第326話 動きたくない後輩ちゃん
「ぐあぁ~!」
「ぐえぇ~!」
「あらあら。二人ともお疲れねぇ」
俺と後輩ちゃんがベッドの上に横たわり、呻いている姿を、桜先生が一人楽しそうに眺めている。
いいなぁいいなぁ。一人だけズルいと思う。俺たちは長距離走大会を頑張ったんだ。20キロも踏破したんだ。もう滅茶苦茶疲れた!
足はパンパン。関節が痛い。全身が重い。怠い。頭がボーっとする。動きたくない。
運動不足だったかなぁ。いや、帰宅部はこういうものだろ。これが普通のはずだ。
桜先生はチェックポイントで生徒たちを励ましていただけ。それはそれで疲れるかもしれないが、俺たちはもっと疲れている。くっ! これが大人の特権か!?
「あぁ……ヤバいです。明日絶対に筋肉痛ですよ。激痛に襲われますよ。私にはわかります」
「俺もわかるぞ。明日動けないかも。もう既に動けないが」
「次の日に筋肉痛が来るからいいじゃない。年を取ると数日経って襲ってくるのよ。若い証拠よ!」
一人だけ元気で他人事の桜先生を、俺と後輩ちゃんはジト目で睨む。
「見た目二十代のピッチピチの姉さんが何を言っている?」
「お姉ちゃんはこの間、普通にその日に疲れが来てたよね? まだ若いじゃん!」
「あらら~! 弟くんと妹ちゃんに褒められちゃった!」
褒めた? ……おぉ! 俺たちは桜先生を褒めていたな。桜先生は若いのに何言ってんだ、と思っていたけど、結果的に褒めることになったな。
まさかこれを狙って? 俺たちに褒められるために? いや、それはあり得ない。ポンコツで残念な桜先生だぞ。そこまで考えられるわけないじゃないか。
「……弟くんが失礼なことを考えている気がするわ」
「何のことかなぁー? あっ! 止めて! 脚をポンポン叩かないで! 身体に響くからぁ!」
ムスッと頬を膨らませた桜先生が、俺の脚を叩いてくる。どうして女性って勘が鋭いんだ!
少し不満をぶつけた桜先生は、すぐに叩くのを止め、優しく脚をナデナデし始める。それなら許可する。ナデナデは気持ちいい。癒される気がする。もっとお願いします。
「うげぇー。姉さんそこそこぉー。気持ちいい……」
「今日はお疲れ様。お姉ちゃんでたっぷり癒されてください」
「はーい」
「お姉ちゃーん! 超絶可愛い妹にもナデナデぷり~ず!」
「はいはい。了解よー!」
俺と後輩ちゃんは頑張ってうつ伏せになり、桜先生がふくらはぎや太ももをナデナデしてくれる。時々、お尻も触ってくるけど、まあ許そう。抵抗する力も元気もない。多少のセクハラは見逃そう。
「あぁ~お姉ちゃんがいてよかったですぅ~。気持ちいい~」
「ふふん! もっとお姉ちゃんを頼りなさーい!」
「こういう時だけは役に立つな」
「そうでしょそうでしょ! …………あら? 弟くん。『こういう時だけ』ってどういう意味かしら? 詳しく聞かせて?」
おっと。不味い。つい本音が漏れてしまった。桜先生が疲れた筋肉をむにゅ~っと押してくる。あぁ……それ気持ちいかも。解されて気持ちいい。
「弟くぅ~ん? お姉ちゃんに教えてごらん?」
くっ! 逃げられないか。身体も動かないし。こうなったら誤魔化すしかないな。いや、別の言い方をすればいいのか。
「では、逆に聞こう。姉さんはどこで役に立つ?」
「そ、それは……」
「家事能力皆無の姉さんはどこで役に立つ?」
「うぐっ!?」
掃除、洗濯、料理などが一切できない桜先生が、自分の胸を押さえて倒れ込んだ。ここで一気に畳みかける。
「だろ? 姉さんは、こういう時だけ、俺と後輩ちゃんを癒す時は役に立つんだ。なくてはならない俺たちの癒しだ」
「あ、あら? えーっと、褒められてるわね。釈然としない気持ちも若干ある気がするけど、お姉ちゃんは弟くんと妹ちゃんを癒すのには役に立つわね! お姉ちゃんにしかできないことね! そうよ! お姉ちゃんは二人の癒しなのよー!」
ふっ。チョロい。桜先生はポンコツ残念でよかった。すぐに機嫌が直る。
超ご機嫌になった桜先生が、優しく俺たちを癒してくれる。
「あぁもう! 動きたくないです! 歯を磨かないといけないんですけど、動きたくな~い!」
後輩ちゃんが俺の枕に顔を埋めてもごもごと叫んでいる。臭くないのか? 臭かったら顔を埋めないか。
俺もまだ歯を磨いていない。このまま横になっていたらいつのまにか寝てしまいそう。磨かないといけないのだが、動きたくない。
でも、仕方がない。さっさと済ませよう。
「おっ? 弟くんどうしたの?」
「歯を磨いてくる。眠くなってきたから」
「あぁーせんぱぁ~い。私の歯ブラシを持って来てくださ~い」
「動かない気か?」
「はい! 動きません!」
清々しいな! 後輩ちゃんらしいけど! どうせ口を漱ぎに行かないといけないのに。
「だが断る!」
「なんでですかっ!?」
「後輩ちゃんは今日、俺に怖い話をしたからだ!」
長距離走大会で歩いている時、後輩ちゃんはホラーの話をした。そのお返しだ!
枕から顔を出した後輩ちゃんが、ニヤッと笑う。
「ふぅ~ん? いいんですかぁ~? もっと怖い話をしてあげますよ?」
「直ちに持ってまいります!」
仕方がないよね。ホラーは怖いんだ。俺は聞きたくないんだ!
ヨロヨロとドアを開けて歯ブラシを取りに行こうとして、俺は立ち止まった。
「姉さん。一緒に来て。一人じゃ怖い」
「もう! 弟くんったらぁ! 可愛すぎるわよ! 付き添いもお姉ちゃんに任せなさ~い!」
「はっ!? 先輩が怖がってる! ぜひ愛でなければ! でも、動きたくない。うぐぐ……私はどうすれば!」
後輩ちゃんが真剣に悩み始める。俺にとってはどうでもいいことだ。
一緒について来てくれる桜先生が頼もしい。流石姉だ。大人の女性だ。
「やっぱり私も行きまーす!」
動きたくない後輩ちゃんも、結局は起き上がった。
俺と後輩ちゃんはヨロヨロと、桜先生は元気に、歯ブラシが置いてある洗面台に向かうのだった。
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