Faithful Lover side-Yutaka- 3



 それからユタカさんと話している内に料理が運ばれてきた。

 運んできてくれた式部は、他のお客さんに呼びたてられて、すぐさま慌しく他のテーブルへとオーダーを取りに行ってしまった。

 俺とユタカさんの間に沈黙が下りる。

 そうした重苦しい空気を裂くようにロマンスグレーって言葉の似合う年配の男性が珈琲を運んできてくれた。

 鮮やかな彩りのパスタを味わいながら、式部が忙しなく店内で歩き回っているのを見詰める。

 お客さんを案内している背中。テーブルを拭きながら、隣のお客さんの話に笑顔で応える姿。他のスタッフさんと確認している真剣な表情。

 どれも新鮮であるのに、たまに懐かしい。


「見すぎ」


 ホットコーヒーを飲みながら、ユタカさんは口の端を上げた。

 人を小バカにしたような、この笑い方が癖なのだろうか。

 市役所に居た親切な彼はどこに行ってしまったのか。


「うるさいなぁ」

「俺、仕事に戻りますよ。付いてきたサラダ、穣さんにあげます」


 一切手を付けられていないサラダが、俺の方へと流されてくる。

 これは優しさではなくて、ただの野菜嫌いだろう。


「俺の分、ここ置いておきますね。……この機会を逃したら、きっと九重さんもう後が無いんじゃないですか? 俺はまだありますけど」

「ちょ、ユタカさん!」


 彼は式部に軽く挨拶をすると、颯爽と店から出て行ってしまった。

 そして、テーブルの端の千円札。彼の飲食分には二百円足りない。

 そんなちゃっかりしているところが羨ましく感じた。


「空いているお皿、お下げしますね」


 式部は左手に乗せた丸トレーの上に、慣れた手付きで皿とカップを乗せていく。


「ありがとう」


 式部は頬を染めてはにかむと、キッチンへと運んで行く。

 呼び止めたいけれど、仕事を中断させるわけにもいかない。

 俺はトマトを口に放り込んだ。

 サラダパスタは食べ終わってしまった。

 残ったのは、ユタカさんの残していった小さなサラダだけだ。


 食べ終わったら、どうしようか。


 レジで精算をして帰っていく人が増えていき、俺の周りのテーブルは空き席ばかりになっていった。

 ランチの時間帯が終わったということだろう。

 なにか注文して、もう少し居座ろうか。

 思案していると、珈琲を運んでくれた男性が「美織さんのお知り合いですか」と声を掛けてきた。


「俺ですか。式部さんの高校の同級生です」

「そうですか。よければ、あちらのお席空きましたのでどうぞ」


 男性の指した先は、珈琲を淹れるキッチン前のUの字のカウンターだった。


「いや、俺は」

「もうすぐ美織さんも休憩なので、是非」


 柔らかな言葉遣いの裏側に、有無を言わせない圧を感じる。

 俺は促されるままに、飲みかけの珈琲を持ってU字のカウンターに腰を下ろした。

 カウンターからは、キッチンの様子がよく見える。

 式部がカップを拭きながら、テーブルの様子を窺っている真剣な横顔。

 先ほどの年配の男性と雑談しているときの、柔らかい笑顔。

 距離が近付いた分、なんだか緊張してしまう。

 すっと新しいお冷やとおしぼりが用意されて、俺は一気に水を煽った。

 式部は、拭いていたカップを仕舞うと、窓から外を覗いた。


 一体何が見えるのだろうか。


 気になって、首をちょっと伸ばして、式部の視線を追う。

 窓の外はいつの間にか暗くなっていて、窓に雨粒が叩きつけている。

 俺の座っている席までは、店内に流れているジャズで雨音が聞こえてこないけれど、式部の居る窓際なら音が聞こえているだろうか。

 式部は窓に顔を寄せて、大粒の雨が落ちてくる暗い空を見上げている。

 ガラスに映る式部の表情は読めないけれど、まるで遠い空に虹を探しているかのようだと思った。


 その姿が高校生のときの式部と重なって見えて、また声の届かないほど距離が離れてしまうように感じて――怖くなった。


 声を掛けようとしたその時、カウベルがカランカランと勢いよく鳴った。

 駆け込んできた人物は、小さなバッグからハンドタオルを取り出すと、肩に付いた雫を払っている。


「あれ、明日葉ちゃんもう出勤?」

「美織先輩、先週言ったじゃないですか。今日から夏休みだから、早く来ますよーって」

「ごめんごめん。じゃあ、休憩貰うから、支度出来たら入ってもらっていい?」

「はーい。いってらっしゃい」


 入ってきたボブカットの女の子は、俺の方を見てウインクをした。

 知っている子、だったろうか。

 ちまちま珈琲を飲んでいると、エプロンを脱いだ式部が目の前の席に腰を下ろした。


「少しだけ、お邪魔していいですか」


 式部から声をかけてくれるとは思わなかったので、俺は動揺してカップをソーサーに置くときに派手に音を立ててしまった。


「大丈夫?」

「あ、ああ」

「……こうして、お話するの。高校の卒業式以来ですね」

「そうだな。……元気だった?」

「うん。九重くんは? 無理、してないですか?」

「大丈夫、ぴんぴんしてる」

「よかった」


 なにから話そうか、なにを話したらいいか。

 ずっと考えていたのが嘘みたいに、話したいことが次から次へと口をついて出てくる。


「あ、珈琲のおかわり要ります?」


 式部に訊かれて、珈琲のカップが空になっていたことに気付いた。


「そう、だな」

「どうぞ」


 メニューに手を伸ばそうとしたところで、年配の男性が、珈琲を運んできてくれた。注文されることを想定していたのだろうか。

 俺は頭を下げて、新しい珈琲を頂くことにした。


「ありがとうございます、マスター」

「お店からのサービスです。式部さんもごゆっくりしてください」


 目の前の空のカップが下げられ、新しいホットコーヒーが二つ置かれる。

 マスターが立ち去ると、二人で香り高い珈琲を口にした。


「おいしい」

「ですよね。私も、ここで働きたいと思ったの、マスターの珈琲が飲みたかったからなんです」

「たしかに、この珈琲飲めるのはいいなぁ」

「ですよね。ちょっと自慢です」


 式部は少しだけ胸を張って、子供みたいな無邪気な笑顔を見せた。


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