第375話 二人っきりと後輩ちゃん

 

「せんぱぁ~い!」



 後輩ちゃんが正面からぽふっと抱きついてきた。この腕の中に落ち着く抱き心地といい、柔らかな身体といい、甘い香りといい、優しい温もりといい、抱きしめ慣れているはずなのに、いつまでも慣れないところがある。安心すると同時にドキドキが止まらない。


 猫のようにスリスリと顔を擦り付け、激しく動く心臓の音に耳を傾けている。綺麗な悪戯っぽい輝きが浮かび、むふ~っと得意げに鼻息を漏らした後輩ちゃん。



「先輩がドキドキしてます。私の勝ちです」



 その勝負はいつから始まったのだろう? ドキドキしたほうが負けという勝負なら俺はいつも負けではないか。後輩ちゃんと触れ合っただけでドキドキするのに。心拍数は制御できないんだぞ。


 俺の副交感神経よ、仕事をしてくれ! ドキドキを抑えるんだ!


 落ち着くためには深呼吸が良いはず。深く息を吸って吐く。


 スゥーハァースゥーハァー。


 くっ! 後輩ちゃんの甘い香りを吸い込んでしまって意識してしまう。逆効果だ。


 イッシッシ、と悪戯っぽく笑う後輩ちゃん。だけど、俺はふと気づいた。後輩ちゃんの頬が軽く朱に染まっている。まさか……。



「ひょわぅっ!?」



 驚きの可愛い悲鳴が上がった。何故ならば、俺が後輩ちゃんの服の中に手を突っ込んだから。俺の手が後輩ちゃんの背中をスゥーッと滑っていき、ブラを乗り越え、心臓の辺りに到着した。



「ブ、ブラのホックを外すつもりですか!? こんな明るいうちから? ダ、ダメですよ」



 言葉では拒絶するけど、後輩ちゃんの抵抗は弱々しい。抵抗はほとんど皆無だ。表情も満更でもなさそう。むしろ期待顔だ。


 至近距離で潤んだ瞳の後輩ちゃんと見つめ合う俺は、冷静に後輩ちゃんの心拍数を測る。


 ドッドッドッドッドッ!


 力強くて美しい心臓の音色が手のひらに伝わってくる。後輩ちゃんはとてもドキドキしていた。



「ふっふっふ。後輩ちゃんもドキドキしているじゃないか。勝負は引き分けだ」


「あ、当たり前です! 先輩に抱きついてたらドキドキするに決まっているじゃないですかぁー! それに先輩の手が……」


「あっ、ごめん」


「ふぇっ? ブラを外さないんですか?」



 いや、外すわけないでしょ。まだ午前中だぞ。お外は明るいじゃないか。


 後輩ちゃんはいろいろと理解したようで、はぁ~、とマリアナ海溝よりも深いため息をつくと、怒りを孕んだ瞳でキッと睨んできた。そして、低い声で一言だけぼそりと呟く。



「ヘタレ」



 ヘタレって言われても、俺はやることがあるんですよ。一週間以上家を空けていたから、部屋が埃っぽくなっているのです。掃除をしないといけません。



「折角二人きりになったんですよ。恋人同士、ヤることヤッちゃいましょう!」


「じゃあ、恋人が住む愛の巣の掃除な」


「ヘタレ」



 ヘタレって後輩ちゃんが積極的過ぎるんだよ。頭から蒸気を噴き出して気絶していた後輩ちゃんはどこに行ってしまったのだろう。


 あっ、ここにいたわ。後輩ちゃんの顔は真っ赤。誘うのが恥ずかしかったらしい。今にも気絶しそう。後輩ちゃんは可愛いなぁ。



「今はお姉ちゃんがいないんですよ。今しかないんですよ」



 桜先生は部屋に居ない。今日からお仕事なのだ。朝から行きたくない病を発症した桜先生は、ぐずりながらも職場である学校に行った。


 今日は職員会議があるので絶対に休めないのだとか。桜先生は、有給使う~、と泣き叫んでいたけど、頑張れと頭を撫でると一発でご機嫌になったのは言うまでもない。とてもチョロかった。


 後輩ちゃんの言う通り、今は二人っきり。二人で恋人のイチャイチャをできるのは今しかない。


 でも、家の掃除もしないといけないんだよなぁ。一度始めると止まらなさそうだし。



「掃除をします」


「むぅ~!」


「後輩ちゃん、気絶しそうだぞ」


「……うるさいです。私だって恥ずかしいのを我慢して頑張っているんです」



 まったく。後輩ちゃんは可愛すぎるだろ。


 あぁ~もう無理。一度理性がぶっ壊れると、壊れやすくなるのかなぁ。


 俺は後輩ちゃんの身体を突然抱きかかえた。所謂お姫様抱っこだ。



「きゃっ!? いきなりどうしたんですか!?」


「愛しい彼女さんをベッドにご案な~い」


「えっ!? 嘘っ!? あのヘタレの先輩が!?」



 自分から誘ってきたんだろ。いくらヘタレの俺でも後輩ちゃんに誘惑されたら誘いに乗るって。


 寝室のベッドに後輩ちゃんを優しく下ろす。顔を真っ赤にした後輩ちゃんは、もぞもぞと毛布に潜って、目元だけ恥ずかしそうにチョコンと覗かせた。



「ほ、本当に……?」


「嫌なら掃除するけど」


「全然嫌じゃないです! ウェルカムです! 超ウェルカムです! イチャラブしかありません。イチャラブ以外したらダメなんです!」


「じゃあやるか」


「は、はい!」



 俺は後輩ちゃんの横に潜り込むと、むぎゅっと抱き枕を抱きしめる。そのまま後輩ちゃんの全てを堪能する。はふぅ~。



「あの~先輩? 何をしているんですか?」


「後輩ちゃんを抱き枕にして寝てる」


「ただそれだけですか?」


「ただそれだけです」


「ヘタレ」


「うっさい」



 ヘタレで悪かったな! 俺にもいろいろと覚悟を決める時間が必要なんだよ。


 その日は、後輩ちゃんとのイチャイチャで忙しく、予定していた掃除を全て終わらせることが出来なかった。


 次からは、全部終わってから誘惑してくれると助かります。

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