第2話-手つなぎ鬼

 おかしなクラスメイトがいたんだ、と青年は語りだした。

 黒の詰襟を着て、落ち着かない顔でポケットの蓋をいじっている。

「左手が動かないやつと、そいつにいつもくっついてるやつ」

 それが揃って、数か月前にいなくなったのだという。

 大して深く付き合いがあったわけでもなかったが、それでも同じハコに詰めて並べられた、友人、というくくりの存在が妙なことになって、気持ちの整理がつかない様子だ。


***


 俺も、そいつら二人も、全員違う中学から上がってきたんだ。入学式の日に初めて顔を合わせた。ぶかぶかの制服着て、胸ポケットに造花くっつけて、浮いた気分でさ。

 出席番号は名前の五十音順だった。それで、あいつらは同じ字で始まる名前だったから、席順が前後だったんだ。左手が動かないのが後ろ、もう一人が前。俺は手が動かないほうの隣の席だった。

 入学式が終わって、教室に戻ったら自己紹介ってやるだろ。出席番号の頭と最後の奴でじゃんけんして、最後の方から一人ずつ自己紹介することになったんだ。

 手が動かないほうは、剣巻はやまきと名乗って、中学では剣道部だったこと、左手が動かないこと、多少時間はかかっても身の回りのことは自分でできるからあまり気にしないでほしいことを言葉少なに話して、すっと席に戻った。普通の、おとなしい男子って感じだったな。ちょっとふさぎ込んで、目立ちたくないと思ってそうなのは、まあ事情を考えれば当然かなと思った。

 次に立ったのが橋臣はしおみと名乗って、出身中学と部活に入る気がないことだけ言った。「よろしく」の一言と一緒に薄く笑った瞬間、背筋に鳥肌が立ったのを覚えている。顔色が悪そうに見えるくらい肌が白くて、そのくせちらりと視線だけで教室を撫でた目が、妙にぎらぎらしていたんだ。

 食われる、なんて、突拍子もないことが頭をよぎって、ぞっとしているうちに橋臣は席に戻ろうと歩き出していた。

 そうして一度自分の席を通り過ぎて、剣巻の机に片手をつくと、あいつは彼の顔を覗き込んでこう言った。

「なぜそんなモノとずっと手を繋いでいるの?」

 すい、と細い指先で剣巻の左手を指さし、折れてしまいそうな首を傾げ、彼が口を開くのを待っているようだったが、次の自己紹介が始まる前に一つ笑うと、橋臣はおとなしく椅子に腰かけて前を向いた。


 それからというもの、橋臣はことあるごとに剣巻にくっついて歩いた。移動教室も一緒、体育も着替えにもたつくのをただ待っていて一緒に体育館に来るし、帰宅も同じ方向だったらしい。学校にいる間中ずっと、本当にずっと、橋臣は剣巻の隣にいた。

 二人で一つのそういう生き物みたいに面白おかしく茶化されることもあったし、付き合ってでもいるのかとからかわれることもあったが、それでも橋臣は剣巻にまとわりつくのをやめなかった。剣巻のほうはといえば、最初こそなぜ橋臣がこんなにもくっついて回るのかわからず不気味がっていた。だが、手が動かないことでどうしても置いて行かれがちな場面に、必ず待っていてくれるやつがいることはうれしかったらしく、しばらくすると気安く打ち解けたようだ。


 橋臣は、度々剣巻に問いかけていた。

「なぜ、そんなモノとずっと手を繋いでいるの?」

「お前の言う”そんなモノ”が何なのか、俺にはわかんないけど」

 剣巻は毎度律義に考えこんでから答える。

「腕、使えないと不便だろう?」

「動かないのは、お前が言ってるやつのせいなのか?」

「まあ、そうだね」

 剣巻の手の話をしながら彼の左隣を見るとき、橋臣はいつも、どこか馬鹿にしたような笑い方をした。

「あちこちの医者に診せたけど、結局原因もわからないままだし、もう治らないんじゃないかと思ってるよ」

「気持ち一つだよ。手についてるのをそこの彼にでも押し付けてやろうと思えば、すぐにでも動くようになるんじゃないかい。手つなぎ鬼みたいにさ」

「俺か!?」

 急に話に巻き込まれて慌てた俺を見ると、橋臣は心底おかしそうにけらけらと笑った。剣巻もつられたように笑う。

「安心しろよ、病気じゃないんだから移りやしない」

「ええー……オバケついてるみたいな話しといてさぁ」

「大丈夫、それめんどくさいくらい一途だから」

「何が見えてんだほんとに」


 橋臣は、剣巻の左側に立つことはなかった。あんなにずっとそばにいて、動かない手の手助けをしてやろうと思うなら左手側にいたほうが都合がいいだろうに、絶対に右側に立つ。たまに、あのギラギラした目で剣巻の左側を睨んでいた。

 話題にしているときの馬鹿にしたような笑いと、何でもないときに見せる飢えと苛立ちが滲んだような目の落差が恐ろしくて、俺は藪蛇を避けるのが精一杯だった。


 気に入った友人にくっついて歩きたがる、そういう性格の奴は他にいくらでもいた。ただ、橋臣の態度はそれだけでは説明がしきれない、妙な不自然さが見え隠れしていて、きっと席が近くなければ俺はあいつらとまとめて距離をとっていただろうと思う。

 話してみれば悪い奴じゃない。ただ、微妙にズレた歯車のような据わりの悪さがあって。

 ――橋臣のことを、まるで規格外の歯車を無理やり接続したような、ここにいるべきでないもののように感じていた。


***


「ひでぇ話だよな、クラスメイトなのに。あいつらと一番話してたのは俺なのに」

 青年は、口元を片手で覆って、まるで吐き気を抑えるような仕草をした。

「夏休み明け、あいつらは学校に出てこなかった。夏休みが終わる直前に剣巻の家の近所で事件があって、それから二人揃って消息不明、剣巻の弟が大怪我したって噂が流れた」


***


 当然警察も介入したし、学校にも警察は来た。

 剣巻の弟が何か知っているらしい様子だけど、怪我の容態がよくなくて、話を聞ける状態ではないようだった。

 橋臣の家は、どうなのか全然わからない。そもそも家族なんてものがいた様子も、住所に家の形跡もない、なんて噂が流れてきて、俺は妙に納得してしまった。あいつには、生きた人間の生活の気配というものがあまりに薄かったように思う。

 橋臣の目を見なくて済むからって、クラスメイトが失踪したのに俺はどこかほっとしていた。

 隣の列の、縦に並んだ空席二つ。 

 担任は「いつか戻ってくるから」と空席をそのままにしていた。

 剣巻は穏やかなやつで、橋臣がいる時しか話したことはなかったけど、受け答えが柔らかいから話しやすいやつだった。橋臣を怖いとは思っても、剣巻ともう会えないってのはなんかつまらなくて、俺はとっくに警察が隅々まで捜索を済ませて規制線も取っ払われた事件現場まで行ってみたんだ。

 現場は雑木林の中で、所有者が手入れをあまりしていないらしく、下草が多くて足場も視界も悪かった。あいつらは何をしにこんなところへ、と思いながら踏みしだかれた草の分け目に沿って踏み込むと、湿っぽい草いきれが鼻に青臭く主張してくる。

 真昼間に入ったのに、雑木林の中は薄暗くて、蝉の声も聞こえない。

 まだ夏の名残も強くて暑いはずの外で、寒気に鳥肌を立てながら獣道を進んでいた俺は、足元に落ちていた何かにけつまずいてよろけた。何とか転ばずに踏み堪えて、何につまずいたのかと足元を見て、俺は声を失った。

 落ちていたのは、腕だった。

 青白い、蝋のような肌と、切らずに長いことほったらかしていたかのような、鋭く伸びた爪。骨の浮いた細い手首を、黒い制服の袖が覆っている。俺の通っている学校の制服の袖だ。

 肘から先だけを茂みから突き出して、蹴飛ばされても微動だにしない、腕。

 思わず後退って近くの杉の木に背中をぶつけ、その拍子に咳き込んで、無意識に止まっていた呼吸が戻る。

 剣巻の手じゃ、なかった。中学の頃の剣だこなんかもう残っていなかったけど、あいつの手はもう少し骨の太い感じだったはず、と思う。

 女とも男ともつかない、細くて白い指。骨の浮いた手首。これは、橋臣の手だ。

 薄気味悪くて怖いとはいえ、一応クラスメイトなのだから、助けるべきなのだろう、と俺は思った。だから、落ちていたその腕を引っ張ったんだ。

 引っ張ると、思いのほか簡単に腕は茂みから引きずり出された。いくら橋臣が細い男だからって、あまりにも軽くて、とっさに手を放そうとしたが、もう遅かった。

 腕は、鋭い刃物に切り落とされたかのようにすっぱりと肘から上がなくなっていた。

 腕を見つけた時には上げることもできなかった悲鳴が、今度こそ喉を突いてあふれだす。

 すると、悲鳴を聞いて目が覚めたとでもいうように、腕が蠢き始めた。意志を持って動いているのではない。震え、痙攣しながら、それは瞬く間に形を変えていく。

 細い指はごつごつと節くれ立ち、青白かった肌は赤黒く、つるりとしていた手の甲に針金のような毛が生える。むくむくと全体が太く膨らみ、細い腕が泳いでいた大きめの制服の袖が、音を立てて裂けた。

 まるで古文の教科書で挿絵に載っていた、鬼の腕そのものだ。

 身動きも取れずに腕の変態を見ていた俺は、一通り変態が完了したソレが一度動くのをやめ、それから剃刀のような爪を土に突き立てたのを見て我に返った。

 頭の中に、なぜか剣巻の声で、含み笑いをするのが聞こえた。橋臣がたまに見せた、あの馬鹿にしたような笑い方そっくりの声が。

 このままここにいては、丸ごと食われる。

 本能的な恐怖に駆られて走り出し、どこをどう走ったのか、いつの間にか雑木林を抜けていた。夕日に照らされたアスファルトの道に立ち尽くして、あたりを見回せばもう腕は追ってきてはいない。

 いつ泣いていつ泣き止んだのか、頬が涙でひりひりと引きつっている。

 ほたほた、と力ない足音が聞こえて、恐怖と警戒心のまま勢いよく振り返ると、俺の後ろには剣巻によく似た少年が立っていた。右腕を包帯で吊り、首にも包帯を巻いた少年は、はく、と口を動かした。声はない。

 何か問いかけるような顔に、俺は馬鹿みたいに単語を一つ繰り返すことしかできなかった。

「腕が、腕が」


***


「剣巻の弟は、それだけで何が起こったのか分かったみたいで、左手で俺の手をつかむと駅まで送ってくれた」

 青年はまるで、たった今、件の雑木林から出てきたばかりのように青い顔で息を切らして言う。

「あいつ、あの橋臣、いつだか動かない剣巻の手を指して『手つなぎ鬼』と言ったんだ」

 手つなぎ鬼の鬼が狙うのは、「手をつないでいない者」。逃げてきたものが手をつないだら、反対側にいたものは手を放して鬼から逃げる遊び。

 捕まった者は、次の鬼になる。

「なあ、剣巻、今頃どこで何してるかな」

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