Wealth side-Miori- 2

 中庭に来た私達は、記念樹を囲うように設置された三つあるベンチの一つに座ることにした。

 九重くんは周囲を見回して、私の隣に一人分のスペースを空けて腰を下ろした。


「ここ、けっこう涼しいからおすすめなんですよ」

「いいの? 俺に教えても」

「隠すことでもないですからね」


 吹き抜けていく風が心地良い。

 じめじめと滞っていた湿気が風にさらわれて、初夏の爽やかさが残った。

 風が止むと、沈黙に堪えられなくなったので、図書室の話の続きを話すことにした。


「お恥ずかしい話ですが、私夢とかなくって。ただ、普通に就職して、普通に結婚して……って漠然とした未来しか描いてないんです」 


 九重くんは私の話しを静かに聞いて、返事の代わりに頷いてくれていた。

 そして、彼は私から視線を逸らして、記念樹の月桂樹を見詰める。

 九重くんは少しだけ鼻が高いので、横顔のシルエットが美しい。


「別にいいんじゃね。もし、夢を見付けたいなら、式部だったらいい大学行けるんだろうし、大学行ってからでも」

「そう、かな」

「そうだろ」

「そうは、思えないんですよ。なんとなく、ですが」


 とても、大学が保険になってくれるとは思えない。

 だって、また卒業を前に就職活動を始めて、今と同じ悩みを繰り返すだけな気がする。

 そんなジタバタしている私に比べて、まっすぐ将来を見据えている彼の目には、世界がどんな風に見えているのだろう。

 私には、明るい将来なんて、とても想像できない。

 せめて三十までに結婚して、子供が居て……なんて、ぼんやりと思うくらいだ。


「九重くんは、将来とか明確に描いているんですか?」

「俺は……美容師になるつもり。だから、専門に行く」


 九重くんは力強くそう言ってみせた。

 その横顔が輝いて見える。

 

 ――かっこいいなぁ。



「美容師! 九重くんおしゃれですもんね。

 そっかぁ。

 なんだか、みんな大学に進学するように勝手に思ってました」


 いつか、彼のように、何かになりたいと強く願えるのだろうか。

 大学に行って、社会人になって……私の未来のどこかで、彼のようにまっすぐに何かと向き合えるようになるだろうか。


「私も、なにか見つけられたらいいな」

「……提出できそう? あの進路のヤツ」

「大丈夫です。でも、もう少し考えますね」


 黒い雲間から差しこんで来る夕陽に染まっていく彼の背を見届けて、私は溜息をついた。

 さて、なんて書こうか。

 月桂樹を見上げると、木漏れ日がきらきらと瞬いた。 

 



 私は第一志望に、国立大学の名前を書いた。

 少しだけ、九重くんに感化されていたのかもしれない。

 いい大学に行けば、いい将来が見付かる……とはやはり思えなかったけれど。

 ただ、彼みたいに目標のない私に目指せるものはなんだろうか、と考えた結果が国立大学だ。

 今よりも努力をしなければ入れない。

 担任の先生に提出すると、「本気なんだな?」と確認された。



「はい」



 夢のない私の、暗い将来への精一杯の抵抗だった。



 



 試験期間に入って、教室は少しだけ静けさを取り戻していた。

 成績は元々悪いほうではなかったけれど、大学進学という目標を立てた以上もっと頑張らねばならない。

 昼休み。

 休憩をしようと中庭へ行くと、珍しく人影がある。



「あれ、九重くん?」


 彼の暗い表情が、日陰にいるからではなく、青褪めているのだと気付いた。


「具合悪い? 顔色良くないですよ」

「……だろうなぁ」


 彼は校舎の壁に寄りかかったまま、ずるずると膝から崩れ落ちていった。


「横になります?」


 彼が頷いたので、私は芝生に腰を下ろすと、スカートを整えて、彼に膝を貸した。


「悪い、五分だけ……」

「気にしなくていいですよ。寝てください」


 どれだけ具合が悪かったのだろう。

 九重くんは目を瞑ると、間もなく、寝息を立てて眠ってしまった。

 手入れが行き届いているのだろう。つやつやした髪に触れると、胸がどくどくと音を立てた。


「早く、良くなりますように」

 

 

 チャイムの音が鳴り響いている。

 九重くんが勢いよく飛び起きたので、私は驚いて仰け反った。


「大丈夫?」


 顔色は随分良くなったようだけれど……。

 見詰めていると、顔を逸らされた。心なしか耳が赤く見える。


「悪い……」

「いえいえ、顔色良くなってよかったです」


 立ち上がろうとすると、足が痺れて感覚がなくなっていた。

 校舎に寄りかかっていたが、バランスを崩して転びそうになる。

 彼の腕がすっと伸びて、私を抱きとめた。


「あはは、痺れちゃいました」


 気恥ずかしくて顔を伏せていると、九重くんの力なく呆けた声が聞こえてきた。



「ごめん」



 それは、一体なにに対しての謝罪だろうか。

 いっそ茶化そうかとも思ったけれど、彼の暗い表情に言葉を飲み込む。


「謝ることなんて何もないですよ。九重くんの看病をしただけです」

「いや、でも、さすがに……ごめん」


 九重くんは頭を下げるばかりで、私の許しを受け入れてくれない。

 困ったなぁ。本当にただ体調の悪い彼の看病をしたかっただけなのに。


「……では、体調を崩された原因を教えて貰うのはどうでしょうか」

「え」

「教えて貰うことで、チャラにしましょう」

「なんだよ、それ」

 九重くんの笑顔が見れて、ホッとした。

「実は――」



 彼が話してくれたのは、現在の複雑なお家の事情だった。

 離婚して、片親しかいないこと。

 そして、その唯一の保護者である彼のお母さんが入院してしまったこと。

 

 休まずに授業を受けて、試験勉強をしている中で、慣れない家事という急な負担が重なってしまって参ってしまったということらしい。

 弟さんはまだ幼いようだし、手伝って貰えることには限度があるだろう。

 ほとんど彼一人で頑張っているということになる。

 彼の心労を思うと、胸が痛い。


「なるほど。確かにそれは大変ですね。今回の試験、範囲も広いですし」


 ――なにか、協力できないだろうか。


 私の立場で出来ること。

 彼に何かしてあげれないかと考えた。




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