Wealth side-Miori- 3


 なにか、なにか出来ること。

 お家にご飯を作りに行くのはさすがに図々しいだろうか。

 それに流石に毎日ご飯を作りにはいけない。

 とはいえ、家事の中で私が出来そうなのは料理と洗濯くらいしか……。

 そこで、ふっと思いついた。


「私に出来ること、少しだけお手伝いさせてください」

「いや、俺はそんなつもりじゃ」

「協力させてください」


 強張っていた九重くんの表情が柔らかくなって、少しだけ笑顔が見えた。

 彼の話を聞いてよかった。あのままずっと、倒れるまで一人で抱えていくことになったのかもしれないと思うとゾッとする。


「……頼む」

「任せてください」


 翌日、私は二冊のノートを用意して、九重くんに渡した。

 一冊は授業の要点を書いたノート。

 九重くんがもし疲れて授業中集中出来なかったとしても、復習しやすいように。

 もう一冊は作りやすい料理を書き写したレシピノート。

 一日一日、飽きないようにバランスのいいレシピを考えるのは難しかったけれど、楽しかった。

 更新するために一度返してもらったノートのページの端に、「うまかった」と書いてあったときは、嬉しくてノートを抱きしめた。

 レモネードのページだけ、何度も開いたのかページに皺が多い。


 ――気に入ってくれたなら、よかった。





 それから数日。試験が終わって、学校の中は活気に満ちていた。

 また中庭で待ち合わせた私達は、ベンチに腰を下ろした。

 最初ここに座ったときのように、風が通り抜ける。


「お母さん、明日退院なんですっけ。おめでとうございます。それに、お疲れ様」

「式部のお陰でなんとかやれた。ホント助かったよ。昨日の豚肉のしょうが焼きを悠斗がめっちゃ喜んでた」

「それは、お役に立ててよかったです」


 寂しい気持ちを隠したくて、私は手元の本へ視線を移した。

 今日が返却期限なのだと言い訳をしたけれど、文字が滑って、内容が入ってこない。



「あ」



 九重くんが足元の何かを拾ったようだった。


「九重くん?」

「……なに?」

「ああ、ううん。今日は早く帰らなくて大丈夫?」


 九重くんは眉根を寄せた。

 私、失言、した?

 慌てて訂正する前に、不機嫌な声が返ってきた。


「早く帰ってほしいわけ?」

「そんなこと言ってないよ」

「弟ももう夏休みだし、遅れるって言っておいた」

「そっか」


 私が視線を本へ落とすと、九重くんが「なあ」と声をかけてきた。


「ん?」

「クローバーの花言葉って知ってるか?」


 確かこの前読んだ植物図鑑に載っていた。

 クローバーは葉が一つから十まで花言葉が当てられている。

 どれも、人に幸運をもたらすような花言葉だ。


「たしか、クローバー全体では私を思って、とか幸運とか……あと復讐なんていうのもあるみたいですよ」

「復讐!?」


 余程驚いたのか、あまり大きな声を上げたりしない九重くんが珍しい。

 たしかに、私も初めて見たときは驚いたなぁ。

 幸運と復讐は反対に位置しているように思えたから。


「じゃあ、四つ葉のクローバーは?」

「四つ葉はたしか、私のものになって、とか……真実の愛、とか」


 視線が重なる。



 ――真実の愛。



 私も、九重くんも、目を逸らさなかった。

 胸がずっとドキドキしている。

 目頭が熱くて、涙が溢れそうになる。

 幸福感と一緒に、少しだけ恐怖心もあって、私の頭の中で感情の渦がぐるぐると回っていた。

 

「九重ー!! 担任が呼んでるぞー!!」


 声がした方を見上げると、教室のある三階の窓から身を乗り出すようにして大野くんが手を振っていた。


「今行く!」


 九重くんは「またな」と小さく呟いて、去っていった。

 その背が見えなくなると、今度は胸がぎゅっと痛くなった。









「式部、ありがとうな」


 教室で九重くんから、二冊のノートを受け取る。

 彼のために作ったものだから、差し上げてもよかったんだけど、彼は律儀に返すと言って聞かなかった。


「いえ、お役に立てたなら光栄です」


 このノートを通じて彼とやりとりをしていたから、ノートを受け取ることで関係が終わってしまうような気がしていた。

 彼の顔から思わず目を逸らす。

 今泣いてしまったらただの変な人だから、笑顔を作って席に戻る彼の背を見送った。

 それから、九重くんは中庭に現れなくなってしまった。

 待ち合わせも、約束もしていたわけじゃないし、彼には彼の人付き合いがあって、やらなければいけないことも、したいこともあるのだ。

 そう自分に言い聞かせてみるけれど、寂しさは癒えない。

 それでも、昼休みは中庭で過ごすことが多かった。

 いつか、彼が来てくれるような気がしたから。 





 三年になって、私と九重くんは別のクラスになった。

 彼は四組で、私は一組。教室も結構離れている。

 たまに廊下ですれ違っても、視線で挨拶するだけ。

 私も彼も、声をかけたりはしない。

 このまま、きっとなにもなかったようにお別れなのだろうか。

 嫌だ、と思う反面、自分から話しかけるほどの勇気はなかった。



 そうして何もないまま、夏、秋、冬を越えて、勉強に追われている内にあっという間に卒業を迎えた。

 式が終わった後、私はいそいそと支度をして、校舎から外へ出た。

 校庭の真ん中に来たところで、振り返って三年間を過ごした学び舎を見上げる。

 学校に来ることは、楽しさもあるけれど、嫌なときもあった。それを乗り越えて卒業できたのだと思うと、とても感慨深い。


「式部!」


 校舎から、駆けてくる人影に、言葉を飲む。


「九重くん」


 胸がいっぱいで、何から話したらいいのかわからない。

 前はどんな風にはなしていたっけ。

 記憶を辿っていくと、ずっと会話をしていなかったことに気がついた。 


「なんだか、すごく久しぶりだね」

「……だな」

 

 ――嬉しい。



 目の前が明るく感じる。肌寒い風が、今は心地よい。

 九重くんの向こうに薄く澄んだ空が見える。


「もう、卒業なんだね」

「ああ、そうだな」

「美容師になったらお店教えてね」

「ああ」


 これが、最後のチャンスなのだと思った。

 伝えたいことが湧き上がっては、沈んでいく。

 もっと、こうしてお話したい。

 彼の声を聞きたい。

 すると、九重くんが手の平を差し出した。


「なあ、卒アル貸して」

「え?」

「いいから」


 私は肩に掛けたトートバッグから卒業アルバムを取り出すと、九重くんはリュックからペンケースを取り出し、さらに油性のペンを一本出した。


「これでいいのかな?」


 卒業アルバムの後ろの余白を開くと、私に背を向けて、隠すようになにかを書いている。

 そして、勢いよく振り返ると、卒業アルバムを突き返された。


 ――え、ええ?


 呆気に取られて、彼の為すがままになっている。


「じゃあ、またな!」



 

 あっさり立ち去ってしまった彼を見送って、卒業アルバムを開く。

 そこには四つ葉のクローバーが描かれていた。



 ――四つ葉はたしか、私のものになって、とか……真実の愛、とか。

 

 彼は一体どんな想いで描いたのだろう。

 花言葉について話したこと、覚えているだろうか。

 卒業アルバムを抱きしめて、彼の描いた四つ葉のクローバーの意味を探る。

 そして、気付いたのは、私が九重くんに恋をしていることだった。

 九重くんと過ごした毎日がキラキラしていて、九重くんを想うと、胸が苦しくなる。


 卒業式では全然泣かなかったのに、今更涙が溢れてきた。



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