Wealth side-Yutaka- 2



 東京に行く前日、店のみんなで送別会を開いてくれた。


「ずっと一緒だったから寂しいよ」


 岸本くんの涙を溜めた目元に、俺も釣られて泣きそうになる。


「また戻ってきてくださいよね」


 新居はすでに涙で顔がぐちゃぐちゃで、ずびずびと洟をかんでいる。


「そうだな、帰ってくるときは声かけてくれ」

「店長……」


 最後にお店のみんなから加湿器のプレゼントを貰った。

 店長曰く、「美容師は喉も大事だからな」だそうだ。

 



 そして、俺は本店に初出勤をした。

 朝から電車でもみくちゃにされて、気分は萎えていたけれど、本店を見上げると少しだけ気分も持ち直した。

 本店はセット面も二十席と多く、スタッフも多い。

 地元の店より、装飾も大きく派手で、物語のお城の中みたいだ。

 俺と同じように他県から来た人も二人いる。


「今日から一緒に働かせて頂きます、九重 穣です。お願いします」


 温かい拍手に迎えられての初勤務。

 最初は店内の様子を窺いながら、補助をして回ることになった。

 客層は地元と明らかに違う。

 女性客が多いのは変わらないけれど、中でも若い女性が圧倒的に多い。

 そして最も違うのが、男性客もよく訪れること。

 確かに、技術面で勉強になりそうだ。

 こうして久しぶりに学ぶ側に立てるのは嬉しい。

 慣れてくると、どこか慢心してしまうし、今の自分のレベルに満足してしまう。

 色んな人の技術を目の当たりにして、まだまだ上手くなりたいと思う気持ちが強くなった。


「九重くんよろしくね」

 へらりと笑って握手を求めてきたのは、一緒に他県から本店に移動してきた鹿島かしま

 華奢で、女性かと見間違うくらいに可愛らしい容姿だが、随分サバサバした話し方をする。

 来て早々、先輩らしき人に楯突いてたのを見て、こっちがヒヤリとした。

 隣で頭を下げたのが、同じく他県の店舗から移動してきたひょろりと背が高い福江ふくえ

 こちらはだいぶ物静かで大人しそうだ。


「こちらこそ、よろしく」





 月曜日の夜、俺と鹿島、福江は仕事終わりに居酒屋にふらっと寄った。

 店の休みが火曜日なので、俺達は水曜日から一週間が始まり、月曜日に終わる。

 火曜日以外はみんなバラバラに休みを取っているので、この月曜日の終わりだけが唯一三人で集まるタイミングになっていた。

 いつもこうして、仕事終わりに居酒屋に寄るのがルーティーンになっている。

 世間では週の始まりの月曜日だが、東京はどこの居酒屋もそこそこ混んでいる。

 この店も、それなりに混んでいて、俺達が座ってから隣のテーブルはすでに二組入れ替わっている。


「九重くんカット上手いよね」

「鹿島には負けるよ。お前ホント手首柔らかいよな」

「そう? 褒められて悪い気はしないけどさ。

 福江は丁寧だよね。お客さんの指名一番多いし」

「……ん」


 居酒屋で集まった俺達は、酒を呑みながらお互いを褒める。

 移動してきてから数ヶ月。

 季節は冬へと移り変わっていた。

 地元の冬と違って、強いビル風が吹き荒れている。窓の外では、襟を掻き合わせて、俯き加減に人々が歩いているのが見えた。

 三人で集まっては、技術的な話から愚痴までだらだらと話しながら過ごす。

 他県から来ているという境遇が近いのと、年齢が近いので、気兼ねなく話せるのがいい。


「そういえばさ、九重くん指名の常連さん。絶対九重くんのこと好きだよね」

「え?」


 枝豆の房から、豆を吸い出したときだった。

 鹿島は日本酒を煽りながら、俺のほうを見てにやりと笑う。


「あの子、九重くんのヘルプに入ってシャンプー代わったら、めっちゃ冷めてたんだよね。別人かなって思ったもん」

「偶然だろ」

「そんなことないって。な、福江」


 黙々と、アジの開きを骨に沿って食べていた福江は静かに一つ頷いた。

 しかし綺麗に食べるな。標本でも出来そうだ。


「ほら、福江も言ってる」

「気のせいだろ」

「頑なだなぁ。九重くんって女の子嫌いなの?」


 鹿島は徳利とっくりを振って空なのを確認すると、タッチパネルを操作して追加の日本酒を頼んでいる。


「……嫌い、じゃないけどさ」

「ふうん。あ、地元に実は彼女がいるとか? 地元近いんでしょ?」

「いない」

「そこは即答なんだ」


 俺も残ったビールを飲み干すと、福江のお茶と一緒にお代わりを頼んでおく。


「あの子可愛いからもったいないじゃん」


 鹿島がいつになく絡んでくる。もう酔っているのだろうか。

 福江はともかく、鹿島は飲めるヤツなはずだが……。

 日本酒をぐいっと飲み干すと、鹿島は苦い笑みを浮かべる。


「……俺、振られたんだよね。先週地元に帰ったときに、好きな子に告白したんだけどさ。

 遠恋は嫌だってきっぱり言われた」

「そうだったのか」


 鹿島は仕事も普通にこなしていたので、今まで傷心中なのだと気付かなかった。

 福江も目を丸くしている。


「九重くんモテるでしょ。なんで、彼女作らないわけ」


 鹿島のこの悪絡みも、そうした背景があるってわかるとかわそうと思えない。

 ビールを煽ると、俺も少しだけ酔っていたこともあって、記憶を紐解きながら、ゆるゆると語り始めた。


 高校のときに式部と出会ったこと。

 式部の作ってくれた二冊のノート。

 四つ葉のクローバーのこと。


 二人は、物語を聞くように、俺の話を静かに聞いていてくれた。


「そっか、それが九重くんの初恋なんだね」

「……いい話」

「誰かに話したのは初めてだな」


 お通しのナッツを食べていると、鹿島が首を傾げた。


「でさ、告白はしたの?」

「……してない」


 そう答えると、鹿島はテーブルに手を叩きつけて身を乗り出すと、鬼のように目を剥いた。


「なんで告白しないんだよ!」

「いや、だって」

「だってってなんだよ。今でも好きなんだろ?」


 捲くし立てるような鹿島の言葉に、俺はただただたじろいでいる。

 福江が宥めようと鹿島の肩を押さえているけれど、それだけではスイッチの入った今の鹿島は押さえられないようだった。


「……好きだよ」

「だったら、彼女が誰かの手で幸せになるのを黙って見てていいのか!」


 普通の男だったら、ここで「良くない!」と彼女の元へ駆けていくのだろうか。

 でも、生憎そんな勇気は湧いてきそうにもない。


「いいんだよ、これで。俺は、美容師として納得するまで帰るつもりはないから」


 鹿島は「そうかよ!」と柔らかそうな頬を膨らませて、座りなおした。



 鹿島の人を見る目は確かで、その後常連の女性から告白をされた。

 俺は断ったけれど、今でも俺の腕を買って指名してくれている。

 鹿島はそんな俺を「タラシ」と評していた。特に否定をしないでスルーしていると、他のスタッフまで冗談で「タラシ」と呼び始めたので、流石に事実無根だと声を上げて否定するようになった。


 職場の仲間には、恵まれていると思った。





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