side-Yutaka-

Wealth side-Yutaka- 1


 ――Age 27――



 窓の外は暗く、雨が音を立てて窓に当たっている。

 梅雨になって、縮毛強制を希望されるお客さんが増えてきた。

 時間のかかる作業なので、連日セット台はお客さんで埋まっている。


「穣くん、店長が呼んでるよ」


 床に散らばった髪の毛を掃いていると、岸本くんが俺を呼んだ。


「はーい」

「じゃあ九重さん、あたしが代わりに掃くっすよー」

「はい、頼みますー」


 後輩の新居あらいに箒を渡すと、店舗の奥、スタッフルームに居る店長に声をかけた。

 ソファに座ってインスタント珈琲を飲んでいた店長が、俺に前のソファに座るように促してきた。

 とりあえず腰を下ろす。呼び出されることなど滅多にないから、クレームでもあったのかと気が気ではない。


「店長、なにかありましたか?」


 店長はオシャレで生やしているあごひげに触れながら、俺の顔をじいっと見詰めている。


「……ああ。さっき本社から連絡があってさ。

 九重、東京の本店で働いてみないか?」

「え、俺?」

「まあ、研修みたいなもんだよ。三年は向こうにいることにはなるだろうけどな」



 ――俺が、東京の本店で……。



 実感が湧かなくて、漫画みたいに頬をつねってみる。

 確かな痛みはあったけれど、現実かどうかの確認という意味ではあまり役には立たなかった。

 店長の期待に満ちた眼差しに、狼狽える。

 本店に行けるのは、単純に嬉しい、けれど……。


「家族に相談してみていいですか」

「ああ」


 悠斗ももう高校生になっているし、母さんも反対はしないだろう。

 実際に帰ってから相談すると、二人は喜んで東京へ行くのを後押ししてくれた。

 


 東京に行くことが決まると、そこからは慌ただしくてあっという間だった。

 用意してもらった単身用の家具付きのアパートへ住むことを決めて、荷物を纏める。

 必要最低限の家具があるので、持ち込むのは服や食器くらいだ。


「穣」

「なに?」


 母さんがドアから顔を覗かせて、部屋に入っていいか確認をしてきたので「どうぞ」と入れた。

 纏められた荷物をぐるりと見回して、母さんは寂しそうに笑った。


「ついに穣も一人立ちね」

「って言っても、三年くらいだろ」

「あら、わからないじゃない。田舎に戻りたくないって帰ってこなかったりして」

「どうだろうなぁ」


 東京にはよく遊びに行くけれど、住みたいと思ったことがない。

 その点ここは遊び場がない代わりに住心地はいい。


「ちゃんと、神様にも行ってきますって言うのよ」

「ああ、うん」


 住宅街の外れにある小さな神社。子供の頃は悠斗と一緒によく遊んでいたし、新年の挨拶や七五三、受験の合格祈願をしていて、とても思い出のある神社だ。


「じゃあ、ちょっと行ってくるよ」

「もう荷造りは終わったの?」

「ああ。そんな持って行くものないからさ」

「そう、いってらっしゃい」


 玄関まで見送ってもらって、俺はスニーカーを履くと強い陽射しに迎えられて外に出た。

 


 東京行きが決まってからすでに一月経っていた。

 夏を迎えて、海のような深い青い色の空には入道雲が浮かんでいる。

 こじんまりとした神社の境内には、人気はない。

 新年やお祭りのときは出店が並ぶこともあるけれど、普段は誰かが立ち寄ったりすることはあまりない。

 賽銭箱に持ってた小銭を全部投げ入れると、二礼二拍手をしてから深く祈った。


 

 ――俺が東京に行っても、家族やみんなが元気で居られますように。



 それから一礼をして、家へ帰ろうと踵を返すと、三メートル近くあるご神木のケヤキの下にクローバーが群生していた。

 一気に高校の頃の記憶が蘇る。

 ここ最近ずっと忙しくしていて、高校の頃から仲のいい友人とも遊びに行けていなかった。

 同窓会も、成人式の日に行ったっきりだ。

 みんな元気にしているだろうか。


 ――式部、は。


 近付いて、クローバーの群れを覗き込む。


「あ」


 四つ葉を見つけた、と手に取ると、残念ながらそのクローバーは三つ葉だった。

 そんな簡単に見つかるものじゃないか。

 それでも、引き寄せられるかのように四つ葉のクローバーを探す。

 額から垂れてきた汗が、顎まで伝って落ちていく。

 なぜか、涙が浮かんでくる。

 胸が締めつけられて、息苦しい。

 

「これを探してるの?」



 白い腕が横からひょっと伸びてきて、思わず固まった。

 柔らかそうな白い腕の持ち主は、真っ赤なランドセルを背負った、昔懐かしいおかっぱの女の子だった。

 さっきまで、境内には誰もいなかったのに、いつの間に現れたのだろうか。

 それとも、ただ集中していて気付かなかったのだろうか。

 女の子が摘み取った四つ葉のクローバーにハッとさせられる。

 俺が汗だくになりながら、今の今まで探していたそれを、彼女は容易く見つけて手にしている。


「……そう。それを探していたんだ」

「お兄さんにあげる」

「ううん。これは君が見つけたものだから君が持っていて。知ってる? 四つ葉のクローバーは幸運のお守りなんだよ」

「幸運のお守り?」

「そう」


 女の子はクローバーを愛おしそうに両手で包むと「ありがとう」と頬を林檎のように染めて笑った。


「わたしも、お兄さんにいいものあげるね」

「いいもの?」

「うん。わたしはね、探し物の神様なの」


 女の子はグレーのプリーツスカートのポケットに手を突っ込み、俺に向けて握り拳を差し出した。

 両手で皿のようにして受け取ると、なんの変哲もない木片、だった。


「お兄さんの本当の探し物が見つかりますように」


 女の子は跳ねるように走って、神社を出て行く。

 あの子どこの子だっけ。 近所に居ただろうか、記憶の隅々を探ってみるけれどどうにも思い出せない。

 手に残った木片を見詰めて、温かい気持ちになる。

 貰った木片を失くさないように財布に仕舞ってから、立ち上がるとパンツに付いた土を払った。

 東京に行けば、次にこっちに来れるのは正月休みだろうか。

 視界いっぱいに開けた青空を見て、少し寂しさに浸る。



 ――本当の探し物が見つかりますように。



 女の子の声が、耳に残って響いている。

 今は、思い出を全部仕舞って、行こう。

 踏み出す一歩に、力を込めた。

 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る