Fame side-Miori- 2


 百貨店から歩いて十分。少しでも止まると寒さで震えてしまいそうで、二人とも自然と早足になる。

 交差点の手前。道路の反対側に渡ると、ビルの一階にレトロな純喫茶があった。

 レンガ造りの壁、木製の味のあるドア。

 いつも目の前の道路を通る度に気にはなっていたけれど、わざわざ歩いてまで来たことはなかった。


「ここの珈琲、美味しいんだよ」

「へぇ……」


 ドアを開けるとカラコロとドアベルが可愛らしい音を立てる。

 その音が導いてくれたように、優しそうなご年配の男性が出迎えてくれた。

 目尻の皺が穏やかな笑みに輪をかけている。


「こんにちは、マスター」

「ああ、こんにちは優奈さん。今日はご友人とご一緒ですか」

「そうなんです。偶然会って」


 マスターに微笑まれて、慌てて頭を下げる。


「こんにちは、友人の式部です」

「お好きなお席へどうぞ」


 入り口付近は四人座れるテーブル席、そしてオープンキッチンから繋がるU字の大きなテーブル。

 奥は二名用の小さなテーブルが並んでいる。

 中に入ってみると外観よりも広く感じられた。

 客層はご年配の方が多く、時折楽しげな話し声が耳に届いてきて、静かに流れるジャズと合わさって心地よいBGMになる。


「こっちに座ろうよ」


 特徴的なU字のテーブルに並んで腰を下ろした。


「はい、メニュー」


 渡されたのは、ラミネート加工されたA4サイズのメニューだった。

 ファミレスだったら季節のデザートが載っているようなサイズで、写真よりも文字が多い。

 さらに、その一枚のメニューの一面の半分以上は、珈琲と珈琲の説明になっている。

 メニューに目を通していると、マスターの奥様……だろうか。エプロンを付けた優しい笑顔のご年配の女性がお冷やと温かいおしぼりを運んできてくれた。

 早速頂いたおしぼりで手を包むと、指先から温かくなれた。


「お決まりになりましたら、お声を掛けてくださいね」

「はい」


 ホットコーヒーは豆から淹れ方まで種類が多くて選べそうにない。

 店内は十分暖かいし、ドリンクはアイスカフェオレにして……とメニューを楽しんでいると、裏面の並んでいるデザートメニューに心奪われる。

 ぱっと見た瞬間から、おぐらバターホットケーキがとても気になった。

 優奈は何か食べるだろうか。

 一人だけ食べるのは気まずいから何か頼んでくれないかな、と彼女の表情を見守る。


「決まった?」

「私はね、厚切りバタートーストと、日替わりケーキとベーシックコーヒーのセットかな」

「お昼食べなかったの?」

「え? マックのダブルチーズバーガー二個食べたけど」


 店内に掛けられた柱時計を見上げると、まだ二時を回ったところだ。

 例え十一時に食べていたとしても、そんなに早く消化してしまえるものなのだろうか。

 記憶にある優奈との食事シーンを振り返ってみるものの、彼女が私より多く食べていたような記憶はなかった。


「昔から、そんなに食べてたっけ?」

「えっと……あはは。あの頃って、あんまり食べる子ってモテないかなって思ってたんだよね。今はめっちゃ食べるよ!」

「なにも私にまで隠さなくてよかったのに」

「だーってさー、美織の前で食べ始めたらセーブ出来なくなりそうだもん。とりあえず注文しちゃうね。お願いしまーす」


 お店の奥から「はーい」と返事が聞こえてきた。

 お冷やを運んできてくれた店員さんが、手書きの伝票にするすると優奈の注文を書いていく。


「美織は? なんにする?」

「じゃあ、私はアイスカフェオレとおぐらバタートーストを」


 さっきまで胃が痛くて、仕事を早退させてもらったというのに、今は優奈に感化されて早く食べたいとすら思える。


「はい、お待ちください」


 それから、店員さんは他のお客様の席を回って、オープンキッチンに居るマスターへオーダーを伝えている。


「美織と会うのっていつぶりだっけ?」

「去年の年末にあった同窓会以来かな」

「え、じゃあ半年会ってなかったのかぁ」


 優奈が得心した様子で頷いているのを見て、同窓会のことを思い出した。

 成人式以降、最初の頃はクラス単位で行われていたものの、それぞれの事情で参加者が減っていき、最近は学年単位で同窓会が行われるようになった。

 私も優奈も、皆勤賞を貰っていいくらいに毎年出席している。


「ねえ、美織はさ、結婚とか興味ないの?」


 優奈が髪を耳に掛けながら、ぽつりと言った。


「興味はあるよ。いい人がいないだけ」

「ふうん」


 優奈の向こう、オープンキッチンでマスターがゆっくりと珈琲にお湯を注いでドリップしている。

 湯気がふわりと舞い上がって、 珈琲の苦味と酸味を包み込んだ香ばしくて爽やかな香りが漂ってくる。

 マスターは小さなコップにドリップした珈琲を注いで、愛しそうに一口含んだ。

 その仕種を見て、ここの珈琲が美味しいという優奈のセリフが腑に落ちた。


「ねえ、美織。合コン行かない?」

「え?」

「アンタがそういうの苦手なの分かってるけどさ、やっぱ出会いがないと結婚出来ない訳だしさ」


 ――合コン、かぁ。


 行ったことが無いわけではないけれど、自分から積極的に行ったことはない。

 すぐに返答出来ずに悩んでいると、テーブルに珈琲とホットケーキが並べられた。

 ホットケーキの上で、バターがとろりと溶けて染み込んでいく。

 結婚という単語は、二十代を越えたばかりの頃はあまり意識していなかった。

 目の前にある恋愛が全てで、誰かと一生を共にするなんて考えたこともない。

 それが歳を重ねていくにつれ、周りで結婚する人が一人、一人と増えていく。

 「いつ結婚するの?」なんて、親にも訊かれて、嫌でも適齢期なんてものを意識していくようになった。

 三十歳を前にして、優奈の焦りも理解できる。

 多様性が認められてきて、結婚が全てではないとは思うけれど、はっきりとした夢も持っていなかった私にとっては、唯一の叶えたいことだった。



「合コン、行かせてもらってもいい?」



 優奈は二回強く首を縦に振ると、歯を見せて笑った。


「一緒に行こう!」


 そして彼女は頬いっぱいにトーストを詰め込むと幸せそうに顔を弛ませた。

 私もアイスカフェオレを口にする。

 口いっぱいに広がる、珈琲の雑味のない爽やかな苦さを、ミルクの優しさがまろやかにしてくれる。

 続いて、たっぷりとおぐらの乗ったホットケーキ。しっとりしたケーキに、おぐらのほのかな甘さ。塩味のあるバターがさらに甘さとコクを引き立たせる。


「おいしい」


 思わず漏れた一言に、優奈が「でしょう」と自慢げに胸を反らした。



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