第381話 知らなかった後輩ちゃん

 

 放課後前のショートホームルームにて、珍しく生徒からの報告があった。修学旅行実行委員からのありがたいお話だ。少し騒めく教室に簡潔にまとめられた情報が述べられる。



「紳士淑女諸君! 話を聞き給え。特にバカ夫婦の嫁! お隣の夫を眺めてないで前を向けぇー! 見えてんだぞ、こっちは!」


「えぇー! 夫が聞いてくれてるから大丈夫!」



 いくつものブチッと女子たちの何かが切れて般若になる音だったり、嫉妬に狂い、目から血の涙を流して号泣する男だったり、教室はしばらく阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。

 、

 後輩ちゃん……ちゃんと話を聞いててください。俺だって忘れることがあるんだから。それに何故『私の』と強調した? それ以前に俺たちは結婚していない。まだ交際しているだけだぞ。


 教室が平静を取り戻すまで数分を要し、何とか般若から乙女へと戻った実行委員の女子がクラスメイトに伝えるべき情報を読み上げた。



「待ちに待った我らの青春! 修学旅行が来週に迫りました。皆さん、風邪やインフルエンザにかからないように、手洗いうがいをしっかりと行ってください。そして、そろそろ荷物の準備をお願いします。出発の前日に先に荷物を送るのでよろしくお願いしまーす」


「「「 はーい! 」」」



 小学校低学年並みに元気で素直な返事。ウチのクラスはとても仲が良い。


 後輩ちゃんは……よかった。ちゃんと話を聞いていたようだ。元気に返事をしている。


 すぐに確認するように俺を見る後輩ちゃん。チョコンと可愛らしくウィンクしてさりげなく誘惑するのも忘れない。むしろ誘惑がメインかも。


 そっか。そろそろ修学旅行の準備をしないといけないのか。家事能力皆無の後輩ちゃんが準備しようとすると消し炭になる可能性がある。俺が準備をしなければ!


 修学旅行で過ごす格好は大抵制服と体育服だ。私服じゃないから準備は簡単。でも、他にもいろいろと準備が必要。特に女の子の後輩ちゃんは。


 そうか。数日家を空けるから冷蔵庫の中身も気を付けないといけないのか。中身が腐ったら後処理が大変だから。


 桜先生はどうするのだろう? そのことを話し合っておかないとな。放っておいたら餓死しそうだ。


 実行委員からの報告が終わり、ショートホームルームが無事に終了した。


 嫉妬や羨望や殺意の眼差しを一身に集めながら、俺と後輩ちゃんは手を繋いで帰宅する。手洗いうがいは念入りに。風邪を引かないように防寒対策はバッチリ。室温もオーケー。こたつもよし!


 俺は偶に後輩ちゃんに癒されながら家事をしていると、すぐに桜先生が帰宅した。



「たっだいまー! 美人なお姉ちゃんが帰ってきたわよぉー!」



 いつも通り決めポーズからのただいまの挨拶。これが日常になってしまった。一体いつからだろう?



「着替えて来てくださーい」


「はーい!」



 着替えるように促して、室内着を着た桜先生は後輩ちゃんがぬくぬくしているこたつにダイブイン。テーブルに突っ伏して幸せそうに顔が緩んでいる。気持ちよさそう。


 夕食を作りながら俺は桜先生に問いかけた。



「姉さん」


「なぁ~に? 夜のお誘い?」


「違う! 俺と後輩ちゃんは来週修学旅行なんだけど」


「あぁー。そうねぇ。もうそんな時期なのねぇ~」


「姉さんはどうするんだ?」


「何が? お姉ちゃんは普通についていくわよ。だからお姉ちゃんの分も準備をお願いね!」



 ……この姉は何を言っているのだろう? 修学旅行について来る? 現役の教師だよな? まさか休みを取ってついて来るつもりなのかっ!?


 数日だけど離れ離れになって寂しい気持ちはよくわかる。でも、流石にそれはダメだろ。弟として姉を正しい道に戻さねば!



「……ダメだ。それは出来ない」


「ふぇっ!? どうして準備をしてくれないの!? ちゃんとお礼をしてあげるわよ! 足りないならお姉ちゃんの身体で支払うから! むしろ襲って!」


「修学旅行について来るために仕事を休んだらダメだろ!」


「休む? 弟くんは何を言ってるの? お姉ちゃんはお仕事でついていくのよ。修学旅行のしおりを読んでる? 引率の欄にお姉ちゃんの名前があるんだけど」



 キョトンとした桜先生は、寝室に戻ってゴソゴソと修学旅行のしおりを取ってくると、引率者のページを指さした。桜先生の綺麗な指先にある名前は桜美緒。先生の名前だった。


 えっ、嘘? それは全然知らなかった。気づいていなかった。てっきり俺はわざわざ休んでついて来るつもりだと思っておりました。



「もう! 流石にお姉ちゃんもそんなことはしないわよ、たぶん!」



 プンスカと怒っている桜先生。最後の『たぶん』という言葉で全てが台無しだ。


 ふと後輩ちゃんに視線を向けると、顔に『知らなかった』と書かれていた。どうやら後輩ちゃんも桜先生が引率者であることに気づいていなかったようだ。しかし、即座に『当然知っていましたよ』という顔を平然と作る。桜先生は後輩ちゃんの嘘に気付かない。


 悪者は俺一人だ。



「弟くん酷い! お姉ちゃんは二人と修学旅行に行けることにウキウキワクワクしていたのに! 今まで二、三カ月あったのに気づいてもらえなかったなんて……」


「ご、ごめんなさい」


「弟くんにはそれ相応の罰が必要だと思います。妹ちゃんもそう思うわよね?」


「そ、そうです! 先輩に罰を!」



 後輩ちゃんめ! 気づいていなかったのは後輩ちゃんもだろ!


 プンスカ怒った桜先生がビシッと俺に人差し指を突き付けた。



「罰は決まり次第言います。いいわね?」


「イエス! マイシスター!」


「よろしい! 妹ちゃ~ん! 弟くんへの罰を一緒に決めましょー!」



 えぇー。気づいていなかった後輩ちゃんと罰を決めるの? 理不尽じゃない?


 楽しげに罰を決める姉妹の声を聞きながら、『しょうがないなぁ』と思ってしまう俺は姉に甘いただの馬鹿なのだろう。


 取り敢えず、後輩ちゃんには俺から罰を執行しよう。そう心に決め、料理を作りながら後輩ちゃんへの罰を考えるのだった。

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