Wealth side-Yutaka- 3
――Age 31――
当初、本店には三年の勤務予定だったけれど、引き止められて四年目を迎えた。
鹿島は地元に戻ることを、福江は東京でずっと働くことを選んで、俺達三人は新しいスタートを切ることになった。
去り際、鹿島が「いい加減告白して振られて来い」とお節介なことを言っていたけれど、確かに三十を超えても初恋に囚われている自分は、いい加減やばいかもしれないと思った。
この恋を呪いと言っていた、八城のことを思い出す。
確かにそうかもしれない。
最近しみじみそう感じるようになった。
「鹿島、地元に戻るなり結婚したんだな」
「……おめでたい」
福江との二人宛に結婚式の招待状が届いていて、今日の話題は鹿島のことばかりだ。
容姿が中性的なせいか、男女問わずモテて、鹿島には固定の常連客が居た。
それでも、俺と違ってかわし方が上手いので、常に色恋沙汰にはならずにさらっと流していたように思う。
ちなみに俺は一年に一度のペースで告白されて、何度か店に理不尽なクレームを入れられた。
店長が話のわかる人でよかったけれど、噂を聞いた固定客が離れていったのは痛い。
横でのんびりとお茶を啜っている福江は、本店に来て二年目の頃しれっと東京で彼女を作って結婚してしまい、ついに独身は俺だけになってしまった。
「結婚かぁ」
「……九重は?」
「ん? 結婚しないのかって?」
「そう」
福江の左手の薬指にはシンプルなシルバーのリングが光っている。
もうすぐ第二子も産まれるという話だ。
「俺だってしたいとは思っているけどさ」
今日はビールではなく、鹿島が好きな日本酒を煽る。
鹿島がビールの炭酸は腹が膨れるから嫌だと言っていたことを思い出した。
酔うと散々「告白しろ」、「振られてきて、早く新しい恋愛しろ」だの言っていたことも。
「……俺も、九重は告白したほうがいいと思う」
「福江」
「鹿島も、俺も九重が幸せになってほしいと思って言ってる」
福江の言葉に、胸が熱くなる。
「そう、だな」
お会計をしようと財布を取り出すと、小銭に埋もれていた木片が顔を出した。
――あれ、これ、なんだっけ?
思い出せないまま支払って、財布を仕舞って店を後にする。
「じゃあ、また明日な」
「……うん、明日」
大人になればなるほど、不思議なことに子供の頃の思い出が鮮やかになっていく。
仕事が落ち着いてきて、地元に帰る機会が増えたせいかもしれない。
そのお陰で高校の友人や前の職場の人達と時間を取って会うこともできた。
同級生の方では誰々が結婚したという話を耳にすることがあったけれど、式部が結婚したという話は聞かなかった。
この四年間。俺は誰とも付き合うことはなかった。
誰かに告白される度に、八城のことを思い出した。
誰かと一緒にいたところで、傷付け合うだけのような気がして、色恋沙汰を遠ざけるようになった。
鹿島の話では、俺の初恋が遅かったからではないかと言っていたけれど、本当にそうなのだろうか。
誰にだって、忘れられない恋の一つや二つあるのではないか。
俺にとって、式部への想いがそうだ。
ただ、
この想いを見ない振りをしながら、誰かと付き合っていくことはもう出来ないと思った。
夏の鋭い日差しが高層ビルの窓に反射して、目が眩む。
スクランブル交差点の歩行者信号が青になると、俺も人波に紛れて陽炎に揺れる向こう岸へ渡る。
避けたり、避けてもらったり、イワシの群れのようにぶつからないようにして歩く。
ふと、横をすれ違った女性の髪がさらりと流れていくのが気になって、振り返った。
二つに分けられた黒髪。シルエットが、思い出の中の式部と重なる。
慌てて追いかけた。
人波に紛れて見失ってしまわないように、俺は無理矢理道を抉じ開けて走る。
舌打ちや、聞こえてきた小さな悲鳴に心の内で詫びながら、彼女の背を追う。
高校の卒業式を思い出す。
校舎の人混みを駆け抜けて、校庭に居た式部の元へ走った、あの時と重なる。
「式部!」
肩を叩いて、振り返ったのは――式部、ではなかった。
「……人違いでした、すみません」
困惑している女性に深く頭を下げる。
彼女を追いかけてきて、横断する前の場所に戻ってしまった。
対岸へ渡ろうと振り返ると、歩行者信号はすでに赤へと変わっていて、車が行き交っている。
起こしてしまったことに呆然としていると、ジーンズの後ろポケットに入っていたスマホが振動した。
信号待ちしている人混みから抜けて、街路樹の陰に入ると、母さんと表示された画面をスライドしてロックを外す。耳元へと持ち上げる腕が重たい。
「もしもし」
「穣、今大丈夫?」
「うん、どうかした?」
「母さんね、来年までお店畳もうと思っているの」
姿は見えないけれど、アブラゼミの声が街路樹の下に力強く響いている。
「最近また腰の調子も良くなくてね。病院にお世話になる前に、お店を畳もうかと思ってね」
耳元で聞こえるはずの母さんの声が、蝉の声よりも遠く聞こえる。
今、地元の空はどんな色をしているだろうか。
ビルの隙間から見える空から、強い日差しが射し込んでくる。
Tシャツが汗でべったりと背中に貼り付いて気持ち悪いと思った。
「……俺、そっちに帰るよ」
母さんの驚いた声に、自分でも口から零れ出た一言に驚く。
でも、それが自分の本音なのだと思った。
「帰って、店継ぐよ」
母さんが何か色々と言っていたけれど、俺は聞こえなかった振りをして通話を切った。
渡る予定だった信号が青に変わった。
俺は、木陰から飛び出ると、前を向いて歩き始めた。
「……そっか、決めたんだね」
「ああ」
福江が俺の背をとんっと叩いた。
福江らしい、優しいけれど重たい叩き方だ。
思わず、背筋を正す。
「鹿島もきっと喜ぶ」
「あいつの場合は喜ぶ前に皮肉言うだろ」
「そんなことない」
「……俺さ、鹿島と福江が居たから、ここでやってこれたと思ってる。ありがとうな」
福江は頷くと、「俺も」と笑った。
数日後、鹿島の結婚式に、俺と福江は一緒に出席した。
鹿島も奥さんと一緒に選んだのか、アットホームなのに安っぽさの感じない素晴らしい式だった。
結婚式の二次会で鹿島に実家に戻ると打ち明けると、鹿島は俺の背を力いっぱい叩いて笑った。福江とはえらい違いだ。
「おっせーんだよ、ばーか」
俺は福江を睨んだ。ほら、やっぱりじゃねーかと。
「初恋の子、まだ地元に居るんだろ? 今度こそちゃんと告って、幸せになれよ」
鹿島が目尻に涙を浮かべて笑う。
福江の方を横目で見ると、口パクで「やっぱりじゃねーか」と返された。
東京に来て、良かった。
夜にベランダから、街を見上げる。
地元とは違って、星明りは見えないけれど、あちこちに明かりがあって心細さを感じない。
二次会の後、新幹線を使って家に帰ってきた俺は缶ビールを飲み干した。
鹿島の幸せそうな笑顔を思い浮かべて、俺も笑顔を浮かべた。
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