一人百物語

きよみ

第1話-送り火と逃げ水

 死んだ爺さんから聞いた話だ、と青年は語りだした。

 彼の祖父は数年前に亡くなったのだという。青年が子供のころ、盆や彼岸など両親に連れられて祖父の家に行くと、毎度孫の訪れを喜んでくれたらしい。

「枯れ木みたいな手で、びっくりするほど力が強くて。頭を撫でられちゃ、痛い痛いって逃げてたんだ」

 爺さんってなんであんな力つえぇんだろうな、と青年は気を紛らわすように笑った。


***


 爺さんちに行くと、いつも近所を一緒に散歩したんだ。盆のころなんか、アスファルトが日に焼けてじりじりしてさ。駆けずり回ってビーサンを落としては、熱い熱いって騒いでた。

 ゆっくり歩く爺さんの周りを俺が走り回って、でもあんま知らない土地で一人になるのが怖くて、ちゃんと爺さんが来てるかチラチラ見ながら散歩するんだ。近所のおばちゃんに飲み物もらったりして、あちこちに顔出してた。小学校もまだのチビだから、あちこちでかわいがられたよ。田舎ってその辺のガキ捕まえておやつ食わせて帰す妖怪がいるよな。

 それで、いつも通る散歩道に、一か所。爺さんが絶対に俺の手を離してくれない坂道があった。ほかのところと同じようにアスファルトで舗装してあって、晴れてる日に上から見るといつも、逃げ水っていうのか、あの地面が濡れてるみたいにゆらゆらする奴が見えるところだった。

 好きなテレビはあるかとか、友達といつもどんな話をしているのかとか、大したことじゃないけどいろいろ聞いてくれて、ずっと喋ってたのに、その坂道にかかると決まって爺さんは黙り込む。小さい声で俺の名前を呼んで、近くに行くとぎゅっと手を握って、坂を上りきるまで絶対に離さないんだ。

 ガキながらに不思議に思って爺さんを見上げると、爺さんは目を閉じてぶつぶつ何か唱えてる。盆に仏壇を拝みに来てくれる坊さんと似た感じだったから、多分念仏を唱えてたんだと思う。

 その坂道ってのが、家から墓のある寺に向かう坂なんだよな。散歩じゃ寺には寄らないんだけど。散歩中に歩くの疲れたって駄々こねて、寺の軒を借りて涼もうって言うと、爺さんは何かを怖がってるみたいに渋った。駄々をこね通せば住職にあいさつに行ったりして、なんだかんだわがままを聞いてくれたんだけど、いつも笑ってる爺さんがちょっと怖い顔する。寺を離れるまでは、やっぱり手を離さない。

 毎日一緒に散歩してても、一日だけ散歩に連れてってもらえない日があって、それが「送り火」の日だった。坂で様子がおかしくなる爺さんは怖かったけど、それでも一緒に歩くのは好きだったから、散々駄々をこねた。でもこの日ばかりは絶対に散歩には出なかったし、なんなら俺が外に出るのも嫌がるくらいだった。

 なんでだ、って聞いたら、爺さんは「連れていかれてしまう」としか言わないから、俺は後々まで気になっていたんだ。


 小学校に入って初めての夏休みも、やっぱり盆の時期には爺さんちに行った。

 そしたら、毎年のように散歩に連れてってもらいながら、確認された。

「誕生日、六月だったな?」

「うん!」

「じゃあ、もう七つか」

 それだけだったけど、爺さんは少しほっとしたみたいだった。

 その年から、送り火の日も散歩に連れてってもらえるようになったし、寺に寄りたいと言っても爺さんはそれまでほど険しい顔はしなくなった。

 一〇歳になったころ、いつもみたいに念仏を唱えながら坂を上った爺さんに、俺はわけを聞いてみたんだ。なんでこの坂では手を離さないのか、念仏を唱えるのか。なんで小学校に入るまで、送り火の日は絶対に散歩に出してくれなかったのか。

 そうしたら、爺さんは近くの公園に入って、ベンチに腰掛けた。

「少し長くなる。内緒話だ、婆さんや、父さんや母さんに言わないと約束できるか?」

 爺さんの目は真剣で、俺は唾をのんでやっとうなずいた。


「送り火の日は、七つにならない子供を墓に連れて行ってはならん」

 爺さんは、誰から聞いた、とも言い伝え、とも言わなかった。

 「連れていかれる」からか、と聞いたら、こっくりうなずく。

 爺さんには妹がいたらしい。爺さんからも、親戚の誰からもそんな話を聞いたことはなくて、俺は怪訝な顔をした。

「知らんのも無理はない。わししか覚えとらんのだ、妹のことを」

 妹の名は雪江といって、爺さんの一つ下の子だったらしい。花が好きで、春も夏もあちこち駆け回っては花を集めて喜んでいたのだという。

 爺さんが六つのころに、やはり花を集めては遊んでいた妹に付き合って、送り火の日に寺のほうへ散歩に行った。それで、ひとしきり遊んで、件の坂を下って家に帰ろうかってところで、妹が「花がしおれる」と言って走り出したらしい。

 どうせすぐ家に着く、と思って歩いて坂を降りた爺さんの目の前で、妹は逃げ水に「落ちた」、という。

「落ちた?」

「逃げ水と一緒に一瞬ゆらっと揺れて、次の瞬間池に落ちたようにストン、と消えた」

 慌てて坂を駆け下りても、逃げ水だから地面には水一滴ない。この坂に横道はないし、ずっと妹を見ていたのだから、そこの茂みに飛び込んだということもない。文字通り、妹は忽然と消えた。

 それで驚いて妹が消えたところまで来ると、爺さんもなにか水の中に飛び込んだような心地がして、目の前が真っ暗になったのだという。

「声が聞こえた。かわいい、かわいい、連れていきたい、と。二人連れていくか、いやこっちは坂の下の長男坊だろう、と聞こえて、気が付いたら日暮れの坂の下にわし一人で立っていた」

 爺さんは深々とため息をつく。

「雪江が消えた、いなくなった、と家に帰って騒いでも、誰も雪江のことを知らんかった。爺の父さんも母さんもだ」

 爺さんが子供のころには、まだこの田舎ではアスファルト舗装なんてなくて、だから道に落とし穴でもあったんじゃないかと、爺さんは妹が消えたあたりを何度も何度も確かめた。それでも、穴があった跡もなく、見つかったのは爺さんが「落ち」て戻ってきた直後に拾った花びら一枚だけだった、と爺さんは語った。

「時がたってな。わしはさんざん反対したが、この道も固い蓋がされた。舗装の工事で道を掘っても、何も出てこんかったらしい。……雪江はどうしたってもう出てこれん。だから、わしはここを通るたびに念仏を唱えて供養をしている」


 俺がこの話を聞いたのは、もう十年以上前のことだ。爺さんの葬式まで、……いや、四九日の法要が終わって、納骨に行くまで、すっかり忘れていた。

 納骨のとき、墓を開けて骨壺を中に収めるだろ? それで、見えた骨壺の数と、戒名板に書かれた先祖の数が合わないことに気付いたんだ。戒名が一人分多い。

 爺さんの両親の代で一度墓を建て直してるから、戒名板には爺さんの両親と、爺さんの名前しかないはずなんだ。なのに、戒名板にあった名前は四つ。「妙華慈雪孩女」って、小さいうちに亡くなった女の子につけられるような戒名が彫ってあった。

 親戚の誰に聞いても、この家に早世した女の子なんていないはずだ、何かの間違いじゃないのか、と口を揃えた。でも、墓においてある石板に、わざわざいもしない人間の戒名を彫るなんて悪質で手の込んだいたずら、そうそうあるもんじゃないだろ。どういうことだって、住職まで巻き込んでちょっとした騒ぎになったよ。


 戒名って、生前の名前の一字をとってつけることが多いらしいんだよな。

 爺さんから聞いた妹の名前が「雪江」。戒名板の身元不明な戒名が「妙華慈雪孩女」。

 ……知っているのは、俺だけだ。

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