side-yutaka-
Glorious Health side-Yutaka- 1
――Age 17――
何度目かの欠伸を噛み殺していると、授業の終わりを知らせるチャイムが鳴り響いた。
新しいクラスになってからもう二ヶ月。今年の梅雨は空梅雨で、ニュースでは農家の人が困っていると取り上げられていた。
窓の外の澄み渡った青空をぼんやり見ていると、目の前を女子が横切っていった。
同じクラスの
なんというか、彼女は生真面目を見本にした人物だった。黒い髪を耳より下で結んだツインテールに、度の強い眼鏡をしている。制服も少しも着崩したりはしない。
成績も優秀で、美化委員会に属していて掃除にも積極的。誰にも嫌われない人格者。先生からの信頼も篤い。
ルールを破ったこととか、一度もないんだろうな。
自分との性質の違いに、関わりあうことはないと思っていた。
次の授業はホームルームで、進路の意識調査が行われた。
第一志望から第三志望までの空欄が書かれた手の平サイズの紙。
前の席から回ってきたそれに、氏名と第一志望に美容専門学校とだけ書いて、シャーペンを置いた。
他のみんなはまだ記入していたり、紙とにらめっこしている。
高校二年生。将来の分かれ道に俺達は立っているものの、俺みたいに明確に将来を描いている人はそういない。
友達も多くは大学進学を志望しているけれど、どんな職に就きたいかを訊くと曖昧な答えが返ってくる。
たまたま、俺の夢は専門学校でなければ叶えられないからそれ以外の選択肢が潰れただけだ。
ずっと、美容師になりたいと思っていた。
家の敷地にある小さな店で母親が美容師をしていることもあって、子供の頃から自然と美容師になる夢を追いかけていた。
美容専用の鋏の音、仕上がったあとのお客さんの笑顔。
来たときよりも綺麗に母さんは誇らしげにお客さんを送り出していた。
あの背中を見て、美容師ってかっけーなって思ったのを憶えてる。
……母さんに言ったことはないけど。
「授業中に出せないヤツは放課後までに持ってきてくれ」
担任の一言とともにチャイムが鳴り響く。
退屈だったホームルームが終わり、やっと昼休みになった。
近くの席を借りて、大野と中西が集まってきた。
「なあ、
「なにが?」
「さっきの進路の紙だよ」
「あー。俺は美容師にしかなる気ないから」
「いいなー。親の跡を継ぐってやつ?」
「いや、あの店は母さんの店だからなぁ」
大野はヤキソバパンを、中西はコンビニのおにぎりを食べている。
俺もメロンパンを食べていると、女子が二人寄ってきた。
「
「別にいいだろ。好きなんだよ、メロンパン」
「ダメなんて言ってないじゃん。ねえ、ポッキーあげるから、髪結んでくれない?」
お願い、と手を合わせられて、渋々頷いた。
先に対価のポッキーを頂く。
「食い終わったらな」
「私もお願い!」
「わかったよ」
しっしっと手で追い払うと、女子は軽やかな足取りで席へ戻って行った。
女子達の戻って行った先で、式部が荷物を纏めて席を立った。
ピンクの巾着に入っているものは、形からしてお弁当だろうか。
そして、カバーのかかった文庫本。
式部はいつもなんかしらの本を読んでいる気がする。
「穣、昨日のドラマ見た?」
「ドラマ……は見てないな」
「マジかよ、めっちゃ面白かったのに」
大野達の会話に混ざっていると、横を式部が通り過ぎて行った。
まるで、風が通り抜けたようだった。
食べ終わるなり、すぐに女子のグループに呼び出された。
「え、みんなすんの?」
俺はその場に居る六人を見回す。
てっきり、諸里と竹内だけだと思ったのにな。
俺はコームを手で弄びながら、女子の顔を見渡した。
「お願いしまーす」
「九重にやってもらうと、めっちゃ可愛くなるもんね」
「そーそー」
「ワックスとかねーから、適当だけど」
「はーい、お願いしまーす」
「ったく、調子いいな」
そう言いつつも、断らずに一人一人にヘアアレンジを施す。
髪の癖や質も違えば、髪の長さも異なる。
アメピンとヘアゴムだけで六人の髪型を被らないようにするのはかなり難しかったけれど、なんとか満足してもらえたようだ。
「ありがとう、九重」
チャイムも鳴りお役御免なようで、解放される。
「ねえ、九重くん」
「ん?」
竹内が、制服の裾を引いてきた。
耳を寄せると、竹内はぐっと背を伸ばして耳打ちした。
「九重くんって、好きな人いる?」
「……いない、けど」
その質問をしてくるのは、どういう意図だろうか。
竹内は「そっか」っと笑うと、先ほどのグループに戻っていった。
「モテるヤツは大変だな」
中西に背中を強めに叩かれて、よろめく。
「モテてねーわ」
――いてて……これ、赤くなってんじゃね?
背中を擦りながら自分の席に戻ると、また風を感じて、顔を上げた。
式部はどこに行っていたんだろうか。
席に着いて次の授業の支度をする彼女の背を見詰めた。
放課後。
部活に行く大野達を見送って帰ろうとしていると、担任に呼び止められた。
「九重、式部を知らないか」
――なんで俺に聞くんだ?
親しい女子とかに聞けばいいだろ、と内心舌打ちをしながら答える。
「いや、知らないっすけど」
「そうかー。困ったなー」
おでこに手を当てて、担任が唸っている。
「式部、なんかしたんですか」
「いや、進路志望の紙をまだ貰ってないんだ。あいつが忘れて帰るとは思えないんだが……。
九重、頼む。式部を探すの手伝ってくれないか。俺は職員室に戻らなきゃならなくてな」
担任は神様に拝むみたいに両手をぱちんと合わせた。
正直言えばめんどくさい。
帰る気満々だったし、なんで今から校内を捜索しなくてはならないのか。
もしかしたら式部は帰っていて、校内にいない可能性だってある。
拒否することもできたけれど、俺は仕方ないと受けることにした。
「声をかけてくれればいいからな」
「はーい」
声をかけたらすぐに帰ろうと、リュックを背負っていく。
式部の行きそうなところはどこだ。
クラスメイトとはいえ、世間話をするほど親しくはない。
見当がつかなくて教室から動き出せないでいる。
一度玄関で下駄箱を確認するべきか――。
ふと、昼間に彼女が出て行ったときに、お弁当と一緒に文庫本を持っていたことを思い出した。
――図書室か。
入学して一度も行ったことのない図書室へ、俺は足を運ぶことにした。
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