第334話 誘われる俺
「颯くん。本当に今すぐウチに来ない?」
一日目のバイトが終わり、葵さんが熱烈な勧誘をしてくる。様々な言語と下ネタトークが飛び交う人たちの通訳を頑張った俺は、何故か皆さんから気に入られた。普通に会話を翻訳して、時々世間話をしただけなんだけど。
しばらくして気づいたのだが、グロンギ語を話す怪人や、ナヴィ語を話す肌が青い人、古代エジプトの衣装を纏ってヒエログリフで文字を書いてくる人など、個性豊かな面々だった。全員趣味らしい。
本当の言語に切り替える前に俺が返答したから、喋った本人も周囲の人もギョッとして、固まってしまったのは少し笑った。その後、感激して目をキラッキラさせながら、熱い握手を交わした。トークが盛り上がったのは言うまでもない。
いつの間にか葵さんはいなくなり、俺一人になったけど、全てスムーズに進んでいた。
葵さんの予想以上の結果だったらしい。勧誘が止まらない。
「月に手取り50万……いえ、100万出すわ! 何なら、家も準備するし、家賃も水道光熱費も交通費も支給するから! お願い! ウチに来てちょうだい!」
その条件を飲んだら、年収1000万を超えるんだが!? 俺はまだ高校生。社会を知らない十代の若者だぞ!
「そんなに期待されても困ります。偶々今日は上手くいっただけですから」
「安易に飛びつかないのも更に好感アップ! ますます手放せないわ。やはりあらゆる力を使って引き入れるしか……」
恐ろしいことを考えないでください。葵さんが力を使ったら、俺はあっさりと従うしかないんで。
なお、葵さんが使う手段は、お金でも大企業の社長の権力でもない。ただの説得だ。仲が良い俺の母親とか、あとは後輩ちゃんとか。後輩ちゃんを味方に引き込まれたら、俺はなす術がない。
好条件なのに俺が頷かないのには他にも理由がある。それは、後輩ちゃんとの時間が減ってしまうからだぁー!
今日のアルバイトで感じた。休憩もほとんどない。休んでもいいのだけど、休憩中も皆喋っているから、俺は通訳をしていた。おかげで後輩ちゃん成分が足りない。
ぐったりと疲れた俺を見て、葵さんがうふッと微笑む。全く疲れていない様子なのは流石だ。
「葉月さんとの時間が減るとか思ってる? なら、葉月さんも雇いましょう。それで問題解決ね! 彼女も私の味方になってくれる気がするわ」
「あ、葵さん!?」
「物凄く美しいから、試作品を着てくれるだけでいいのよね。良いモデルになってくれそう。もしかして、葉月さんもチート能力持っていたりする?」
チート言うな。俺がチートなら葵さんはどうなる! 俺よりも言語堪能ですよね!? バグか? バグなのか!?
「まあ、家事能力は皆無ですけど、スケジュール管理とか、マルチタスクとか、秘書系の能力のチートの塊ですね」
「よし。採用」
だから決断が早いって! まだ本人の力を見てないでしょうが!
冗談よ、と葵さんは笑っているけど、その瞳は笑っていなかった。超真剣だった。これは後輩ちゃんにも話がいきそうだ。
「高校生活でしか得られないものはあるわ。全力で今を生きなさい。そして、高校卒業したら、ウチに来なさい」
「……拒否権は?」
「ないっ!」
ものすっごく美しい笑顔で拒絶されたんだが。
父さん母さん、楓に後輩ちゃんに桜先生、俺は進路が決まってしまったようです。就職が決定しました。
『よかったね!』とサムズアップする家族の姿が思い浮かんだ。うん。俺の家族はこういう人たちだよね。知ってた。
「冗談よ。高校生活はあと二年あるから、しっかりと考えてちょうだい」
全く冗談に聞こえなかったけど、前向きに検討させていただきます。
今日はもうアルバイトは終わり。封筒に入った日給を貰い、俺は帰路についた。
疲れた。とても疲れた。また明日もある。しっかりと休もう。
家に帰る前に本日の給料を確認しておくか。封筒を開けると、中には諭吉さんが五人も。
日給五万!? 高っ!? これが大企業のアルバイト……。いや、葵さんのことだから、能力給だろう。
待てよ。一カ月を30日として、土日を休みにすると単純計算で平日は20日。日給5万の20日。計100万。
葵さーん! なにしてくれちゃってんのぉー!
明日抗議しておこう。もっと給料を下げてくださいって。
俺は身も心も疲れ果てて、やっと家にたどり着いた。玄関を開けると、即座に中から後輩ちゃんと桜先生が駆け寄ってくる。
「ただいまー」
「「 おかえりなさーい! 」」
むぎゅーっと抱きしめてくる二人。甘い香りや柔らかさや温もりが俺を癒してくれる。
クンクンと俺の身体を嗅ぎまわす後輩ちゃんと桜先生。犬かっ!?
念入りに嗅ぎまわった二人が、ジト目で俺を睨む。
「女性の香り」
「説明して」
本当に犬かっ!? 女性の香りって言われても、俺には心当たりが……あっ。
「先輩。今心当たりがありましたね」
「説明して」
「怖っ!? なんで対ナンパ用ヤンデレモードになるの!? 葵さんだ! それはたぶん葵さんのせいだ!」
「あぁーなるほど」
瞳を据わらせて、どす黒く濁らせていた後輩ちゃんが、スッと元に戻った。あぁー怖かった。恐怖で身体が震えてしまったぞ。
葵さんを知らない桜先生がキョトンと首をかしげる。
「誰なの?」
「えーっと、鈴木田裕也先輩のお母様で、今回の依頼主です。宅島家と山田家と鈴木田家は家族ぐるみで仲が良いのです!」
後輩ちゃん。説明をありがとう。納得した桜先生がポンっと手を打った。
「な~るほどぉ~」
「三人目の母親って感じの女性です。葵さんってかっこいいですよね。女として憧れます」
ふむふむ。後輩ちゃんの憧れの女性なのか。確かにそんな雰囲気はある。
取り敢えず、まず二人に言いたいことがあるんだけどいいかな?
「あの~? 手洗いうがいをさせてくれない?」
「「 はーい! 」」
抱きついていた二人が即座に離れる。俺は洗面所で丁寧に手洗いうがいをする。冬だから、風邪には気をつけなければ! 二人に風邪を引かせるわけにはいかない。
外は寒かったなぁ。ご飯の前にお風呂で温まるのもありだな。
「そう思って、お風呂に入る覚悟はできています!」
「お姉ちゃんもできています! 一緒に入りましょー!」
覚悟ねぇ。家事能力皆無の二人はお風呂洗いも出来ない。だから、覚悟だけだ。
仕方がない。お風呂を洗いますか。
「すぐに準備するからもう少し待ってて」
「「 はーい! 」」
元気の良い姉妹の返事。
俺はこの後、二人の誘いに乗って、ゆっくりとお風呂で温まり、癒されるのだった。
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