第333話 げんなりする俺

 

 俺は葵さんに案内されて、会議室にたどり着いた。私服姿の社員が多いエリアだ。特に女性が多い。割合的には7:3くらい。葵さんの傍を歩く俺に好奇の視線が向けられている。


 瞳を輝かせるのは止めてくれませんかね。どこかに連絡してるみたいだし……。絶対に噂が社内に駆け回ってるはずだ。


 葵さんは噂されて大丈夫なのだろうか。あっ、大丈夫そう。悪戯っぽく微笑んでウィンクした。社員を揶揄って遊びそうな雰囲気すら感じる。こうでもしないと社長なんかやっていけないのか?


 ノックもせずに、葵さんはドアを勢いよく開けた。



「おはよー。準備はいい?」


「「「 オハヨーゴザイマス 」」」



 中から返ってきたのは沢山の声。日本語の発音の者もあれば、ちょっとイントネーションがおかしかったりもする。多種多様な国の人たち。やはり女性が多い。


 壁は一面電子画面のようだ。画面に映っているのは遠く離れた外国だろう。



「紹介するわ。私の息子よ」(英語)


「「「 はぁっ!? 」」」



 この人は開口一番に何を言ってやがる。思わず間抜けな声を出してしまったじゃないか。多くの人が目を見開いて、口まで開けている。俺も同じ表情をしていただろう。頭痛がして、頭を抱える。


 ジョークジョーク、と微笑む葵さん。なんだ冗談か、と疲れた顔の社員さん。またかよ、という雰囲気を感じるのは気のせいではないだろう。


 コホン、と咳払いした葵さんが、今度はちゃんと紹介してくれる。



「彼はアルバイトとして雇った宅島颯くん。通訳をお願いしているわ。颯くん、自己紹介を」(英語)


「英語でいいんですか?」


「ええ。それくらいなら全員わかると思うわ。ダメなら、あとで自分を指差しながら名前を連呼すれば名前くらい簡単に伝わるから。あっ! 普通にその国の言葉で喋ればいいか」



 もし喋れなかった場合は、その案を採用させていただきます。


 俺は大人達に英語で自己紹介をする。結構緊張するな。



「俺は宅島颯です。今日から通訳をします。よろしくお願いします」



 頭を下げると、パチパチと拍手をされた。電子画面の向こう側でも拍手してくれる。どうやら伝わったらしい。ハヤテ、ハヤ~テ、と何度も呟かれる。



「まずここでの仕事を説明しておきましょう。簡単に言うと、服のデザインを考える場所よ。機密情報が沢山飛び交うから、もし誰かに喋ったら……」


「喋ったら?」



 葵さんが美しい笑顔で微笑む。見る者を見惚れさせる輝く笑顔だった。


 なのに直感が反応した。警報を鳴らす。背筋が凍り、冷や汗が大量に噴き出す。恐怖で身体がガクガクと震える。


 綺麗にお化粧されて、口紅を塗られた唇が言葉を紡ぐ。それは、悪魔の囁きに聞こえた。



「私のあらゆる力を使って、強制的に問答無用で颯くんを引き抜くから。一生こき使ってあげる」


「誰も言いません! 死んでも言いません!」


「よろしい」



 満足げに頷く葵さん。怖かった。本当に怖かった。死ぬかと思った。世界規模の大企業の社長って怖ぇ。



「それで、今やっているのは北半球の冬服のデザイン決めね」


「冬服? 今年のですか?」



 会話に北半球という言葉が出るなんてびっくりだ。グローバルすぎる。



「何言ってるの? 来年のに決まってるじゃない。春物とか夏物も視野に入れてるわ」



 ですよねー。そうだと思った。今年のは遅すぎるよね。


 来年の冬服のデザインをもう考えているのか。まだ一年以上あるぞ。でも、よく考えたら、デザインを決めても生産する時間もかかる。輸送の時間もかかる。大量にストックしておかなければならない。


 軽く聞いたことはあったが、デザイン業界って大変だぁ。



「でも、流行りゅうこうってありますよね?」


「あるわね。日本にも世界にも。流行っていうのはね、流行はやるんじゃないわ。流行らせるの。作り出して誘導するの。ぶっちゃけ言うと、流行なんか有名人に服を着させて、雑誌に載せたり、テレビに出せば簡単に作れるものなのよ」



 なんかサラッと恐ろしいことを聞いてしまった気がする。闇を見てしまった気がする。怖ぇ。この人たちがこれが仕事なんだろうけど。


 葵さんが、顔を青ざめているであろう俺の両肩にポンと手を乗せる。ビクッとしてしまったのは仕方がない。



「颯くんのお仕事は、ただの通訳。内容を気にすることなく、ただ会話の間に入ってくれればいいから、お願いね。最初のうちは私もいるわ。大丈夫そうならお任せするから」


「はい」


「いい返事ね。裕也にも見習わせたいわぁ。颯くんの爪の垢を煎じて飲ませたいくらい。今度こそっと混ぜておこうかしら」



 この人ならやりかねない。そう思ってしまった俺がいる。葵さん怖ぇ。


 でも、裕也になら楓にお願いしたほうが一番効くと思う。



「では、仕事を始めましょう!」



 葵さんの合図で、一斉に仕事に取り掛かる社員たち。素早い動きだ。葵さんが戦場と例えたのも納得だ。怒号や大声が飛び交い、物も投げ合っている。言い争いも起きているらしい。でも、言葉が通じ合っていない。


 えっ? なにこれ?



「ほらほら。ボケーッとしてないでお仕事をしてちょうだい」


「はい!」



 俺は背中を押されて、戦場に足を踏み入れた。



『絶対にオレンジがいいと思うの!』


『何そのフワフワコーデは! こっちのボディラインを強調させるデザインが良いでしょ!』


『今のカナダの流行は確かワインレッドでしたよねー? アメリカは何にする予定ですかー?』


『今の日本の人は細すぎる! これじゃ世界に通用しないでしょ』


『男性陣の意見も聞きたいんだけどー! ねえ聞こえてるー? なに喋ってるのかわかんないんだけどー!』



 あらゆる言語が飛び交っている。どこを見ても会話が成立している様子はない。今までよくこれでやっていけたなぁ。普段は何人か通訳がいたって話だっけ。葵さんも捕まって通訳してる。


 俺も近くの女性に捕まって、話の通訳を行う。



『最近旦那とご無沙汰でさぁ。どうすればいいと思うー? 私から行ったら拒まれそうなのよねー。あっちから誘ってくれるいい案とかない?』



 えぇ……これを通訳するの? 仕事だからしますけど。


 俺は心を無心にして、相手の女性に話を伝える。女性はふむふむと頷き、別の言語で早口で一気に捲し立てる。



『それなら、過激な下着姿をチラ見せすればいいじゃん。あっ、あんまり下着のデザインを気にしない地域だっけ。この際に広めちゃえば。いい案が沢山あるのよ。下着送るから実践して感想聞かせて。偶には甘えてみるとか、キスして×××して○○○して○×△□すればイチコロ!』



 あぁーはいはい。これを通訳すればいいのね。放送禁止用語が含まれていますが、日常会話では普通に言うよね。滅茶苦茶生々しい話なんだけど。


 下ネタがあちこちで炸裂する会議室。俺はただ通訳の機械となって、ひたすら通訳し続ける。


 お願いだから、下ネタは止めてくれ……。


 げんなりとする俺の願いは誰にも届かなかった。

















<おまけ>


「先輩頑張っているかなぁ」


「弟くんのことだから頑張っているわよ」


「「 でも、寂しい……。早く帰ってきて~ 」」


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