎士達にはできなかった。

 攻撃を加えようものなら盗賊は即座に《盾》で防ぐだろう。 皮肉なことに善が悪の盾としてこれ以上なく機能してしまっている。

 そんな《盾》の一つとして少年は使われていた。

 鎖で木板に縛られた体は軋み、 内出血しているのが痛みでわかる。

 息をすることが苦しく意識が途切れそうだが、 周囲の緊張と怒声が気絶することを許してくれない。

 そんな少年を使っているのはあの女だった。両手で木板ごと少年を抱え、 騎士達を睨みながら彼女は少年に囁いた。


「命を大事に、 だっけ? 昨日あんたが言ってたことさ」


 少年は浅く息を吐きながら、 彼女の言葉を必死に聞こうとした。 苦しくて堪らないが何故か今そうしなければならないと強く思ったからだ。

 そんな少年を後ろから見て女は続ける。


「……あたしもそう思うよ。 あたしは自分の命が一番大事だから、 それを守る為にあんたの命を使う」


 怨んでいいよ、 慣れてるから。 と。

 それは女の本心だった。 その意思は少年にも伝わる。

 自分の命もここまでかもしれないと彼は静かに思う。

 運が良ければ生き残れるだろう。 だが何故か、 自分はここで死ぬという妙な感覚が頭に貼り付いて離れない。

 それは諦めかもしれない。 だが、 何かもう一つの強い思いが胸の内に灯っていた。

 ここが自分の最期なら、 その思いを彼女に伝えたい。

 だから息を無理矢理整えて、 せめて女に一言を伝えようとして、


 思わぬ形で、 事態は決定的に変化した。


 最前列。 最も騎士達に近い位置で《盾》として使われていた少女が痙攣した。

 何事かと全員の注意がそちらに向いた瞬間、 少女の口から大量の血が零れ落ちる。

 舌を、 噛み切った。

 少女の命は喪われていた。

 騎士達に悲鳴を聞かせ士気を折る為にと、 四肢を束縛していただけだった為猿轡を噛ませていなかったことが災いした。

 今すぐ苦しみから逃れたかったのか、 膠着した状況を動かす為の文字通り決死の行動だったのかはわからない。

 だが思いがどうあれ状況は動いた。

 あまりの事態に固まっていた騎士達が、 雄叫びを上げて盗賊に襲いかかる。

 盗賊達は慌てて《盾》を掲げるが、 それを巻き込みかねない勢いで剣を振るう。 そこかしこで盗賊達の悲鳴が上がった。

 目の前で守るべき存在が死んだことで、 騎士達のタガは完全に外れていた。 もはや乱戦状態で誰が剣の餌食になっても不思議ではない。

 最前列の盗賊達が倒れ、 騎士は更に奥へと攻め込んで来る。

 その過程で、 一人の《盾》に深々と騎士の剣がめり込んだ。

 悲鳴を上げることすらできず、 《盾》だった女が息絶える。

 だがその騎士は止まらない。 更に剣を振るいながら叫び続ける。

 完全な恐慌状態。 もはや敵味方の区別がついているかすら怪しいだろう。

 そしてその騎士が次に獲物と定めたのはあの女だった。 当然、《盾》として使われている少年が騎士と相対することになる。

 騎士の顔は明らかに正気を失っており、 揺れて定まらない剣先はしかしこちらを捕らえて離さない。

 さっきの感覚は当たりだったと少年は思い、 唯一言葉を伝えられなかったことだけが心残りだったと、 生に別れを告げる心構えを決めた。

 そして、ついに騎士が斬りかかり──


 少年は、 騎士の上を飛んでいた。


「……え?」


 間の抜けた声が口から零れる。

 いやに遅く流れる景色の中、 下を見ると先ほどまで狂気にまみれていた騎士すら呆気に取られた表情でこちらを見上げていた。

 その騎士の前方。 女盗賊が崩れた姿勢でこちらを見ている。

 まさか、 彼女が木板ごと少年を投げ飛ばしたとでも言うのだろうか。 何という力だ。

 女盗賊は崩れた体勢から立ち直りつつ、 凄まじい速さで騎士へと走り寄り抜き放ったナイフで騎士の首を斬りつけた。

 血飛沫が噴き上がり。 女盗賊の顔を赤く染め上げる。

 まだ少年が空中にいる間だ。 あまりにも素早い一撃は、 命を奪う行為でありながら美しかった。

 身体の落下が始まる中、 女と少年の目が合った。

 女は笑顔だった。

 いつもと変わらぬ、 笑顔だった。

 落下した少年は騎士達の隊列のど真ん中に落ちた。

 慌てた騎士達は、 しかし少年が《盾》に使われていた人質であると見て取ると後方に避難させる為担ぎ上げる。

 担がれた拍子に、 騎士達の隙間から女が見えた。

 先ほどの騎士ともう一人、 違う騎士を斬りつけながら、 また違う騎士の剣が彼女の頭に振り下ろされる瞬間だった。

 何かを最後に言っていた気もするが、 何を言葉にしたかはわからない。

 次の瞬間には、 彼女の髪より尚赤い飛沫が舞っていた。

 少年が覚えている女盗賊の姿はそこまでだ。



 ※



 この王国の南端の山中に、 そこそこの規模の山賊団がいたという。

 遺跡を根城にしていた彼らは、 他国から輸入されてきた商品や通りがかる人間を襲いかなりの被害を出していた。

 王国側は根城の場所がわからず下手な捜索が行えなかった為に対処ができずにいたが、 盗賊に襲われた商団の生き残りが根城の場所を伝えた為討伐に乗り出した。

 結果として討伐は成功。 騎士団から数人の被害は出たが、 三十四人いた内のほとんどの盗賊はその場で死亡。 生き残りの盗賊も捕らえられた後に処刑され全滅した。

 しかし盗賊達は拐って来た人間を盾として使用しており、 討伐の際に九人中五人が死亡してしまった。

 生き残った人質の内、 三人は捜索願いが出されており、 暴行や衰弱による被害はあったものの元の場所へと帰って行った。

 しかし、 最後の一人。 ある少年は奴隷商の商品だったことが発覚。

 だがその奴隷商は盗賊団により殺されており、 その上で買い手もついていなかったという。

 王国の法により持ち主がおらず、 且つ犯罪を犯していない奴隷はいくつかの条件を満たしていれば奴隷から解放される。

 そしてその少年は全ての条件を満たしていた。

 今も少年は生きている。 首都にある教会に引き取られ、 以前よりずっと豊かな生活を送っている。

 ただ、 それだけの話。



 ──一つだけ。

 彼は、 神以外に自分で作った人形にも祈りを捧げているらしい。

 褐色の肌と赤毛が特徴の幼い少女の様な人形に、 まるで懺悔をするかの様に。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

女盗賊と少年 櫂梨 鈴音 @siva_kake_mawaru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る